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木笑み風~木枯らしのなかで奏でる~  作者: 玉時雨
霞と闇と消失と
22/53

10

 霧彦が目を覚ますと元の老木の下で横たわっていた。今までの記憶が霧彦の中で渦巻いている。

 当たり前だった世界が帰ってくる。

 だけど。

 それよりも。

 記憶を整理するよりも先に。

 会わないといけない人がいる。


 霧彦は下ってきた山道をまた駆け上がる。息がきれようが、足がもつれ転んでしまおうが、全力で彼女の下へ向かう。

 忘れてしまった代償。

 反省の余地はない。

 それが罪なのだから。

 それでも彼女には会わないといけない。

 言葉の真意を聞くために。

 自分の覚悟を言うために。

 それが償いとならなくても。

 そんなのは関係なくて。

 ただ伝えたい。

 自分の気持ちを言いたい。


 体より心で霧彦は走った。先程まで入院していた病院に駆け込む。受付の人たちに息の切れた口調で彼女の病室を聞く。

 霧彦のいた病室にいることがわかった。その病室に走る。階段を使い走る。どんどんと近づくその距離に霧彦の心はグチャグチャに崩れていった。

 隣にいたのに、近くにいたのに。

 俺一人で勝手に出ていって。

 悲しかったよな。

 辛かったよな。


「うぁぁぁ~~~~」


 叫んだ。走りながら叫んだ。周りから見ればただの奇行で。でも霧彦は叫ばずにはいられなかった。


 先程までいた病室。重い引き戸が中を見るのを防ぐ。激しい動悸が中を見るのを防ぐ。

 いや扉が防いでいるわけではない。

 動悸が防いでいるわけではない。

 ただ怖がっているだけだ。

 この扉を開いたら本当に彼女がいるのか。

 そんなの開かないとわからないというのに。

 ただ、開けない。

 重い重圧がそうさせた。

 でも開かなければ時が動かない。

 ゆっくりと時を動かすように引き戸をひく。


 開けた隙間から吹き込む木枯らし。冷たい風が肌を貫く。病室の白い仕切りのカーテンが靡いている。その隙間から外を眺める少女がベッドの上で座っていた。

 風で靡いている髪に春の香りがするような気がした。


「みやは」


 霧彦は声をかける。縋るような思いだった。

 風が吹く。その風は冷たくて。


「遅いんだよ。いつも遅い」

「ご、ごめん」

「でも」


 彼女は窓の外の景色を見ながら少し微笑んだ。


「思い出してくれたね」


 温かく吹くその風は春のような風だ。そんな風は冬になんか吹かないというのに。


「そこから何が見えるんだ?」

「ん~なんだろうね」


 目の前に広がるのは青。

 悠然なる青だ。

 それが彼女には何に写っているのか、それが気になった。


「わたしは空は青い方が好き」

「なんでだ?」

「だって、綺麗じゃない。これが黄色だったり緑だったら寂しい。それもそれで綺麗なんだろうけど、やっぱり寂しい」

「でも空は時に赤く染まったり、黒く雷鳴を轟かせたりする」

「でも最後は青だ。晴れて、青に染まる。明るいスカイブルー。それがいい」


 にこやかに笑う。

 いつも勝手な自分の意見。

 でも芯を通した意見。

 それが神殿みやはであり、彼女の……。


「だから、霧彦も最後には迎えに来てくれた。思い出してくれた」

「大きな木がな、助けてくれたんだ。だから俺が思い出せたわけじゃない。その助けが無かったら今頃、のうのうとラーメンを食ってただろう」


 申し訳なくなる。

 お前のそばにいると誓ったはずなのに。

 みやはのことすら覚えていなかった自分が。

 憎い。


 自然と霧彦の拳は力が入り、自らの爪で皮膚を傷つけていた。皮膚の曲線をなぞるように落ちる血。滲み出る苦しさのようだった。


「霧彦はヒーローだ。いつもわたしのことを助けてくれていつでもそばにいてくれる。それが嬉しい」

「だけどっ——」


 霧彦の言葉を無視するように話す。


「嬉しくて嬉しくて、こんなわたしだけのヒーローがいていいのかなって思ってた」


 みやはは遠くの青を見る。


「けど今は違う。わたしだけのヒーローであってほしいと思った。かっこいい霧彦であってほしいと思った。凜ちゃんたちも守ってくれる頼れるヒーロー、そんな霧彦がいいと思った」

「ピンチの奴を忘れるヒーローがどこにいる」

「霧彦はピンチなわたしのところに走ってきてくれたじゃない。今こうしてそばにいてくれるじゃない」


 みやはは霧彦の血の出ている手を握る。


「こんなにも苦しそうな手をしてくれるじゃない。だから、ヒーローなんだ」


 涙で潤む瞳が輝いて見えた。今にも溢れそうな涙がとても美しく輝く。


「わたしね、怖かった。このまま誰にも忘れ去られて独り孤独に死んでいくんだって。それが運命なんだって。だって、目の前にいるはずの霧彦にすら声が届かなかった。それが本当に苦しくて」


 みやはの言葉はとても震えていた。


「今までの記憶が流れ込んできて楽しかった日々が、時間がより孤独にした。孤独は寂しい。弱いわたしにはそれが辛い。けど声が聞こえたの」

「声?」

「声。聞きなれた声。大好きな声。『俺が君を一生守ってやる』その言葉だけで待ってられた。君を待ってられた」

「そんな事まだ覚えてたのか」

「わたしは忘れないよ。それが励みであり、力だから。わたしの大切な言葉だから」


 みやはが笑った。綺麗な笑顔だと思った。だけど脆い笑顔。それは霧彦が一番分かっていた。


「だからわたしのヒーロー。みんなも助けてあげられないかな」

「そうだな、それが俺たちの役目であり責任だ」


 止まってしまった時計が動き出す。記憶という責任。ありえないことが起きているのはわかっている。それでも助けてあげたい。忘れ去られることは、一番辛いことだから。

 それがどんな結末だろうと。

 正義でないとしても。


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