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木笑み風~木枯らしのなかで奏でる~  作者: 玉時雨
そして春が来る
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 相変わらず青い空。簡素な住宅街。


「ほんとにここは変わらないな」


 変わらない情景。それが今は尊く感じる。

 あれから、ひと月。世嗣は虚構世界の復興に追われ、今じゃブラック企業の平社員のような形相だ。それでも世嗣は昔と違って楽しそうに笑うようになった。着実に進む復興に胸を躍らせているらしい。世嗣はまた一緒に暮らしている。一度、虚構世界の王座の話が来たらしいがこれからは自分の幸せを優先させてほしいと断ったと言っていた。それが彼女の幸せなんだろう。家族四人の暮らしは何とも幸せだ。

 そういえば蘇芳と凜は正式にお付き合いを始めたらしい。いつまでたっても落ちてくれない蘇芳に嫌気がさして凜が告白してしまったらしい。その時に言った言葉が——。


「私、蘇芳先輩が好きなんですっ! 私は蘇芳先輩じゃないとダメなんですっ! 蘇芳先輩は私が他の誰かに取られてもいいんですかっ?」

「え? 僕って凜のこと好きだけど。なんなら取られたくないけれど」

「なんなんですか、先輩はっ!」


 それからいろいろあって、蘇芳が交際を申し込んだ。優しい友人の手助けがあってやっとだが。今では凜を溺愛している。それを自慢してくる凜も少し煩わしく感じるのは、秘密だが。けれど二人はうまくいっているみたいだ。

 肝心のみやはとのお付き合いは。


「霧彦、最近同じことばっかり言ってるよ」

「だって変わらないって、いい事じゃん」


 腕を組みながら登校をするのが日課になっていた。周りの生徒からは嫉妬の目はもう無く、ただただあの馬鹿みたいにはならないようにと思うのみだった。


「会話内容は普通なはずなのにな」

「いいんだよ周りは。わたしたちが幸せならそれで。迷惑かけてないんだから」

「それも……そうだな」


 みやはのエゴイズムに流されてばかりになる霧彦。それが一番の二人の変化だった。その変化に気づけない霧彦をまた、憐みの視線を送る。

 絶対、尻に敷かれるタイプだな。

 そう周りが思っていることは幸せ真っ盛りの二人には届くはずもなかった。


「もうすぐ春が来るね」

「そうだな」

「今年の桜は、二人で見ようね」

「花見デートな」


 雪原町には春になると枝垂桜の並木道が一斉に色めきだす。春の色を醸し出すそれは春とは思えない肌寒い気候を一瞬にして春色に染めていく。枝垂桜が舞っているのを見ると地元民は春の訪れを感じていた。

 少し寒さが和らいだ雪原町。寒さに震える冬が終わり、また歩き出していた。


「この町、わたしは好きだな」

「どうした、いきなり」

「この町でいろいろあった。監禁されたり、母親を殺されたり、本当にいろいろ。でもいいこともあった。霧彦と会えた。一回目は優しく見守ってくれて、二回目はわたしを助けてくれるために手を差し伸べてくれた」


 懐かしむように笑う彼女は楽しそうだった。


「何度も助けてくれた霧彦は最初からわたしの運命の人で、そう思える自分がなんだが恥ずかしいけれど。けど、そう思える自分が今じゃ誇らしい。そう思わせてくれた町が、霧彦と会わせてくれたこの町が——好き」


 こんな笑顔をしてくれる彼女。こう笑ってくれるように頑張ってきた。彼女のためだったら頑張れた。昔の——香雪虫だったころの自分は多分、何も力が無くて嘆いているだけしかできなかったと思うから。だから今は、幸せだ。


「おーい、君たち~」


 後ろから駆けてくる男が一人、声をかけてくる。


「お前は——進藤紅」

「進藤……さん? 誰?」

「自称ジャーナリストだ」

「自称って、うさん臭くない?」


 うさん臭い人は肩を上下させていた。やっぱり体力が無い男だ。


「はぁ、はぁ——。ふぅ~、久しぶりだね《《晏御》》君?」

「お、お前。なんで?」


 偽名で答えたはずなのに男は霧彦の名前を知っていた。


「少し調べればわかることさ。それにあの時の顔を見れば嘘をついてることなんてすぐわかることさ」

「で、その進藤さんはなんのようなのかな」

「あ、そうそう——」


 進藤はメモ用紙とペンを取り出しさながら一流記者のような振る舞いで。


「君たちに聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」

「そう。君たちは、奇跡って信じるかい?」

「なにかと思えばそんな質問——」


 霧彦が止めようとする。でも質問に答えたいと思った。


「わたしは——」


 どんなに諦めようとしたか。もう数えることはできないけれど。どんなに足搔いても手に入れられなかった景色が、目の前に広がっていることはまさしく奇跡なようなもので。それを奇跡と呼ばないでなんて呼ぶかなんてわからない。


 奇跡ってのは世嗣ちゃんの力だったり、なにか大きなことを成し遂げられる力のことをよく指している。確かに神殿の力は奇跡そのものだ。普通の人間が手にできない奇跡だ。香雪虫も奇跡だ。人知を超えた世界をも変える力を持っているなんて奇跡。そう思うよ。


 けど奇跡って何だろう。人が美しいことをしたときにしたことを言うの? 人が誰も成し得なかったことを言うの? 人が誰かを助けた時のことを言うの?


 確かにそれも奇跡なんだ。奇跡って呼んでもいいと思う。それで世界も人も救われるんだから。それはわたしら、人間の感性次第。人それぞれ感じることは違う。それを個性というのも、人と合わせられない協調性が無いというのも、それも人なんだから。それがわかる人間になってあげられればいいと思う。


 奇跡はそんな人の考えじゃ決められないんだよ。だからわたしはこう思うことにした。

 奇跡ってのは、やっぱり日常をこうやって生きれることなんじゃないかって。

 いつもいつもって言うけれど、いつもって言える世界は、いつもを大切にできるそう言った奇跡の上で成り立っているから。いつもありがとうとか、いつもお世話になっておりますとか、そんな定型文があるけれど。いつもそう思えるってのは奇跡なんだ。


 だからわたしは信じたい。奇跡ってものを。このありふれたいつもがあるってことに感謝しながら。


「あると思うっ!」


 満面の笑みで答えた彼女は屈託のない子供のような無邪気さだった。


 春の風が吹く。春一番の風が。その風に乗って、ひとひらの桜の花弁が舞っていた。その桜の花弁は独り寂しく、けれど自信をもって強い風に乗りながらまた別の場所へと旅立っていくのであった。


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