第一二章 「戦い、未だ終わらず」
スロリア地域内基準表示時刻7月27日 午後1時28分 スロリア中部 ローリダ空軍前線飛行場「ロドナス03」
荒野を整地して造営された巨大な飛行場は、臨時の急造型とは思えないほど素晴らしいものだった。従軍を終えたリーカス一行が土埃の舞うこの飛行場に初めて一歩を標したときには、すでに隅々まで対空機銃の砲座が増設され、爆弾やこれから任務に向かうパイロットを満載したカートが、アダロネス中央の元老院前交差点かと見紛うほど縦横無尽に行き交っていた。
テント張りの士官用宿舎からは、今しがた任務を終え、新たな任務に備え整備と補給を受けるルデネス-10爆撃機の、地上で鵬翼を連ねる様をじっくりと眺めることが出来た。さらにそこから反対側に視線を転じれば、スロリア方面ではすでに見慣れたレシプロエンジン搭載のギロ-10攻撃機や、進出を開始したばかりのギロ-18ジェット戦闘機の列線を眺めることが出来た。
以前、空軍を舞台にした青春映画を撮ったこともあり、空軍という組織に関しては造詣の深いリーカスは、遅い昼食を取る手を止め、胸を震わせるような満悦とともにそれらの銀翼に見入っていた。だが、彼と共に前線まで突き従ってきた撮影クルーらは、その彼を無視するかのように食事を取る手を止めない。リーカスに長年付き従い、彼の嗜好や仕草まで血の通った親族のように知り尽くしている彼らには、自分の仕える「おやじさん」が、極度の感動症の持主であり、徹底した軍国主義者であることを知っていたのである。
「お前達、見ろ」
と、熱病に浮かされたかのように、リーカスは声を上げた。彼は居並ぶ作戦機を指差しながら、年季を重ねた老人というより玩具を与えられた子供のようにはしゃぐのだった。
「我々が庶民たちのために取るに足らん映画の撮影にうつつを抜かしている一方で、精強なる共和国国防軍は不平も言わずこうして解放戦争に従事しているのだ。お前達も無駄飯ばっかり食わず、真面目に仕事をすることだな」
「おやじさん、その言い方は頂けませんなぁ」
と、リーカスの秘書兼折衝係のトムナス‐ファ‐ラーガが苦笑交じりに言った。年の頃は四〇代後半、予備役の国防軍大尉で、軍で培った人脈を生かしての撮影先の現地軍部隊との事前交渉及び撮影の事前打ち合わせは大抵彼の仕事であった。彼の協力無くして、これまでのリーカスの完璧に近い仕事の数々はなかったと言える。
「親父さんがいい絵を撮り易いよう、裏で骨を折っているあたしの身にもなってくださいよ」
「ばかもん、前線でカメラを回すのはいつもわしらだ。お前と来たら何時も安全なところで旅立つわしらを見送って、やっとの思いで帰ってきたところを出迎えるだけじゃないか」
「これだもんなぁー……まったくおやじさんは能天気で困る」
あっけからんとしたリーカスの言葉に、苦笑して肩を落とすラーガを、他のスタッフが励まし、彼らとは別のところでラーガが為し遂げた仕事を労うのだった。空軍現地部隊と彼らとの間を取り持つ連絡将校が、彼らのテントに入ってきたのはそのときだった。
「監督、海軍司令部の要請でさっき面白い任務が入ったんです。行きませんか?」
「任務? どんな任務かね? また爆撃か?」
「いえいえ……艦船攻撃ですよ」
「…………!」
野晒しの魚を目にした野良猫宜しく、リーカスは爛々と目を輝かせてテーブルから身を乗り出した。それを見た撮影クルー達は、食事の後のお茶もそのままに、いそいそと身支度を始める……こういうときのおやじさんはもう止められない。そしてウチのおやじさんは、のろまな奴には特に厳しいことを、彼らは長い付き合いから知っていたのだった。
スロリア地域内基準表示時刻7月27日 午後1時30分 スロリア中部
彼らはやはり待ち構えていた。
森を抜けた先。停車していた敵兵の車両を茂みの陰から目にしたとき、俊二は覚悟を決めた。
乗員は三名。内二人が車から降りて周囲を警戒し、もう一人は荷台の銃座で機銃を構えている。祈るような思いで、俊二はこれから自分の進む先に目を凝らした。彼の見詰める遥か向こうには、大皿をひっくり返したような小高い丘が広がっていた。
「また山か……」
俊二は思う。あれを登った先で、数日前の自分は仲間の死を見た。今度は一体何を眼にすることになるのだろう?……と。
誰かが肩を叩いた。振り返った先に、タナが別の方向をただ無言で指差していた。その先には、さらに三名の兵士。俊二の耳元に顔を近付け、タナは囁いた。
「このまま進んだら、あいつらに気付かれるわ」
「…………?」
嗅ぎ慣れない女性の匂いに、俊二は新鮮な驚きと共に振り返った。一方で突然自分を覗き込むように見詰めたニホン人に、タナの青い、大きな瞳が驚きに揺れた。
「……どうしたの?」
「いや……何も」
俊二は再び車の方に向き直った。もう先程の彼に戻っていた。
「ぼくがあいつらを曳き付ける。君はあの丘まで走れ」
こういうことを、彼女の瞳を見ながら話すのは辛かった。だから、前を見たまま言った。
タナの手がゆっくりと俊二の上腕に伸び、そして手に力が篭った。俊二は驚いて彼女を振り向いた。
「……いやよ」
「…………?」
「逃げるのも、戦うのも、二人一緒……今のところは、ね」
「ここで逃げないと、二人とも死んでしまう……!」
「ローリダの女は、男に逃げろと言われて逃げるような軟弱者じゃない」
自分を覗き込むタナの瞳に篭る光に、俊二は確信した。彼女は覚悟を決めている……それが、俊二には新鮮な驚きであり、感動だった。
「君とは、こんなところで出会うべきじゃなかった。もっと平和な場所で出会いたかったな」
「……これも、神様のお導きよ」
タナは、微かに笑った。それが、俊二には頼もしくも切ない。こういう素晴らしい女性を、自分は果たしてこれから守っていけるだろうか? だが……結果はどうあれ、守る努力は払わなければならない。
俊二は未だ食糧を残した背嚢を下ろした。ここが勝負のしどころである事を、彼は理性とは異なる部分で感じ取っていた。こんなとき、重い背嚢は返って行動の邪魔になる。この局面を潜り抜ける上で必要最小限のものだけを、ここからは持って行く。
捨て置かれた背嚢に目を細め、タナは言った。
「ニホンの食べ物……美味しかったな。」
昨夜、未だ爆撃の止まぬ森の中で、焚き火を囲んで食べたレトルトのシチューが思い出された。二人は同時にそれを思い返し、恐怖は完全に消えた。
「……行こうか」
俊二の言葉に、タナは頷いた。微笑を浮べたまま。
二人は走り出した。ゆっくりと、そして静粛に。
「いたぞっ……!」
と見張りが叫ぶ頃には、二人はすでに丘の麓に差し掛かっている。追手の怒声に怯む暇など、もはや
二人には与えられていない。二人は飛ぶように走った。走らないと命が無いことを、二人は確信していた。
追手の怒声の次に銃声が続き、それは一層勢いを増した。味方の壊滅に接したときの逃避行を、俊二は走りながら思い出した。
また、逃げるのか!……そう思ったとき俊二は立ち止まり、背後に銃を構えた。彼に続き、慌てて立ち止まろうとするタナを、俊二は怒鳴りつけた。
「止まるなっ……走れ!」
咄嗟に小銃の安全装置を解除し、連発に摘みを合わせた。そして振り返り様に爆音を立てて迫り来る車両に照準を合わせた。
もはや迷うまでもなかった。腰溜めに放った一連射は車のオイルクーラーを打ち抜き、ボンネットを弾き飛ばした。車は忽ち姿勢を崩し、搭乗する兵士を振り落としながら派手に引っ繰り返った。弾道特性に優れた六四式のなせる業か? それでも、自分の上げた望外な戦果に満足している暇など、俊二には残されていなかった。摘みを単発に戻してさらに銃口を転じ、俊二は距離を置いて向かってくる人影を、その目に入る限り撃った。一発で昏倒する兵士。銃撃に構わず向かってくる兵士……丘を駆け上りながら二度三度射撃を繰り返し、俊二は自分でも驚くほどの手際で敵兵を倒していく。
何発目かを放った直後、後退したまま戻らない膏管に、俊二は一瞬我が目を疑った。
「装填……!」
弾が切れ、訓練の要領どおりに素早く弾倉を交換し、再び撃つ、撃つ……撃つ! 倒れる兵士はさらに増え。前進できずに遠巻きに当たらない銃をぶっ放す兵士もいた。俊二には高さの優位があった。
「…………!」
機を同じくして森から出てきた複数の人影の中に、あの男がいた。同時に敵兵は数が多く、この状態での対応は無理があることを、戻りかけた理性が教えてくれた。
潮時だ……そう思った時には、俊二は咄嗟に踵を返し、丘を駆け上った。
「奴が逃げます!」
「狩人」ルガーは、不機嫌な顔を隠さず、報告した部下を睨み付けた。
「そんなこと、言われなくとも判っている」
森を抜けた平原の各所に散らばる味方の兵士の骸、もだえ続ける負傷者、被弾を恐れ遠方から当たらぬ銃を打ち続ける兵士……そして引っ繰り返り煙を吐き続ける車に視線を廻らせる内、ルガーのこめかみに青いものが走るのを部下は見た。
「隊長……?」
「この馬鹿どもがっ! たかがニホン人一匹に、何を手こずっている!?」
そして、背後を振り返った。
「おい、狙撃銃を出せ」
彫刻の施された長身の銃を差し出されると、ルガーは無言のままそれをもぎ取った。立ったまま構えた銃の、鷲のような眼で覗いたスコープの先には、いままさに丘を登りきろうとする若いニホン兵の姿。
「……はじめから、こうすりゃよかったぜ」
ニホン兵が、小高い丘の頂上に達した瞬間。ルガーは引き金を引いた。
スコープの中でニホン兵の人影が崩れ落ち、丘の頂上から消えた。
スロリア地域内基準表示時刻7月27日 午後2時4分 南スロリア沖
半時ほど前の混乱と破壊は足音を立てて遠くへ過ぎ去り、べた凪と煙たいものの混じる潮風とに全ては委ねられていた。
波間を漂う赤い救命筏から、PLH-09「りゅうきゅう」船長 松沢一等海上保安監は、煤と油に酷く汚れた顔を、照りつける太陽に向けていた。
かつては松沢が指揮を取っていた船は、左舷からの浸水を止められずつい二〇分前にその命を終えた。戦闘本位に作られていない巡視船にしてはあまりに不似合いな、そして悲惨な最期だった。
だが、その死に様は僚船に比してむしろ幸運な方だったのかもしれない。彼女の死が緩慢に、そしてゆっくりと進行していったのは、乗員を脱出させる上でむしろ僥倖に働いたのだった。敵艦のミサイル攻撃に瞬時にして発火し、爆沈した大多数の僚船は、乗員の多くをその体内に閉じ込めたまま南スロリアの海深くに没し去って行ったのだ。
松沢は、視線を最大30名収用できる構造になっている筏の中へ転じた。松沢本人と軽傷者も含め健全な者18名。あとの23名は入院が必要な重傷者。内数名は後数時間であの世へ旅立つ準備をしているかのように思える。「りゅうきゅう」の乗員ばかりではなく、他の巡視船から命からがら生還した乗員をも筏は乗せていたのだ。
周囲を見れば、沈んだ巡視船から浮かび上がってきた遺留物漂う海域の各所に、難を逃れた者が身を寄せ合う救命筏が幾つも浮かんでいた。ただ生き抜いたという事実が、お互いの心の支えだった。
筏に備え付けのビーコンは、スウィッチを入れて以来絶えることなく救難信号を送り続けている。だが、本当に必要だったのは救助ではなく事前の適切な対処ではなかったか?……その対処を決定すべき自分の上に立つお偉方に、憤懣にも似た思いを抱きつつある松沢だった。
彼らの言う「適切な対処」の結果は、自分の見ている先の海に広がっていると、松沢は思った。
かつては「グリュエトラル」号という名前の巨大な「難民船」は、敵艦のミサイル攻撃と砲撃により巨大な黒煙と炎の塊と化し、静かにその船体を海面の遥か下へ没し去ろうとしていた。敵艦隊はご丁寧にも、こちらを片付けた後でゆっくりと「難民船」の排除に掛かったのである。己の無力への悔悟と共に、松沢達はその様子をただ眺めるしかなかった。
燃え盛る炎の中から聞いた女子供の悲鳴を脳裏で反芻した松沢が、悔し涙とともに頭を抱え込むようにしたそのとき――――――
「船長! 上空に機影!」
「…………?」
見上げた先に、複数の銀翼の煌きが松沢の網膜を灼き、雲間を割ってこちらへ向かってきた。
偵察か?……と思ったが、それは違った。後退翼付きのジェット機の編隊が救命筏に突っ込んでくるかのような針路を取り、口を開けた鮫のような機首が、パイロットのヘルメットまで識別できる距離にまで迫った瞬間。松沢はその直後の在り得ない行為を予測し絶句した。
「ばかな……!?」
彼の予測は正しかった。ジェット戦闘機の機首が破壊的な閃光に煌くのと、筏の周囲で凶暴な水柱が立つのと同時だった。
「攻撃してくるぞ!」
頭に巻いた包帯も生々しい石川航海長が叫んだ。金属的なジェット音は、抗う術を持たない彼らにとってまさに振り下ろされた斧だった。ジェット気流に筏が烈しく揺られ、入れ替り様に接近をかけて来たもう一機が銃撃をかけて来た。
ビイィィィィィン……!
絹を裂くような射撃音の直後。数名の隊員が肉片となって吹き飛び、鮮血と臓物の雨を筏と隊員の体中にぶちまけた。その中には本土に残る妻子に心の中で別れを言いかけた松沢船長もいた。浮力を失った筏から未だ生残っていた隊員が投げ出され、そこにさらに戦闘機の銃撃が続いた。各所で生存者を乗せた筏が戦闘機に銃撃され、五体を吹き飛ばされた人体が海面に浮かび、海原が鮮血に染まった。魚雷を抱えたレシプロ攻撃機が瀕死の「グリュエトラル」号に接敵し、魚雷を投下し低空を高速で航過していく。多方面からの魚雷攻撃により船体の各所から水柱が上がり、船首と中央、そして船尾から三つに割れた「グリュエトラル」号は、原形を止めないまま水底へ引き込まれていった。雷撃を終え身軽となった攻撃機もまた戯れるように海保の生存者たちを銃撃し、戦火の址となった海を朱に染めていくのだった。
……数刻の後、スロリアの海には凡そ人間の想像を超えた虐殺の痕が現出することになる。
スロリア地域内基準表示時刻7月27日 午後2時20分 南スロリア沖
共和国空軍の攻撃の前に完全に海原の中に船体を没し去り、マストだけを海面上に残すのみとなった「グリュエトラル」号の最後を、攻撃編隊に随伴し、戦場海域を低空で旋回する輸送機の中からリーカスは感銘に満ちた眼差しと共に見詰めていた。
「すばらしい……我が軍の猛攻の前に敵艦隊は完全に壊滅しておるわい!」
その周囲では、攻撃隊を直援するギロ-18ジェット戦闘機の機影が縦横無尽に駆け回りなおも海面に浮かぶニホン海軍の水兵に銃撃を加えていた。各所に立ち昇る着弾の水柱、銃撃を受け吹き飛ばされ、苦悶にもがく敵兵の姿!……眼下の阿鼻叫喚に加え、輸送機備え付けの無線機からは、攻撃を加えるパイロットの歓声まで聞こえてくる。
『――――ハハハハハッ! 愚かな奴らだ。本土に引篭もっていればこんな目に遭わずに済んだものを!』
『――――死ねっ……死ねっ!……この毛無し猿どもめ! 魚の餌になるがいい!』
『――――異教徒どもめざまあ無いな。神の代理人たる俺たちに楯突いたのが運の尽きだぜ!』
空電音交じりの彼らの声に触発されたのか、リーカスはカメラマンのディラ‐バ-ネスを振り返った。
「ディラ! そこに浮かぶニホン人もしっかりと撮っておけ!」
「ガッテンでさあ、おやじさん。連中の最後の写真ですからね。ちゃんと撮ってやらないと」
ネスのジョークに、リーカスは大口を開けて笑った。本人も当然受けを狙ったつもりで、それは予期した通りに彼のボスの笑いの琴線に触れたわけだが、彼らはその対象を自分たちと同等のものとは塵ほども見做していなかったのである。
『上昇します……!』
操縦士の声と共に、機首が上がり始めた。リーカスは内壁にそのでっぷりとした体躯を押し付けるようにして、名残惜しそうに眼下の光景に見入るのだった……満足気な笑みを浮べながら。
今度の戦争では、いい作品が作れそうだ……という確信が、リーカスの胸に一本の大樹の苗となって芽生えつつあった。
日本国内基準表示時刻7月27日 午後2時21分 東京 総理官邸地下 緊急事態対応センター
表示するべきものを失ったディスプレイの放つ空虚な光沢が、破局の到来を沈黙の内に雄弁に物語っていた。
難民船と、その臨検と護衛のために展開した海上保安庁巡視船群の全滅。そしてそれに続く海上石油採掘施設の壊滅を、耐え難い敗北感と拭うことが永遠に適わない喪失感とを以て河首相をはじめ閣僚達は受け容れるしかなかった。
現在、海上保安庁の長距離救難機及び海上自衛隊の哨戒機が那覇航空基地を達し現場に急行している。だがそれも決して反撃のためではなく、当該する海域の偵察及び生存者の救難を目的としたものであった。後二時間も経てば、「武装勢力」の攻撃を受けて倒壊し、炎上した石油試掘リグ「てんりゅう」の変わり果てた全容がディスプレイに電送されてくるはずだ。
瀬尾国交相は、何も情報が表示されない、表示されていても先刻から全く情報が更新されていないディスプレイを前に、焦点の合わない目をそのままに放心したように俯いている。時折肩を震わせ、真一文字に結んだ口元が哀しく、痛々しい。
「こんなことが許されていいのか……?」
通夜にも似た沈黙を破り、搾り出すように声を出したのは村川防衛大臣だった。村川は血走った眼を河首相に向けると、身を乗り出して声を荒げた。
「総理!……後生です。海上自衛隊の出動を許可して頂きたい。あの無法者どもの行為は決して看過できません!」
激昂する村川の隣席では、数分前から落ち着き払った表情の植草統合幕僚長が受話器を手に何やら話をしている。その鮮やかなまでの対照性が、植草の挙動に気付いた者の興味を誘っていた。
「植草だ……そうか……情報はこちらに回せるか?……よし、ご苦労だった」
「植草幕僚長……どうした?」
河の問いに、植草は平静な表情をそのままに向き直った。
「外務省の交渉団からの報告に、スロリア中部において武装勢力の一部隊とPKOの残存兵士との交戦を匂わせる内容があったことは、総理には未だご記憶でしょうか?」
「ああ、覚えている」
「その点に関し情報本部に精査させましたところ、幸いにもその事実を裏付ける情報を入手できました」
「本当か?」
俄かに、閣僚達の間が騒がしくなった。オペレーターが、防衛省からの衛星画像情報受信を告げた。植草はオペレーターに言った。
「画像を出してくれ」
ディスプレイの一角が画像表示モードに切り替わり、衛星画像の表示を始めた。カメラ画像と合成開口レーダー画像とを組み合わせ、精度を高めた白黒表示の画像は、煙の燻る森林とその周囲の痩せた平原を映し出していた。
「今より50分余り前にスロリア中部を撮影した衛星写真です。この部分にご注目下さい」
レーザーペンでディスプレイの一点を指し、植草は続けた
「指示箇所を拡大」
忽ち、指示された箇所を中心に、画像の倍率が上がる。倍率向上の処理を重ねる内、矢印の先の黒点は、回を追うごとに複数の人影に包囲されかけた一人の人影となり、最後には銃を構える青年の姿になった。
「これは……?」
紛れも無い、銃を構えているのは日本人だった。それも服装から自衛官。顔の特徴まで、はっきりと判別できる制度だ。そして閣僚の誰もが、この顔を新聞やテレビの、スロリア情勢を扱った最近のニュースで見覚えがあった。驚愕に顔を強張らせる閣僚の面々を一瞥すると、植草は河に向き直った。
「当人の姓名及び階級、そして職種もすでに判明しております」
「間違いないのか?」と、上杉官房長官が言った。
植草は上杉に頷き、続けた。
「陸上自衛隊第2普通科連隊所属 高良俊二 二等陸士 20歳。前年に予備自衛官教育課程を修了。現在スロリアPKOに警備要員として派遣されている……いや、派遣されていたという扱いに現時点ではなっております。去る七月二四日正午未明、武装勢力との交戦の一報を最後に、現在に至るまで消息を断っている八名の一人です」
その瞬間。スロリア中部の一集落で、殺され吊り上げられた七名のことを、河をはじめ数名が思い浮かべたはずだ。
閣僚たちは騒然となった。
「生きていたというのか? あの若者が?」
「画像から判断するに、未だ武装勢力の手の及んでいないスロリア西部の安全圏まで徒歩で移動中と思われます。未だ生存していれば……の話ですが」
「それにしても……予備自衛官だと? たった一人で、あの連中と戦っているというのか?」
「信じられん……」
閣僚達から漏れる溜息……それは深刻な現況に一筋の救いが見えたことへの安堵であり、今後の彼の命運を考慮する上での、絶望の溜息でもあった。
村川が再び身を乗り出し、河に詰め寄った。
「総理、高良二士の救出作戦の許可を出してください。法律違反とはいえ彼一人、あの島で死ぬまで戦わせるのは不憫でなりません。お願いです……!」
河は微笑と共に村川へ向き直った……彼の直言を労うかのように。
「戦いは、未だ終わってはいないよ。植草君……」
「はっ……」
「現在の自衛隊の能力で、彼の救出は可能かね?」
植草は頷いた。
「可能です。技術的には問題はありません」
「……よろしい、救出作戦を許可する。法令との齟齬は政府解釈の変更で何とかする。徹底的にやりたまえ……!」
村川と植草が弾かれたように腰を上げた。植草が一礼し、言った。
「陸海空自衛隊の全力を挙げ、高良二士を救出します……!」
スロリア地域内基準表示時刻7月27日 午後2時34分 スロリア中部
女体のようになだらかな丘陵の上部に、一群の兵士達の影が浮かび上がったとき、一陣の生暖かい風が丘陵を撫で、丈の高い枯草を一斉に靡かせるのだった。
頂上の一角で、「狩人」ルガーは踏み潰された枯草の一点に跪いた姿勢のまま、その視線の先にある鮮やかな朱に見入っていた。本来ならそこに、彼が狙撃銃で仕留めた「獲物」が息絶え、倒れているはずだった。
「隊長? どうしました?」
「…………」
部下の問い掛けにも答えず、無言を保ったまま、そっと彼は血痕に手を延ばした。指先のぬるりとした感触が、彼の無表情に再び笑みを宿すのだった。
「未だ、そう遠くへは行っていない……」
ルガーは部下を呼んだ。
「状況を報告しろ」
「重傷者6名。軽傷8名。車両一台大破……以上であります。一応、本隊にも連絡は付けてありますが」
行動名目が偵察である以上、大部隊での移動はできないし、戦術的にも無理がある。それゆえの小兵力による追跡だったが、これまでに累積した損害はあまりにもルガーの予想を超えていた。それだけ、自分があのニホン人を舐めきっていたという事実に気付いても、彼はただ苦笑を浮べるだけだ。
「本隊は何と言っている?」
「今直ぐに我が隊を追及すると……」
ルガーは煩わしげに首を振り、そして舌打ちした。
「あのニホン人、看護兵と一緒だったようだな」
「ハッ……小官も確認しております」
ルガーの苦笑が、冷酷な笑みとなった。
「蛮族に魂を売り渡した雌犬が……只じゃ置かん」
草地の血痕に目を凝らした部下が言った。
「これだけの傷です、もう自由には動けないはず……ひょっとすれば、戦える状態に無いかもしれません」
ルガーは彼を省みた。一切の人間らしい感情とは無縁そうに見える彼の眼で睨まれ、平静でいられる人間など稀有であろう。この下士官もまたそうであった。緊張する彼の眼前で、ルガーは言った。
「よし、お前……適当に二人見繕って俺の前に連れて来い。ここから俺たちは別行動だ」
「ハッ……?」
「お前を、狩りに招待してやる。ニホン人はこれまでの礼をたっぷりした後で俺が殺す。女の方は……お前が好きにしていい」
スロリア地域内基準表示時刻7月27日 午後4時20分 スロリア東部
大腿部を襲う疼痛と寒さの中で、俊二は目を覚ました。
自分は、確か夢を見ていたはずだ。だが、それがどんな夢であったかとうの昔に忘れてしまっている。顔から首、そして背中に滲む脂汗が、かろうじてその内容を推測させるのみだ。寒いのは、血が出すぎたせいか……朦朧とする意識の中で俊二は考えた。そう考えると、このまま動けなくなるのが怖くなった。
すでに人の居ない、この小さな集落に、タナに支えられやっとの思いで駆け込んだところまでは、俊二は覚えていた……離脱の間際に銃弾に貫かれ、自由にならない片足を庇うように半身を起こす俊二の肩を、女性の手が止めた。
「…………?」
「……だめ」
タナの声を聞いた瞬間。俊二は自分が家らしき場所の中にいることを知った。タナは俊二の顔を覗き込むようにして、言った。
「顔色が悪いわ」
「怪我は……ない?」と、俊二はタナに聞いた。恋人に語りかけるような笑顔が、タナの胸に深く突き刺さった。
この人は!……泣きそうになるのを堪え、タナは笑おうと勤めた。片足の傷が、しっかりと縛られている事に気付き、俊二ははにかむように笑った。
「……ここまで頑張ったんだもの、何とかなるわよ。私達」
「何とかなるじゃだめだ。なんとかしなきゃあ」
叱るように言って銃を取り、弾倉に弾を篭め直すと、俊二は壁に手を支えながら立ち上がった。
「何処へ行くの……!?」
「やつらを……倒しに行く」
「何を……!」
馬鹿なことを言っているの?……と言い掛けて、タナは止めた。淡々とした俊二の横顔に、抗弁する気概が逸れた。
「戦いは……未だ終わってない」
そして、再び歩き出した。足を引き摺る後姿が、集落の入り口までに達し、ついにはタナの視界から薄れ掛けようとしたとき、タナの瞳から大粒の涙が溢れた。
「ばか……!」
声にならない一言とともに俯いた瞬間、涙の粒は、滝となった。