第十四話
「大丈夫。」
音もなく、風もなく、ただ声が響いて届いた。後ろを振り向けば、そこには大切なあの子がいた。
「…リーティア。」
僕の浅ましさを、彼女は知ってしまったのだろうか。僕はもう、君の隣にいれないのだろうか。いや、初めから隣にいる資格などなかったのかもしれない。そんな僕に、リーティアは静かに微笑んだ。
「大丈夫。私はルーが、大好きよ。」
「…僕は、リーに何が出来る?君の為に、何が…。」
隣にいたいのも、愛したいのも、愛されたいのも全部僕の我儘なんだ。どうしたらいい?
「ルー、笑って。」
「…え?」
ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐったと思えば、僕はリーに強く抱きしめられていた。
「私は、浅ましい人間よ。ルーに隣にいてもらう資格なんて、ないかもしれないわ。」
何故そんなこと言うの?リーはこんなに綺麗なのに。
「…でもね、私はルーが大好きなの。大切なの。」
僕だって、リーが大切で、大好きだ。
「私、ルーがいなくなったらとか思うだけで怖くて夜も眠れない。ルーに守られて生きることに、慣れてしまっていたの。…そしてそれが当たり前のことだと。」
リーは腕の力を緩め、僕を見つめると、馬鹿でしょう?と笑って見せた。
「そ、んなこと、ない。リーは綺麗だ。僕が守りたかったんだ。僕を守るために、リーを守っているつもりになってただけだったけど…。リーを守っていれば、僕は僕でいられると思っていた。」
「じゃあ、私たち姉妹は揃いも揃ってお馬鹿さんだったってことね。」
リーは本当に面白そうに笑っていた。僕も、本当だね。となんだか笑えてしまった。あぁ、君は強いね。いつもいつも、いとも簡単に僕の心を解してしまう。
そうだ、これは本物なんだ。君を想う、この気持ちは。
僕たちはお互いに抱き合いながら、くすくすと笑いあった。経験したことはなかったけれど、きっと子供の頃ってこういう風なんだろうなと考えながら。
「あのね?ずっと、考えてた。」
リーが唐突に話を切り出した。
「何を、考えていたの?」
「私たちの、未来。」
「それ、ずっと言ってるね。どういうこと?」
リーが、大したことじゃないのよ。と一つ前置きをすると、
「私は、いえ私たちは、お互いに依存していたんだと思うわ。だってそれが何より心地よかった。」
その通りなのだ。僕たちは、心地よさに甘えていた。僕が頷くと、リーは少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「…私聞いてしまったの。私たちの本当のお母さんが、ルーに残した言葉のこと。」
「え、もしかしてユリアス殿下に話していた時のこと?」
リーが苦笑する。肯定なのだろう。
「両親が憎いと思ったわ。ルーを苦しめて、言葉で縛って。…でも、何より許せなかったのは、ルーを縛り付けていた一番のものが私自身だってことだった。私は、そこでやっとルーに自由になってほしいと思えたの。」
「自由…。」
「えぇ。私たちはもう力のない子供ではないわ。手を引かれなくても、自分で歩ける。今、私たちに必要なのは依存ではなく、支え合うことよ。」
そう言うリーの瞳は、これまでに見たことない光を宿していた。生きている、強い光だった。
「それが、僕たちの未来?」
「未来、の一つね。」
「一つ?」
いくつもあるものなのかな。首を傾げる僕に、リーはおもちゃでも見つけた子供のように笑って言った。
「ルー、ユリアス殿下のこと、好きでしょう。」
「はぁ!?」
「僕は、そんなの知らないよ。」
「もう!素直じゃないんだから。」
「素直も何も…。」
好きじゃ、ないし…。
「ユリアス殿下を見るとドキドキする。」
うっ。
「ユリアス殿下に触られると鼓動が速まる。」
ううっ。
「ユリアス殿下が名前を呼んでくれるだけで嬉しい。」
うううっ。
僕の反応を見ると、リーはやっぱり笑って言った。
「ほら、好きなんじゃない。」
「ち、違うよ…。」
「どうして?」
「だって、僕はそんな風に人を好きなっちゃいけない…。」
リーはそれを聞いてわざとらしく、大きなため息を吐く。
「ねぇ、ルー。さっきも言ったけど、私たちの未来は自由に生きることよ。自由に生きるんだから、恋くらいしてもいいに決まってるわ!」
「それ、今初めて聞いたよ。」
「認めなさい。」
僕の不満の声は、完璧に無視された。リーはそんなこと関係ないとでも言うかのように、僕を睨む。多少強引だが、きっとこうでもされないと僕は一生これを認めることなど出来ないだろうな。
そう、本当は気が付いていた。彼が僕に一目惚れだと言ったように、きっと僕も一目惚れだったんだ。
「リー。僕は、ユリアス殿下が好きだよ。」
ユリアス殿下に、恋をしているんだ。
戸惑うことも、苦しいことも、嬉しいことも。全ては彼のくれたこの気持ちゆえ。僕はユリアス殿下に恋をした。それを認めた瞬間に、僕を縛っていた何かが解けた気がした。
きっとそれは、心が解き放たれた感覚。
大切だから。それで世界は絶えず回る。