序章
「かずちん、あのね。明日話したいことがあるの。卒業式が終わっても、帰らないで待っててくれる?」
結衣は、帰ろうとしていたおれをそう呼び止めた。振り向くと結衣は、うつむきながら恥ずかしそうにモジモジとしていた。いつも元気な彼女には似合わないその仕草を、おれは不思議そうに眺めていた。今思い返すとそのときの結衣は、仲の良い友達と向き合う顔ではなく、思春期の女の子の表情だった。
おれがぎこちなく頷くと、結衣は恥ずかしそうに、それでもニッコリと笑った。その笑顔が夕日に照らされて輝きながら浮かび上がり、おれは生まれて初めて、心臓を締め付けられるようにドキッと感じたことを覚えている。本能的に結衣を慣れ親しんだ友達ではなく、「特別な異性」と認識した瞬間だったんだろう。
おれの動揺に応えるかのように、周囲の木々がざわざわと風に揺れた。
しかし、おれが結衣を特別な異性として認識した瞬間は、それが最初で最後になった。
翌日の卒業式に、結衣の姿はなかった。そしてその日の夕方、おれは数時間前に別れたクラスメイトたちと再会を果たすことになった。結衣の通夜の知らせを受けたからだ。
「がんばれよ」などと健闘を祈り合いながら別れた彼らと、同じ日に彼女の死という悲しみの涙を流し合うことになろうとは、誰が予想できただろうか。
小さな斎場には黒と白の鯨幕が張り巡らされ、その中からお坊さんの独特なリズムのお経が聞こえる。
会場に入ると、まず目に飛び込むのは結衣の遺影。昨日見たばかりの、はじけるような結衣の笑顔が訪れる人々を迎え入れている。
その前にクラスメイトたちが集まっていた。女子どうしは肩を抱き合いながら泣いていたり、男子は涙を堪えて遺影をじっと見つめていたり、オロオロと会場の中を見回していたり、女子につられて泣いたりしていた。おれはその様子を見て息を飲み、会場の入り口で立ちすくんでしまった。
「かずちん…」
いつのまにか、おれの隣につかさが立っていた。彼女は唇をギュッとかみ締めながら、何とか涙を堪えているようだった。
「これ、現実じゃないよな?」
おれは思わず聞いていた。
「つかさ、おれたち夢見てるだけだろ?なぁ、ほっぺつねらせてくれよ」
おれはつかさの頬を軽くつねってみた。そんなに強くつねったつもりではなかったのに、つかさの目からスッと涙が溢れた。そしてそれは次々にあふれ、ついに止まらなくなり、つかさはその場にしゃがみこんでしまった。
「ごめん、そんなに痛かった?」
つかさはおれの問いには答えず、ただ嗚咽を漏らしているだけだった。おれの瞳からも、一筋の涙がこぼれ落ちた。
12歳の春。小学校を卒業し、住み慣れた故郷を離れて東京の私立中学へ進学する直前のことだった。もうあれから十年が経つ。しかしいまだにおれは、結衣の死を受け入れられていない。その事実は幼いおれにとって、あまりにも唐突すぎて、あまりにも現実離れしていた。