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木笑み風~木枯らしのなかで奏でる~  作者: 玉時雨
そして春が来る
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 誰だって恋心は抱くはずだ。近所の人だったり、クラスメイト、コンビニの店員。誰かは恋をして生きていく。人でなくても、恋をする。

 冬に響く旋律。記憶と意味を取り戻させる音。その調和を整えるようにみやはは旋律を終えた。


「霧彦、君はここにいちゃいけないの」

「……」


 言葉にならないものが込み上げてくる。今まで過ごしたことが全て嘘なのではないかと不安になる。


「君は本当はこちらの世界の住人で、君が虚構世界に現実世界の人間を無意識に連れてきてしまっていたんだ。その記憶は君にはないよ。世嗣ちゃんが必死に隠してきたからね」

「世嗣が? なんで」

「だって世嗣ちゃんはお兄ちゃんのことが好きだから。なるべく一緒にいたかったから。けれどこうなってしまった。だからもう、終わりにしよう」

「終わりって?」

「帰ろう、霧彦」


 みやはがまたピアノを弾く。先程とは違い、知っている曲だった。聞きなれた曲。彼女が大好きな曲。


「君はいつも聞いてくれてたよね」

「木枯らし」


 悲しく舞う旋律は枯らすためのものじゃない。彼女が弾きたい旋律は愛を持ってくるものだ。霧彦の耳にすっと語り掛けてくる。旋律という名の言葉を。


「わたしも君の視線を感じていたんだ。よく来る綺麗な羽。わたしが弾くといつも楽しそうにはしゃいでた。だから決めたんだ」

「なにを?」

「わたしはわたしでなくなろうと。君の気持ちに答えたくて。だから世嗣ちゃんにお願いしたの。わたしたちに奇跡を頂戴って」

「俺は記憶にない。だって俺はみやはと子供の時から——」

「そうだね。わたしたちはもう一回、一から過ごしなおした。幼馴染の二人。ちゃんと意思疎通できる二人になって」

「全てはこの雪木の旋律に載っていた」


 旋律に載せていた。この旋律が無ければ彼に本当の想いを伝えられなかった。この想いは記憶を消してでも、隠す必要があったのだ。彼の幸せはたったひと時、ひと季節の間でしか咲かない儚く寂しい花だから。

 逡巡する過去の中、みやはは彼との思い出を振り返る。今まで人間の彼と過ごした冬は本当に楽しかった。全てが本当だった。彼のひと時の間の奇跡は幸せだったのだろうか。


「箱の中身。あの香雪虫は君なんだ。だからあの箱は預けた。わたしが使った奇跡はあなたの奇跡。けれどもうその奇跡は時間切れだ」

「もう一緒にはいれないのか?」

「うん。悲しいけれど時間切れ。もう君はその体を維持できなくなってるでしょ?」


 霧彦は自分の体に目を落とす。体が透け、空気と同化していく胴体に冷たい風が通っていた。


「だから私は答え合わせをしに来た」


 世嗣が部屋に入ってくる。急に出てきた彼女にただ視線を送る。ここにいるはずのない彼女がここにどうやってきたのか、そんなことは些細な疑問にしかならない。


「兄さん。私は兄さんの血の繋がった妹なんかじゃない」

「ま、そうじゃないかとは思ってたよ。こんなにわからない話があるんだから不思議じゃない」

「私は高野世嗣。神殿家の分家。兄さんの監視役だった」

「世嗣ちゃんにはわたしが頼んだの。だって霧彦に何かあったら大変なことになるから。だっていきなり人間がいきなり消えたりしたら大変でしょ?」


 元からおかしかったんだ。今思えば、世嗣は高野で通っていて、昔も世嗣は世嗣だった。苗字なんて名乗ることはなかった。


「全て演技だったのか?」

「演技なんかじゃないよ。私は兄さんのことは本当の兄さんみたいに慕ってた。だって兄さんは私を妹みたいに守ってくれたじゃない」

「それは……ただ嘘の記憶に騙されていただけかもしれないだろ」

「そうかもしれないけど、それでも助けてくれた兄さんは私にとって兄さんなんだから」


 世嗣が向ける尊敬の瞳は兄に向けるそれと同じに見えた。


「そんな兄さんと過ごした日々は多分忘れないよ」

「世嗣……。俺はなんなんだろうな」

「兄さん? 兄さんは兄さんだよ。兄さんは少しみんなと違う境遇だけれど、同じ感情を持ったれっきとした私の兄さんだ」

「そうか」


 何も言葉が出ない。けれど答えにならない言葉は世嗣に確かに届いていた。


「霧彦、それでもわたしたちを許してくれる?」


 許すもなにも霧彦の答え。それはなにもかも昔からきまっていたのかもしれない。どんなに声をあげても答えてくれない彼女。言葉というものを持たなかった彼にとってこの奇跡は、どう考えても。


「感謝しかないかな」

「霧彦」

「だってそうだろ? 昔の俺という感覚はないけれど、記憶は無いのだけれど、それでも俺は感謝を述べるよ。それは確実だ。俺に言葉を与えてくれたんだから」

「兄さんの歩む道を奪ったとしても?」

「そうだとしても、俺のことを思ってしてくれたんだろ?」


 凪いでいた感情がだんだんと荒々しくなる。感情が抑えられなくなってくる。


「俺の、ために、してくれたんだろ?」


 波が防波堤を超すみたいに無自覚な涙が流れる。何も記憶にない。覚えていないことを言われているのに。体はそれを覚えている様だった。


「霧彦は優しいね。それ、昔も一緒だったよ。わたしは辛い過去を繰り返した。だから霧彦に助けてもらったあの悲惨を二回経験しているの」


 親が死んでしまう過去を二回。彼女は確かにそう言った。そうだろう。霧彦との過去をやり直すということは、あのこともやり直すということ。それを迷わずに。


「一回目のわたしはあれで壊れてしまった。もう感情のないお人形。笑っちゃうよね。それでも世嗣ちゃんはわたしのお友達でいてくれた」

「みやはちゃんは話しかけても何にも反応しない。けれど、兄さんが来たら違ったの」

「霧彦が、彼が来るとわたしの中の気持ちの花が咲いていった。わたしの周りを飛んで元気づけようとしてくれている。それがなんとなくわかったの」

「俺が?」

「そうだよ」


 みやはが優しく笑顔を向ける。過去、言うなれば前世の自分なのに今ここにいるみたいに感謝の念を込めて。


「霧彦のおかげで、わたしは口が開けるようになった。感情が頭で考えられるようになった。そして、笑えるようになった」

「だからみやはちゃんは私に言ったの。彼と話したい。初めてみやはちゃんが願ったことだった。今まで、言われるがまま、出来事に従うがままだったみやはちゃんが初めて」

「だから俺は、晏御霧彦として輪廻した」

「そう。私大変だったんだから。いっぱい方法を探して、勉強して。それで最古の文献、雪木の旋律を見つけた。そこに感情を乗せると願いは叶うって。それにはそのものの奇跡が必要だったけれど」

「だから、奇跡として君の、香雪虫としての奇跡を使ったの」


 まるで他人に話すかのようだった。幼馴染ではなく別の人物……。そこに自分の自我は存在してはいなかったのかもしれない。けれど寂しく感じた。


「香雪虫がもつ奇跡を使うと時間が戻り、君が人間としている世界になった。そこでわたしたちはもう一度やり直すことにしたの。記憶をなくして、世嗣ちゃんだけは記憶を維持してもらったのだけれど」

「じゃあ、カリナはどうなる。あいつ、雪木の旋律を知ってたじゃないか。あれは輪廻の副産物じゃないのか?」

「ああ、これね。これは本当に世界を揺るがすものだよ。だって、私たちも体験してるじゃない。世界を改変できる、それに彼女は恐れ、欲しがった」


 強大な力を彼女は求めた。だけれどその力は世嗣がもっていた。最初から演技だったのか。


「じゃあこの霧は?」

「私たちが来てしまった副作用みたいなもの。あっちの世界で起こらなかったことが起こってしまった。兄さんが干渉することができたからね」

「世嗣ちゃんが助けてほしいと思ってるのは本当だよ。だからわたしたちだったの」

「俺たちにできることなのか?」


 一つ息をついて世嗣が話し出す。神殿家の総代としての顔つきだった。


「みやはちゃんたちにできること。それは——この世界に奇跡を起こすこと」

「奇跡には代償がいるの。だってそんな力ホイホイ使えるもんじゃないでしょ? ゲームでだってできない」

「その代償って、俺が消えるのか?」


 これまでの話を聞く限りそう言っているようにしか思えなかった。


「それしか——」


 世嗣が言う前にみやはがさえぎる。先の言葉を言わせないように。


「あるよ、方法」

「みやはちゃんっ!」


 焦るような声を出す世嗣に少し不安を覚える。ただお前は死ぬしかないと言われている。そう感じると妹のはずの世嗣が別人のように思えた。けれど、世界と天秤にかければすぐ答えが出るのもわかっていた。

 だからこそ、みやはがかばったように見えたのが不思議で仕方なかった。

 それでも時は進んでいた。

 白く囲まれたこの部屋で突然、震え上がる。そこにあるはずのないものが現れたから。紫色をした人間だったもの。それは人間を泥のように腐敗させ、床に痕を残させていた。


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