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木笑み風~木枯らしのなかで奏でる~  作者: 玉時雨
本当の裏
38/53

 朝の冷たい空気が霧彦を叩き起こす。布団にくるまってその敵を追い払おうと籠城するが、一向に出ていってくれることはなかった。

 寒いものは寒い。

 寒すぎて死にそうだ。

 本格的な冬がやってきたのだ。霧彦はこの時期、意地でも布団からは出たくはなかった。厳しい寒さの中、別に好きでもない学校に行くことが苦痛だったからだ。

 しかし今年の霧彦は一味違った。なぜなら——。


「霧彦さん──そろそろ起きてくれませんか~?」


 彼女という温かい存在がいるからだ。


「おはようみやは~」

「お寝坊さんは置いていきますよ」

「ちょっと待ってくれよ、今行くから」

「お? 今日はやる気だね~」

「みやはが行かないなら俺も行かないよ」

「だ~め。学校はサボっちゃいけません」


 毎朝起こしてくれる彼女。そんな存在がいることで霧彦は、堕落した生活をせずにすんでいた。


「みやはちゃん、毎日ありがとね」


 部屋に笑顔の響子が入ってきた。


「この霧彦の為だったら、わたしは何度だって来るよ」

「霧彦にはもったいない、いい子だよ~」

「わたしのほうこそ、いいのかなって思うよ」


 昔のことだ、と霧彦は口から出そうになったがその前に響子が口を開いた。


「この子が選んだ子だよ? もったいないことなんてないよ。だからこの馬鹿をよろしくね」

「おばさん、ありがと」


 みやはは優しく笑う。

 彼女にとってこの場所は、居心地がいいのだろうか。罪悪感で押し殺されていないだろうか。

 彼女は俺たちがしたことを知らないはずだ。だからこの秘密は絶対にこの場所には持ってきてはいけない。

 罪悪感は晏御の人間だけが抱えていればいいと思っていた。

 それでもみやはは、この話を聞かなければならない。


「これからはお母さんになるかもね」


 暗い顔をしていた霧彦を察したのか、響子がふざけたことを言う。

 ふざけては無いのだけれど、なんかな〜。


「なに言ってるんだよ」

「え? あんたたち結婚しないの?」

「まだ早いよ。ね、霧彦」

「まだって……」


 二人は顔を真っ赤にして押し黙る。

 はずかしいな~。

 そんな二人を見て響子は笑っていた。


「ほら霧彦も起きなさい。せっかく彼女が起こしに来てくれたんだから。みやはちゃんもご飯食べていくでしょ? 今用意するから」


 そそくさと出ていく響子の姿に苦笑する。

 あれはあれでちゃんと理解してくれてるから、驚きだ。


「ほら、行こうぜ」

「うん、ありがと」


 みやはとの朝ごはんは、何か新鮮でゆっくりとした時間だった。

 楽しく幸せな時間でもっと続けばと。


「じゃあ行ってくる」

「いってらっしゃい」


 響子の見送りを背に、霧彦たちは学校へ向かった。

 学校への通学路で例の話をする。これからの為だ。俺たちは何としてでも大切な親友を取り戻さないといけないから。


「蘇芳は多分怒ってるよね」

「そうだな。僕を忘れるなんて、て今頃泣いてるぞ」

「蘇芳の奴、泣き虫だからね」

「泣けるんならいいけどな」

「……蘇芳はいる、よね?」

「そんなのいるに決まってる。大体、人間が消えるなんてそんな不可解なことありえないんだよ」

「そう、だよね」


 消えるなんてありえない。

 そうは言っても実際人間は消えているわけで。

 存在すら忘れているわけで。

 けれど、それでも俺たちは希望を捨てたくはなかった。


「みやは、世嗣は覚えているか」

「うん……」


今、みやはは世嗣の記憶が断片的にしかなかった。ただ霧彦に妹がいるということと、その妹と喧嘩してしまったことだけを覚えていた。

 その後に起きた出来事のせいなのだと思う。それが彼女に負担を抱えさせえていた。


「わたしが消えた時に全ての記憶が戻ってきたよ。楽しかった記憶も、嫌な記憶も……。

わたしはただ忘れて逃げていただけだ」

「それだけ、悲惨なことだった」

「忘却という手段に逃げたことの方が悲惨だよ、わたしにとっては」


 それほどに彼女が世嗣にしてしまったことに罪悪感を抱えている。

 彼女にも悪気があったことではない。それも世嗣はわかってるし、世嗣だって認めている。


「世嗣ちゃんはずっとそばにいたんだね」

「ああ。みやはのことを気にかけていたよ」

「それなのにわたしは何もかも忘れて。世嗣ちゃんのおかげで今もこうしていれるのに……そんなこともわからなくて」

「世嗣も承知したことだよ。俺ら、晏御の人間はみやはという少女が大好きだから、助けてあげたかったから」


 彼女は泣く。晏御の人間という温かさは彼女の笑顔であり、彼女の居場所だった。だからそれを思い出した彼女は、声を殺して泣いた。


「だからそろそろあいつに頑張ったなって褒めてやってくれないか?」


 彼女は忘れたんじゃないんだ。何も覚えていないと言うのも語弊がある。

 彼女が何もわからなかった理由は、ただ晏御の人間をヒーローだと思った理由は。

 彼女に、世嗣に隠されてしまったからだった。

 俺たちはヒーローなんかじゃない。

 学校に到着するとそこには誰の姿もない。それは本来の姿であり、仮初の皮がなくなったモノでしかない建物。


「霧彦……これは?」

「全部あいつがみやはの為にって」


 本来、生徒の活気であふれる建物。これが学校だというにはあまりに質素で、暗くて、今にも消えそうだった。

 霧彦たちが教室に入る。扉を開けるといつものようにクラスメイトが迎えてくれる。


「神殿さんおはようっ!」


 皆それぞれが口にした。活気あふれる者、お調子者、読書にふけっている者、ただ寝ている者。それぞれが感情を持っているもののように見える。

 けれどそれは幻想で、ただの記憶で、崩れ去ってしまう。

 まるでノイズが掻き消えたかのように。

 ノイズの中から本物の人間が席に座していた。


「待たせたな——世嗣」

「そうだね、兄さん。ずいぶんと長かった」

「世嗣ちゃん……」


 開いた窓から冷たい空気が流れ込んでくる。冷たい風のようで、それも偽りのようで。それでも風は吹く。


「みやはちゃん、思い出したんだね」

「うん。その前に世嗣ちゃんあの時はごめんね」

「え、何が?」

「霧彦もごめんね。わたしが神殿の屋敷から追い出しちゃって。あの時わたし、世嗣ちゃんに嫉妬してた。突然現れた世嗣ちゃんに霧彦を取られるんじゃないかって」


 突然の謝罪に開いた目が塞がらない二人。


「え……みやはちゃんそんなに前のこと気にしてたの?」

「うん、気にしてた。だって、わたし。霧彦が元気づけようとしてくれてたのわかってた。いつもわたしの為に、時間を割いてくれてたの知ってたのに」

「お前の為だから俺は」

「こうやっていつも霧彦はわたしの為に、自分を犠牲にする。それがわかっていたのに、わたしは霧彦を傷つけるようなことをした。それがわたしの、神殿の血が流れている証拠。平気で人のことを傷つけるんだ」


 彼女は悲しく笑った。笑うなんて表現は似合わない程に悲しく。


「それは世嗣ちゃんにも同じで、だから嫉妬して。急に出てきた女の子に嫉妬して……」

「それは嬉しいな」


 世嗣が嬉しそうに笑った。


「だってあのみやはちゃんが嫉妬してくれるんだよ。あの兄さんが大好きな子が私なんかに嫉妬してくれる。そんなの嬉しいじゃない。妹冥利に尽きるじゃない。だって私は、どんなに足搔いても、兄さんの隣は歩けない子なんだよ。だから──」




 私は兄さんと一緒にいれれば満足だった。


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