episode 1
episode 1
「大丈夫。君に期待はしていない」
そう言って綺麗に笑う彼女の横顔はどこか冷たく。
そして僕は何故か、彼女から目をそらすことが出来ない。
いつも。いつも。
まだ春の香りが残る頃だったと思う。 出会いは決して人様に自慢できるようなものでもなかった。
怪我をして仕事をしばらく休んでいた僕は、同級生に誘われ歓楽街へと足を運んでいた。
いつまでも休みというのは素晴らしい。時間を気にする事なく、〝今〟を楽しめる。
彼女に出会ったのは、僕がそんな呑気なふざけたことを本気で思っていたある日の夜だった。
平日の割に客の多いスナックに入った僕達は、通されたボックス席へと腰をかける。
綺麗やカワイイと言うよりかはいくらか愛嬌でうっているようなホステスが2人、カウンターの向こうに見えた。
顔見知りなのか、ボーイの男性と同級生はにこやかに話し始める。
僕は愛想笑いをしながら二人を見ていた。
「おーい、ミコ。こっち座れー」
ボーイがカウンターとは反対側の厨房に向かって呼びかける。
けだるそうに顔を覗かせた女。それが彼女だった。
低い声で失礼します、と棒読みな挨拶を吐き、僕の横に腰掛ける。ちらりと様子見した僕と目が合い、思わずどうも、と頭を下げると
彼女も軽く会釈をした。
「弥子です。はじめまして、宜しく。そしていただきます。」
淡々と自己紹介をしながら自分の酒を作る。僕はその手元をじっと見つめていた。
爪先にだけ色をのせたネイルに、太めの指輪が時々キラリと光る。
何かのお高い石とかではなく、僕も好きなカジュアルブランドのリングだったことをよく覚えている。
乾杯をして、まだ席に座ったままのボーイと4人で楽しんでいたのだが、彼女は黙々と酒を飲み続けていた。
口下手な僕はたいして話かけることもなく時間が過ぎていく。
しばらくすると客に呼ばれた彼女は別の席へ。僕らは男3人で盛り上がり、大いに笑った。
店も閉店間際になった頃、会計をしようと声をかけると彼女がふらふらと近づいてきた。
「あれ?お兄さん達帰っちゃうの?まだ早くない?」
クスクス笑いながら椅子に座る。どうやら酔っぱらっているようだ。
「もう閉店でしょう。弥子さんももう上がりですか?」
僕が話かけると、彼女はじっと僕の目を見つめた。
長い睫毛に黒目がちの瞳。すいこまれそうになるとはこういうことだろうか。慌てて目をそらした。
「飲み行こうよ。みんなで。君と、君と、私と。」
3人だった、とまたクスクス笑う。
「俺はいいけどお前は?」連れに聞かれ、大丈夫だと僕もうなずく。
「「決まり!行きましょ」ふらりと立ち上がった割にはしっかりした足取りの上機嫌な彼女を僕達は追いかけ、外へ出た。
恥ずかしいことに、ここからの記憶はあいまいだ。
次の店で飲みすぎたこと、彼女は歌がうまかったこと、よく笑うこと、そして、
「ねえ、怜。一緒に帰ろうよ」
いつの間にか名前を呼び合い、そして、同じタクシーで帰路へついたこと。
この日が僕にとっての転機であった。
気だるそうに上体を起こしてタバコに火をつける弥子を見て、僕もタバコに手を伸ばす。
ゆっくりはいた煙が彼女に纏わりついているように見え、それがなんとも艶めかしい。
「タクシー呼んでよ」
昨日の後半の彼女は別人だったのかと考えるほど低い声で二コリともせず呟いたことにいささか戸惑いつつも、
送るよ、と返せばありがと、とほほ笑んでくれたので少し安心する。
二日酔いなのだろう、時折こめかみを押さえながら帰る準備をする横で僕も慌てて下着を探した。
彼女を送り届け、来た道を帰りながら考える。
普通は連絡先とか聞いてくるもんじゃないのか?いや、自分が聞くべきだったのか?
勢いとは言え一晩共に過ごした相手にあんなに冷たくされたのは初めてだ。
だいたい慣れ慣れしくされるか、ベタベタひっついてくるか、次いつ会える?など聞いてくるかパターンは決まっていたのに、
彼女ときたら車をおりてからも、じゃあ、と手をあげただけであった。
そもそも、誘われたからそうなったのだ。据え膳食わぬは男の恥。
後に彼女はこの日のことをあっけらかんとこう言っていた。
「私、年上の人の体しか知らなかったから、あんたみたいな年の近い若い子はどんなんだろうなって思っただけよ。
ただの好奇心。別に顔も背格好もタイプじゃないし。」
ひどい言われようだ。
それでも好きだと思わずにはいられないのだから、不思議なものだ。
「また来たの」
呆れたように言われた僕は、へへ、と笑ってみせた。
「暇なのね、君。自分の家のお布団で寝なきゃ、疲れとれないでしょ」
「僕どこででも寝れるから平気」
「あっそう」
眠たそうに欠伸をしながら寝室へ行く彼女の背中についていく。
布団をかぶろうとした彼女を抱きよせる。
一瞬硬直したように思えたが、ふわりとやさしく僕の髪をなでてくれた。
不思議な女性だと思っていた。
只の肉体関係だけではなく、いつのまにか僕の心の拠り所となっていることを、
きっと彼女は知らないだろう。
「寝なよ。明日も早いでしょう」
大きく伸びをしながらトントン、と空いているスペースをたたく。
言われるがまま横に寝ころび、気付けば夢の中へおちていった。
僕が彼女に惹かれていったのはもはや言うまでもない。
普段の気だるそうな顔、寝ぼけた顔、酔っぱらった顔、
その時々で違った表情を見せてくれる女を、ひたすら欲しいと思った。
当の本人はそんな僕にとっくに気付いていたらしく、今となればただ手のひらの上で
転がされていただけのようだったが、そんなこともどうでもいい。
今自分の膝の上で携帯電話を触りながら漫画でも読んでいるのだろう、クスクス笑っている彼女は
紛れもなく僕の恋人なのだから。
見つめすぎたのかふと携帯から顔を上げ、僕に目をやる。
「なによ」
「なにもないよ。見てただけ」
「見るな変態。気が散る」
いやはや、本当にひどい言われようだ。
「弥子ちゃん。僕が幸せにするからね」
彼女は大きな目を少し見開いたが、クスリと笑ってこう言った。
「大丈夫。君に期待はしていない」




