薔薇色の人生
ほえるってどんな感じなのかとクラスメートに質問されて、少年は顔を上げる。
反応する速度が少し早すぎて、隣席の女の子は笑いを堪えなければいけない。しかし、今はそんなことで気恥ずかしくなっている場合じゃない。なぜなら、この休み時間に彼の人生は初めて色つきになったから。
相手が同じ男子生徒であるということは問題じゃない。
相手は、成長不良ぎみの少年がそばに立たれると、じりっとくるタイプの大人びた男子だったが、今日はそこのところもいい。
今、問題だと思えるのは、うまく言葉が出てこないところ。自分が早くも途方に暮れそうになっているということ。一体どんないい方があるんだろう、オレの人生のどこを切り取って見せればいいんだろう、と。
少年は考えを巡らせたが、今だから話せると繰返す父親の口の動きがあったし、焼いている途中の食パンをトースターの中から取り出し、窓からマンションの駐車場に放り投げる癖がある姉との暮らしもそうだったし、それにいくつかの夕方だってそうだということができる。
級友の女の子が、靴擦れが何なのかわからない男子生徒のために、ノート一冊分を潰しているのを眺めていた日の夕方だってそう。少しの間椅子に置いていただけなのに鶴の形に折られていた体育祭のプログラムだけしか手元に残ってなかった日の夕方もそう。もっとずっと小さい頃、何かの記念日を手につかんでいて、それを自動車の排気ガスで温めていた日の夕方だってそうだと。
少年は再生回数なんか知りたくない。自分の頭が、連中が二度と考えもしないようなことでどれだけ回転しているのかなんて。
それから少年は、少し焼けたノートのなかで煮えていた連絡網を思い出す。親愛なる友、オレには姉ちゃんがひとりいた。母さんは姉ちゃんが燃やそうとしてるのを見て、逃走した。素足のまんまで。そのことがあった日、母さんが家から持ち出したのは、家族写真をまとめたアルバムだった。姉ちゃんがその日、燃やさないといけなかったのは、その二つだったっていうのに。
そして少年は考えずにはいられない、燃えてりゃよかったんだと彼は今でも思う。そうしたら彼の、物いわぬ毛だらけの、老いた友達は、新聞紙を体に巻きつけられて燃やされなくてもよかったかもしれないと、少年は今でも思う。
二時間目と三時間目のあいだの十五分休み、クラスメートが終始、こちらに期待しているものが何なのか、彼はわかっている。
最初からもちろん中学生はわかっている。
だから終始、質問を受けたほうの男の子は黙りこくっている。
しばらくして、質問をしたほうの男の子は礼儀正しく相手に一こと声をかけ、自分のグループのほうへ引き返していく。
この男子には今目にしたものが信じられない。漢字のことぐらいで、目の表情があんなに悲しげになる奴がいることが驚きだ。でも悪くない感じだ。むしろ頭を撫でたかった。
質問したほうの男の子は、休憩時間の教室を道草しながら歩く。最初からもちろん中学生はわかっている。自分の内に今芽生えたものはどれも、グループ内に持ちこめないことぐらい、中学生だから、わかっている。




