婚約破棄された地味な司書令嬢ですが、実は王国唯一の禁書を読める私を手放して後悔しても、もう遅いですよ?
「君のような本の虫と結婚するなど、耐えられない」
煌びやかなシャンデリアの下、第二王子エドワード・レイ・クラウディスの声が大広間に響き渡った。
私、リリアーナ・アッシュフォードは、百人を超える貴族たちの視線が一斉に突き刺さるのを感じながら、静かに瞼を伏せた。
(ああ、やっと来た)
この瞬間を、私は半年も待っていた。
「殿下、こちらは婚約披露の場でございますが」
私の声は、自分でも驚くほど凪いでいた。五年間、この愚かな王子のために徹夜で古文書を解読し、政策を立案し、外交文書の翻訳に身を削ってきた。その全てが、今夜ようやく終わる。
「披露? ああ、確かに披露だとも」
エドワードは金色の巻き毛をかきあげ、傍らに寄り添う可憐な令嬢の肩を抱き寄せた。蜂蜜色の髪に菫色の瞳――男爵令嬢ミレーヌ・フォンターナ。彼女は計算し尽くされた憂いを含んだ表情で、私を見つめている。
(その『守ってあげたい顔』、鏡の前で何時間練習したのかしら)
「我が真実の愛を、ここに披露しよう! ミレーヌこそが私の心を射止めた女性だ!」
会場がどよめく。貴婦人たちが扇で口元を隠し、紳士たちは居心地悪そうに視線を逸らす。
「リリアーナ、君には感謝している」
エドワードは慈悲深い君主を演じるように、大仰に両手を広げた。
「だが、君はあまりに地味だ。退屈だ。いつも本ばかり読んで、華やかな社交の場に相応しくない。王子妃たる者、もっと――」
「殿下」
私は静かに、しかし明瞭に遮った。
「ご説明は結構でございます」
(五年間あなたの無能を補い、派閥の根回しをし、隣国との条約締結を成功させたのは誰だと思っているの? ああ、そうでした。あなたは『思って』いないのでしたね。考える頭がないのですから)
「かしこまりました」
私は深々と、完璧な角度で礼をした。貴族令嬢として叩き込まれた作法は、最後まで一分の隙もなく。
「では、婚約の解消をお受けいたします」
「……ふん、聞き分けが良いではないか」
エドワードは明らかに拍子抜けした様子だった。きっと泣いて縋りつくとでも思っていたのだろう。哀れな人。
「ただ一点、確認させていただきたく存じます」
「何だ」
「私が翻訳した全ての書物と、王家に捧げた知識、全てお返しいただきますね」
一瞬の沈黙。
エドワードは意味がわからないという顔をした。当然だ。この人は、私が何をしてきたか一度も理解しようとしなかったのだから。
「は? 何を言っている。翻訳など、宮廷書記官にやらせればいいだろう」
「ええ、そうですね」
私は微笑んだ。
その瞬間――。
大広間の隅々まで届く魔導灯が、一斉に明滅した。
「な、何だ!?」
「キャアッ!」
悲鳴が上がる。だが、私の周囲だけは不思議と穏やかな光に包まれていた。
(さようなら、エドワード殿下。あなたは今夜、王国で最も価値あるものを手放した)
私は最後にもう一度だけ、優雅に礼をした。
「お幸せに」
振り返らず、大広間を後にする。背後でエドワードの狼狽した声が聞こえたような気がしたけれど、もう私には関係のないことだった。
扉の向こうで待っていた栗色の髪の侍女――セシリアが、私のショールを差し出しながら小さく囁いた。
「お嬢様、お見事でございました」
「ありがとう、セシリア。さあ、帰りましょう」
(さて、明日の朝、王宮図書館の禁書庫が『白紙』だらけになっているのを見て、あの愚か者はどんな顔をするかしら)
私は五年ぶりに、心の底から笑った。
◇◇◇
その夜遅く、王宮図書館の最奥部に位置する禁書庫で、異変が起きていた。
「な……何だ、これは……!」
当直の司書が震える声を上げる。
『始祖の禁書』をはじめとする王国の至宝——数百年の歴史を紐解く古代文字の書物が、一冊残らず。
真っ白な紙の束に、変わり果てていた。
◆◆◆
第二章 隠された価値の片鱗
◆◆◆
翌朝、私は淡々と荷造りを進めていた。
王宮に与えられた小さな執務室兼私室。質素な調度品と、壁一面を埋め尽くす本棚。この五年間で唯一、私が心安らげた場所。
「お嬢様、王子殿下の側近、ハミルトン卿がいらしています」
セシリアの声に、私は本を木箱に詰める手を止めなかった。
「通して頂戴」
「アッシュフォード嬢!」
飛び込んできたハミルトン卿は、いつもの冷静さをかなぐり捨てた形相だった。額には脂汗が滲み、きっちり撫でつけていた髪は乱れている。
「禁書庫の書物が……全て……!」
「存じております」
私は穏やかに微笑んだ。
「文字が消えたのでしょう?」
「き、貴女……何をした!」
「私は何も。ただ、私がいなくなっただけですわ」
木箱の蓋を閉める音が、静かな部屋に響いた。
「アッシュフォード家が古代司書一族の末裔であることは、王家の記録にも残っているはずです」
私は立ち上がり、銀縁の眼鏡越しにハミルトン卿を見据えた。
「『始祖の禁書』は、我が一族の血に流れる魔力でのみ文字が浮かび上がる。それを解読できるのは、この王国で私ただ一人」
「そ、そんな話は……」
「殿下に報告していませんでしたか? 私は毎年の報告書に明記しておりましたが」
(もっとも、あの方が報告書を読むわけがないのは承知の上で)
ハミルトン卿の顔から血の気が引いていく。思い当たる節があるのだろう。私が徹夜で作成した報告書が、エドワードの机で埃を被っていた光景を。
「お、お待ちください! 国王陛下への謁見を……」
「私はもう部外者でございますので」
私は優雅に一礼した。
「王家の書物に関する事柄に、口を挟む立場にはございません」
「しかし、隣国との条約の解釈が……外交文書の真意が……!」
「ええ、大変ですわね」
心からの同情を込めて、私は言った。
(全く込めていない)
「リリアーナ様」
ハミルトン卿は最後の手段とばかりに、跪いた。
「どうか……どうかお力をお貸しください。このままでは王国が……」
「卿」
私はゆっくりと、一語一語を刻むように告げた。
「五年間、私は殿下のために全てを捧げました。古文書の解読、政策の立案、条約の翻訳、派閥への根回し。一度たりとも功績を認められることなく」
窓から差し込む朝日が、私の灰銀の髪を照らした。
「昨夜、殿下は私を『地味で退屈な本の虫』とお呼びになりました」
「それは……殿下の……」
「私もそう思います」
私は微笑んだ。本心から。
「私は地味で、退屈で、本が好きなだけの女です。そんな私に王国の命運を託すなど、殿下のお言葉を借りれば『耐えられない』ことでしょう?」
ハミルトン卿は言葉を失った。
「セシリア、参りましょう」
「かしこまりました、お嬢様」
私は振り返らなかった。
背後で崩れ落ちるハミルトン卿の気配を感じながら、私は王宮を後にした。
◇◇◇
馬車が王都の門を出る時、セシリアがぽつりと言った。
「お嬢様、ミレーヌ・フォンターナ嬢が『私なら禁書を読めます』と殿下に申し出たそうです」
「……そう」
私は窓の外を流れる景色を眺めた。
「楽しみね」
(嘘をついてすぐばれるのは、いつものことですものね、あの人)
「旦那様が辺境伯領でお待ちです。古書店の準備は万端とのこと」
「お父様らしいわ」
私は目を閉じた。
五年間の苦行が終わった。これからは、私の人生を生きる。
(さようなら、王子様。あなたが私の価値に気づく頃には、もう全てが手遅れですよ)
馬車は、新しい未来に向かって走り出した。
◆◆◆
第三章 新たなる理解者
◆◆◆
辺境伯領の片隅、古めかしい石畳の通りに面した小さな古書店『銀月の栞』。
私がこの店を開いて、三ヶ月が経っていた。
「いらっしゃいませ」
入口の鈴が鳴り、私は帳簿から顔を上げた。
来客は、質素な旅装の青年だった。漆黒の髪に深い紺碧の瞳。フードを目深に被っているが、隠しきれない気品が滲み出ている。
(この気配……ただの旅人ではないわね)
「何かお探しですか?」
「ああ……」
青年は店内を見回し、壁一面の古書に目を細めた。その眼差しに、本への純粋な敬愛が宿っている。
「素晴らしい品揃えだ。『セレスティア古語辞典』の初版本まであるとは」
「お目が高いですね」
私は少し驚いた。あの辞典の価値がわかる人間は、この国には数えるほどしかいない。
「実は、探している人がいるのです」
青年は私をまっすぐに見た。
「『始祖の禁書』を読める人を」
店内の空気が、一瞬で張り詰めた。
「……お客様」
「ご安心ください」
青年はゆっくりとフードを下ろした。
精悍な顔立ち。知性と穏やかさを湛えた紺碧の瞳。そして――鼻梁にかけられた銀縁の眼鏡。
「私はアレクシス・ヴァン・エルドリッジ。ヴェルディア王国国王です」
私は動じなかった。
(セシリアが三日前から『怪しい旅人が店の周りをうろついている』と報告していたものね)
「存じております、陛下」
「……気づいていたのですか」
「変装がお上手ではありませんでしたので」
アレクシス国王は一瞬きょとんとし、それから声を上げて笑った。
「これは手厳しい。護衛たちには完璧だと太鼓判を押されたのですが」
「護衛の方々は、陛下が銀縁眼鏡をかけて本を見つめる時の表情をご存じないのでしょう」
私は少しだけ意地悪く微笑んだ。
「あまりに幸せそうで、隠しようがありません」
「……参りました」
アレクシス国王は降参とばかりに両手を上げ、それからふと、真剣な眼差しになった。
「リリアーナ嬢」
「はい」
「貴女に、お願いがあるのです」
国王は懐から、一冊の古びた本を取り出した。革装丁は擦り切れ、金の箔押しは褪せている。だが、その本が纏う魔力の気配は、紛れもなく――。
「『世界の理を記した書』……」
私は息を呑んだ。『始祖の禁書』と対を成す、失われたはずの書物。
「ヴェルディア王家に代々伝わる秘宝です。しかし、我々には読めない」
「……古代司書一族の血が必要だから」
「ええ」
アレクシス国王は静かに頷いた。
「貴女が読めるという噂を聞いて、私は――いえ」
彼は言い直した。
「本当は、貴女をずっと探していたのです」
「……私を?」
「覚えていませんか? 十五年前、クラウディス王国との外交の場で」
十五年前。私はまだ八歳で、父に連れられて初めて王宮の晩餐会に出席した日。
「退屈な大人たちの会話に飽きて、図書室に抜け出しました」
「……まさか」
記憶の底から、小さな男の子の姿が浮かび上がる。黒い髪の、本ばかり読んでいると大人に叱られていた少年。
「貴女は夢中で本の話をしてくれた」
アレクシス国王は、どこか少年のような表情で微笑んだ。
「『この物語の結末を知りたくないですか?』と。あの時の灰銀の髪と琥珀の瞳を、私はずっと忘れられなかった」
(あの子が……この人だったの……?)
私の心臓が、不意に跳ねた。
「リリアーナ嬢」
アレクシス国王は、『世界の理を記した書』を私に差し出した。
「この書を、貴女の言葉で読み聞かせてはくれませんか」
「……私の、言葉で?」
「ええ。貴女の声で、貴女の解釈で。きっとそれは、世界で一番美しい物語になる」
窓から差し込む夕日が、二人の間に穏やかに降り注いだ。
私は古びた本を手に取り、そっと表紙を撫でた。指先に、温かな魔力が応える。
「……一章だけですよ」
「十分です」
アレクシス国王は――いえ、アレクシスは、眼鏡の奥の瞳を輝かせて微笑んだ。
本を開くと、白紙だったはずの頁に、金色の文字が浮かび上がっていく。
私は静かに、朗読を始めた。
(ああ、こんな顔で物語を聴いてくれる人が、いたのね)
三ヶ月前まで、言葉を尽くしても届かなかった人がいた。
今、一言も求めずに、私の言葉を待ってくれる人がいる。
夕暮れの古書店に、私の声だけが静かに響いていた。
◆◆◆
第四章 愚者の没落
◆◆◆
【視点:クラウディス王国王宮】
「何をしている! 早くあの女を連れ戻せ!」
エドワード王子の怒声が、謁見の間に響き渡った。
かつての黄金の巻き毛は乱れ、端正な顔は憔悴で歪んでいる。婚約破棄から三ヶ月、王宮は混乱の極みにあった。
「殿下、それが……」
跪いたハミルトン卿は、震える声で報告した。
「リリアーナ嬢は現在、ヴェルディア王国に滞在されており……」
「ヴェルディア? あんな小国に何の用がある!」
「それが……アレクシス国王自らのご招待とのことで……」
「招待だと?」
エドワードは信じられないという顔をした。
「あの地味な女を、わざわざ国王が?」
「アッシュフォード嬢は、『世界の理を記した書』の解読者として、国賓待遇で迎えられているそうです」
謁見の間が、凍りついたように静まり返った。
「……こ、国賓?」
「また、アレクシス国王は頻繁にアッシュフォード嬢と読書会を催されており、その……お二人の仲睦まじいお姿が、ヴェルディア国内で話題になっていると……」
「ふざけるな!」
エドワードは玉座の肘掛けを殴りつけた。
「あんな女を、あの俺が捨てた女を、国王が……!」
「殿下、今は外交問題の方が……」
「うるさい! ミレーヌ!」
「は、はい、殿下……」
隅で小さくなっていたミレーヌが、おずおずと前に出た。かつての可憐さは影を潜め、目の下には隈が浮かんでいる。
「お前、禁書を読めると言っただろう! どうなっている!」
「そ、それは……私なりに努力しているのですが……」
「三ヶ月も経って何も読めていないではないか!」
「ひっ……!」
ミレーヌは顔を覆って泣き崩れた。だが、もはや誰も彼女を庇おうとはしなかった。
(嘘がばれた女に、価値はない)
貴族たちの冷ややかな視線が、それを如実に物語っていた。
「陛下のおなーりー!」
扉が開き、国王レイモンドが重い足取りで入ってきた。その顔には深い疲労と、隠しきれない怒りが刻まれている。
「父上」
「エドワード」
国王は息子を見下ろした。
「報告は受けた。隣国との条約の解釈を誤り、賠償金三億ゴルドの支払い義務が生じたそうだな」
「あ、あれは側近たちの……」
「条約の翻訳を担っていたのは誰だ」
「リリアーナ……いえ、彼女はもう……」
「ああ、お前が捨てた『地味で退屈な本の虫』だな」
国王の声が、氷のように冷たく響いた。
「余は何という愚か者を育てたのか」
「父上……!」
「黙れ」
国王は懐から一通の書簡を取り出した。
「ヴェルディア王国からの親書だ。アレクシス国王は、我が国に謝罪の機会を与えてくださるそうだ。条件付きでな」
「条件?」
「条約解釈の訂正と、正式な謝罪を行うこと。そして――」
国王は息子をまっすぐに見据えた。
「交渉の場に、リリアーナ嬢を同席させること」
「な……!」
「立場が逆転したな、エドワード」
国王の言葉に、感情はなかった。
「お前が価値を見出せなかった女性に、今度は我が国の命運を委ねることになる」
◇◇◇
【視点:リリアーナ】
「……と、いうわけで、クラウディス王国から正式な謝罪使節団が参ります」
ヴェルディア王国の大図書館で、私は報告書から顔を上げた。
「エドワード殿下ご自身がいらっしゃるそうですね」
「ええ」
アレクシスは、私の向かいで紅茶を啜りながら頷いた。
「貴女に会いたいと」
「お断りしても?」
「勿論。貴女の意思が最優先だ」
私は少し考え、それから微笑んだ。
「いいえ、お会いしましょう」
「……いいのですか?」
「ええ。最後に、きちんとお伝えしたいことがありますから」
◇◇◇
数日後、謁見の間。
私は三ヶ月ぶりにエドワードと対面した。
かつての傲慢な輝きは失せ、縋るような目が私を見つめている。
「リリアーナ……」
「お久しぶりでございます、殿下」
私は完璧な礼をした。一分の隙もなく、一片の感情も込めずに。
「頼む、戻ってきてくれ。君がいなければ、王国は……俺は……」
「殿下」
私は静かに遮った。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だ、何でも答える」
「私が毎年提出していた報告書、一度でもお読みになりましたか?」
沈黙。
「私が徹夜で作成した政策案の、一行でも目を通されましたか?」
沈黙。
「私が古代語から翻訳した条約文の、一文字でも確認されましたか?」
沈黙が、答えだった。
「殿下」
私は眼鏡越しに、かつての婚約者を見据えた。
「本の価値も、人の価値も、見ようとしなかった方に」
一歩、下がる。
「もうお渡しする知識はございません」
「リリアーナ……!」
「お帰りの際は、護衛の者がお見送りいたします。どうぞお気をつけて」
私は最後の礼をして、背を向けた。
「ま、待ってくれ! リリアーナ!」
振り返らなかった。
振り返る理由が、もうなかったから。
◆◆◆
第五章 選び直した未来
◆◆◆
ヴェルディア王国大図書館、最奥の禁書庫。
天井まで届く書架には数千冊の古書が並び、窓から差し込む陽光が金色の埃を舞い上げている。私が一番好きな場所。
「リリアーナ」
背後から声がして、私は開いていた本から顔を上げた。
「アレクシス。今日の政務は終わったの?」
「君に会いたくて、急いで片付けてきた」
「……子供みたいなことを言うのね、一国の王が」
「君の前では子供に戻りたくなるんだ」
アレクシスは私の隣に腰を下ろし、手元の本を覗き込んだ。
「『世界の理を記した書』か。今日は何章目?」
「第七章。『喪失と再生』について」
「いい章だ。読み聞かせてくれないか」
私は少しだけ笑って、朗読を始めた。
かつて、言葉を届けても届かなかった人がいた。
今、私の言葉に耳を傾け、瞳を輝かせる人がいる。
「『失ったものを嘆くなかれ。それは、真に必要なものを見つけるための道標なのだから』」
「……いい言葉だな」
「ええ。今なら、少しわかる気がする」
アレクシスは私の肩にそっと手を置いた。
「リリアーナ。一つ、頼みがある」
「何?」
「その本を……この先もずっと、俺に読み聞かせてくれないか」
「……何年も?」
「何十年も。一生」
私は本を閉じ、彼を見上げた。紺碧の瞳が、真摯に私を見つめている。
「それは……プロポーズ?」
「ああ。不恰好で申し訳ないが」
「いいえ」
私は微笑んだ。
「本の虫には、十分すぎるほど素敵な言葉よ」
「では……」
「ええ。お受けいたします」
アレクシスは私を抱きしめた。インクと古書の香りに包まれながら、私は彼の胸に顔を埋めた。
(ああ、これが「選び直した」人生なのね)
五年間、誰かのために生きてきた。
これからは、愛する人と共に、自分のために生きる。
「リリアーナ」
「何?」
「貴女の言葉で読む物語が、世界で一番美しい」
「……お世辞が上手になったわね」
「心からの本音だ」
窓の外では、穏やかな春の風が花びらを運んでいる。
◆◆◆
【後日談】
クラウディス王国では、禁書を解読できる人材が遂に見つからず、多くの国家機密が永遠に失われた。
エドワード第二王子は廃嫡され、辺境の領地へ追放。ミレーヌは詐称の罪で男爵家もろとも取り潰しとなった。
因果応報は、いつも静かに、けれど確実に訪れる。
◆◆◆
「お嬢様、いえ、リリアーナ様」
大図書館の扉の向こうから、セシリアの声がした。
「お父上がいらっしゃいました。ご婚約の祝いにと、希少本を五十冊ほど……」
「五十冊も!?」
私は思わず立ち上がった。アレクシスが苦笑する。
「義父上は、俺より君の心の掴み方を知っているな」
「当然よ。私はお父様の娘ですもの」
「では俺も、希少本を百冊用意しよう」
「……本気?」
「君のためなら」
私は声を上げて笑った。
五年前、婚約披露パーティーで『本の虫』と蔑まれた私は、今、本の虫であることを心から愛してくれる人の隣にいる。
『婚約破棄された地味な司書令嬢ですが、実は王国唯一の禁書を読める私を手放して後悔しても、もう遅いですよ?』
ええ、もう遅いのです。
だって私は、もう振り返らないと決めたのだから。
書物が繋いだ、真実の愛。
その物語は、これからも静かに続いていく。




