おかえり、ただ君のことを想って……
初めて手がけた恋愛の小編・中編小説です。友人の出した課題に沿って書いたのですが、気に入っていただけると幸いです。
「ま、まってよ〜」
「待てといわれて誰が待つかー!」
「そんな〜」
私は今、走っている。
しがない田舎の田園風景が四方八方に広がっているものの、私は田畑より高台につくられた土の道を走っていた。
体育の評価が2の私には、当然のように持久力もないし、息はどんどん上がっていくだけ。
そんな私の前を自転車で嫌味の如く走り去っていくのは私の彼氏、守谷緑。
「ちょっと、りょく〜!」
私は走るのを止めて、思いっきり緑の名前を叫ぶとも、田舎はとことん広くてなにもないから私の声は惨めにも霧散していった。
「うぅ、緑のばか」
私は小さくなっていく緑の後ろ姿を見ながら手を膝に置いた。
なぜ緑が自転車で先に行ってしまったかというと、多分私が今朝、緑の制服にコーヒーを溢したせいだと思う。
そのせいで緑は着替えなおして、学校に遅刻しそうだったから。
「どうしよ、これじゃ私も遅刻だよ……」
緑はちょっと自己喪失しちゃうことあるからなー……なんて私も人のこと言えないけど。
ま、いっか。遅刻なら思いっきり遅刻しよ。
私は少し溜息をついて、田舎の空気を肺いっぱいに吸って通学路を歩き始めた。
「さてと……」
私は強張った肩を思いっきり伸ばして背伸びをした。
「うーん……」
緑のやつ、絶対学校着いたらおもいしらせてやるんだから。
私はてくてくと急がず焦らず田舎風景を楽しみながら歩き続けた。といってもこの町で生まれ育ってるから見飽きてるけどね。
多分学校まで後5分。そんでもって学校の始業ベルが鳴るのは後1分以内。
緑も間に合わないだろうなー。あんまし体力ないし。
そして、
キーンコーンカーンコーン……
「あ、鳴った」
学校は住宅街の少し離れた位置に建てられているから朝の鐘がよく響く。
ちょっと遅れて私も校門に到着。そこで門を閉めかけていた先生に見つかった。
「おい、日高! お前また遅刻か!」
「はい、すみませ〜ん」
「まったく、二人揃って遅刻とは」
先生はちょっと顔を顰めた。
「あ、もしかして緑も遅刻でしたか?」
「ああ。自転車で勢い余ってあれだ」
先生が指さす先にはこの学校の初代校長先生の銅像にぶつかってへこんだ自転車があった。
「あぁ〜、私の自転車がー」
「ん? あれは日高のだったのか」
「はい。緑に今朝、奪われました」
「そうか。はっはっは」
「笑い事じゃありませんよ〜」
「ああ、そうだな、すまんすまん」
「でも緑、あれで無事だったんですか?」
「ああ。今保健室だ」
「そうですか〜」
私は心の中で思いっきりガッツポーズを掲げた。
そんな私の内情を察知したのかしていないのか先生が、
「なんだ日高、お前自分の彼氏のこと心配じゃないのか?」
と尋ねてきて、私は、
「大丈夫ですよ〜。いつも私が鍛えてますからー」
「そ、そうなのか」
「それじゃ、保健室いってきまーす」
私は先生に一礼して、駆け足で学校の中へ入っていった。
「おい! 保健室じゃなくて教室へ行けっ!」
先生のそんな声が後ろからしたけど、無視無視♪
私と緑が通う学校、楽大歩秀高等学校はそれなりにこの田舎でも名の知れた学校なのだ。とはいうものの高校はこれ一校だけなんだけど……。
でもちょっと問題があるといったら名前がね。漢字だけ豪華なのに読むと、らくだいほしゅうこうとうがっこうなんだよね……。
だから私は緑が思いっきりぶつけた初代校長の銅像に一途の同情も見せない。
だから私たち生徒の間では楽歩高と呼んでいる。
あ、保健室の前まで来ちゃった。
「神木せんせーい」
私は思い切って扉を開けて中に入った。
「あ、日高さん。もう、夫婦喧嘩するなら学校じゃないところでやってくださいね」
「すいませーん。あ、緑。いた」
「ぐぅぅぅぅ……」
「もう、ちょっとした脳震盪をおこしたんだから……。ホントに無茶ばっかりして」
緑の看病をしていて、この保健室の先生である神木先生。
温厚で面倒見の良い先生で美人且つスタイル抜群。この学校でも一番の人気を誇る先生なのだ!
「あの、日高さん? 大丈夫?」
あ、ちょっと説明が長かったか……。
「それで緑は大丈夫ですか?」
「ええ、もう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます。それじゃ、緑、いくよっ!」
「うげっ!」
私は保健室ベッドで寝ている緑の胸倉を掴んで無理矢理保健室から連れ出した。
「あんまり乱暴しちゃ駄目ですからねー」
と、神木先生の忠告をありがたく聞き流して私は緑の頭を叩き起こした。
「いてっ!」
「起きた?」
「うっ、ここは……?」
「学校」
「って、梨香!」
「そうよ、緑。よくも私の自転車壊してくれたわね」
「うっ、いや、あれはだな。事故というかなんというか……」
緑は私から視線を逸らしながら言った。
「なにが仕方なくよ。よくも私のお気に入りの自転車を!」
「うわ、やめろ、頭だけは叩くな! それだけでも今、頭痛いんだから!」
「それもこれも全部、緑のせいでしょ!」
「うっ……」
私は緑の頭を掴んでそのまま教室まで連行した。
「痛い! 痛いって! 頼むから頭は勘弁!」
ぽいっ
って私は緑の頭をポイ捨てした。
「おいっ! いくらなんでもポイ捨てって!」
「なんで私の思考回路読めるの?」
「いや、そりゃまあいつも一緒にいるからな。それぐらいは」
緑は立ち上がって後頭部を照れながらかき始めた。
「緑……!」
私は緑に抱きついた。
「お、おい、梨香」
緑は多分照れてるんだと思う。だって心臓がバクバクいってるんだもん。まったく付き合ってもう三年になるのに全然慣れないんだからー。
でも、そんなところがかわいい♪
あ、ちなみに私の方が半年緑より年上でーす。
私は緑を抱きしめて、耳元で囁いた。
「でも、あれとこれとは違うからね♪」
「うっ……」
緑は私の言いたいことをどうやら理解したらしい。ほんとに私のこと理解してくれてるんだなーなんて思いつつ放課後、きっちり自転車のツケをはらってもらおっと。
緑は私の肩を掴んで自分から離して、そのまま私の手を掴んで歩き出した。
緑は私より少し背が高いから、緑の顔を見上げると、自分から手を繋いだのにちょっと顔を赤らめてる。
「もう、緑って強引なんだから」
私がちょっとからかうと、
「ち、違うぞ、そんなんじゃなくてだな!」
「はいはい、わかってるよ。ありがと」
「あ、ああ」
益々顔を赤らめる緑は……かわいい。
私もちょっと嬉しくなって知らないうちに頬が自然と温かくなってきていた。
教室の前に辿り着いた私たちはそのまま部屋の中に入った。
「日高! それに守谷! 遅刻だろ!」
私たちの担任の名前は日下部恭子。女の教師で年は丸秘情報だけど26才らしい。
元気溢れる熱血教師だ。
「恭子ちゃん、朝からそんなにテンション高いとシワが増えるよ〜?」
「私をその名で呼ぶな! それに守谷、お前日高の彼氏ならちゃんと責任持ってちゃんと登校させろ!」
「す、すいません」
もう、緑は女の人の押しには弱いんだから〜。昔はそんなでもなかったのに、私の影響かな?
「だから恭子ちゃん、怒らないでってば〜」
「いいからとっとと座れ!」
「はーい」
私は緑の手を今度は引っ張って自分達の席に座った。
もちろん、緑の席は私の隣で窓際に緑、その右隣に私といった感じである。
「はぁ、まったくお前ら二人は……」
なんてぶつぶつ恭子ちゃんは言いながら、黒板に色々と書き込んでいった。
ちなみに恭子ちゃんもこの学校が誇る人気度の高い先生の一人で、大人しい猛獣は時にはかわいいといわれるような感じで恭子ちゃんは人気度を集めている。
恭子ちゃんは古文の専門で、これがまた教え方が上手だ。
恭子ちゃんのクラスを受けて、古文で赤点を取った生徒がいないというほどの記録さえ持っている。
「よーし、いいか? 古文で一番難しいのは文法だ! 単語なんて文法ができれば後から覚えれば済む」
おお、今日も熱が入ってるなー。私は自分の鞄から教科書やノートを取り出して適当に文字を書いていった。
「文法は覚えるんじゃない! なじむんだ!」
おお、言い切りましたね恭子ちゃん。でも、うん。それで私も合格できたんだけど。
「いいか? 文法は一見ややこしい。でもな、基礎さえ覚えれば真核が見えてくる!」
私は恭子ちゃんの熱弁を聞き流しながらせっせと鉛筆を紙にはしらせる。もうすでに私は文字など書かずに自由に筆を走らせる。
『おい梨香、何やってるんだよ?』
隣から緑が視線で話かけてくる。
『何って、お絵かき』
『また叱られるぞ』
『私の成績知ってるくせに〜』
『うっ……』
もちろん、私は体育が2である分だけそれなりに勉強はできているつもりだ。
ちなみに緑の成績はオール4。あ、でもある一つの授業は5を取ってる。その授業は後々話すとして、私は鉛筆で絵を描き続ける。
緑は少し溜息をつきながらも、恭子ちゃんの弁論を聞きながら要点をノートに記していった。
「おい、日高! なにやってる!?」
「お絵かき〜」
「なっ! お前、今がなんの時間かわかってるのか!」
「古文〜」
私は恭子ちゃんを見ないまま絵を描き続ける。
恭子ちゃんは私の机まで歩み寄って私のノートを取り上げた。その顔は憤怒の表情。
「あー……」
「没収だ、没収!」
恭子ちゃんは私から取り上げたノートを一目見て、硬直した。
教室の生徒全員も恭子ちゃんの異変に気付いて、皆の視線が自然と集まっていく。
恭子ちゃんは小さな声で呟いた、
「か、かわいぃ……」
はっ! とした表情を浮かべた恭子ちゃんはすかさず顔を赤らめて、教壇へと戻っていったが、それで誤魔化せるほど私たちのクラスは甘くない。
恭子ちゃんは再び授業に入ろうとしたがその顔は紅潮していて、クラスの全員は一斉に、
「「恭子ちゃん、かーわいい〜」」
「えぇーい、黙れっ!」
毎日がこんな感じに流れていく。
恭子ちゃんの一時限目の授業が終わって今は小休憩の時間。
私の一つ前の席に座ってる幼馴染が振り返って話しかけてきた。
「梨香〜、きょんきょんに何見したのー?」
「ええー、普通にいつもの」
「見せて見せてー」
そういって私が恭子ちゃんから取られたノートを開きながらその例のページを探していた。
彼女の名前は杉浦久美。さっき言ったとおり私の幼馴染で緑とも昔から遊んでいる大事な友人だ。
「わー、かわいいー。これ絶対、梨香才能あるって。漫画描いたら?」
「えぇー、いいの趣味だから」
「もったいないじゃん」
「全然オールライト」
「そっか。それで今日はどうして遅刻したの? 緑くんも一緒だったし手繋いじゃって朝からラブラブだね」
「今朝はねー、緑が私の自転車ぶっ壊したの」
びくっ! って私の横に座って次の授業の準備をしていた緑の肩が跳ねた。
それでもって平静を保つように、席を立ち上がってほかの男子の輪に入っていった。
まったく、単純なんだから。
「へぇ、そっかー。あれ梨香のお気に入りだったのにねー」
「そうそう。なにも校長先生の銅像にぶつけなくってもいいのにね」
「え? どれどれ」
久美は席から立ち上がって窓から外を覗いた。
「あ、ホントだ。見事にぐしゃぐしゃ。今日は緑くん放課後大変だねー」
「精一杯、こき使ってあげるから大丈夫」
「あはは」
「それで久美はどうなの?」
「どうなのって?」
久美はちょっと表情を曇らして聞き返した。
「とぼけても無駄でしょ。久美の彼氏の隼よ、隼」
「じゅ、隼くんは……」
「まだ、喧嘩してるの?」
「だってー」
久美はそう言いながら視線を私の右側へと向けて私もそれを追った。
隼とは、久美と私たちの幼馴染で幼稚園の頃からずっと一緒に遊んできた久美の彼氏だ。
本名は橋本隼。緑とは無二の親友で二人は常に行動を共にしている。
そして普段通りに久美と私の視線の先で緑と隼が談笑していた。
やっぱり男子には男子で打ち解けあえるところがあるんだろうな。
「はぁ……」
久美は隼のことを見つめながら小さな溜息をついた。
「まったく、もう一週間でしょ? 諦めて謝ったら?」
「そ、そんなに簡単に譲れないんだよ!」
「まあ、私なら緑に無理矢理謝らせるけどねー」
「それができないから困ってるんだってば」
「じゃ、私がケリをつけてあげようか〜?」
「それじゃ意味ないもん。私にも意地あるし、きっと隼くんも意地張ってると思うから……」
「ま、昔から久美と隼はそうだったからねー」
「うん。はぁ、でも今回は私の方も悪かったかなーって思ってる」
「そう思ってるなら大丈夫だよ。すぐにより戻せるって」
「だよね」
「そうそう。それじゃ、次は音楽室。さっさといこっかー」
「うん」
私は机の中から教材と筆箱を取り出して久美と一緒に教室を出て音楽室へと向かった。
行き際、私は前方を緑と一緒に歩いていた隼の傍まで駆け寄って忠告を一つ囁いた。
『隼、久美は自分も悪かったっていってるんだから早く仲直りするんだよ』
『あ、ああ。わかってる』
まったく、この二人は誰かちょっと仲介しないと駄目なんだから〜。
と思いつつも私自身少しおせっかいなのかな? なんて考えながら久美のところへ戻って音楽室まで行った。
音楽室へ辿り着くと軽快なピアノの音と共にそれを弾く音楽の先生の姿があった。
「あ、みっちゃん先生」
私がその名を呼ぶと、先生はピアノを弾きながら後ろを振り返った。
「あ、梨香ちゃんに久美ちゃん。どう? 彼氏とは上手くいってる?」
みっちゃん先生こと美津林留美先生は去年有名な大学を卒業して真っ先に地元のこの高校へと赴任してきた。
みっちゃん先生も我が校が誇る人気度の高い先生の一人でもある。やっぱり美人はもてるんだね〜。
「私はいいんだけど、今はちょっと久美がねー」
「えー、久美ちゃん、隼くんといま仲たがいなの?」
「は、はい……」
「そっかー。でも大丈夫だよ、二人の仲だもん。すぐに良くなるって」
「ありがとうございます」
「はい、それじゃせきついてねー」
「「はーい」」
ご覧の通り、みっちゃん先生は恭子ちゃんと正反対で温厚でとっても柔和な性格をしている。
年も若いから女子でも男子でも気軽に話ができて理解度も深い。
そしてその後もぞろぞろとクラスメイトが入ってきて始業ベルがなるまでいつも定番のみっちゃん先生の軽快なピアノ音が続いた。
「やっぱ、いいよねー。みっちゃん先生のピアノー」
私は惚れ惚れとした表情で聞き酔いしれていた。
「そうだねー」
と久美も一緒に聞き惚れていると、いきなり隼が久美の前に歩み寄って立ち塞がった。
「え? なに、隼くん?」
久美がきょとんとした顔で隼の顔を見つめていて、私も椅子に座りながら見つめていると隼が喋りだした。
「俺も、悪かった。久美、許してくれるか?」
「隼、くん……」
久美の顔が緩んで、目尻には涙を浮かばせながら席を立ち、隼に抱きついた。
「うぅ、私の方こそ、ごめーん……」
隼はちょっと驚いてはいたが、すぐに微笑を浮かべて久美を抱き返した。
そしてみっちゃん先生がいきなりラブ名曲オンパレードを弾き始めた。
一気に音楽室の雰囲気は和んで、皆からの拍手喝采を受けて久美と隼は顔を紅潮させながら二人して照れていた。
うぅ、いいなー。私も緑と……。なんてね。
「よかったねー久美ー」
「うん、うん!」
久美は手の甲で涙を拭きながら、頷いていた。
「はーい、それじゃ授業始めよっか。久美ちゃんと隼くんの仲を祝して今日は皆で何を歌おっかー?」
みっちゃん先生はそういって、私は待ってましたといわんばかりに手を挙げた。
「やっぱりここはLoving Daysでしょ!」
「お、梨香ちゃん、ナイスチョイス! はい、それじゃ皆いくよー」
みっちゃん先生の指揮の下、皆は一斉に歌いだして音楽の授業は絶好調に達した。
そして、その後も授業も順調に進んで放課後になった。
「緑、帰ろー」
「ああ」
私と緑は一階の教室から下駄箱のある玄関まで歩きながら話をした。
「よかったね、久美と隼がより戻せて」
「ああ。隼は自尊心高いからちょっと心配してたんだけど」
「へぇ、緑も気にかけてたんだー」
「当たり前だろ、俺の親友なんだから」
「そういうのをスラって言っちゃう緑もすごいよねー」
「うっ……。そういわれるとめちゃくちゃ恥ずかしくなるじゃないか……」
「いいんじゃない? 真っ直ぐはいいことだよー。私は緑のそういったところに惚れたんだから」
「梨香も自分の思ったことはなんでも言うよな」
「そう?」
私は下駄箱から自分の靴を取り出して校舎内用のスリッパと履き替えて入り口からでた。
私は校舎の入り口の戸の辺りで後ろの緑に振り返って、笑いかけた。
「?」
とした表情を浮かべる緑に私は口だけを動かして。
『じ・て・ん・しゃ♪』
「!!」
「はーい、それじゃ、いこっか〜」
「わかりました」
私は項垂れる緑の腕を脇に掴んで、校門をでた。
緑は一旦振り返って、私にいった。
「自転車は放って置いて良いのか?」
「うん、ファンクラブの人たちに頼んでおいたから」
「ファンクラブ?」
「そ、私の、日高梨香のファンクラブ」
「そんなのがあったのか……」
「うん。できてた」
「そうなのか……」
「妬いた?」
「ん。ああ、ちょっとな」
「まったくもー、緑はかわいいんだから〜」
私は思いっきり緑の頭を手でくしゃくしゃと撫でた。
「うおっ、やめろよな」
「とかいってホントは嬉しいくせに〜」
「おい、マジでやめろって!」
私と緑の笑い声は絶え間なく続いて、他の生徒もそれにつられて笑いを溢すものも少なくない。
私と緑との高校一年生始めての春はまだ始まったばかりで、下校道の風景は穏やかな春色。
学校は始業式が終わって2週間が過ぎようとしている。
でもここの中学校に通っていた生徒の大体がここの高校に通うため、高校生といっても顔馴染みばかりだからなんの緊張感も心配もない。
心地よい春風が辺りを駆け巡る。
私はそんな快適ともいえる天候の下、緑を連れまわしながら日が暮れるまで遊んだ。
時が過ぎて六月。期末テストという生徒最大の難敵がその頭角を見せ始めた季節。
気候も段々と夏へと衣替え、じゃなくてモードチェンジを始めたころ。
私、日高梨香にはそれ以上の重要且つ重大な問題が降りかかろうとしていた……。
私は自分の部屋で目覚めた。ま、普通なんだけどね。
私の家は通ってる学校から徒歩15分くらいの住宅街に建てられている。
住宅街といっても総世帯200軒といったしがない町である。
でも最近は田舎決起運動がここでもさかんに実行されて、十年前までは田畑を耕す農夫の人たちが朝市をしたりしていた商店街に数々のデパートや公共施設が建ち始めた。
ま、私たちの世代に言わせたらそれはありがたいんだけど、そのペースが少し異常なのである。
だって一ヶ月に一つは新しい施設が完成するから、今はまだ大丈夫だけど後三年ぐらいしたら誰も使わないようなビルがたくさんできることは目に見えている。
でも、ここの村長? 今は町長なのかな? は一向に新事業の撤回をはからわないらしい。
「ふぁ〜あ」
私は自分のベッドで思いっきり両腕を伸ばして欠伸をした後、
「なに朝からこんなに思考回路めぐらせてるんだろう、私」
など、疑問に思いつつも私はベッドから起き上がって時計を見た。
時刻は9時。はっ、遅刻!
でも、今日は土曜日。学校はない。
「さてと、着替えるかな。ふぁあ〜」
またも欠伸をしながら私はパジャマのボタンを外して、ズボンも一緒に脱いだ。
部屋に置いておいた全身鏡で自分の体具合を再チェックした後、私は自分のクローゼットを開けた。
「うーん、なに着よっかな〜」
あ、ちなみに今日は緑とデートである。とはいっても長い付き合いだからこれといっておめかしはあまりしない。
というよりも私自身、あまり化粧は好きではない。
だって、なんか自分の顔で遊んでるみたいだし。色々塗ったり、付けたりするのあんま好きじゃないからね。
だから私は髪を梳いたり、緑からプロポーズされたときに貰ったブレスレットと誕生日にもらったネックレス以外はなにも付けない。
でも、ちゃんと服装は選ぶ。これはね、さすがに私も女の子だし、おしゃれしたいから♪
「じゃじゃーん」
なんて効果音を自分で言いながら私は着替え終わって鏡の前に立った。
今日はカナリアイエローのワンピに白のブラウス、夏を意識して通気性の良いアンダーパンツとポシェットを持って部屋を出た。
ぱたん
と、部屋の扉が閉まる音を聞いて、私はまた扉を開けた。
「忘れてた忘れてたっと」
私は自分の机の引き出しを開けて、中から一枚の紙、チケットを取り出した。
「今日は映画見に行くんだったっけ」
私は先週、緑から渡されたチケットをポシェットの中に入れて忘れ物をしていないかをチェックした後、部屋を出た。
私は階段を下りて、キッチンへと向かった。
もうすでに妹の紗枝は起きていた。
「あ、お姉ちゃん。おはよう」
「紗枝ちゃん、おっはよー。うりうり」
「ちょっと、お姉ちゃん、くすぐったいってば」
私は紗枝に抱きつきながら頬ずりをした。
「いいじゃーん。もう紗枝ちゃんかわいいから、かわいさチャージしとかなきゃ〜」
「ええっ、ちょ、ちょっとお姉ちゃんってばー」
まったくなんで紗枝ってこんなにかわいいんだろう。ちなみに紗枝は中学二年生。
もうそろそろ出来上がってくる年齢である、やっぱりその時は私が紗枝を頂くことにしよう。
そんな将来のささやかなプラニングをしていると、私から放れた紗枝が聞いてきた。
「お姉ちゃんはなに食べる? ご飯? それともパン?」
「紗枝ちゃんがたべてるのでいーよー」
「はいはい」
紗枝は食卓から立ち上がって、キッチンでトースターにパンをセットしていた。
私もコップを戸棚から取り出して、冷蔵庫の牛乳を注いだ。
「やっぱ朝は牛乳だよねー」
ごくごく、と私は一気にグラス一杯分の牛乳を飲み干した。
「いつものように豪快だね、お姉ちゃんは」
「そう?」
「うん。あ、そうそうバター付ける?」
「あ、いいよいいよ。私はプレーンで」
「はーい」
もう、ホントに紗枝は良い子だなー。もう、お姉ちゃんは泣けてくるよ。しくしく。
「そういえばお姉ちゃん、どっか行くの?」「うん。今から緑とデート」
「そっか、いいな〜。緑兄ちゃんとはうまくいってるんだねー」
「そりゃ、当たり前よ。今までずっと一緒だったんだから」
「私も緑兄ちゃんみたいな彼氏欲しいなー」
「じゃ、隼でも奪ったら?」
「そ、そんな! 久美姉ちゃんに殺されちゃうよっ!」
おお、おお。そんなに慌てて、かわゆいのう我が妹よ。
「じゃ、あきらめるのね」
「えー、なんでー?」
「だって、紗枝の彼氏第一号は私なんだもーん♪」
そしてまたも紗枝に抱きついて頬ずり。
「紗枝が彼氏つくるんだったら私と別れてからだから〜」
「そ、そんなー」
紗枝はちょっとだけ抵抗を試みながらも、諦めて落胆の声をあげた。
「ま、冗談だけどね」
私はトースターから出来上がったパンを一枚手に取ってそのまま口へと運んだ。
「うぉう、近所のパン屋、また腕があがったな?」
私がそうコメントすると、すかさず紗枝も頷いて、
「そうなんだよ。なんか最近あそこ新人さんがはいったみたいで、パンが一気においしくなったんだー」
「へぇー、ご近所としては嬉しいかぎいりですなー」
私はあむあむとトーストを齧りながら時計を見た。
「あっちゃー、もう10時か〜。時間は早いねー」
「お姉ちゃんはいつ待ち合わせしてるの?」
「ん? えっと確か9時」
「え!? じゃ、もう遅刻じゃん!」
「うそうそ、11時にタカミヤマで待ち合わせ」
「もぅ、からかわないでよ」
紗枝はちょっと怒ったのかそっぽを向いて、自分用の牛乳をコップに注いでいた。
ちなみにタカミヤマというのはここ最近できたばかりの大型デパートで、映画館からプールまで楽しめるといったこんなド田舎にはもったいないほどの建物なのだ。
それでもって、実際にも利用客は多い。というよりわざわざ隣の町や市からそこだけを目当てにやってくる人のほうがここに住んでいる人たちより多い。
そこで今日、私と緑は映画を見る約束をしている。
「あ、そうそう。紗枝ちゃん制服着てるけど学校行くの?」
「うん。今日は生徒会の会議があるから」
「そっかー、紗枝ちゃん書記やってるんだもんねー。マジメマジメ」
「そ、そんなことないよ。ただ私は少しでも皆の役に立てるんだったらって言って立候補しただけなんだから」
「けなげだね〜。もう、ほんっとにけなげだね〜」
「もう、茶化さないでよ」
「茶化してない茶化してない。事実、事実」
「もう。ほら、そんなことばっか言ってないでそろそろ出ないと間に合わないよ?」
「はぁーい」
私は残りのパンを食べ終わって牛乳を飲み干して洗面所へと向かった。
歯をもう一回磨いて、服装と髪をチェックして私は家を出た。
ちなみに私の家族構成は妹の紗枝が一人。お父さんとお母さんは小物店と畑を両方している。ちなみにお母さんは今妊娠中で五ヶ月に入った。
私の両親と緑の両親も仲が良くて、久美と隼の親とも交友関係にある。
とはいってもこの町全員は家族みたいなもので、私たち子供も自然とそうなってくる。
だから私たちの生活はとても平和で充実してる。ニュースでよく都会のほうではいじめとか虐待とか報道されているけどそんなものとはまったく無縁なのだ。
「〜〜〜〜♪」
私は鼻歌交じりに歩道を歩きながらタカミヤマまで歩いた。
途中、近所のおばさんやクリーニング屋のお兄さんと挨拶をしながら無事に約束の十分前にはつくことができた。
でも、というより予測通り緑はもう来ていた。
「あ、緑―」
「よっ、梨香」
緑は白色のシャツに青いパーカーを羽織って、ジャージにスニーカーといった服装をしていた。
「なんだよ、梨香。なんか今日はやけにご機嫌だな」
「うん、今日の私は絶好調」
「そっか。じゃ、行くか?」
「うん、レッツゴー」
私は緑の腕を取って、一緒にタカミヤマの中へと入っていった。
「へぇ、毎回のように思うけどここはでかいなぁ」
「そうだねー」
「ちょっと寒いか……」
「だったら私が温めてあげるよー」
「ちょっ、そんなに抱きつくなよっ」
「いいじゃん〜」
私が上目遣いで緑を見上げると、緑は黙りこくって頬が火照ってきているのがわかった。
「じゃ、いくぞ」
「うん」
私と緑はタカミヤマの10階にエレベーターで辿り着いて映画館というより映画ブースみたいなところへとはいった。
「今日が確か試写会なんだよね?」
「ああ、滅多にないぞこんなチャンス」
「どこで手に入れたの?」
「ん? ああ、隼からもらった」
「隼から?」
「なんか、あいつ久美と行くはずだったらしいけど都合が悪くなったっていってな」
「ああ、あの二人また先週まで喧嘩してたしね」
「ああ。でも、まあ今はもう仲直りしたけど今さらチケットは返さなくていいって」
「男だねー、隼は」
「そうだな」
「でさ、なんていう映画なの?」
「刹那の狩人」
「え?」
「アクションホラー映画だ」
「えぇー!?」
「ん、どうした?」
「わ、わ、わ……」
「梨香? あ、梨香はこういうの苦手だったっけ?」
緑は急に慌てながら私の顔色を伺いながらあたふたし始めた。
「私がちょー見たかったやつだー」
「そ、そうなのか?」
「うん!」
「ふぅ、良かった……」
「ありがとー、緑―」
私は緑に抱きついた。でも当の緑は、
『ホントは隼のおかげなんだけどな。ま、いっか』
と呟いていて、もちろん私に聞こえないわけがなかった。
「でも、チケット渡してたんだからタイトルぐらいはわかってただろ?」
緑が率直にそんなツッコミをしてきたから、
「もちろん、さっきのはただ知らないふりしてただけー」
「またなんだってそんなことを……」
「緑の慌てた顔見たかったからー」
暫くの沈黙、そして緑の溜息。
「はぁ……。そんなことかよ」
「ま、いいじゃんいいじゃん。とっとと入ろー」
「ちょっと、引っ張るなって!」
私は緑の手を引いてさっさとチケットも従業員に渡した後、席に着いた。
「知ってた緑? 映画館ではね真ん中より一、二列後方のほうがベストなんだよ」
「へぇ、そうだったのか……」
映画はようやく始まって、私は緑がトイレに行くついでに買ってきてもらったポップコーンを片手に鑑賞した。
いやー、アクションはいいよね。なんかこう、躍動感溢れる人間像を描いてるし、私自身も高揚感高まるーみたいな。
緑も結構はまってきて、終いには最後のクライマックスで主人公がお約束の敵を倒した瞬間ガッツポーズなんかを作ってた。
映画館から出て、私は目をうるうる輝かせて、
「よかったね〜、おもしろかったー」
「ああ、やっぱり最高だよな。でも三時間はきついな」
ちょっと目尻を揉む緑の横顔を覗きながら私は尋ねた。
「ねぇねぇ緑?」
「ん、なんだ?」
「私、このままだと眠れそうにないからゲーセン行こ!」
「え? ま、まあいいけど」
「それじゃ、レッツゴー!」
「ってうぉい! また、このパターンかよ!」
「ごちゃごちゃうるさーい!」
私は緑の手を引っ張って、同じフロアにあるゲームセンターまで走った。
途中で店員さんに「お客様、店内で走らないでください!」って言われたけど、今のアドレナリンばんばんの私には何を言っても無理なのだ。
早速ゲーセンに辿り着いた私たちは、というより私はバイオハザードの新作機にコインを入れ始めた。
「やるよ、緑!」
「げっ、このゲームってまだ誰もクリアしたことないっていうやつじゃ」
「私の手にかかればこんなもん! ちょちょいのちょいよ!」
私は大型ゲーム機に繋がれた銃の模型を手にとって画面へと構えた。
それにしたがって緑も2P用の銃を手に取って画面へと向けた。
目の前の大型スクリーンにGAME STARTと表示されて、いきなりゾンビが襲い掛かってくる!
「死ね、死ねー」
私は余裕綽々に出てくるゾンビ一体一体をブッ飛ばしていき、緑も順調に私の後を追ってくる。
ゲーム開始40分で私は新しい武器を手に入れた。ガトリング銃。
「なはは〜、散れ、散れー」
「くっ、やべっ!」
私が豪快に弾丸をブッ飛ばす横で、未だに拳銃を使ってる緑は四苦八苦していた。
そしてその一時間後、私と緑の目の前に、GAME OVERの紅い字と共に終わった。
「そんな〜、まだまだいけたのにー」
「い、いや、CONTINUEしないでここまでこれたなんて奇跡だよ奇跡」
たしかに緑の言うとおり、このゲームは終わるところを知らなかった。でも、画面上にはNEW RECORDという文字が浮かび上がった。
私は銃を使って自分と緑の名前をインプットしてゲームを終えた。
そしたら今まで私たちの奮闘ぶりを見守っていた他のお客さんが一斉に温かい拍手を送ってくれた。
「いやー、すごいよ二人共」
「お見事です!」
「華麗な銃さばきだったねー」
「すげぇー!」
などなど、称賛の声は止まることを知らなかった。
私は緑に振り返った。すると緑は呆然とした表情をしながら他のお客さんから握手を求められたりしていた。
「緑!」
「えっ、あっ、なに?」
「私たちってすごいんだね!」
「え? あ、ああ、そうみたいだな。まさかここまでだとは……」
「うん。はぁ、気持ちよかったー」
私は背伸びを一回して、肩の疲労を逃がした。
「満足したか?」
「うん」
「よし、それじゃ飯食べて帰るか」
「そうだねー」
たったった、と私は緑の傍に駆け寄って左手を握った。
緑も嫌がらずに私の右手を握り返してくれた。
「で、何が食べたいんだ?」
「んーと、焼き鳥」
「おっ、久美の親がやってる?」
「そうそう」
「よし、じゃ早速いくか」
「レッツゴー」
私と緑はタカミヤマを出て、そのまま久美の両親が経営してる焼き鳥屋まで歩いていった。
六月な為、昼ごろになれば自然と温度は上がる。
今は四時ごろで、私たちは夕食を久美のところで食べるつもりだからそれまで時間をつぶさなきゃならない。
「どこ、行く?」
緑もこのことはわかってるのか、私と同じ疑問を口にしていた。
「うーん……どうしよっか?」
「じゃ、ちょっと公園に行かないか?」
「え、なんで〜」
「ちょっと、見せたいもんがあるから」
「なに〜?」
「それは見てのお楽しみ」
「ずるーい」
「ずるくないだろ、それにいっつも梨香が俺にやることだし」
「そう?」
「ああ。ほら、いくぞ」
私は緑に先導されながら後を小走りに追いかけた。でもちょっとだけ緑が苦笑いを浮かべていたのにはひっかかった。
ということで着いたのがタカミヤマより徒歩10分のこの町で昔から唯一の名物として存在している叶公園。
ここに来て約束を交わしたカップルは必ず願いを叶えることができるっていう戦前からの言い伝えを残す大きな公園である、叶公園。
「そういえば私たちも緑が告白してくれた時ここだったよねー」
「そうだったか?」
「うん。そうだよ〜。それにとぼけても無駄」
「う……」
「それに覚えてる? 私たちが約束したこと?」
「言わなきゃ駄目か? やっぱり?」
「うん」
「ぐっ……」
「いいよ、いいよ〜。あんまり声に出していうもんじゃないしねー」
「そうだよな、うん、そうだよな」
緑、自分で最初に言ったのにそんなに恥ずかしかったのか?
ま、私も聞いたとき恥ずかしかったけど。
でもそういったことを素直に率直にいってくれたこと、それがうれしかった。
「あ、あそこでクレープ売ってる〜」
私は両手を重ねて上目で緑を見つめた。
「わかったよ、欲しいんだよな?」
「うん、うん!」
緑はポケットから小銭を取り出してクレープを売っている屋台へと向かっていった。
私は近くのベンチに座って脚をぶらぶらさせながら緑が帰ってくるのを待った。
「ほい」
「わぁ、ありがと〜」
「イチゴでよかったよな?」
「うん、ありがとー」
私は緑からイチゴクレープを受け取って、ぱくっと一口食べた。
「でもこんなの食べて、焼き鳥食べれるのか?」
「私にとってクレープは空気と同じ!」
「そっか、別腹ってことか……」
「緑は食べないの?」
「俺? 俺は、うーん、あんまし甘いもの食べれないからな……」
「そうなんだ〜。やっぱりそればっかりは三年間かわらないんだねー」
「そんなこというなよ。これでも結構食べれるようになったんだから」
「そうだね〜。前はやっとクッキー食べれるようになったんだもんねー」
「ああ。なんとか克服した」
緑は自信満々にそういって、私はそれを和やかな目で見つめた。
「ん、どうした?」
「クレープ口移しで食べさせてあげよっか〜?」
「え? い、いや、それは、ちょっと、な?」
「な? って私は構わないよー」
私はクレープをちょっと多めに噛んで、それを緑の顔に向けた。
「い、いや、梨香待て。落ち着け。えーっとだな、そういうのはこういった場所じゃ……」
「冗談なのに〜」
あむ。っと私は少し大きく口からはみ出たクレープを食べた。
私はもう一口クレープを口にしながら、
「あんなに必死に慌てるなんて〜。緑、こどもー」
「梨香が言うと冗談に聞こえないんだって」
「そう?」
「そう」
「そっかー。じゃ、ホントはOKだったんだね〜」
「い、いや、それはだな!」
「冗談だよ〜」
「ぐっ……」
見事に緑の顔は夕陽に負けずと赤面していた。
「夕陽が綺麗だねー」
「ああ。そうだな」
「三年前もこんな感じだったけー?」
「そうだったかな。でも少し早いかな。あの時は六時ぐらいだったし」
「今は何時なの?」
「五時半」
「じゃ、ちょっと早く食べよっと」
「いいぞ急がなくても」
「だって緑、見せたいものあるんでしょー?」
「あ、ああ。でもそんなに焦らなくたって……」
「焦りたいの」
「そ、そっか……」
私はぱく、ぱく。と頑張ってクレープを完食して包みの紙をゴミ箱に捨てて緑の座るベンチへと戻った。
「じゃ、連れてって」
「ああ」
緑はそういって腕を私のほうへと伸ばして、私はすかさずその手を握った。
緑は優しい笑みを浮かべてたけど、それは夕陽のせいか、少し陰った笑みに見えた。
私は緑に先導されるままに公園の高台の方へとつれられていった。
この高台は見晴らしが良くて、今じゃちょっと高いビルとかが目立っちゃうけど私たちの町を見渡せる。
確かここは……。
緑は私を握る手にちょっとだけ力を入れて自分のほうへと私を振り向かせた。
「梨香」
「なーに?」
「ごめん」
「え?」
「俺は梨香との約束を少しだけ先延ばすかもしれない」
「………」
私は苦渋と後悔の色を顔に浮かべながら私の顔は直視せずに声を絞り出していた。
私は緑から手を放して、両手で緑の頬にあてた。
そしてそのまま私の顔の前に向かせて、私の唇を緑の唇へとあてた。
三秒ぐらいそのままでいて私はゆっくりと唇をはなした。
「梨香……?」
私は多分涙を出してるんだと思う。でも、ゆっくりと心から笑みを浮かべた。
「いいよ、私待ってる。でもあんまり遅いと私のほうから迎えに行くからね」
私の言葉を緑は正面から立ち向かって、頷いてくれた。
「ああ。絶対帰ってくる。梨香が卒業するまでには帰ってきてみせるから」
「あの時の約束、忘れちゃ駄目だからね」
私の頬を目尻に溜まった涙が雫となって流れた。
緑も私同様に目を潤しながら、私を見つめ返している。
「緑は泣いちゃ、駄目だよ……。泣いて良いのは私だけ」
「ああ」
緑の瞳の中で私の顔が浮かび上がっている。
私は哀しいはずなのに、でも心の奥では暖かい激流がこみあげてくる。
「梨香……。ごめん」
私は涙をふき取って、
「なに言ってるの〜。私に謝るときは約束が守れなかったときだけでしょ! 私は最初から覚悟できてたんだからー」
私はちょっとだけ意気込んで緑をたしなめた。
でも、やっぱり哀しくて、恋しくて、悲しくて……私の口からは涙が零れた。
私は勢い良く緑に抱きついて、泣いた。声を出して泣いた。
「うぅ、悲しくないし淋しくもないんだから! とっとと行って、とっとと帰ってこないと許さないんだから!」
泣きじゃくる私を緑は優しく、でも力強く抱き返してくれた。
「ああ、わかってる。大丈夫、俺は絶対戻ってくる」
「絶対だからね!」
「絶対だ」
私と緑は互いに見つめあって、今度は緑の方からキスしてくれた。
ちょっと涙の味がしたけど、それは今までで一番、哀しくて、優しいキスだった……。
私たちはその後、高台から降りて、久美の焼き鳥屋まで手を繋いで行った。
でも、私たちの間で言葉が交わされることはなかった。それは、初めてお互いのことを理解しようとしていたからかもしれない。
でも、久美の親が開いているお店に着くときには私たちはそれを一旦胸の中へと押し込めていつもどおりに店に入った。
「おばさん、おじさーん! また、きったよー」
私はがらがらっと戸を開けてもう片方の腕を振りながら入った。
「あら、梨香ちゃん。いらっしゃーい」
「おう、坊主! よくきたな!」
「どうも、お邪魔します」
緑は久美のおじさんに一礼して私はおじさんとおばさんに尋ねた。
「あれ、久美は〜?」
「あ、久美はね、今出てくると思うわよ」
久美のおばさんはそういいながら、ビールのジョッキを他のお客さんのところへと運んでいった。
一分もしないうちに久美がここのお店の作業員用のエプロンをしながら現れた。
「あ、久美!」
「あ、梨香! 緑くんも一緒に、どうしたの?」
「ここで夕飯にしようかとおもってな」
緑は笑みを浮かべながらそういって、
「そっかー、いいよ、じゃあいつもの席ね」
「うん、よろしくー」
「はいはい」
久美は笑顔で了解してくれて、私たちがいつも使ってる店の奥の席へとエスコートしてくれた。
久美はエプロンのポケットから紙とペンを取り出して、
「なんにしますか、お客さん?」
久美はこのエプロンをつけると瞬く間に口調が若干おじさんくさくなる。
でもそんな久美もかわいいので私は許す。
「じゃあ、いつもので!」
「そちらのお相手は? なんにいたしやすか?」
「じゃ、俺もいつもどおり頼む」
「了解!」
久美はおじさんに私たちのオーダーを伝えて、なにか少し口論した後私たちのところへと戻ってきた。
久美はエプロンを外して、私の席の隣に座った。
「久美、どうしたの?」
私は久美に聞いたら、
「どうしたのかは梨香と緑くんの方でしょ?」
「「え?」」
私と緑は同時に同じ言葉を言っていた。
「え? じゃないよ。二人共どうしたの? なにかあった?」
久美はやっぱり鋭いな……。やっぱり黙っているわけにはいかないしね。
「うん、ちょっとね。私たちの約束を叶えよかなって……」
私がそういうと、久美はちょっとだけ顔を曇らせて、でも笑顔で言ってくれた。
「そっか。緑くん、約束果たせなかったら私が引っ張り戻るからね」
「久美、私とおんなじこと言ってる……」
私がそういうと、緑も少し顔を綻ばして、
「大丈夫。俺は絶対帰ってくるから。梨香の下へ、皆の所へな」
私は緑を直視しながら、久美へと振り向いた。
「なんでこんなこと根拠なくいえるんだろうねー、もう私、自分が惨めになっちゃうよ〜」
「あー、よしよし梨香。大丈夫だよ、緑くんが向こうで餓死しちゃっても私がついてるから」
うぇぇぇん……! と泣きながら私は久美に抱きついて、久美も私の頭を撫でながらそういてくれた。
「おい、待て! 俺を勝手に殺すな、それに梨香……!」
私と久美はお互いに舌を出し合って、緑はまたか! といった顔をした。
「やっぱりここは緑が戻ってこなかったらおじさんに頼んで緑刺しを作ってもらおっかな〜」
「やめてくれ、久美のおっさんならやりかねないから……」
「冗談。でもね、緑」
私の口からは本心が告げられていた。
「やるからにはちゃんとやってきてね」
久美もさっきまでつくっていたにやけ笑みを止めて、緑の方へと視線を向けた。
緑も私のことを正視して、ゆっくりと、でも力強く頷いて言葉を紡いだ。
「ああ、絶対だ」
「うん」
私もそれが嬉しくて頼り強くて頷いた。
それを横で見つめていた久美は、
「私も隼くんとここまで愛し合えたらな。でも、じゃあ今日はうちのおごり! バンバン食べてって!」
「久美、ありがとー。やっぱり久美が一番だよー」
「あぁん、梨香も私の一番だからー」
私と久美が抱き合って和気藹々していたら、緑が自分の腹を片手で押さえながら。
「悪いけど、早く食わしてくれないか? は、腹が……」
「あ、ごめんごめん! じゃ、早速持ってくるから二人は待ってて。私も後で一緒に食べるから。それに隼くんもよばなきゃね」
「うん、今日は緑の送別会だ〜」
久美はそういって席を立ち、携帯を片手におじさんのところまで戻っていった。
おじさんが「店で携帯する奴がいるかー!?」と久美に怒鳴っているのを久美が逆に、「いいでしょ! 今日で緑くんとお別れなんだから!!」と怒鳴り返しておじさんを説き伏せた。
というより怒鳴り伏せた? ま、いっか。
私は二人きりっていっても店にはほかにも人がいるけど、緑の手を自分の手でテーブルの上で包んだ。
「どうした、梨香?」
「ううん、なんでもない。ただちょっとね。わかってても、理解してても、やっぱりさびしいから………」
「梨香……」
「だからってここで緑が自分で決めたことチャラにするんだったら絶対許さないから。私を一回泣かせたんだよ? この代償はあの時の自転車の何億倍もするんだから」
緑は私が被せていた手から逃げて、逆に私の両手に自分の手を重ねた。
「ああ。梨香に悲しい想いをさせるのはこれっきりだ」
私と緑との間には静謐な時と交わる視線が交差して、それを打破したのは香ばしい匂いを醸し出すできたての焼き鳥だった。
「はいはい、梨香も緑くんもラブラブなことは店の外でやってね。今からパーティなんだからしんみりした空気はごめんだよ!」
「久美ってお店にいるときはテンション高いよねー」
私は久美が運んできてくれたレバーを食べながら口にすると、
「そうでもない!」
「やっぱ、高いな」
と緑も私の意見に同意してくれた。
「えー! そんなことないよ!」
久美が自分のことを弁明しようと声を荒げた時、店の戸が開いて、
「こんばんわー」
隼が現れた。
隼の姿を捉えた久美のおばさんは愛想のいい声で
「あら、隼くーん、いらっしゃーい」
そして隼の名を耳に入れたおじさんは、
「なに、隼だと!? この、娘ったらしめ! とっととでていけ!」
と叫びながら焼き鳥用の串を何本も隼に向かって飛ばして、その全てを隼は手でキャッチした。
「これはお返ししときます」
と、隼は投げられた串全てをおじさんに戻した。
「きー!!」
おじさんはそんな奇声をあげながら隼から返してもらった串をバキッ! っと折った。
隼は私たちの姿を見つけると、片手をあげながら近寄ってきた。
「俺、遅れた?」
隼はそういいながら緑の隣の席に座り、
「ううん、まだまだパーティーは始まろうとしてるんだよ隼くん」
「そっか、そりゃいいタイミングに来たな。電話ありがと、久美」
「私を誰だと思ってる? 隼くんの彼女なんだから!」
「はは、やっぱ久美はここだと気分上々だよな」
隼は笑いながら隣に立つ久美の頬に手を当てて、微笑んだ。
「なんで隼くんまでそんなこというのー、私は普段通りなのに……」
と不平を漏らしながらも久美は他の焼き鳥を取りに戻っていった。
久美が立ち去ったのを見届けた隼は先ず私のほうへ向いて、緑のほうへ振りかえった。
「やっぱり、行くのか?」
隼の視線は真剣そのもので真っ直ぐだった。
「ああ。明後日、かな」
「……そうか。ま、頑張って来いよな。お前には梨香が待ってるんだしな」
「言われなくても判ってるよ」
隼はそっか、と呟きながら今度は私のほうに再び顔を動かした。
「梨香も大変だな、こんな自由奔放みたいな奴の彼女になって」
「ふっふーん。私と緑は目に見えるほどの赤い糸で結ばれてるから問題ないもんね〜」
「お前達、ホントいいカップルだよ」
隼はなにか大人げっぽくなった感じ風に思いを口にしていた。
「隼だって久美とうまくいってるじゃない。なんやかんや言ったって」
「当たり前だ。なんたって俺は久美のかけがえのない存在だからな」
「お前、良くそんなクサイこといえるな……」
緑が呆れ気味にそうコメントするものの、それは緑だって負けていないような気がする。
でも、あえて口には出さない。だって私はそんな緑の言葉が好きだから。
「おまたせー! 今日は特別大サービス! 軍鶏の焼き鳥!」
「「「おぉーー!!」」」
私たち三人は揃いに揃いながら幻の軍鶏の焼き鳥を前にして歓喜の声をあげた。
私たち四人はその後、わいわい叫んだりしながら結局夜の11時まで喋ったり、笑ったり、食べたりしながら過ごした。
そして四人でワイワイしていたら、我が校が誇る人気度トップの美人三人衆の神木先生、恭子ちゃんとみっちゃん先生が店にやってきた。
三人は私たちが騒いでいるのを一目見て、
「あ、皆さんご一緒ですか?」←神木先生
「お前ら、明日学校だぞ!」←恭子ちゃん
「楽しそ〜、私たちも混ぜて混ぜて」←みっちゃん先生
私たちは机を連結させて、合計七人でどんちゃかすることにした。
恭子ちゃんは最初は熱血型だから私たちに非を向けてたけどみっちゃん先生の押しと神木先生の穏やか振りに最終的には一番うるさかった。
と、いうのも、
「あれ、恭子ちゃん、顔が赤いよ?」
みっちゃん先生が恭子ちゃんの顔色を伺いながらちゃっかり恭子ちゃんのグラスにウイスキーのチューハイ割りをぐびぐび注いで、
「ま、飲みねー飲みねー」
と、恭子ちゃんを巧妙な口技で操りながらがぶがぶ飲ませていた。
そして案の定、恭子ちゃんはお酒には弱いタイプでそれをみっちゃん先生が面白おかしく操っていた。
さすがは秀才の若手音楽教師。他人の旋律に割り込む方法を熟知している。
そんな二人を暖かく見守りながら神木先生は私と緑の方へと顔を向けた。
「日高さんに守谷くん」
「なんですか、先生?」
「はい?」
私と緑は顔をさっきまで恭子ちゃんの壊れっぷりに笑いを浮かべながら神木先生に顔を合わせた。
「守谷くん」
「なんですか?」
「日高さんを置いていっては駄目ですよ」
「「え?」」
私と緑の声が重なった。
「女の子は大事な人が離れるのは辛いけど、置いていかれるのはもっと耐えられないからね」
緑は顔はまだ硬直したままでも、瞳には決意の色が映し出されていた。
「はい」
「そう、よかったですね、日高さん」
「はい! もう、緑は最高ですよ〜」
神木先生は穏やかな笑みを浮かべてみっちゃん先生と恭子ちゃんをなだめるために振り返った。
そして、極秘の計らいによって出されたチューハイのおかげで私はほろ酔い気分に浸っていた。
そんな私を緑が今、家まで送ってくれている。っていっても、緑の家は私の家の隣だから帰り道は一緒なんだけど。
「ねぇ、緑〜」
「どうした」
「よっちった」
「そうかいそうかい、それは一目瞭然だよ」
「そう?」
私は多少千鳥足気味になりつつもちゃんと平衡感覚を保ちつつ緑に問うた。
「あさって、なんだよね」
「ああ」
「じゃ、あしたは私、緑とは会わないよ」
「そう、か……」
「だから悪いけど、明日は自分でお風呂に入ってね」
「なっ! おい、梨香、お前いい加減にしないと!」
緑は声を荒げながら私の方を振り返って、言葉を止めた。
「お、おい。梨香?」
「何遍も言ってるようでくどいけど……緑の夢は私の支えだよ」
「ああ、わかってる。梨香が俺のことを想っていてくれるかぎり、俺は諦めない」
「そう。よかった、それが聞けて」
私は緑の隣からちょっと小走りに駆け出して、もう目の前にある自分の家の玄関の前まで辿り着いた。
「じゃあね、おやすみ♪」
「ああ、あさってな」
「うん」
私は街灯に照らされた緑の顔を一目見て、家の中へと入っていった。
私は自分の後ろで扉を閉めて、自分の足元を見た。
視線はそのまま足の方へ向けられているのに、私の視線は遠くを見つめている。
「緑……」
自然と口から漏れたその名前は、儚くて、消えそうで、でも暖かくって、落ち着ける。
私はそのまま玄関で蹲って、泣きながら笑っていた。
その笑みは心の奥から滲み出てくる緑へのやさしさときぼう。泣きながら零れる嗚咽は自分へのいつわりとふがいなさ。
明日は緑には会っちゃ、駄目。
明日は外にも出ちゃ、駄目。
明日は携帯を見ちゃ、駄目。
そう言い聞かせた後、私はゆっくりと立ち上がって安定のある足取りで自室へと戻った。
自分の部屋に入って、私はポシェットを床に落として、そのまま弧を描くようにベッドの上へと倒れこんだ。
翌日。
「お姉ちゃーん、どうしたのー?」
私の部屋の外からは妹の紗枝の声が不安げな色に染められながら聞こえてくる。
「だいじょーぶ?」
ああ、愛おしくて抱きしめたくなる紗枝。でも、ごめんね。今日はあなたと会うことはできないの。だから、今日一日は我慢してね。
「お姉ちゃーん?」
私は机のひきだしから勢い良く一枚の紙と一本のペンを取り出して文字を綴り(つづ)、自分の部屋の扉からその紙切れを向こう側へとスライドさせた。
「え?」
紗枝のそんな声が聞こえて、紙を地面から拾う音と共に紗枝がその文章を読み上げる声が続いた。
「紗枝へ、ごめん今日は部屋から出られない。でも大丈夫、私のことは心配しないで。愛してるよ紗枝。お姉ちゃんより」
紗枝が読み終えると、小さく、
「お姉ちゃん……」
と呟いたのが聞こえてきた。
私は扉の向こう側へ出たくなる衝動を抑えながら、せっせと手を動かせた。今日はこれが完成するまでは寝ない!
「ぐぅおおおおお!!」
私は雄叫びをあげながら作業に没頭した。
そんな私の声が聞こえたのか、紗枝が下へ下りていく足を止めて、
「お姉ちゃん、ガンバ!」
と、嬉しいことを言ってくる。私にはその時、百倍以上のベクトルが働いた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
そして、その翌日。
朝、暖かい陽光が窓から木漏れ日を浴びせ、私は自分の机の上で目覚めた。
「うぅぅぅぅん……」
私は目を擦りながら、近くにあった目覚まし時計を手に取って時間を見た。
9:30
九時、三十分……?
私は机の上においてある小型カレンダーを見た。
今日は6月28日。これはカレンダーに赤い花丸が書かれているからわかる。そして花丸の中には黒いボールペンで時刻が言葉と一緒に記されていた。
《緑の出発 10:00》
私の思考は一旦、停止して、ゆっくりとねじが動き始めた。
「そんなぁ!」
私は脇目もふらずに、一心不乱に今来ている服を脱ぎ散らし、昨日念のために用意しておいた衣服に即効に着替えた。
そして、昨日徹夜しかけそうになりながらもつくりおえた緑へのプレゼントを片手に部屋をでた。
一階に下りると、今日が月曜日なだけに制服を着た紗枝が振り返って、
「あ、お姉ちゃんおはよー」
「紗枝! 悪いけど高校に電話しといて! 私、今日遅刻するって!」
「え? な、なんで!?」
しかし、私は紗枝の質問に答えずに玄関から靴を履いて出た。
そのままの勢いでガレージに向かって自転車(新しい)のを取り出してこぎはじめた。
私はペダルが壊れるのではないのかと想うぐらいに全速力で駅まで目指した。
緑は今日、遠い所へ行ってしまう。
それは私は到底行けない場所で、行ってはいけない場所。
そう、今日緑はアメリカへ行ってしまう。
ちなみにここには空港はないから緑は東京に向かうために今日の10時には電車に乗らなければならない。
緑は昔から、小さい頃から夢見てた。いつかはアメリカへ行って、宇宙を勉強したいって。
だから緑は今までずっと頑張って勉強してきた。だから地学の成績は高校では常にトップなのに他の教科はいまいちだ。
そんな緑の願いが叶ったのはつい最近みたいで、それもこの町が都市化され始めたからといっても過言ではない。
だから少しは町長には感謝してもいいかなっ、なんて二日前に緑から事情を聞いて思った。
緑は向こうの宇宙開発機関で二年間の留学期間をもらった。アメリカは入学式が八月からみたいなので準備も兼ねて緑は今日、旅立ってしまう。
でも、それは緑の夢で、叶えるのは今しかない。緑が私にプロポーズしてくれたときも、自分の夢を打ち解けてくれて、私も覚悟はしていた。
でも、怖かった。頭では理解しても、いざとなったら割り切れない感情がどんどん溢れかえって自分の足場が崩れるんじゃないかって思うと、怖かった。
でも、今は判る。だって、私も約束したから。そして緑も約束してくれたから。私の足場はもうすでに固められてたんだって緑が気付かせてくれたから。
だから、私は今、この瞬間、自転車を走らせた。自分の限界を超える速さで。もっと、もっと早く。
駅は私の家からは15分も自転車でかかる。私は焦燥感に掻き立てられつつもそれに押されるかのようにペダルに思いっきり力を入れていった。
そして長い田舎道をはしって駅に到着した私は自転車を放り投げて改札口を飛び越えた。
駅のホームに出ると、そこにはボストンバッグとトランクケースを持った緑の姿があった。
緑は片手に携帯を持って、画面を眺めていたけど私の気配に気付いてゆっくりと顔を上げた。
「梨香……!」
「緑〜!」
私は思いっきり緑に抱きついた。付き合ってから何回目だろ、抱き合ったの? でも、これは今までで一番つらいかもしれない。
駅のホームには誰もいなくて、私はそのことを真っ先に聞いた。
「ああ。皆には帰ってもらった」
「どうして?」
「今日は月曜日だし……。それに、梨香と二人っきりになりたかったから」
「ごめんね、ごめんね緑……」
「いいんだよ、だってこうして来てくれたんだからな」
「うぅ、でも……」
「もういいってば。だから、な? 泣くなよ」
「うん、わかった」
私は自分の片手に握っていたものに気付いて、それを緑に渡した。
「はい、これ」
「なに?」
「プレゼント。昨日は部屋にこもってこれつくってた」
「俺に?」
「ほかに誰がいるの?」
緑は私が渡した包み紙を開けて、中身を取り出した。
それは、ブレスレットだった。緑と私の名前が刻まれたプレートを取り巻くように惑星の模型を催した球が数珠みたいに並んでいる。
「梨香……」
「うん」
「ありがと……!」
緑は私を抱き寄せて、私は緑の胸の中に埋もれる形になった。
「うぅー、いぃあぇいあい!」
「あ、ごめんごめん」
「ふぅ〜、もう、強引なんだから」
「悪かった。でも、ありがとな」
「どういたしましてー」
私は笑顔をつくったけど、やっぱりまでちょっとぎこちない形になってしまった。
「本当に、行っちゃうんだね……」
「なんだよ、梨香。くどいぞ」
「でも、だって……!」
「うん、わかってる。大丈夫だから。な?」
「うん……うん!」
緑のちょっと大人びた表情を見上げて、私は安堵感に見舞われて落ち着いた。
そんな私たちの時を攻め立てるように、路線の向こうからは電車が路線を走りながら近付いてきた。
「くそ、もう時間か。梨香」
「なに? ………!」
緑は私の顎に手を当てて、自分の顔を私の顔に被せた。
緑の唇が私のと触れ合って、私は見開いていた目を閉じて緑に全てを委ねた。
緑は時間の許す限りまで私を放さずにいて、私もそれに応えるように緑の全てを受け取った。
唇を互いに離して、緑は力強く笑った。
「じゃあ、梨香。いってくる」
「いってらっしゃい、緑」
「ああ」
緑はホームに置いておいたボストンバッグとトランクケースを拾って電車の車両の中へと入っていった。
そして、プシューという音と共に、私と緑の間を一枚の鉄の扉が隔てた。
扉に付けられたガラス窓から緑は私を見つめ、私も見つめ返した。
『ちゃんと学校行けよ』
と、緑が言った。電車の中で緑は口を動かしたけどそれは音としては私には届かなかった。
でも、緑の口の動きはそう言っていた。
私はゆっくりと動き出す電車を、中の緑を見ながら。
「うん」
と頷いた。
すると緑は笑顔を浮かべて、手を振った。
私も手を振り返そうとしたけど、もう電車はそのスピードを上げて私の場所からは緑の姿はもう見えなくなっていた。
「緑……」
名前と共に私の目からは一筋の涙がすっと流れて、落ちた。
それから二年後……。
私は自分の机に伏して、窓から空を眺めていた。
「こら、日高! 寝るな!」
私を説教するのは古文の教師の恭子ちゃん。二年が経った今でもこの調子である。
「恭子ちゃん、怒るとシワが増えるって教えてるじゃーん」
私はいつもの調子で恭子ちゃんに挑むと、
「心配は無用だ。今はシワ殺しクリームを使ってる」
「うわっ、なんかこわーい」
「ええい、黙って授業を聞け!」
「私はずーと聞いてたよ〜」
「なら、あいなしの意味を言え!」
「あいなしとはそれつまりおもしろくない、もしくはかわいげがない。まるで恭子ちゃんみたい〜」
「ええい、黙れっ!」
いつもみたいに赤面しながら結局は恭子ちゃんは黒板に振り返って授業を続ける。
「もう、あんまきょんきょんからかっちゃ駄目だよ梨香」
「いいのいいの。いつものことだから」
「もう」
私の席の前には久美が座って、話しかけてきた。
高三になった今でも、クラス構成はほとんど変わらず、でも今は皆が必死こいて入学受験勉強モードに突入している。
古文の授業が終わって、恭子ちゃんが退室した後、私は教室の窓を開けて淵に肘をのせて空を見上げた。
隣には久美の姿があって、
「どうしたの梨香?」
「うぅん、別に〜」
「また緑くんのこと考えてるんでしょ?」
「まあねー」
「あれからもう、二年か……早かったね」
「そうだね」
「もう、そんな生気のない返事、梨香らしくないよ」
「だってー」
「気持ちはわかるけどね。私も隼くんとそうなったらって思うと、切ないから」
「久美〜」
「はいはい、よしよし」
私は久美に抱きついて、呻いた。
そしてその後の授業も終わって、私は帰路についた。今日は久美は隼とデートらしいから私は一人で帰り道を歩いている。
緑がアメリカへ旅立ってから二年が過ぎた。
緑からの手紙や電話は一つもなくて、でも私は我慢できた。だって約束したからね。
でも、やっぱり二年という月日は短いようで長くて、なんでか身長も2センチ伸びた。
私は大学に入る気はないから、親のお店の手伝いをしようかなと思ってる。先生にはどこでも受かるっていってくれたけど行く気がないからどうしようもない。
そしてもう一つ変化といえば、緑がいなくなってから私はよく空を見上げることが多くなってきたらしい。
自覚はなかったけど、言われてみればそうなのかもしれない。
今だって、私は澄み渡る青い空を見上げている。
こうやっているとなんでか心が安らいで落ち着く。もしかしたら緑のことを探しているのかも知れない……。でもたった二年で緑が宇宙に行けることはないのはわかっているけど、いつも見上げている。
きっと緑も同じ空を見ているのかもしれない。そう思うとなんでか和む……。クサイ台詞だってことはわかってたけど、離れてみて判る。
たとえクサクたって、心底相手のことを想うとそれはホントのことなんだって。
あれ? 私、誰にこんなこと話してるんだろ?
そんなことを考えながら歩いていたら、もう家についてしまった。
でも、私の家の前に一人の男の人が立っていた。
見覚えのあるボストンバッグにトランクケース……。そして左手首には私が二年前緑にあげたブレスレットが付けられていた。
「りょ、緑……?」
私の声が聞こえたのか、その人物は私の方へと振り向いた。
「梨香っ!」
私の名前を呼びながら、その人、緑は駆け寄ってきた。
「緑っ!」
私は学校の鞄を落として、緑に向かって走った。
緑は両手を広げて、私はその中へと駆け込んだ。
「梨香っ!」
「緑っ!」
ひしっと私たちは抱き合って、その時をしばしの間、共有した。
緑は私の顔を見下ろしながら、笑みをつくって口を開いた。
「ただいま」
その言葉を二年間、私は待ち続けてきた。
私は目尻に溜まっていく熱る(る)涙を必死に抑えながら、いままで言いたかった言葉を緑に紡いだ。
「おかえり」
私はもう一生手放さないという想いを込めながら緑の体を抱いた。
それは、私がこの二年間感じていた虚無感と孤独感を溶かすのに充分で、私はこの瞬間が永遠であることに気がついて、もう一回その言葉を口にした。
「おかえり、緑」
長い文章、読んでいただきありがとうございました。
お楽しみいただけたでしょうか? 友人に言わせると、これは私自身の理想の恋愛なのか? と尋ねられ、私は断固否定しましたw でも、こんなカップルがいたら幸せだと私は思います。