世界知らずの君
純粋な貴方が、ここに来た。
そんな貴方の『無』を象徴とした色素のない瞳に、見事ながら魅入る自分が、いた。
世界知らずの君
貴方は、世界を知ることなく“此方側”へと魂を揺るがせた。此方側にとって貴方は罪に問われるものではないが、確かに少しばかり哀れな気も僕としてはある。
『わたしはだれ』
口から声などでる由もない。しかし貴方には、その言葉がお似合いだ。
言葉も知らないままにして貴方は運に敗れたのだから。
『わたしはなに』
そう、貴方は訴えかけてもいいだろう。
貴方は貴方自身の存在すら知りえないのだから。
疑問。それさえも生まれない『無』の中にのみ佇む貴方は、何故“あの世界”に入れなかった理を述べようと、何一つ変わる可能性はないのである。だからせめてもの救いとし、無意味だと理解しつつも僕は貴方に名前を与えた。
「貴方の名前は“メイ”といいます。貴方、メイは、命という漢字より名付けました」
その名前は罪を犯した無責任なる貴方の親に、一番理解してほしい言葉であり。
貴方に、一番大切にされるべきであったモノなのだ。
「メ…イ…?」
刹那、僕の耳に透き通った音が入った気がした。貴方、メイの声なのだろうか。
いいや、メイは話すことすら出来ない魂だという身なのだ。無論、声を発する訳もない。
空耳かと耳を疑いもう一度、白色のみが支配したこの場所に映る、メイの魂を視界に入れた。
そこには変化なきメイの魂のヒトガタが映し出されるのみである。
「貴方の魂の形は、嘗てなるべき貴方の姿、だったのです」
付け加え、教えこむようにメイへと台詞を告げる。
真実を伝えるべく、僕は貴方の目の前にて身を屈めた。
無意味、であるとは思うのだけれども。
貴方の魂は、他とは違う。
世界へ生まれることを許されないまま、此方へと来たのだ。
汚れた無責任の親の。勝手な行動行為によって。
「貴方は顔も知らぬ親の腹の中で死んだのです」
勿論、貴方の親に貴方の存在など脳の片端からもいずれ外されるのだ。
残された貴方。
世界の誰にも必要とされなかった、貴方。
世界の誰からも呼ばれることのなかった、メイ。
――――命。
この全てを理解出来た時に、貴方はどんな表情をするのだろうか。
どう、この真実を受け止めるというのか。
生みの母を、恨むのだろうか。
生き物を、恨むのだろうか。
計りしれない感情に、興味が湧いた。
「メイ…」
再びの空耳、いや、空耳ではない。透き通ったソプラノトーンの声。
メイの魂を凝視すると、間もなく彼女の魂の形は自ら光を放ち、僕の視界を遮った。
――メイ。
「わたしは、メイ」
はっと意識が戻る。我に返り、声のする方向へと顔を傾けた。
「わたしの、なまえは、メイ」
声を発する方角に立つのは、色を帯びた紛れもないメイの姿。
青色の、深く吸い込まれそうな瞳に人間離れした薄い水色の癖のある髪。
黒色の模様のない長袖ワンピース。白い肌。
そして、どこか人工的な、しかしながらも整った容貌。
これが、本来の、メイの、なるべき姿だというのか。
待て。
何故言葉が通じるのだ。
一度も、生き物の世界にその足で立ったことはないというのに。
「あなたは?」
彼女の表情には、恨みも何もなかった。
「僕ですか?」
一瞬にして大量の情報を取り込んだがために、情報処理のついていかない状況にて、思わず疑問に疑問を返してしまう。
「あなたは、誰?」
「僕は単なる……そうですね、死神と呼ぶのでしょうか」
魂が秩序なるものか混沌なるものかを、判別する存在。
すなわち、魂の管理者の一人。
「そう……死神さん。私にメイという名前をくれて、ありがとう」
そう彼女は笑った。
やはり、純粋なる魂に変化はないのであろう。
ただ、その言葉に儚さを覚えたがために、自然と口は動いていた。
「名前くらいそんな大したものではないです。貴方は生き物の世界に必要とされなかった、哀れな魂。全てに捨てられるなんて、悲しいことですよ?」
「悲しい……なら、」
一度俯きまた再び顔を上げた少女はまたしても笑う。
「なら、死神さんが、私を必要として下さい。そうすれば、私は悲しくなくなるでしょ?」
「……は?」
……全く、軽い発想である。
純粋な魂。
「それは、駄目なの?」
「いえ、そうではなくて、」
「じゃあ、良いでしょう?」
不意討ち。
純粋である世界を知らない貴方は常に笑顔でいた。
つまりは、悲しさを知らなかったのである。
―――世界知らずの君。