火と千円札
一人の女子高生が意味もなく千円札を燃やす。彼女はいつからか同じところに立ち続け、そしていつからか燃やしつづけていた。
駅前通りに点き始めた新古書店やコンビニエンスの明かりよりも、女子高生の手にあるマッチの火のほうが遥かに力強かったり美しく感じられるかといったら、歩行者にとっては別段そういうことでもない。
マッチ少女の足元には、無造作に下ろされた指定かばん。そしてマッチ少女の手元には小さな箱と小さな火、それに千円札。
まさかという表情をしてそのままマッチ少女を通過していく人々が大半だったが、まさかという思いで足を止めて少女のことを眺めることにした人々も時間が経過するにしたがって増えていく。二月のことで、マッチの火は大半の人々にとって目に優しいものに感じられるものである。
火は火でしかない。彼女が千円札を次々と取り出しては次々と小さな火に近づけ、すると紙幣は静かに価値をなくす。
火に食われた千円札が、女子高生の立っている場所の周辺に散らばっている。この光景は現実味がない、けれど不思議に温かみがある。こういうのは初めて見る、と木曜日の町の人々の顔には書いてある。
木曜日の町の人々は思う。何かのアルバムのジャケット撮影みたいなことでもしているんだろうかと。
女子高生の容姿は、スピッツのアルバムジャケットに写っているような黒髪少女である。そんな彼女が、意味もなく千円札を燃やす。何の感情も読み取れない顔つきで。
もし少女が、マッチ少女ではなく百円ライター少女だったなら、きっと声をかけられなかったに違いない白髪の女性が遂に前に出ていく時、前列の制服姿の学生たちは興味深そうにする。
年長者の話に反応せずにいたマッチ少女だが、火のついたばかりの千円札をぱっと手から離す。その程度のことで、老婆は悲鳴を上げて飛び退く。
学生たちは、予測どおりの展開に皆一様に笑う。
老婆はそれで火がつく。
飛び退いた老婆ではなく、また別の老婆が前に出てゆく。
加勢しにいったというより一番手の女を押し退ける勢いでだ。この女性はやり手だ。大きな声で、実に簡潔に意見を述べる。
女はいう。
「馬鹿なことして!」
このひとことに、周囲の顔に笑みは浮かばない。女は間違ったことをいっていないし、誰も女子高生がやっていることを肯定して見ているのでもなかったから。
それなのになぜか、この場においては老婆こそが間違った存在だ。老婆と同じだけ老いているような男たちは同調し、腕を組んだまま頷いているが。
「警察に通報したぞ!」
老いた男の声が距離の離れたところからそう怒鳴ったことで、いよいよ何かが明確になる。
木曜日の町の人々はなぜか、それが声に出されることによって、少なくとも馬鹿なことではないなという感じに捉えられる。
火は火だ、愚かな少女は愚かな少女だ。でもそれを外側から見る際には、読むというよりは書くことこそ重要になってくる。
年老いた者たちには読むことはできても、書くことができない。声も思考も震えるから。老いを恐れ、震えることを恐れている者にとっては書くことは回避すべき行為になってくる。
若い野次馬は震えることもなく、考えることができる。まだ書くべきことがあると。
ある女性にとっては、とんでもない彼氏のこと。
ある男性にとっては、とんでもない実姉のこと。
ある女性にとっては、臆病さ。そして夢物語。
ある男性にとっては、健気さ。そして夢物語。
大人たちに作用するようには、学生たちには火は作用していない。コンビニ店内で天井から降ってきた新曲に感銘を受けている時のように、少年たちは足を止めて見ている。
学生たちのうち、最も長期待機をしている女子高生のグループは、うんこ座りをしている。一枚、また一枚と燃えていく千円札に魅了されている自覚のある少女たちだ。
最も長く居合わせている彼女たちですら、燃やす少女についてはブレザー姿がとても可愛いこと、スカートのひだの量もとてもいいと話し合ったくらいだ。
グループの一人が買い出しに行って、白い息を大量に吐きながらすぐに戻ってくる。調達してきた肉饅頭を配りながらも少女は、見る。
たいして美味しそうでもなく温もりをくれそうにもない饅頭を女子高生たちは割り、食べながら、見る。思い出話に花をさかせながら、見る。小学校高学年の時の大嫌いな教師が静かにさせた教室に座ってうつむいている自分を引き寄せながら、見る。
飽きることなく、いつまでも。これが何なのかを言葉にすることはなく、ラッピングするように、上の姉が末っ子を見守るように、飲むように。
午後六時、燃え落ちた千円札の温もりを感じとろうとするかのように、人々は足を止めて一人の女子高生を見つめる。二月の町の片隅で。




