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木笑み風~木枯らしのなかで奏でる~  作者: 玉時雨
番いの鳥
30/53

「そんなことで大好きなピアノやめんなよ。その方が俺は悲しい」

「もう霧彦の好きな音は奏でられないんだよ。わたしはそんなピアノは嫌いなんだ」

「それでもお前のピアノを聞いてみたい」


 真っ直ぐに見つめる彼の瞳。

 ずるい。

 本当に霧彦はずるい。

 そんなこと言われたら断れないよ。


「でもお前、熱あるんだから今度でいいからな」


 こういうところも霧彦だ。

 他人に優しくて。

 本当に優しくて。

 わたしの大好きなヒーロー。

 正義の味方になれないヒーロー。


「今日はそうだね。熱でちゃんと弾けるかわからないから勘弁」


 みやはが立とうとする。


「おいおいどうした」


 何か取ると言うのなら取るのに。


「ちょっとトイレ行っていい?」

「あ、ああ」


 みやはは手洗いで部屋からいなくなる。

 部屋を見渡すと昔から変わらない部屋だった。上がるのは小学生の時以来だろうか。その時と変わらずこまめに整理された部屋。ただ、ピアノだけは物置となっているが。

 ピアノを眺めているとみやはが帰ってくる。


「霧彦、女の子の部屋をじろじろ見るもんじゃありません」

「このピアノ、手入れされてるんだな」

「お母さんが使ってたものだから」


 光を映す黒のピアノ。

 有名なブランドでもないピアノだったがみやはは大切に保管していた。


「お母さんが大事にしていたこのピアノだけは整理できなくて」

「じゃあ弾かないとおばさんのために」

「ここアパートだよ? 昔みたいに弾くことはできないよ。このピアノはもう弾かれることはないよ」

「……確かにそうだな。お父さんはどうしてる?」

「別に普通だよ。いつも通りだった」

「そっか」


 みやはが霧彦の持ってきた袋に目を移す。


「それ、いいのに」

「あ、見られてしまったか」

「見えてしまった」


 みやはが袋に詰められた紙を一枚広げそれを見る。


「人殺しだってさ」

「大層、暇な奴もいるもんだな」

「でも人殺しの一家ってのは本当のことだから」

「みやは」


 悲しそうな顔をするみやはについ声をかけてしまう。


「わかってる。お父さんはわざとやったわけじゃない」

「もう、終わったことだ」

「そうだね」


 過去とは因果なもので殊、人間に関してはその過去に深く執着する。悪事と判断されればそれは尚更だ。


「暗い話もなんだしさ、霧彦の話を聞かせてよ」

「俺の話って何を話せばいいんだよ」

「わたしと霧彦が会えなかった期間の話」


 約二年会えなかった期間。


「ちょくちょくは会ってただろ」

「そうだけど、わたしは聞きたいな。霧彦が何をしてきたか」


 それから霧彦が何をしてきたかを鮮明に話した。勉強を頑張ったこと、蘇芳が相変わらず馬鹿な事、なにより静かに過ごすようになったこと。

 まるで時間を取り戻すみたいに話した。これからも無限にあるように思える時間もみやはとの時間はとても少なく感じられたから。

 みやはとのこの時間は未来永劫忘れないだろう。

 それだけ大切な時間だった。


「それじゃあ俺帰るわ」

「ちょっと待って」


 ドタバタと何かを探すみやはを待っていると箱を手渡してくる。何かを入れるにはとても小さな箱だ。入るとしたら指輪などの装飾品。


「これは?」

「この中には奇跡が詰まっています。だから譲るよ。わたしが持ってても役に立たないガラクタだから」


 霧彦は中身を見ようと開こうとした。だが、その箱は硬く閉じられたままだった。


「これは本当に必要な時にしか開かないよ。だって奇跡だから」

「奇跡って?」

「奇跡は奇跡。人が思えることは何でも奇跡になりえるんだよ。だからわたしは叶った。次は霧彦の番」

「そんな時が来るのか」

「きっと来るよ。ヒーローだから」

「なんだよヒーローって」

「霧彦はヒーローだよ」


 いたずらにみやはは笑った。


「正義の味方じゃダメなのか」

「だめ。ヒーローなの。正義は時に人を切り捨てるから。でもヒーローはかっこよくてだれ一人見捨てない」

「なんで俺がヒーローなんだ?」

「凜ちゃんを救った英雄は蘇芳で、わたしを救ってくれたヒーローは霧彦」


 儚く言うみやははそれ以上の理由を言わなかった。

 ただその後言ったことは。


「霧彦は正義にはなりきれないんだよ」


 正義にはなりきれない。

 その言葉の意味が当時の霧彦にはわからなかった。けれど大切なような気もしていた。

 忘却のような霞が霧彦を靄憑かせる。

 霧彦の手をみやはは握る。


「なんだよ」

「霧彦が不安そうだったから」

「すぐ人の心を覗かないでください」

「見えちゃうんだから仕方ないでしょ」

「セクハラ」

「もう霧彦はすぐ意地悪を言う」


 いつからだろう。彼女はこんなにも明るくなっていた。これはカラ元気なのかすらわからない。必死の前を向く彼女は霧彦にとっては脆い少女に思えた。

 そんなことも忘れてしまったが。

 忘却の海へ放してしまったのだが。

 木枯らしが吹いた。それは記憶が戻る風。愛が戻る風。忘却という大洋を超え霧彦の下へ帰ってくる。

 霧彦にとっての木枯らしは一番吹いてほしくはない風だった。悲しいことが帰ってくるから。忘れたいことが帰ってくるから。

 俺たちは番いの鳥。決して離れ離れにならない鳥。

 だから俺たちは歩き続ける。


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