大熊を狩れ 9
爪撃をはじかれ防がれた奴は、己の不快感を顕にするように低く短く唸る。
奴との距離は数瞬前と比べるとかなり近い、この場合先に攻勢に回った方が有利だ。
早急に描き終わらせた魔方陣に、必要魔力の二倍・三倍と流し込む。
本来なら過剰量の魔力に耐え切れずに陣が自壊するのだが、十年も修行していれば裏技の一つや二つは身につけられた、それを惜しげもなく使わせてもらう。
「『炎弾:三連』、発射!」
綿密な操作により何とか押しとどめられた魔力は、本来側面から見れば線のようにしか見えない魔方陣に目で違いが分かるほどの厚みを持ち、強く赤光している。
それを魔指を使って強引に引きはがすとあら不思議、魔方陣が複製されているではありませんか。
悪魔の魔法技術の一つ『複製』の第一段階だと師匠は言っていた。
なぜ悪魔の魔法技術なのに人間の俺が使えるのか聞いたが、そもそも悪魔に魔法を教わろうとする人が
いないだけで誰でもできるらしい。
複製された魔方陣をスライドさせ固定、さらにもう一度複製し同じように固定。
こうして作られた三つの同じ魔方陣は、俺の発声とともに発動し奴の身に降り注ぐ。
そして『炎弾』は俺が作った魔法の一つ、初級魔法『ファイアボール』の火力をはるかに凌駕する。
ゴブリン程度なら一撃で吹き飛ばせるほどの爆発を生み出せるだろう。
弾速は速くはないが、数メートルもないこの距離では回避は不可能。
三発とも奴の体に着弾し爆発した。
荒れ狂う爆炎が奴を包み込むのと同時に、雪が蒸発し膨張した水蒸気が爆風とともに俺たちの身にも降り注ぐ。
「ぐぅ!!」
「ぅわわっ!?」
イデアの前に立ち、できるだけ彼女に風が当たらぬよう必死に耐える。
雪のせいで思うように踏ん張ることができないが、何とか耐えきることができた。
『身体能力上昇』がかかってなかったら吹き飛ばされていたかもしれない。
「…っはぁ、……ちょっと予想以上だったかな。」
『炎弾』を使ったこと自体は初めてじゃないが、複製して三連弾は初めてだった。
未完修の複製では時間がかかって師匠との実践訓練では使う場面がなかったし、そもそも俺は師匠に前衛の戦い方をメインで教わっていたから、魔法技術の練習に割ける時間は比較すると短かった。
第一段階の複製技術では普通に『炎弾』を三度放つよりも多く魔力を消費してしまっている。
さっきイデアに渡した魔力と合わせると俺の持つ全体魔力の七割くらいを使った。
魔力消費による不調はもう慣れたものだから、大した悪影響が出ないのが唯一の救いだ。
「す、すごい爆発。これなら少しは…。」
「……いや。」
前を見ると黒煙が上がっている、炎上は収まったらしい。
倒したか?と一瞬考えてしまったがその考えは捨てる。
この程度で倒せるわけがない、それに俺の悪い予想が当たっていれば…。
果たして、その黒煙を振り払うようにして奴は俺たちに姿を現した。
毛先が焼けたのか今だプスプスと煙を上げているが大したダメージにはなっていないことが見て取れた。
「くそ、やっぱりか!」
「や、やっぱり!?」
「グルゥァァァァアアアアア!!」
奴はダメージは入ってないが攻撃されたということに怒り、叫び声を上げながら突進してくる。
一直線に向かってきたそれを左右に分かれて回避。
「やっぱりって何!?」
「亜種とか希少種とかが、通常種の弱点属性が利かないのは定番だろ!?」
「えーっと、ちょっと何言っているか分からないかな?」
俺が咄嗟に口から出た言葉が理解できないイデア、こっちにはそういう考え方はないのか?
そもそも亜種や希少種(この世界では特殊個体というべきか)との遭遇例や細かな資料がなく、まだその発想が為されていないのかもしれないが。
「あいつは普通のロックベアーじゃない。さっき倒したロックベアーには利いたはずの火属性の魔法が利かなかった。つまり特殊個体ってことだ。」
「特殊個体だってことはわかるよ、明らかに見た目が違うもん。」
「まぁ、そうだけどな、ッ!」
奴は切り返して突進を続けてきた、狙いは俺の方だ。
勢いと体格さを考えると、まともに受けたらただじゃ済まないことがありありと伝わってくる。
「面倒なやつだな、くそ…。」
最初に見せた知性らしきものはどこに行った?
愚直に突進を続けるさっきと同じように回避しようとしたが、直前に前足を横に広げ逃がすまいと大きく振るった。
とっさに腕でガードしたが、吹き飛ばされ木に叩きつけられた。
「ぐっ!!」
『身体能力上昇』のおかげで生身で受ければ骨が折れるような衝撃を受けても、ある程度は軽減され怪我をするようなことはないが痛いことに変わりはない。
奴も無理に前足を広げたからか体勢を崩してはいるが、すぐに立て直して追撃してくるだろう。
対して俺はすぐに起き上がれる状態じゃなかった、怪我をしないだけでもちろん衝撃は受けている。
強く背中を打ったことで吸った空気が肺から叩き出され、咳き込み、態勢を整えるには時間を要した。
俺の眼前に立ちその巨腕を振り上げ、今にも俺の体を引き裂き、押しつぶそうとしている。
それを見て、
「おい、熊公。」
不敵に笑ってこう言った。
「後ろがガラ空きだぜ。」
俺の言ったことを理解できていたのは定かじゃないが、即座に振り返り腕を振るう。
甲高い音が鳴り響く、イデアの大剣と奴の硬化している腕がぶつかった音だ。
怒りに任せて俺だけしか見ていなかったせいでイデアの位置を確認しておらず、不意打ちを受ける形になったやつは、その一撃を受け止めるのに振り上げていたもう片方の腕も使って受け止める。
イデアの一撃は先ほどまでの速さと手数を稼ぐものではない、大上段の大振り、大剣の重さと自重を合わせた完全な火力特化の一振り、まさに渾身の一撃である。
その一撃は今までのものを軽く凌駕する鋭さと重さを持ち、奴の両腕を押し切ろうとしている。
ただ、後一歩届かなかった。
片手で受けきれないと即座に判断し両腕で受けとめたのは最適解だった。
ギリギリのところで押し切れない、後数センチで首に届いた、後数瞬判断が遅ければ切り裂かれていた。
魔物にはないと考えられていた知性を見せつけ、奴は寸でのところで自らの命をつなぎ切ったのだ。
だが、ここが奴の限界だった。
「水を纏え、『属性付与』」
イデアに掛りきりになっているところを、俺は逃さない。
両掌に直接、属性を付与し師匠に教わった構えをとる。
体の中心線に沿うように、左手を上に右手を下に。
右足を後ろに引き、膝を曲げ重心の八割を掛ける。
一瞬の溜めの後、流れるような体重移動とともに直進。
勢いそのままに跳びあがり、奴の右肩に狙いを定める。
「破ッ!」
両腕を捻り回転力を加えながら打ち込んだ、今の俺の全身全霊の一打。
フラウロス流悪魔式近接格闘術の一つ、名を『破掌』という。
ゲームとかアニメだったかっこよく名前を叫んでいるところだが、現実問題そんな余裕はない。
技事態の構成は至ってシンプル、ただの掌底である。
悪魔式とはよく言ったもので、打ち込み方や予備動作のどこをとっても威力を上げるためだけに注がれている。
師匠のような悪魔故の膂力がなければ、人間の俺では大した威力は出ないが、力は知識で補えばいい。
奴に火属性は利かなかった、考えられる理由は二つ。
奴が水属性を持っているか、奴の体毛に耐火性があるか。
ロックベアーは基本属性を持っていないから、可能性としては後者の方が高いといえる。
もしそうならば、素手の攻撃では全く歯が立たない。
それが本当に普通の素手の攻撃であれば、だが。
俺の掌に付与された属性は水。
属性攻撃にはそれぞれに特性がある、火属性は破壊力が高く風属性は斬撃性能が高い、といったように。
そして、水属性は貫通性能が高い。
俺の掌から伝わる衝撃は奴の体毛と皮膚を通り越し、直接筋肉と骨にダメージを与える。
打ち込んだ瞬間分かったのは、少なくとも奴の骨にひびが入ったこと。
最悪、粉砕骨折か良くても関節脱臼といったところだろうか。
まぁ、どれであったとしてもこれで終わりだ。
今の俺にできることはこいつを倒す手助けをすることだ。
奴はイデアの攻撃を両手で受け止め、拮抗した状態を保っていた。
あと一歩のところで届かないならその背を押してやればいい。
奴の右腕がだらりと垂れ下がった、均衡は崩れた。
「やあぁぁぁぁぁ!!」
気の抜ける掛け声とともに奴の左手もろとも、縦一閃。
奴は、頭頂部から腹部にかけて抵抗なく裂けた。
そして膝から崩れ落ちながらマナの粒子となって消えていった。
「や、やったか…。」
自分の口から言葉が発された瞬間、『ヤバイ、フラグ立てたっ』と思ったが、完全に消えてから発した言葉だ、問題はないだろう。
…問題ない、よな?
「た、倒せたぁ……。」
「え?わわ!?」
全身の力が抜けて、体が地面に吸い込まれるように倒れていく。
最後の一撃は文字道理の全身全霊、残っている魔力を全部使った。
魔力切れの症状に慣れてはいるが、ほとんどなくなった状態に意識的にすることはできない。
それだけの緊急事態だったのだろう、火事場の馬鹿力ってやつだ。
緊張の糸が切れたのもあるだろうが、意識を保つのもやっとだった。
これは気絶する、と瞬時に察した。
イデアには迷惑をかけてしまうな、まさか置いて行かれたりはしないよな?
とのんきに考えていると、ポスっという感触が全身に伝わる。
雪の敷き積もった地面の感触だろうか、それにしては冷たくないが。
指先とかの感覚がうまく感じ取れていないみたいだし、気絶というよりか全身麻痺している状態に近いのかもしれないな。
どちらにせよ俺は気絶する、もう意識が遠のいているのがわかる。
なんでこんな時に限って思考は鮮明かつ高速に回るんだろう。
なんてことを考えながら、暗闇の中へ意識は沈んでいった。
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目が覚めた。
目の前に広がる景色は1色。
ひたすらに真っ白な空間で横たわっているようだ。
って、なんか前にも同じことありませんでしたっけ?




