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食料が無いとわかったら、ストレス過多の人間が暴動を起こすかもしれない。少ない食料はあるが、あと三日分といったところだった。水も水道から出るものは、汚染されて飲めたものじゃない。
そんな必死な状況を俺たちは何とか打開しなければならなかった。
「ごめん、兄さん。もっと早くに助けを求められたら。私は自惚れていたのかもしれない」
「わたしが弱かったからだよ。弱かったから、世嗣ちゃんは霧彦に助けを求められなかった。わたしに霧彦が必要だった」
自己否定が二人を襲う。優しいからこその自己否定。けれどそんな余裕は霧彦たちにはなかった。
「そんなに落ち込んでも仕方がないだろ。俺たちは俺たちにできることを——」
バリンッ!
静寂の中に甲高い音が響く。
「なんだっ⁉」
「ま、まさか」
バリンッ!
先程の音が列をなすように何度も鳴り響いた。それと同時に悲鳴が響く。
「きゃーーーーっ!」
「体育館のほうだ」
「行こうっ!」
霧彦たちは体育館のほうへ急いだ。
中続きに体育館へ繋がっているので、大半の生徒はそこへ避難生活をしているとのことだった。広く多人数の場所。さっきの音は窓が割れる音だ。何枚も割れたようだった。
体育館に着くとそこはひどい有様だった。
下の小窓から覗くと、黒い空気が人間を取り込み人を腐らせている。逃げ惑う人、出入り口は人の山ができていた。山という死体。物言わぬ者たちが生者を閉じ込めていた。
「助けてくれーーー」
中から聞き覚えがある声がした。
「す、蘇芳か⁉」
「——霧彦? 霧彦なのか?」
「そうだ霧彦だ!」
「霧彦! 無事だったんだな」
「そんなことより、そっちの状況は」
「ひどい。後ろからガスが迫ってる。でもまだ充満してないから、あと一分くらいはもちそうだ。隣に凜もいる。けど意識がないから急がないと」
「凜が……。ちょっと待ってろ! 今助けるからな」
そう声をかけると蘇芳は安心したように溜息をつく。
「みやは、この山は無理か」
「無理だね。どうやっても時間がかかっちゃう。」
「じゃあ小窓、ブチ破るとガスが中に入っちまうし」
「どこか……あ——」
「なにかあるのかみやは」
考えがあるように見えるみやははその方法を試すかどうか躊躇っていた。そんな余裕は霧彦たちにはなかった。
「おい霧彦、凜が息をしてないっ!」
「え?」
中から聞こえる声に意識が遠のきそうになる。絶望を知らせる鐘の音のようだった。
「み、みやは。何か知ってるなら答えてくれよっ! 凜が——」
「霧彦、箱」
掻き消えそうな声でみやはが言った。思わず聞き返してしまう。
「なんだ、箱がなんなんだ」
「いいからっ、前に渡した箱を頂戴っ!」
先に出した声を忘れるほどの大声が霧彦を冷静にさせる。
みやはに箱を渡すと、今まで開くことがなかった箱が簡単に開く。中には何も入っていないかのように見えた。
「から?」
「この中はからじゃない。香雪虫が入ってるの」
みやはの代わりに世嗣が説明してくれた。
「現実世界にもいた香雪虫ってね、本当は虚構世界の生き物なんだよ。だから彼らは不思議な力を持っている。奇跡と呼ばれる力」
箱の中のものを取り出すみやは。霧彦には何を取り出したのかが見えなかった。
「あの虫は虚構世界の人間にしか見えないんだ。現実世界で生まれた者は見えない。だから現実世界で見えた人間は少ないと思う。たまに感情が多感な人には見えたりするみたいだけどね」
「そうだな。俺には何をしているのかがわからない」
みやははただ、祈っていた。そこにいる者に祈っていた。
「あの虫の力は人間の嘘を本当にする力がある。虚構世界が現実世界の裏にあるように、現実世界も虚構世界の裏にある。表裏の理。その理を香雪虫を使って変えようとしている人間がいる」
突然周囲が光りだした。突発的な光から人が出てくる。
「これで大丈夫だよ。これで二人は……」
蘇芳と凜が、助けられないと思われた二人が外へいきなり現れた。これが奇跡の力。霧彦の目の前で常識的ではないことが起きていた。
バタンッ!
物の落ちる音がして視線を送ると、そこにはみやはが倒れていた。
「おい、みやはっ!」
駆け寄って揺さぶっても目を覚ます様子がない。
「兄さん、みやはちゃんは大丈夫だから今はこの場を離れないと」
「僕は凜を連れていく。霧彦はみやはを連れて」
「あ、ああ」
言われるがまま避難する。渡り廊下の扉を閉めると何か膜の様なものが張られて、ガスの侵入を防いでいた。これが結界というものなのだろう。
空き教室へみやはたちを運ぶ。久しぶりに幼馴染が集まる。そのはずなのに皆に笑顔はない。
「蘇芳大丈夫だったのか?」
「うん。僕は凜と一緒のいれたからね、まだ平気だった。でも周りのみんなは……」
その後に続く言葉は言わずもがなわかる。それほどにこちらの生活は厳しいものだったことを物語る。
「凜ちゃんはちょっと瘴気を吸ってしまったみたいだね。でも平気。これ以上吸わなければ命は大丈夫だよ」
「よかった~」
安堵の顔。蘇芳が本当に安心した顔をした。
「ごめんな遅くなって」
「全部、世嗣ちゃんから聞いたよ。これまでにあったこと、まさかお前に妹がいたなんてな」
「ああ悪い。みやはの為だったんだ」
「そんなのわかってるさ。お前は人の為に動ける男だ。それが晏御霧彦だ」
今までのことは世嗣が話してくれた。世嗣はこれまでも何度か虚構世界の様子をうかがっていたらしい。そして凜や蘇芳、みんなを救っていた。今だって凜とみやはの介抱をしてくれている。そんな世嗣は兄として誇らしく感じていた。
「すべて世嗣のおかげなんだよ、やっぱり。世嗣のおかげで俺たちはここにいれるのかもしれない」
「お前も頑張っているさ」
蘇芳のたったの一言に救われたような気がした。蘇芳の久しぶりに見る笑顔は相変わらず輝いていた。
「みやはちゃん」
世嗣が声をかけるとみやはが起きた。
「みやは、大丈夫なのか?」
「う、うん平気。だからそんなに心配そうな顔をしないで」
「そりゃ心配もする。心配させてくれ」
「ありがとう」
みやははあたりを見渡して二人を見つけると、太陽のような温かい笑顔をした。
「よかった。二人は平気そうだね……本当によかった~」
「久しぶりだなみやは。僕のことは覚えてるのか?」
「当たり前じゃない。……馬鹿?」
「おい、ひどくないか? きりひこ~、みやはがいじめるよ」
「嘘だよ蘇芳。わたしに会えなくて寂しかった?」
「寂しかったですよっ!」
そして凜も目を覚ました。これでみんな、救われた。俺たちの日常が戻った。
そんな当たり前の風景を俺たちは探して。
探して。
助けないといけないんだ。