鞄
本人としても、まさか衝動買いした旅行用鞄がここまで声の大きい物だとは想定外であったのだが、その男子学生は思っている、負けるか、おれはお前をクローゼット行きにする気はないんだからな! というのも彼のようなタイプの男子学生にとって、物というのは、じっと黙って彼のそばにいてくれるし、黙って綺麗にさせてくれるし、出会った時から彼のリズム感覚に合わせて喋り、口を閉じてくれるコミュニケーションの達人で、近所の席で、前期委員長を過不足なく務め終えて以降は性別問わずクラスメートから信頼度を上げているタイプの男子生徒みたいなもの、けれど旅行用鞄という物はこれまでの連中とは全く雰囲気が違っている上に、男子学生も頭のどこかでは以前から分かっていたが、相性は最悪で、彼は旅行用鞄との離別を、同じ部屋で横になっているカップルというのがそれを実感するのと同じに、真夜中にこの男子学生も、離別の気配を濃厚に感じとってはいるのだが、でも、それでも尚、今晩も男子学生は思っている、おれはお前をクローゼット行きにはしない、ぜったいに離さない! というのも彼のようなタイプの男子学生にとって、旅行用鞄という物は、常に目につく場所に置いていなければ意味が霧散するにちがいない、もっというなら、今度の夏休みもまた中学時代と変わり映えしないものにしてしまいかねない、またぞろ図書館通いで潰してしまいかねないと彼は予測してもいたので、離さん、おれは行くんだぜ一人旅! というわけで、月末になっても部屋の壁ぎわには、学生の学生用ではない、ばかにでかい鞄が鎮座し続け、クズ入れカゴに向かって離れたところから男子学生が放る時にはどれも、なぜかしら旅行鞄にゴミをぶつけてしまいアッ、と気色の悪い声を上げるという癖、そして夜ももちろん、旅行鞄の存在感によって膨らむ、プレッシャーやら旅への期待やらで胸がどきどきしだすから、耳を手で塞いで、体の痛む人が縮こまって眠ろうと苦心しているのとよく似た格好で眠るという癖が、この冬、男子学生にはつくことになったのだった。




