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わたしは呪われている、そう思った。
みやは、そう名付けられたわたしは神殿家という格式高い家に生まれた。
神殿家は人と関わりを持つときは家の誇りを忘れず、誉れある者であることを示さなければならない。そんな今の時代に似つかわない思想を持った家だった。
けれどそんな家でも両親だけは、その教えをわたしに継承させないようにしていた。
「いい? みやはは人をちゃんと思える女の子になりなさい。弱き者を助けてあげられる強さを持ちなさい。それがあなたを必ず成長させるから」
母親の口癖だった。当時はわからなかった。でも今ならわかる。必死に神殿家に呑まれないようにしてくれていたことが。
「みやはは可愛く、元気に育ってくれれば文句はないよ。だから元気に育ってくれ」
「もうお父さんはそればかり。ダメです、甘やかしてばかりでは。立派に育ちません」
「十分、立派だよ。生まれた時からずっと。この世に生まれてきてくれただけで立派だ」
父親はわたしを愛してくれた。あまりの溺愛ぶりに母親が怒る。けれどその怒りの中には優しさが常にあった。
二人がいる時は本当に楽しかった。楽しすぎた。だが、そんな楽園のような時間ばかりがある家ではなかった。
それほど、神殿家という場所はおぞましく、醜悪だった。
「何度言ったらわかるんですかっ!」
祖母の怒声が屋敷に響き渡る。勉学するためだけの屋敷にわたしはいた。
古来の日本家屋が神殿家の興隆さを物語っている。枯山水を中心に取り囲むように建てられたそんな家屋がわたしは嫌いだった。わたしが籠に取り囲まれたようだったから。
「なんであなたは生まれたのでしょうね。醜くて神殿家には必要ないわ」
祖母の怒声は続いた。わたしは胸に響く汚い言葉をただ聞くしかなかった。
わたしの父親は婿養子になるはずだった。それが神殿家のしきたり。婿に入ることで神殿家の『自覚』を持たせるということらしい。
自覚といっても逃がさないためのものであった。神殿家という籠から。そこに入れば二度と敷居をまたぐことはできない。神殿家の繁栄のためにただ子を作らせる機械になるよう洗脳されるのだ。
だから、昔からそのしきたりに疑問を持っていた母親が父親とともに家を出た。その時からか神殿家の圧力は大きくなった。そんな圧力は裏世界にまで伝わり次第に二人は捕まってしまった。
その代償なのだろうか。この籠のような家にわたしは囚われてしまった。幼少期時代はずっとこの家屋で住むことになる。
長らく両親の顔を見ることはできなかった。
見えるのは怒号を飛ばす祖母と、無駄に青く澄んだ空だけ。
「よっ、みやは」
霧彦がやってくる。この時の霧彦はわたしに会いに来るために忍び込んでいた。
「また怒られるよ?」
「あー、あのばあちゃん恐いからな」
部外者の霧彦はよく怒られていた。それもこっぴどく。
それでも霧彦は会いに来てくれた。
雨の日でも、風の日でも、毎日会いに来てくれた。
「だめだよ。霧彦が怒られるのは見たくないんだよ」
「おれはみやはと喋りたいから。友達だからな」
彼は太陽のようだった。その笑顔からは眩しすぎるほどの光。わたしにだけ向けられている光だと思った。
「今日は妹もつれてきた」
「霧彦に妹なんていたの?」
「別々に暮らしててな。ちょうど帰ってきたんだ、この雪原に」
よく見ると霧彦の後ろには女の子が立っていた。可愛らしさの中に大人びた綺麗さが入り混じる少女だった。
「ほら、自己紹介しろ」
少女が一礼してから名前を言う。
「世嗣です。霧彦お兄ちゃんの妹です。よろしくお願いします」
丁寧に自己紹介をするその少女は、霧彦とは正反対のおとなしそうな子だった。
「み、みやはです。よろしく……」
人見知りのせいか、言い淀んでしまう。
「みやははまだ、人見知り治んないのか。世嗣はおれたちと同じ年齢なんだ。仲良くしてあげてくれよ」
「そ、そうなんだ」
同じ年齢だろうが人は苦手だった。わたしは籠の鳥だったから。人とは多く接してこれなかった。
怒号と憎しみの中でわたしは育ってきた。それが当たり前だったから。
「みやはさんはこの家で閉じこもって何をしてるの?」
ある日、彼女は聞いてきた。二人きりの部屋に世嗣の言葉が響く。
彼女には不思議だったのだろう。この家にずっといる理由が。彼女は本能的にわたしが籠の鳥であることを感じ取ったのだ。
「わたしは出ることができないから。ここにいないとお父さんとお母さんが辛くなるから。だからいないといけないの」
悲壮感。ただわたしから漏れ出るのはそういう感情。
「でも、たくさん勉強して頭よくなったら、お父さんたちを許してくれるって。お婆様と約束したの。だからわたしはここで勉強を頑張ってる。お習い事もこの家で」
子供との約束。
当時のわたしは神殿家の傲慢さを理解してはいなかった。ただ取り囲んでおきたいだけ、神殿の血を継いだ子を。いずれ神殿家の役に立つことがわかっていたから。
神殿の血は何かしらの優れた能力を持つ。初代神殿家当主は経営の才に恵まれた。一代で朝廷御用達の品卸で巨万の富を持ったのだ。国有数の財閥。それが神殿家だった。
代々受け継がれてきた初代の血は、武道、政治の世界などでも活躍してきた。近年ではその血も薄まり、少しづつ落ちぶれてきていた。けれど国で力を持っている。それだけ大きな血筋だったのだ。
この血筋のせいで、わたしたち家族の崩壊が始まってしまったのだ。
わたしは神殿の血が嫌いだ。
それでも周りの人間は媚び諂い、この血を好んだ。
各界の代表もこの血目当てに毎日求婚してくる始末。
こんな幼子にまでも。
嫌いだ。
こんなわたしを霧彦に見られるのは嫌だ。
醜い血だから。
「みやはちゃんはそれでいいの?」
世嗣が聞いてくる。
「いいのって……お父さんたちを助けるためにはそれしかないの」
「お兄ちゃんに頼ったりしないの?」
「できない」
「なんで? 他の人に頼って助けてもらうことの何がいけないの?」
「神殿家の力を知らないからそんなこと言えるんだよっ!」
こんな初めてきた子に言われたくなかった。何も知らないくせに、わたしの苦労も知らないくせに。
淡々と夢物語をいう彼女に苛立ちを覚えた。それが全てわたしの本心だったから。
わたしだって霧彦に泣きつきたいよ。
いつも隣にいたいよ。
いつも隣にいれるくせに。
「勝手なこと言うな」
つい口から漏れ出た言葉にハッとする。
醜い血で生まれた子は内面までも醜く、己が傲慢を貫いてしまう。
結局、わたしも神殿家の子。
醜い籠の中の鳥。
「みやはも世嗣もやめろっ!」
後から来た霧彦が悲痛に叫ぶ。
「お前らを喧嘩させるために会わせたわけじゃない。仲良くしてほしいから会わせたんだ」
一番辛そうな顔をしていたのは霧彦だった。霧彦は優しいからそんな顔を浮かべられた。
でも。
わたしは醜いから。
「もう出ていってっ!」
わたしは初めて霧彦を自ら追い出した。
わたしは子供だった。小さい体。でも、最も子供を意識させるのは心だった。
霧彦はわたしを一人にさせないように毎日来てくれていた。
そんなことはわかっていた。
急に連れてきた霧彦の妹。
その子に霧彦を取られると思った。
ただの八つ当たりだ。
だからわたしは子供なんだ。
それから霧彦は来なくなった。
来なくなった代わりにわたしは勉学に励むようになった。おかげで同年代とは比べ物にならないくらいに知能的に成長した。
わたしは文学的な才があったようだ。いろいろな知識を身につけた。語学、歴史、数学。特に興味深かったのが音楽だった。元々、母親がよく聞いていたクラシックの歴史は楽しかった。
「お婆様、お父さんたちに会いたいのですけど」
「そうだね~。お前ももう小学校に入ることだしね」
「挨拶をさせてください」
「ああ、わかったよ」
お婆様が両親と会わせてくれることになった。両親が今まで何をしてるかはわからなかったが、お婆様からはわたしの為に働いてくれているという話は聞いていた。
「今二人は何をしてるのですか?」
「あの二人はね——」
うるさい木枯らしが吹いた。お婆様は何を言っているのかわからなかった。風の音で掻き消えて声というか音自体が掻き消えたような。寂しい風が冷たく吹いた。




