恩は恩で
山の斜面を半ば飛ぶように下りていく。
イオの心は疑問と焦燥感でいっぱいだった。
古来から人類の敵として存在してきた「魔族」。最近では人類との住み分けが定着してきていたのか、人里に現れることはなかった。「共存」が現実味を帯びてきた今日この頃、何故人里に下りてきたのか、そして襲ったのか。
そして、燃えているサイヴァ地区。
そこに暮らしていた人々は逃げられたのか。商店街の人たち。そして、ドラークさん。
どうか、無事でいて..................!
イオは願いながら山を下りきり、サイヴァ地区の入り口に立つ。
サイヴァ地区は地獄と化していた。
目につく建物の全てが火を上げ、地面には血が飛び散り、魔族のものらしき雄叫びが響き、それに続いて悲鳴がこだまする。
そんな、地獄に。
クロムはそんな光景を目の当たりにして、絶句してしまう。
「こんな.........」
道の端々には、朝までは動いていたであろう、焼け焦げた人が倒れている。
奥に見える教会にも火の手は及び、ステンドグラスの奥が赤々と輝いていた。
イオは徐にクロムを下ろし、
「ごめん、ちょっとここで待ってて」
「.........どこに?」
「......ちょっと人命救助、かな」
無理に作った笑顔と彼を残して、走っていった。
クロムは未だ痛みで焦点の合わない左目を押さえながら立ち上がる。改めて燃えている街並みをこうして眺めていると、心が無力感に苛まれた。まだやってきて1日で何を、と思われてしまうかもだが、クロムの中で無力感が芽生え、それがなかなか消えてくれない。
こんな状況なのに、何もできない。
その事実がクロムを打ちのめす。
『何も出来ない事はない。』
声が聞こえた。
周りを見渡すが、人影1つ見当たらない。
「誰だ?」
『貴様にも出来ることは、ある。』
「いや、ないよ。誰がどっから話しかけてんのか知らないけど、俺はそこら辺にいるただの人間だぜ?ここで待ってて、って言われたけどこのままじゃ魔族に襲われてあっさり死ぬ。そんな無力な人間だぜ?」
ここまで自身を卑下すると、いっそ清々しい気分になる。
『貴様は無力などではない。この災厄を収めるだけの能力を貴様は手に入れた。後は貴様が決意を固め能力を発揮するのみ。』
「ちょっと待て、何言ってんのかさっぱりだ。能力?そんなの持っているわけない。いつ俺はそんなものを手に入れた?」
『先程貴様は魔道書に描かれた魔方陣と目を合わせた。故に貴様の左目は何か支障を来しているのではないか?』
「............っ!」
クロムは驚愕した。
イオにも告げていないこの症状を、何故声の主は知っている?
声は続けて、
『我はその際に貴様の身体に憑依し、我が精神をその身に宿した。故に貴様は我の能力を使用可能、つまり貴様は我の能力を手に入れた事になる。』
勝手にそんな事を、と思うが、それよりも前に
「これラノベ展開だと俺強えパターンか。てかなんで俺はこんなに冷静に現実受け入れてんだろ」
平凡でゆるゆるな日常を過ごしていた現代高校生なら震え上がって泣いて逃げ惑いそうなシチュエーションのはずが、何故だろう、現実として完全に受け入れてしまっている。
「まぁ、ここでただボケーっとしてても何にもならないのも事実だし」
クロムは前を見据え、どこかにいる声の主に向かって、宣言した。
「何がどうなってんのか知らないけど、やってやる。何か能力があるなら使わせてもらうし、やらなきゃならないことがあるなら、してやる。こんな意味不明な出来事の連続。こうなったらヤケクソだ!」
クロムの中で何かが弾けた。
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「行儀の悪い客が多いな、今日は」
ドラークはそう言って外に出て辺りを見回す。
あちらこちらから火の手が上がり、地面には所々人間の血がこびりついている。
「なんだってんだ、一体」
昨日店に転がり込んで来たクロムと名乗る少年と、長年居候を続けるイオ。この2人が遺跡捜索に出かけて数時間後、地区のいたるところから魔族が湧き出て来たと思ったらあっという間にこの惨状。
「何が起きた............ッ!」
物陰に隠れていた魔族が飛び出してこちらに突進してくる。
「コボリオン、か。犬型のくせに吠えないのは本家より幾分か上等だが......」
ドラークは一瞥すると懐からステーキナイフを取り出し、投げつける。ナイフは真っ直ぐコボリオンの頭に突き刺さり、悲鳴をあげる間も無くその身体は砂に変わって崩れ落ちる。
「今までこんな事はなかったんだがなぁ」
ドラークはコボリオンの残した砂に背を向けて中心地に向け歩き出す。
その目はどこか遠くを見つめていた。
「オーナー、貴女との約束は守れなくなりそうですよ」
そして少し表情を変え、呟く。
「アルバノク、お前はまだ本気で思っているのか?」
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「ハァ...............ハァ............ッ」
クロムは息切れしていた。
謎の声と意味不明な出来事に対して啖呵を切ったものの、『その意気やよし』と両手に片手銃を持たされたのだから驚きだ。いや、正確にはいきなり現れた、という方が適切だろう。
とにかく持たされただけでも驚きなのに、
『これで地区を襲う魔族を殺せ』
こんな穏やかじゃない事言われれば流石に決心が萎えそうになる。
大通りを走っていると50mに一体くらいの割合で魔族が武器を振り回しながら突進してくる。ゲーセンに行ってはガンゲームで遊んでた身としては、相手に当てるのは難しくないのだが、魔族が砂に還るのを見ると、どうにも罪悪感に駆られてしまう。
『罪悪感に駆られることはない』
声がどこか優しく言った。
『奴らはこれまで多くの人間の命を奪ってきた。君も見ただろう?所々に倒れている人々を』
「見たよ。でも人間ならしょうがないんだよ。俺はまだそこまで残酷にはなれない。どうにも殺人を犯している気がして.........」
『しかし君がやらなければ、無力な住民が全滅するのは時間の問題になってくる』
「ですよねー。.........てかなんか、ちょっと話し方マイルドになってない?俺のこと「君」呼ばわりになったし」
『へ?』
お?なんか、女性の声が聞こえてきたんだが?
『............』
おや今度はダンマリですか。
『............素が出ちゃったか..................』
「......もしや声の主、あなたは女性か?」
『な、ななな何故分かったし⁈』
いやわかるでしょ。
なんか、声の主の第一印象がガンガン削れていってるんだけど。
「いやまぁ、別にいいよ砕けた感じで。そっちの方がとっつきやすいし」
『そ、そうか』
声は気を取り直すように一つ咳払いをして、
『じゃあ、こちらの方で話させてもらう』
「おう、そっちがいい」
その時、また物陰から魔族が現れ突進してくる。
「出来れば撃ちたくないんだよなぁ......」
『だけどやらなければ』
「こっちがやられる、だろ。分かってるよ」
銃を前に掲げ腕を伸ばして固定する。相手をよく引きつけて頭に照準を合わせて落ち着いて引き金を引く。
弾丸の光弾は真っ直ぐ魔族の頭目掛けて飛び、着弾。
魔族の動きが止まり、その身体が崩れ砂に還る。
「まだ血じゃないだけマシか......」
クロムは先を急ぐ。
クロムが行うべき行動は魔族を撃っていくことだけではない。
「イオがどこにいるか直ぐに分かれば問題ないんだけど.........」
その時、側にあった建物の窓ガラスが割れ、誰かが飛び降りてくる。
だがその影はどうも落ちているようにはみえなかった。まるでアクション映画みたく降りてくる。
そしてその影にクロムは見覚えがあった。
「いたわ。イオ」
イオは地面に難なく着地すると、クロムを横目に見やっただけでどこかへと走っていく。
「ちょ、待ってイオ!どこに行くんだ!」
イオはその声に反応することなく、そのまま走り去っていった。
『知り合い?』
「ああ。命の恩人でもあるけども」
クロムはイオの走り去っていった方向を見つめる。
ちらりと見えたイオの表情は険しかったように見えた。
「怒り、か。はたまた焦り、か?」
『なんのことだ?』
「いや、なにも」
クロムは銃を持ち直し、言う。
「恩は恩で返すか」