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夕暮れ商店探偵街「花屋の少女」

作者: のいじろう

 父さんの都合で転校を繰り返してきた私はいくつもの窓を見て、いくつもの顔を見てきた。そこから見える同級生達の顔は酷く疲れていたのを今でも覚えている。今日も私は学校の帰り道、アルバイトを終えて帰ってきた。そんな私を見て、父さんが頭を撫でる。きっと私の顔はニコニコしているのだろうけど、本当は面倒だなあとか、鬱陶しいと思ってiいた。でも、そう思い始めたのは結構最近の事で、それもこれも少しは親離れしなくちゃと思っていた思春期な事情ってのがあったワケで、父さんとあまり会話をしないように心に決めていた。一度決めた事は最後までやりたい性分の私、こうなると父さんが私にどんなアクションを起こそうが無駄だ。私は父さんと会話をやめてしまった。それは連鎖的に二人の関係に溝を増やしていく。私と父さんとの間に毎晩あった伽もなくなってしまった。人間、話をしなければ自ずと関係が薄れていく。台所で母さんが漬けていた漬物と同じように、ほっておけば徐々に関係も腐っていく。死んだ母さんにそんな話を呟いてみるワケでもないけれど、どこかでこんな私を見て笑っているだろうか。不潔だと罵るかもしれない。父さんとの関係は思ったよりも淡々としていて、話をしないだけで求められる事もなくなった。夕飯に黙って二人で食事をして、朝は顔を合わすことなくお互いに家を出る。それでも私は幸せだった。

 ある日、私が家に帰ると父さんは知らない女の人とリビングで絡み合っていた。私はその日、初めて人が行為をする様を客観的に見た。二人は私の存在に気づく様子もなく、一心不乱に動いていた。まるで動物のように。溶け合って。熱で小刻みに揺れるフライパンの上のバター。

 気持ちが悪い。第一印象はそうだった。父さんとしていた事はこんなにも惨めで、格好の悪い事だったのかと思うと悪寒が身体を駆け抜けた。私はゆっくりと一歩下がり、喘ぐ二人の声を「いってらっしゃい」に置き換えて家を出た。ゆっくりと閉めた玄関の扉の音は、私の「いってきます」だ。

 鼓動の大合唱が空に響き渡る。私はがむしゃらにこの町を出た。駆け足で。できるだけ遠くで生活したいと思ったからだ。夢や目的なんてないけれど、ただただひたすらにそうしたかったからだ。でも未成年の女一人がそんな無茶が出来ないことも私は知っている。気持ちばかりが先行して現状はついてきてはくれない。名前も知らない公園でブランコを盛大にこぎながらそんな事を考えた結果、私は間を取って母さんの実家に逃げ込むことにした。母さんの実家は隣の県だ。そこで一晩泊めてもらってそれからこれからを考えようと思った。

幸い、陽はまだ高い。今日はアルバイトがなくてよかったけれど、店長さんには申し訳ないなあと感じた。きっと明日の仕事は私がいなくて大変なことになる。なんて。思ってもいない事をポツリと呟いてみた。本当は私がいなくてもきっと店長さんならうまくやるんだろうなあ、と思う。社会に貢献する事が人の存在意義なのなら、きっと私は台所のゴキブリよりも存在価値がないだろう。ゴキブリだって子孫を残して食物連鎖をつくっているのになあ。

 丘をいくつか越えた所で、一度ふりかえって町を眺めるとくたびれ町が夕日にそまり始めていた。きっと行動を起こさなければ私もあの寂れた町で呑気にくらしていたのだろう。そう考えると町の人達がちっぽけな存在にも思えてくる。先ほどまでは自分の小ささに喚いていたのに、不思議なものだ。

 坂をくだる。まるで私が夕日を追いかけているかのように夕日は落ちる兆しを見せない。疲れが少しずつ私の身体に蓄積しているのだろう、脚が重い。それでも陽は輝いていて、まだ私に歩けと囁く様だ。そんな煌々と燃える世界の端で、知らない商店街のアーケードが私に口を開けている。どうせ今日中には母さんの実家に行けそうにはない。私はフラフラと商店街に向かって歩を進めた。

 少し歩いてみて気づいたのだけれど、この町はどこかおかしな雰囲気を感じる。そろそろ陽も暮れるのだから人が少なくなるというのはわかるのだけれど、この町には通行人はおろか商店街の店員すらいない。ひたすらに赤い光が町と道路を包んでいる。影ひとつ作ることもなく。考えてもみれば…夕日の時間が長すぎやしないだろうか。少しずつ紫がかってグラデーションになる空が本来であれば普通なのだけれど、この場所はひたすらに赤い。

 途方に暮れていても、陽は高いままだ。誰もいない町じゃ宿泊もままならないけれど、暖かい日差しはずっと私を照らし続けている。不気味ではあるけれど、私はこの状況を楽しんでもいた。学校の図書室で黄泉と現の挟間の話を書いた本を読んだことがあったけれど、きっとここはそんな場所なのかもしれない。そんなメルヘンな考えが脳裏をよぎる度に少しずつこの場所に対して開放的になれる。私は異質を楽しんでいた。

「見たことがないけど…お客さんかい?」

びっくりして振り返ると、手に小さな植木鉢を持った男の人が緑色のエプロンをしてこちらを見ていた。いや、彼だけじゃない。振り返った瞬間に店員が、通行人が、学生が、子供が、次々に町に色をつけていく。ぼんやりとしていた私の思考が鋭くなって、商店街に活気がよみがえる。そしてある程度まで鋭くなった思考は一旦停止すると、状況をゆっくりと把握していく。先ほどまで誰もいなかったこの町に人が溢れ、道路に靴の音を響かせているという現実を。

「ああ…驚かなくてもいいよ」

「え…いや…」

「ここにきた人は皆…最初はそうだったからね」

「…え?」

「まあ…君も何かあってここに来たって感じでしょ」

「………」

この人は一体何を知っているのだろうか。見たところ花屋の店員のようだけれど、私の心情を汲み取るような素振り。表情。仕草。何もかもが不思議だ。

「ねえ」

花屋さんが私に尋ねる。

「君さ、ここで働かない?」

突拍子のない事をいきなり言われて、私はどうにも答えがまとまらなかった。でも、この人の言ってることが知りたくて。現状はこの先どうしたらいいのかわからなくて。少しでも何かを知っているなら聞き出したくて。そして何よりも、全てを理解している様なこの話し方に惹かれて。私は父さんとの間に作ることがうまくなった愛想笑いを浮かべて、これから先に訪れる雲散夢中な道に一歩踏み出しながら、躊躇いがちに「はい」と答えた。遠くで夕焼けに染まった塔が影を伸ばして揺れているのを見ながら、私は花屋の扉を開けた。

もしかしたら続いているのかもね。

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