第十三話
「…。」
「何をむくれているんだ。」
貴方達兄弟のせいでしょうが。
リーが心配だ…。アリオズ殿下がリーに何するかわかったもんじゃない。なのに、なのに何故僕はこのユリアス殿下の隣で、心を弾ませているのでしょうか。
いけないんだ。わかってる。僕は、こんな風になってはいけない。女であることを辞めたんだ。ただのルーとして生きると決めたじゃないか。だから、これは違う。きっと、リーの元へ走りたくて焦っているんだ。そうだ、そうに違いない。
「離してください、ユリアス殿下。」
「俺は、お前がなんであろうとかまわない。女だろうが男だろうが関係ない。」
ユリアス殿下の掴む力が、一層強くなる。痛いのに、苦しい。苦しいのに…嬉しい。
「ぼ、くは…。」
止めて。お願い。僕は、僕のままでいたい。
「ルーテシア、俺はお前が好きだ。ルーテシア、お前は…。」
「…っ!僕は!そんなの知らない!好きだと言われてもわからない!僕はリーの為に生きるんだから!」
聞きたくない!言うな!
「ル…!」
「離せ!」
どうやって抜き出たのかは知らない。僕を掴む手は、緩んでいた気がしたけど。僕はその手から逃れて、ただ何処行くあてもなく走り続けた。
風が、水面をなぞる音がした。あぁ、心地いい。鼓動も、熱い体も、この心も…全てを飲み込んで落としてくれるみたいだ。
「綺麗な湖…。」
切れていた息もいつの間にか落ちついていた。目の前に広がるのは、大きな湖。自然の中で、僕だけが違うもののよう。
湖へ数歩近付けば、それが水鏡となって僕を映した。
「…ひっどい顔。」
そこに映ったのは、小さな小さなルーテシア。僕はあの頃と全く変わらない。
「卑怯な、ルーテシア。お前は、何故生きてるの?」
この場所で、この空間で、僕は僕という存在がいかに矮小かを刻み込む。
―何故、生きてるの?
…リーの為。
―本当に?
…もちろん。
―嘘よ。
…何故?
―だって貴女は私だもの。
…僕は、僕だ。
―僕って、誰?
「僕は、ルーテシアだ!…ただの、ルーテシア。」
叫びが、湖を揺らし森に沈む。
わからなくなる。僕はどうしたい。リーの為に生きることは望んだことだ。だって、そうでなければ僕は…。
ボクデ、ナクナル。
「は、はは…。そうか、そういうことか。」
乾いた笑い声は、心にひびを入れる。
「僕は、僕の為に…。」
傲慢で強欲な願い。そうだ、僕は僕で在るためだけに生きていたんだ。リーの為だ、母の最後の言葉だ、そんなことで自分の浅ましさを隠していた。なんて愚かな行為だろう。
「本当に、今も昔も卑怯なままだな。ルーテシア。」
確かに僕は、君だったよ。小さく卑怯なルーテシア。
水鏡の中のルーテシアが笑った気がした。僕はそれを拳で叩いて割った。何度も何度も、ルーテシアは笑って、何度も何度も、僕は彼女を割った。
「俺は、お前が好きだ。」
頭の中で反響した想い。僕へとぶつけられた気持ち。
そうだ。ユリアス殿下が現れなければ、僕はこれに気付くこともなく、最低に最高な生活をしていたんだ。リーの傍で、リーを騙し、リーを愛して生きていたんだ。
貴方のせいだ。貴方が、僕にこんな気持ちをくれるから。貴方が、僕をこんな気持ちにしてしまうから。
お願いだ。僕を、乱さないで。
ルーテシアさんの心は複雑な様子です。