09・烈風
帰省の手続きは、拍子抜けするぐらい簡単に終わった。
いつからいつまで下宿を出ますんで、食事はいらないよ……ってな書類を書いて提出しただけ。それでお終い。
どこへ行くとかは申告の必要は無いっぽい……アバウトだなぁ。
書類っつうても、木簡なんで木の板に書いて提出しただけなんだけどな。
こりゃ嵩張るから、この世界じゃ情報管理が大変だわ……文章圧縮の為、あえて目的地は問わないのかもね。
つかコレって帰省じゃなくて外泊手続きだな。
キーアリーハの実家は無茶苦茶遠く、休み中に往復なんて徒歩じゃ無理だ。そんなワケで、帰るに帰れない生徒も休み中は好きに羽を伸ばせるよう長期の外泊も許可されているんだとか。
名門貴族なら、こっちにもお屋敷がある場合が大半だが、キーアリーハの実家は王家と折り合いが良くないらしく、キーアリーハが幼い頃に屋敷を引き払ってしまったんだとか。
……公爵令嬢なのに取り巻きが居ないってのも、コレが起因してるかもね。
まあ、当人は全く気にしてないっぽいけどさ。
で、今キーアリーハは何をやってるのかというと、学生寮裏の空き地で魔法陣を描いた上で何やら呪文を唱えてる。
……大鼠相手に使った魔法は、その呪文の内容は理解できたが、今キーアリーハが唱えてる呪文は全く理解できないな。少なくとも日本語じゃない……いや、今オレが考えたり話したりするのに使ってる言語ってホントに日本語なのかね?
まあ、日本語って事でいいや。
とりあえずオレが理解できる言語の呪文ではないわね。
ちなみに、オレはキーアリーハを、ただ眺めてるだけじゃないぞ?
番犬ならぬ番猫としての仕事もしてる。
とりあえず、周囲に人は……居るっちゃ居るが、学生寮の中に何人かいるだけで、キーアリーハを認識してる気配は無いわね。
あと、周辺にラッペトスやらの魔物やソーノベンが放ったような精霊の気配は無いな。
……今のキーアリーハ。結構な魔力を放ってるんだが、それに気づかないって事は、寮の中の連中って三流止まりの連中なんだろう。
と、その数人が、ようやくキーアリーハを認識したらしい。
……まあ、気付くわな。キーアリーハの術が発動すればさ。
キーアリーハの翳した手。
その前に光の玉が現れたかと思うと、反転し真っ黒な玉へと変わる。そして、周囲の影を吸い集め大きくなってゆくんだ。
そして二メートルはあろうかという巨大な卵型になると、割れ中から真っ黒な鳥が出てくる……黒いけどカラスじゃねぇな。鷲か鷹か鳶かも知れねぇけどオレには判別できねぇわ。
まあ、真っ黒な馬鹿でかい成体の猛禽が出てきたわけだ。
出てきた猛禽は、キーアリーハに体を摺り寄せ甘えてるよ……うん、ぜんぜん妬けねぇな。キーアリーハはオレの、ご主人様なハズなんだけどなぁ?
猛禽は身を低くすると、キーアリーハに頭を垂れる……乗ってくださいって事だわね。
キーアリーハも躊躇なく、その猛禽の背に跨り視線で俺も乗れと言ってきたよ。
この猛禽、オレが人間だった頃にクマ牧場で見たヒグマよりデカいぞ?
分厚いコンクリの壁に空いた小さな窓。その窓は金網とアクリル板で覆われ、仮に破っても手を突っ込むのだ精一杯って場所でヒグマを見たわけだが……ありゃ人間じゃ勝てないと思ったなぁ。
……アレ? オレって北海道の人間だった?
いや、雪や寒さに悩まされたって記憶は無いなぁ……つか、雪が積もる事自体が稀な地域に住んでたような? で、北海道じゃ本土じゃ初夏なのにストーブが使われてて感心した記憶が。
……うん、コレ旅行で行ったんだわ。たぶん家族旅行だよなぁ?
そんな事を考えていると、一向に動かないオレに業を煮やしたキーアリーハが降りて来た。そしてオレを抱きかかえると再び猛禽に跨った。
「この子は、シャドウの事も友達と思ってるわよ?」
キーアの言葉に、オレは猛禽に視線を向ける。
同時に猛禽もオレを見るが……敵では無いと思ってはくれてるみたいだが、友達認識されてるかは怪しいなぁ。
あと、オレば特別コイツを怖がってたわけじゃねぇぞ?
「コイツが怖いわけじゃなくて、オレって何者だったんだろう? と考えちまってねぇ。断片的ながらも記憶はあるんだが断片的すぎて話にならねぇよ」
いや、実を言うと、少しばかり、この猛禽が怖いんだけどさ。
オレの体重は一キロないけど、キーアリーハが作った猛禽は数百キロはあるぞ?
付け加えるならキーアリーハとも何十倍も体重差があるなぁ……でも、キーアリーハは怖くないな。
つまり、この猛禽とも、分かり合えば怖くなくなるって事か……
「コイツなんて呼ばないでよ。この子の名前はファルコン……アタシが作る猛禽の影法師は全部ファルコンって決めてるの!」
……つまり量産型って事ですかい。
ひょっとこして、キーアリーハはオレ以外にもシャドウって名前を影法師の猫に付けてたかも……いや、構わんけどね。
と、ここへ誰かが駆け込んできたよ……って、ソーノベンじゃん。
「キーアリーハ……アンタ、そんなの喚べたのっ!?」
どこか取り乱してるなぁ……って、格下だと舐めて掛かってた相手が自分より格上かも、なんて状況を見せつけられたら、そりゃ慌てるわな。
「喚んだんじゃなくて造ったのよ」
キーアリーハが楽しげに言うと、ファルコンは地面を蹴って跳び上がる。そして力強く羽ばたき始めた。
鷲鷹科の猛禽は体の大きさに対し羽ばたく力が弱い。だから、高所から飛び降りるって形で初速を稼ぎ飛翔する。鷹匠なんかは、自分の体をカタパルト替わりに使って鷹狩の鷹を飛ばすとか
喚び出される前に得ていたオレの知識である。
だからか、ゆっくりゆっくりファルコンは高度を上げ、学生寮の倍の高さまで上昇してから滑空……そして飛翔に転じた。
それを、ソーノベンは茫然としたように見送ってたよ……ぶっちゃけ隙だらけだったんで、オレは戦々恐々としてたんだがね。
「上昇中にソーノベンにチョッカイかけられたらヤバかったんと違う?」
上昇中、オレはソーノベンをバリバリに警戒してたわけで、何事も無くて拍子抜けしちまった手前、思わず問うたわけだ。
「対策済みよ……あの辺の精霊は事前に追っ払っておいたの。精霊魔法さえ封じれば、ソーノベンは、それほど怖い相手じゃない」
言われ、オレは周囲に精霊の気配を感じなかった事を思いだした。
精霊はキーアリーハの言う事を聞いてくれない……つまり、キーアリーハは精霊から嫌われてるって事で、それを逆手に取れば追っ払う事もできるって事かね?
やっぱり、キーアリーハが未来の大魔導士ってのは伊達じゃないみたいだな。
ファルコンは、羽ばたきつつ加速し大きな弧を描くよう旋回に転じる。
たぶん、上昇気流を探してるんだろう。
だからオレは、髭で周囲の気配を探ってみる……なんか、オレって精霊の気配を猫髭で察してるようなトコロがあるからな。
「もう少ししたら、強烈な風が吹いてくるぜ?」
オレはキーアリーハとファルコン、その両方に声を掛けるが……風に掻き消されちまって聞こえてるかどうかも怪しいな。
キーアリーハはオレが声を発したことにすら気づかなかったようだが、ファルコンは察してくれたみたいだ。
だから羽ばたくのをやめ滑空に移る。
強烈なまでの風の精霊の気配。
ソーノベンやキーアリーハみたいな魔法使いの支配下にある精霊じゃなくて、自由気ままに周囲を彷徨う精霊で……コイツ、冗談抜きに無茶苦茶、強いぞ?
発する気配から察し、ラッペトスより内に秘めてる魔力が桁違いに多いって事が分かる……って、ラッペトス自体、アレも結構な魔力を秘めてたんだけどな。
オレ達が乗ってるファルコンも、込められてる魔力はラッペトスの一割以下だしさ……ちなみに、オレ自身に、どの程度の魔力が込められてるのかは判んねぇや。
気配を発する精霊に視線を向ける。薄衣を纏った半透明の体に長い髪の女性の姿をしていた……ソーノベンが操った精霊は子どもっぽい感じだったが、コッチは完全な大人だな……いや若いけどね。
キーアリーハは精霊を従えるのが苦手って事は、コイツにも嫌われてる? ……と思いきや、キーアリーハを始めオレやファルコンを認識してはいるが興味も敵意も無い感じだわ。
「風の長。風の流れを教えて?」
キーアリーハも気づいてたみたいで、呼び掛けたわけだが風の長だぁ?
つか、なんでキーアリーハの声はオレに聞こえたのかね……って今のキーアリーハの周りの風、凄く弱くなってるじゃん。
キーアリーハの言葉を受け、精霊の髪が不自然に靡く。それを見たファルコンが、風の長に腹を向けるよう旋回し……次の瞬間、強烈な風にブッ飛ばされたんだ。
髪の動きでキーアリーハやファルコンに風の流れを伝えたのね……オレにはサッパリ理解できなかったけどさ。
オレが振り落とされないようにか、キーアリーハがオレに覆いかぶさるようぬファルコンにしがみつく……いや、キーアリーハ。オマエは自分の心配だけしてくれればいいよ。
猫の平衡感覚は極めて優れている……だから車酔いとかしないそうで、厳密には猫じゃないオレではあるが、猫並みの平衡感覚を有しているって事は自覚してる。
……いや、喚ばれてからは本物の猫なんて見てないんで比較のしようも無いんだけどさ。
でも、キーアリーハに押さえてもらわないと振り落とされる……なんて思ってないぞ?
つか、オレより自分の身を気にしてくれよ……とは思ったが、キーアリーハ自身、よく見ると身のこなしが慣れてるんだな。
たぶん、故郷では何度も影法師の鳥を作って空を飛んでたんだろう。
って、鳥の使い魔は、みんなファルコンだって言ってたしで慣れてるってのは不思議じゃないわね。
で、そこから考えるに、キーアリーハにとってシャドウが猫の使い魔の固定名称って可能性もあるんだよな。
……そりゃ構わんが、オレが居る時は猫の影法師の使い魔を作っても、シャドウって名前を付けないでくれよ?
オレの思考が明後日の方向に流れかけた時、再び強烈なまでの風の精霊の気配が近づいてくる……さっきの風の長だろう。
さっきの遭遇は、たまたまオレ達が風の長の進行方向上にいたってだけだが、今回は明確な意図をもって追っかけてきてるっぽい。
オマケに、なんとなくだが怒りの感情まで読み取れるんだ。
ちょっと待てっ!
アンタ、俺たちに対して大した興味なんて持ってなかっただろがよっ!?
生きてます。
勤務形態が劇的に変わるので辺境軍を書いてた頃ぐらい時間がとれるようになるかも?
……でも給料は大幅に減りそう。