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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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神様、どうか生まれ変わっても~前世の夫は私が仕えるお嬢様の婚約者でした~

作者: 夜音
掲載日:2026/02/28

 神様。どうか生まれ変わっても、彼と――



 階段の踊り場から、体が宙に浮かんだ。背筋が凍る浮遊感の後、温かなぬくもりと、石鹸の匂いに混じって香る、肌の匂い。


 ジョエル様が私を受け止めてくれたのだ。


 死ぬかもしれない恐怖と、ぬくもり。そして彼の匂い。


 その瞬間、遠い彼方にある記憶が、頭の中に流れ込んできた――前世の記憶が。


 前世の私は、日本人だった。そして、夫とともに歩道橋から落ちて死んだ。たぶん、夫も一緒に。


 生まれ変わった世界は日本ではない。魔法はないけど、中世のヨーロッパに似た異世界。


 今世の私は、ルルー伯爵家のメイドとして働いている。


 ジョエル様は、踊り場に立ち尽くしているであろうイリスお嬢様の婚約者。そして――


「怪我はないか? ミア」


 落ち着いた低い声。


 顔を上げると、ジョエル様の深い海みたいな青い瞳に私が映っている。


 ――そして、彼は前世の夫。


 ジョエル様には前世の記憶はないのだろう。私が前世の妻だとは気づいていない。


 見つめ合う私たちの頭上から、震える声が降ってきた。


「ごめんなさい。足がもつれてぶつかってしまったわ」


 ジョエル様の胸から解放され、振り返ると青ざめた表情のイリスお嬢様が立っている。お嬢様は、瞳に涙を溜めて今にも泣き出しそうだ。スカートを握りしめる両手は力が入りすぎて真っ白。


「大丈夫ですよ、お嬢様。心配いりません」


「足がもつれたって体調が悪いのかい? 部屋で休もう」


 ぬくもりと懐かしい匂いが離れていく。


 ジョエル様は、イリスお嬢様を支えるようにして階段を上って部屋へと消えていった。


 ああ、神様どうして――


 イリスお嬢様と結婚後、ジョエル様は伯爵家へと婿入りする予定だ。


 前世の記憶が戻った今、二人の側にいるなんて耐えられない。出来るだけ早く辞職し遠く離れた街を目指し旅立つことにした。



 *



 数年後。


 私は『ニナ』と名を変え、田舎の街で小さな食堂を営んでいる。


 前世では料理が好きだった。だから、お客様が「美味しい」と言ってくれる毎日は楽しい。


 あの人も、私の料理は好きだっていつも褒めてくれた。


 外食もせず毎日定時に帰宅して、私の手料理を褒めてくれた。


 手料理だけは、褒めてくれた。手料理だけは。


 どんなに疲れていても惣菜を並べるのは許されなかった。


 ……前世の夫は、愛が重かった。


『愛されている』と思っていた頃もあった。けれど、私が女友達と会うことを嫌い、実家に帰ることすら嫌がられた。職場の飲み会には参加したことがない。


 私が職場の同僚と浮気してると勘違いした彼は、その日、職場からの帰り道に突然現れた。たまたま一緒に駅に向かっていた同期を見て激昂すると、私に掴みかかかってきた。揉み合いになりバランスを崩して。


 ――そして、その勢いのまま二人揃って歩道橋から落下したのだ。


 死ぬ瞬間、神様に祈った。


『神様。どうか生まれ変わっても、彼とは二度と出会いませんように』


 それなのに、生まれ変わっても前世の夫がいた。


 神様。どうして、またあの男と同じ世界なんですか?


 絶望した。嫌だ。せっかく生まれ変わったのに、愛が重い(モラハラ)男に捕まりたくない。


 前世を思い出す前までは、ジョエル様を密かに想っていた。お嬢様の側でこっそり彼を盗み見るのがささやかな幸せだった。


 家を継いでくれる婿として選ばれたジョエル様を、お嬢様は心から想っていらした。


 彼の誕生日に贈るハンカチの刺繍の柄を相談され、私は百合の花をお勧めした。完成したハンカチの刺繍をジョエル様はとても喜んで、二人の関係は深まっていく。


 それ以来、私はお嬢様の相談役に。


「何色のドレスがお好みかしら」


「どんな演目を好むかしら」


「どんな性格の女性がお好きかしら」


 私の助言は、何故かジョエル様の好み通りだった。


 前世を思い出した今なら、理由は明白なわけで。


 はじめは喜んでいたお嬢様も、あまりにも私が彼の好みを知りすぎていることに、疑念を抱き始めた。小さな芽が育ち、嫉妬の花を咲かせるまでにそう時間はかからなかった。


 洗濯物を干していると上から偶然、植木鉢が降ってきた。


 誕生日にと貰った紅茶にたまたま毒草が混じっていた。


 そして、足元がもつれたと階段から突き落とされた。


 前世を思い出す前の私は、浅ましくもお嬢様の婚約者様に好意を持ってしまった罪悪感から、何をされてもただ黙って耐えていた。


 今思えば理不尽でしかないのに。


 今の私が、あの人を愛することはない。


 でも、もしジョエル様が前世を思い出したら?これからも毎日イリスお嬢様の嫉妬にさらされ続けたら? 


 どうか前世の記憶を取り戻さないで。


 ジョエル様が退屈しているとき、親指と人差し指を擦り合わせる前世の夫と同じ癖をするようになった。


 いつから?昔から?わからない。


 もしかしたら、私も無意識に、前世の癖が出ているんじゃないの?


 逃げるしかない。


 私が助言して結果的に、ジョエル様は自分好みのお嬢様を愛している。


 逃げるなら今しかない。


 そう思った私は、即、お暇を願い出た。


 天涯孤独の身の上だった私を拾ってくださった旦那様や奥様には感謝している。


 お嬢様の嫉妬が私に向いてからは、厄介払いしたかったのだろう。引き留めることもなく、困ったような、安心したような顔で、今後の支度金にと通常よりも多すぎる額を包んでくださった。


 後は、とにかく遠くへ。


 こうしてたどり着いたのは、国境を越えた先にある小さな田舎の村。


 街道からは外れた場所にある小さな村だ。国境を越える旅人の疲れを癒す貴重な宿がいくつかある。


 老夫婦が店を畳み、何年も放置されていた元食堂兼住居を支度金を元手に格安で借りられた。


 私は、ここで、新しい人生を始める。


 飴色になるまでじっくり炒めた玉ねぎの、甘く香ばしい匂い。


 自由を手に入れて幸せだ。


 神様。自由な人生をありがとうございます。



 *



 どうして、こんなことになったの?


 ジョエル様と夫婦になってから、私には自由がなくなってしまった。


 華やかな夜会には参加させてもらえない。


 婦人だけのお茶会に行くことすらも禁じられた。


 そして、同じ屋敷で暮らすお父様やお母様に会うことすら許されない。


「どうして、外に出てはいけないの? どうして、両親にも会わせてくれないの? 私の自由を奪わないでよ!」


「イリス。君が変わってしまったのは、あいつらと関わるからだ」


「私は私よ。なにも変わってないわ」


 何を言っても、わかってもらえないことが歯がゆくて恐ろしい。


「僕だけが君を愛しているんだ。他の誰もいらないだろう?」


 彼が私の言葉に耳を傾けることはなかった。虚ろな瞳で私の頬を撫でてから、部屋を去っていく。扉の外からガチャガチャと扉に鍵をかける音が冷たく響いた。


 窓の外には鉄格子。まさに籠の中の鳥だ。



 *



「――そういえばさ、遠くの街のお貴族様が、正気を失って妻を監禁してるって噂になってるんだよ」 


「へえ、怖いですね。……あ、スープのおかわりはいかがですか?」


「お、頼むよ。この玉ねぎのスープ、すげえ旨いな!」


「ありがとうございます」


 レードルを持つ手が、無意識に震える。


 コツンコツンと木製の器に当たって小さな音を立てた。



 神様。どうか生まれ変わっても、彼とは二度と出会いませんように――


初投稿です。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
怖い~~(((;꒪ꈊ꒪;))): 助言する人がいなくなったから変わったと? 変わらなかったら監禁はなかった?
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