02・命名シャドウ
「アタシの言葉は解る?」
先ほどの声だが、今度は、しっかり耳で聞いた。どうも部屋の中に居るようである。
……なんだ?
目と閉じてるのに、漠然とだけど部屋の広さが感じられるぞ?
そう思いつつ目を開くと、正面に巨大な少女がいた。
……うん、矛盾してる表現と思うだろうが、確かに巨大な少女である。オレの視点からじゃ巨人にしか見えない。
顔立ちは、どこか幼い……年の頃は十代半ばってトコロかな?
学校に通い異性の同級生たちを見てれば、その程度はわかるさ。
将来美人になりそう……って、今でも美人か。でも、オレは特に何も思わなかったりする。
栗色の髪に緑の瞳。顔の彫は、どっちかつーと浅い……どこの国の人だ?
「言葉は解るけど、ここはどこだ?」
そう言いつつ立ち上がり……四つん這いで立ち上がった事に気付く。
人間が四つん這いになったら膝を付いた状態になるが、今のオレは膝なんかついてない……って、手は真っ黒な毛が生えてる!
思わず尻を付き、そして両手を見る。
指は短くなり黒っぽい肉球……出し入れ可能な爪って、コレ猫の前足だよ!
当然、足も猫の後足である。むろん真っ黒な尻尾もあった。
そしてオレを取り囲むように魔法陣のような物が描かれている。
返事を聞き、少女は嬉しそうに笑う。
「喋った! 当たりを引いたわね……ここは、アタシの部屋。そしてアタシは未来の大魔導士キーアリーハ。あなたの名前は……真っ黒で影みたいだからシャドウ!」
「いや勝手に命名するなっ! オレには、ちゃんと名前が……」
そこまで言って、自分の名前を思い出せない事に気付く。
「ファミリアの名前は召喚者が付けるものよ? 最初から自分で名前を名乗るファミリアなんて今までに一例もないわ……って、名前があるの?」
興味津々とばかりに少女……キーアリーハはオレをのぞき込んだ。
「親から貰った名前があったはずだけど……思い出せない」
それ以前に、親の名前や顔すらも思い出せなかったりする。
その言葉にキーアリーハは怪訝な顔をした。
「あなたの魂を召喚し、その猫の体は周囲を漂う魔力から形成されてる……だから、親を定義するなら魔力を集め、あなたの体を形作ったアタシって事になるんだけど……?」
いや、オレはお前を親とは認めないぞ?
あと召喚って言ったから、オレは喚ばれキーアリーハが作った猫の体に閉じこめられたって事か?
それって人権侵害じゃないですかい?
色々と思えど、口にしない程度の分別はある。
体重差が一桁以上もある相手の機嫌を損ねるのが怖いのだ。
一応、キーアリーハの名誉のために言っておくが、別に太っちゃいないぞ。むしろ小柄で痩せてる。
でも、オレは子猫の体にされちまった。つまり、体重差が一桁以上ってのは間違ってないわけだ。
さて、考えてみよう。
女子中学生と子猫。喧嘩したら勝つのはどっち? ってね。
だから、機嫌を損ねない範囲で情報を集めないとな。
「ファミリア……オレみたいな作られた存在をファミリアって言うのか?」
「そうよ。召喚者の半身にして真なる盟友。己の家族よりも近しき存在……故にファミリア」
何かを暗唱するかのようにキーアリーハは言う。
ファミリア……スペイン後では家族、英語じゃ親友を表す言葉だったっけ。あと学術用語だと科を表してたけかな。
つまり召喚者の家族、親友、同類って意味を持たせファミリアと呼称してるわけね。
オレはため息をつき、頭を抱える。
受験勉強でため込んだ知識までは失っていないようだが、自分が何者かとか家族友人の顔すらも思い出せない。
どんな家に住み、どんな家族が居て、どんな友人が居たのか……何にも思い出せないんだ。だから、帰ろうとか、そんな気持ちにもなれなかったりする。
今まで、ずっと追い続けてきた明るい未来。それが形を無くしてしまったわけだ。そもそもオレって、具体的に何を目指して努力してたんだっけ?
あと、もう勉強しないで良いってのは救いかな。猫に学問なんか不要だ……つか、この世界で学問なんかできるのかね?
オレはため息を吐く。
キーアリーハも、別に悪い飼い主じゃなさそうだし、気楽に飼い猫ライフを満喫させて貰おうか。
そう思うと、今までの努力が馬鹿らしくなってしまった。と、同時に肩の荷が下りたような気持にもなる。
「トイレと寝床はどこだ? あと飯の世話も頼む」
そう言いつつ、部屋を見回す。
魔法陣の周囲には、煙が立ち上る土くれみたいなモンが等間隔で配置されてる。
一言で言って狭い部屋だな……あと、未来の大魔導士を名乗る者の部屋にしては書物らしきものが見当たらない。でも、床に散らばる薄い木の板に文字らしきものが書かれてるが読めない……コレって木簡か?
ようするに木の板を紙の代わりに使って文字を書いてるわけだ。
つまり、この世界では紙は貴重品って事か……でも存在しないって事は無いと思う。服は作れるみたいだからな。
壁も石積みが剥きだして寒々した印象を受けるな……いや寒くないけどさ。
明かりは電灯っぽいけどスイッチやコンセントらしき者は見当たらない……どういう世界だ?
狭い簡素な部屋だが、一人暮らしならこんなモンだろう。風呂トイレ台所無しのワンルームか……学生寮っぽいな。
オレも大学受験に成功したら一人暮らしするつもりだったからね。だから学生寮や賃貸の情報なんかも調べてたんだ。
そういえばオレ、バイトやってた記憶があるな。親の経済状況は……何も思い出せないよ。
「トイレは……用意しなきゃ。寝床はアタシのベッドの端っこ使って。ご飯は……朝まで我慢できる?」
トイレを用意……猫砂入れた箱に用を足せと?
あと同じベッドを使えって、それって同衾?
「場所さえ教えてくれたらトイレは自分で行く。それに今は腹減ってないよ……あと、オレ男だけど良いのか?」
どう見てもキーアリーハは嫁入り前の若い娘である……見た目も悪くない。が、特に何も思わないんだよな……猫の体にされちまったからか?
キーアリーハは手を伸ばすとオレを抱え上げ、そして股間をのぞき込んだ。
「ホントだ……って、オレって言ってたわよね」
その言葉に、自分が素っ裸である事を、ようやく自覚したわけだ。
「ふぎゃぁあぁっ!」
コラっどこ見てやがるっ!
そう叫んだつもりだったが、出てきた叫び声は見事なまでに猫だった。
暴れキーアリーハの顔を蹴とばすと、その手から逃れる。そして爪を剥き出し、全身の毛を逆立て威嚇した。
……うん、オレって既に猫が板についちまってるよ。そう思うと何やら悲しくなる。
「場所さえ教えてくれたら、あとは自分で行くよ!」
蹴とばされた頬を押さえ、キーアリーハは笑った。
「なんかガラの悪い魂を喚んじゃったと思ったけど、悪いのは口だけね……爪は立てなかった」
そりゃ猫の爪で引っ掻いたら傷になっちまうだろうに。だから蹴とばすにしても爪は出さなかったさ。
「それ以上、無礼を働くなら、遠慮なく爪で引っ掻く!」
そう言うと、目の前を横切った運の悪い蠅に向かって爪を振るった。
狙い通り中指の爪が蠅を捉え、真っ二つになって床に落ちる。
さすがは猫の動体視力である。完璧に蠅を視認できていた。
キーアリーハは驚いたような表情を浮かべ……そして満面の笑みを浮かべオレを抱きしめた。
「凄いじゃない! 魔力を爪に集め刃を形成する……経験積んだ使い魔であっても、そうそうできる事じゃないわよっ!?」
最初は抵抗したが、すぐに無駄と諦める。力の差は圧倒的である……子猫の力じゃ少女にも抵抗できないのだ。
あと、今オレって、そんな御大層な事をやったっけか?
内心、呟きつつ、キーアリーハの体を感じる……胸、柔らかいね。
あと、胸の柔らかさを感じても嬉しくないのは、オレが猫になったからか、はたまた胸が小さいからか。
「魔力で刃を形成した?」
呟くと、キーアリーハの腕から前足を抜く。そして視線を向けると爪を剥いてみる。
なんか不自然に爪が大きいような……いや、本来の爪を一回り大きな半透明の爪が覆ってる感じだね。
「最初から喋れるってだけでも大した物なのに、魔力だって扱って見せた。シャドウ……アナタ大当たりの使い魔よ!」
ほう、オレは使い魔ガチャで激レアの部類になるんかい。
内心呟きつつ、キーアリーハの腕の中で屁をかましてやる。抱きしめられる事へのささやかな抗議である。
この強烈な臭い……肉ばっか食ってる動物の屁だねぇ。
……オレの体って、ついさっき形作られたんじゃなかったっけ?
にもかかわらず、この強烈な臭い。腹の中の内容物も一緒に魔力で形成されたと考えていいのかね……?
「うわ、臭っさ!」
臭いに怯んだのかキーアリーハの腕が緩んだので、その隙に抜け出させてもらう。
目に涙をにじませるキーアリーハを尻目に、オレは部屋の扉に視線を向けた。
……部屋の施錠って閂じゃねーか。つまり外から開けられる鍵は無い。
とは言え、今は閂が掛かってないから開けられるな。ドアノブは無く、蝶番の付き方から察し外開きか……猫の体で外から開けるのは無理っぽいが、内からなら閂が掛かってなければ開けられそうである。
そう思ったので扉に体当たりしたら、あっさり開いた。ドアノブどころか留め具もない簡素な扉だったのだ。
「ここが、どういう所か知りたいから見てくる……ちゃんと帰るから」
そう言うと、キーアリーハを一瞥してオレは外へと駆け出した。
先ほどの屁がよほど強烈だったのか、キーアリーハは噎せ返っており咄嗟に動けないようである。
追ってこないのは好都合だ。一人の方が自由に動けるからな。
心の中で呟くと、オレは部屋を後にした。
コレって異世界転移になるのか転生になるのかどっちでしょう?
とりあえず異世界転移としておきます。