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発熱前






 彼女もおれも、十九だった。

 それにしても、おれは不思議に思う。彼女がおれみたいのとすっかり信頼関係を築いているってのは妙な話だと。アパートの鍵の隠し場所を知ってる。しょっちゅう部屋に長居してる。


 しかし、面白いとはいえない。面白いのはいつだって、今の十九歳の女友達のほうだった。

 そもそも春、生まれて初めて親元を離れ、独り暮らしをしている一回生が風邪っぴきで寝込む、というところからしておれの好みの話ではある。

 それは、この女友達の場合もやっぱり面白い。


 ベッドの上でだるそうにしながらもとめどなく喋り続けるとなると、ことさらに面白い。

 無理をしてないなんてことじゃない、すごくしていて、まあ十五分が経過したあたりから、ぜえはあとなってきて、惨めっぽくて、でも彼女としては、そういう自分じしんを目にしなくていいというのはでかいらしくて、全然、普段と同じくらいに口が動き、でもほぼ未分化状態、発熱時に女友達がこうなるのは、切迫感からくるものなのか、対抗心からなのか、ともかく小出しにでも吐き出すしか手はないんだという感じ、彼女のスフフススフスいってる鼻、苦しそうに閉じられてる瞼、赤い頬や耳といい、どの箇所に目をやってもただただ哀れ、それでも当の彼女はそれを続け、みたいな場合には。




 彼女は今までこれを続けてきた。

 彼女はいつも限界がくるまでこれをやった。これはもちろん他に誰か聞き手を必要とするようなことじゃなかった。

 これは彼女が今までずっと一人でやっていた類いのことだっていうのは、おれは本人からそれとなく聞き出して、知っていた。

 ご家族の方は発熱時の娘さんの奇癖にかんし、どのように対応していらしたのかを、おれはいつか知りたいと思っている。


 こういう、聞き取りづらいものを聞こうとする姿勢を結構おれは気に入っている。

 女友達の話す内容はいつも同じことだ。記憶していること、過去のことだ。自分が出会ったことのある男子学生のことだ。

 恋愛感情が絡んでいる名前もあれば明らかにその手のこととは遠く離れている名前もあった。




 女友達が話すことをおれは聞き続けた。ただ聞くということだけに専念した。

 大体いつも彼女を見てられなくなるから、背をベッドに預けて足を投げ出し、そうやっておれは聞き続けた。

 彼女が話そうとするのはいつも同じことだ。まずは発熱前に会っていて、彼女じしんより先に彼女の体調の変化に気がつく男子学生たちの名前から。彼らはバイト先の同僚だった。聞くところによると雰囲気の明るい職場なんだそうだ。

 その後は専らランダムになる。

 うわごとのように列挙される男の子の名前。




 熱を出している時の彼女の口から流れ出てきているのはおそらく、地元にいたころの女友達が自分の目で見たり聞いたりして知った中でも、何かしら引っかかるものがある男の子たちのこと。彼らのとった行動、彼女にとって強烈な名前だったことのある男子学生たちの名前。

 いつの日か思い出さなくなる自分を理解していて、それを惜しむ気持ちがあって、だから、口に出していたいんだというように、おれの目には見えていた。


 直視するのはしんどいが、黙らせようとは思わなかった。

 女友達が必死に喋り続けるのを今日もおれは単に聞いてるだけで、他にどうしようとも思わなかった。

 女子のベッドにもたれ、そして聞く。時おり音で女友達が枕に置く頭の位置を変えるのが分かる。すぐ側の床には、浮かれ気分がそのまま形になったみたいな食料品がたっぷり入ったコンビニのポリ袋。おれの目は、たいていカーテンの隙間から入ってくる日ざしをじっと見ていた。すぐ背後からは、無数の男子学生の名前たち。







 彼女手作りのオムライスに片目つむりで接した、オーヒロ君。

 死んでも痒いといわなかった、アキモト君。

 手分けして、と彼がいったがために物事は悲痛な結果を迎え、渡り廊下で一人うなだれていた、カワノ君。

 せっかくのサーカス、といって高二病の彼女を土の上に引っ張り上げてくれた、委員長のマツヤマ君。

 ずっとそのままではないだろうけど、トマトで釣れるような性質をしていて、同じ放送部だったキタシミズ。

 死んでも痒いといわなかったナカタ君。




 おれらと同じ大学に在学中の男子の名前、そこであったらしきことも女友達は口に出す。

 音量これで限度? と彼女にいつも訊ねてくる、深山君。

 斬新な水を持ち歩く、角田君。

 ちびた鉛筆大好き、藤巻。

 いちご同盟を結んでいるという、荒川とケーゴ君。

 撫で方をどうすればいいのか分からない、と彼女の前でこぼしはしたものの、しかし対象になっているものが何なのか、人なのか動物なのか、内に棲んでいるのか自律行動をとっているのか、訊いても、恥じ入るばかりで、ちゃんと話してくれなかった、アダチ君。

 悪筆の、大月。シャドウボクサーの、下山と安西と山本と伊部。




 雪を諦めている、という情報はつかんだものの、一体どんな事情があるのかは無論さっぱりだった、ホソカワ君。

 花の匂いを嗅いでいた、トミオカ君。

 妹と宿題、という趣旨のことをいつも決まって彼女への返信メールに書いて送ってきた、ヒノ君。

 姉弟そろって通っていたという、衝動教室にいた女性から頂戴した、約束の裏になら何を書いてもいいの、というおことばを未だに本箱に入れている、彼女の弟。




 女友達は中学生活のことは特別によく記憶しており、よく話したがる。

「小さな、あんな小さなクモのハローはいらん」

 中学一年の教室で、マツオカ君がいったことを、今でも彼女は憶えている。

 休み明けだから、何でも囓れるっていうような顔をしてた、コウノ君を今でも彼女は憶えている。

 中学二年の教室でのこと、彼の曜日感覚をみかんみたいにして手に取ることができた、オダ。そしてオダが繰返し宙に放りあげたりキャッチしたりしているその音が、クラス全員の耳に入っていた、そのみかんの名は、シバタ君。

 移動という言葉をけっして同級生が使うふうには使わなかった男の子のリスト。

 彼女の急な行動にびっくりした顔になった男の子のリスト、明らかに潤った男の子のリスト、乾きを見せた男の子のリスト。




 今は同じ大学で、高校生の時には美術部だった、村瀬のこと。ある冬の朝に、部の先輩が持ち帰らなかった水彩のバケツに挨拶をしている同級生の姿を、村瀬はたまたま目撃した。昼休みのことで、美術室の鍵を閉めて二人きりで少しだけ話をした。その女子はギリギリの笑顔をして、バカみたいだよねといった。高一男子の村瀬は気の利いたことはいえなかった、それはそれだけの話。女友達はそれをさびしい話だと思っている。




 発熱した女友達が延々と三十分ほど口にし続けるような名前は、たった一つ。その男にはおれも直接会うことがある。

 彼は彼女が初めてデートした相手だった。

「笑顔目指して歩いてみよう」

 そうして二人が初めて並んで歩き出した時のことを、彼女はよく口にしたがる。

 彼女としても彼が最初にいったことは意味がよく分からなかった。でもそうして二人が歩き出したことが、どれだけ、今まで彼女のとった行動の中で正しいことだったかを、彼女は口にしたがる。

 おれはこのエピソードについて呆れるふりをすることもできない。

 きっとその日も、二人は迷いのない足取りで、楽しげに歩き出したに違いない。今も二人はそうやって歩き続けているように。




 おれはここで膝を抱えるようなことをしなくていい。でもおれはおれであることが本当に嫌だ。おれなんて、十九歳なんて。

 おれには女友達にいいたいことがあった。

 しかし、面白いとはいえないのだ。

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