この手に職を
彼女の名前は、イオと言った。
商店街の裏路地でぶっ倒れていたクロムに声を掛けてきた少女の名前だ。
クロムは「大丈夫じゃない!」と堂々と宣言した後、あっけなく空腹の極みに達してしまいそのまま気絶してしまった。
クロムにその後数時間の記憶は無い。どうやら幸運にもイオと名乗る少女に近くのカフェに担ぎ込まれたらしかった。
そのカフェで目を覚ましたクロムは、現在ご飯をご馳走になっているのだが、
「ここって、君の店なの?」
するとイオはニッコリ笑って
「ううん、違うよ」
と言った。
「ここは私の知り合いの店。心配しなくても、店主もちゃんと奥にいるよ」
どうやら俺の思っていた事はイオにはお見通しだったらしい。
するとイオは身体を前のめりにして
「それにしても、なんであんなとこに倒れてたの?」
と、いかにも興味津々な様子で聞いてきた。
「まあ、色々あって.........って、なんでそんなに興味津々に?」
クロムは適当に誤魔化しながら、率直な疑問を投げかける。
するとイオは、つまらなさそうに唇を尖らせて
「むぅ、誤魔化した。まあいいや。最近のご時世、行き倒れなんてみた事なかったし。何があったんだろうって気になっただけだよ」
「気になってもそんなこと聞くな。不謹慎だ」
その時、後ろから声が聞こえた。
振り向くと、タキシード姿の男が立っていた。見た目30代で尖った短髪にスッと通った鼻筋。目鼻立ちも完璧に整っており、いわゆる「イケメン」だった。
「えぇー、でも気になるじゃん」
「えぇー、じゃない。すみませんお客様。不快な思いをさせてしまった事をここに謝罪致します」
タキシード姿の男は軽く腰を折って頭を下げた。
クロムは慌てて
「いえいえ!別にいいですよ。てか、お客様ってことは、貴方が?」
「ええ。私、この店の店主のドラークと申します。どうぞ、お見知り置きを」
そう言ってタキシード姿の男、改めドラークは再び頭を下げる。
クロムは再び慌てて
「あ、ご丁寧にどうも。俺はクロム=オグニルといいます」
と、どこか寒々しさを感じる自己紹介となってしまった。
と、そこへイオが
「じゃ私もとりあえず自己紹介します。私はイオ。イオ・ハーブ。よろしく」
「そういえば、クロムはなんの職についてるの?」
それぞれの自己紹介が済んで、再びご飯をご馳走になっていると、イオが唐突に聞いてきた。
「職?いや、俺まだ17だよ?」
クロムは訳がわからず、元の世界の常識で答えてしまう。しかしイオはビックリした様子で、
「いや、17だからだよ?普通15歳でみんな手に職をつけるのに。ご家族とかから何も言われなかったの?」
「いや、言われなかった......かな......あはは......」
この世界では15歳で就職するのが当たり前らしい。15歳になった少年少女はそれぞれ興味のある仕事を見つけ、それぞれの施設に弟子入りするのだそう。例えば、医者になりたいなら病院に住み込みで働いたり、作家になりたいなら先輩作家さんの家に行って弟子入りを志願する、といった具合に。
するとイオは名案が浮かんだ様な顔をして
「じゃあ今から決めよう、職業」
「今から?」
クロムは驚嘆した。
ただでさえこの世界の職業なんて知らないというのに、今から決めよう、だなんて。
すると隣の席に座っていたドラークさんがクロムに向かって、
「こいつの決めようはそのままの意味で取らない方がいい。こいつの決めようは、自分の仕事を手伝え、だからな」
イオがドラークさんに何やら意味ありげな視線を向けているのをよそに、仕事を手伝え、ねえ......とクロムは頭の中で色々考える。
『確かに俺の今の状況じゃその申し出は助かる。イオの仕事を手伝っていれば、いずれ色々この世界の常識やら礼儀やらが分かるかもしれない。そしていずれは自分の興味がある分野に転職出来るかも!
でも、ホントにイオを信頼できるのか?出会ってまだ数時間。イオがこんなに親身になってくれるのは確かにありがたいけど......』
すると、またもドラークさんがクロムの考えを見透かしたように、
「そう詮索しなくてもいい。こいつはただ善意のつもりで言ってるだけだ」
「そ、そうですか」
善意で言ってくれてるなら、まあいいかな。無下にもできないし......
「分かった。俺に何か出来ることがあるなら、手伝うよ」
クロムがそう言うと、イオは嬉しそうに
「やった!じゃあ早速行こう!」
そう言って、クロムの手を掴み店の出入り口へ向かおうとする。
クロムは慌てて引き止めて
「待って待って待って!な、なんか説明とか!どういった仕事だとかどこでやるのかとか!」
と、怒涛の勢いでイオにまくし立てる。
しかしイオは何も気にしてない様子で「来れば分かるよー」と受け流す。
するとドラークさんが話の流れをガン無視して
「で?この飯代は誰が払うんだ?」
と、超ドスの効いた声で聞いてきた。視線はバッチリ、イオを捉えている。
「あ、ええと、食い逃げはしないから.......後で払うから......その......」
イオは完全に狼狽えた様子で言った。
どうやらイオはドラークさんには弱いらしい、と完全場違いな事を思ってしまうクロム。
ドラークさんはハァ、と溜息をつくと、
「じゃあ飯代はツケといてやる。金が溜まったら、どっちでもいいから払いに来なさい」
と、なんだかすごく優しい事を言った。
ドラークさんは「それと」と続けて
「イオ、お前はその目先一直線な性格をもう少しどうにかしろ。振り回される側としてはハラハラしてならん」
と、イオに忠告した。
あ、こういうの初めてじゃないんだな、とクロムは密かに思う。
イオは「分かってるよ」と半ば聞き流す様に返事をする。
ドラークさんは心配そうな表情を一瞬浮かべたが、クロムに向き直ると、
「クロム、と言ったかな。イオが暴走しないよう見張っててくれないか。何かと心配でな」
と言った。
こうして見てみると、ドラークさんとイオが親子のように思えてならない。事実ドラークさんは本当にイオの事が心配なのだろう。彼らの会話から察するに長い付き合いであるのは確かのようだ。
クロムは胸を張って
「分かりました。約束します」
と、ドラークさんを安心させるように言った。
ドラークさんは薄く笑みを浮かべ、「頼む」と言った。本当に親子のようだ。
「じゃ、行こう!」
イオはまるで子供のように元気良くクロムの手を引いて店を出る。
外はいつのまにか朝になっていた。道にはポツポツと人の影がある。
俺はこれからどういった生活を送るのだろう?
漠然とした疑問が頭をよぎる。
この世界に強制連行され、おっちゃんにこの世界の事を教えてもらって名前をもらい、餓死寸前のところをキャスケット帽を被った少女に助けられ、仕事も手にした。
今のところは順風満帆な異世界生活。
だが同時に、クロムは警戒もしていた。
元の世界のラノベ知識ではあるが、この後に今までの時間を根底から覆す大事件が起こってしまう可能性があるからだ。
「今のがフラグだったらシャレにならねえな」
クロムは最大限の警戒をする。
元の世界に戻るために、この世界で生きていかなければならない。
その為には、大事件など起こってはならない。
起こしてはならない。