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漢字で書けない友達






 オレのうちの玄関扉は、古い市営住宅のそれだ。鉄製でも年じゅう陽射しに縁がない団地の玄関扉だ。昔、灼熱の夏がくると押しつけるようにしてずっと体を張りつかせていた頃もあった。体当たりするように、この扉を開けていた頃もあった。

 だから男子高校生が苛立ちのままに押したりするのは結構な凶行、訪問者もそこは承知してる。

 すでに階段のところまで後退していた。昨日と同じに、目が合うと上がってくる。昨日と同じに、友達は制服姿のまま来ている。


 扉が閉まると異様なほどに暗くて狭い団地の玄関内にいる友達というのは、教室内にいる時よりは興味をひかれる存在感を持つ。

 特に、靴は脱がないし、マフラーもとらないし、上がりがまちに腰を下ろして、呆けたようにしているだけだし、オレのほうからも言葉をかけることはしないし、ドリンクだって出さないし、そのまま奴を放置して、自室の襖を閉め、しばらくしてからもう一度玄関を見るとまだ友達はそこに、そのまま扉を向いてぼうっと座ってて、オレはリサイクル品の単行本を持ってきて、後ろ手でマットに触りながら考え事をしている奴のそばに積み、そしてようやくそこでオレが照明のスイッチを入れると、友達はおおっというふうに顔を上げる、こんなこともう二週間ちかく続けている同級生だった場合には考えずにはいられない。何なんだろうこいつは、と。


 たぶん友達は、連日の訪問に怒りを放出させたオレが前にそういったので、そうするんだと思う。

 二度とここには来るな、そういう意味でこちらが色々といったということで考えれば、奴は何ひとつ聞き入れちゃいないんだけど。

 友達は、漫画の塔のてっぺんに、手を、置いた。いかにも何となくという動作である。オレは自室に入り襖を完全に閉める。




 あの人と終わったわけじゃないんだろう、とオレは一度として奴の前で声に出したことはなかった。

 寒いね、とあの人がオレにいいにきたことがあるというのも、オレは誰にもいったことはなかった。

 それは朝、通学途中の坂道を歩いていた時のことだった。やたらと笑い合った四分間。高校生になって女の子と喋ったのはそれが初めてだった。

 クラスも名前も分からない時のあの不思議、あの息苦しさ。どんな気持ちがそうかなんてこと、どうでもいいとオレが本当に思えたのはそれが最初だった。


 襖を閉め、机に向かったオレだが完全に考えごとに夢中になってて、マグカップの中身を忘れてしまう。

 自分が中身を飲み終えたのかどうなのか分からない。これも高校生になってからよくあることで、オレは恐る恐る内側を覗きこむ。

 それから部屋を出て、軽くたまっていた洗い物を済ませる。そのまま水は出し続けておき、飯の予約も済ませる。冷蔵庫の中を確かめ、頭の中と照合させながら物をつついたり移動させたりする。その間、駐車場で何台か車が動く音や、若いお母さんと男の子が互いを罵倒する声が延々と聞こえている。

 外が静かになると、それを待っていたかのようにいつものよく通る声で友達が話しかけてくる。

「お前の部屋で聴くポリシックス、なんかいーな」

「部屋ではねーよそこは」




 オレは自分の部屋から、ペンとノートをとってくる。

 友達のそばに座ると、奴の今読んでいだ単行本の巻数を確かめる。こいつは漫画を読むのがいつもとても遅い。この男のこの点だけは好きだとオレは思う。

 適当にノートを開き、適当にページを行ったり来たりしながら、オレはうつむきながらいう。

「手で、漢字でお前の名前ってどう書くか分かんねーんだよな。あんだっけ年がつくんだっけ?」

 書く? 書いて、とオレは友達に答えてペンも渡す。


 でも友達の名前の書かれたページはさっさとめくり、ここからがオレの考えていたことだ。オレはどんどんリクエストを続け、襖を開けたままの部屋から漂ってきていた音楽も途切れ、友達は書き続ける。

 遺恨、氷菓、辛酸なめ子、と友達は書いていく。通常化、懐疑、無常、悔恨、忌避、と友達はいつもの丁寧な字で書いていく。

 痛恨の一撃、と友達は、そこまで書いたところでとうとう笑い出す。明るい声だ。

「こえぇーよなんだよコレ」

 そうする予定なんて当分なかったのに、オレも笑っている。目の前の顔が笑っている、それだけのことで。

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