刃のない名刀
御木場町博物館には現在、アカネとキョウスケの二人しか従業員がいない。
博物館と言っても実質的にはアカネの個人的なコレクションルームにすぎないので、そもそも従業員を雇う必要性が薄いというのが理由のひとつである。
見物客だって週にニ~三人来れば多いほうで、その対応も館長であるアカネ自身が行えば事足りる。ゆえに「助手」という名目で雇われたキョウスケだが、もっぱら家政婦のような仕事ばかり任されていた。
そんなキョウスケにとって、数少ない助手らしい仕事といえるのが収蔵品の手入れだ。
とは言っても専門的な作業ではなく、展示ケースのガラスを拭いたり、ホコリを払ったりといった程度だが。
それでも「博物館で働いている」という実感が得られる収蔵品の手入れは、キョウスケにとって嫌いな仕事ではなかった。
「……っよし。綺麗になった」
展示室のガラスケースをぴかぴかに拭き終え、キョウスケは満足げに額の汗をぬぐった。
ここは御木場町博物館にいくつかある展示室のひとつで、入口には古めかしい書体で「日本室」と書かれた札がかかっている。
刀に、甲冑に、掛け軸に、着物。ここに飾られているのは古風で日本的なコレクションの数々だ。
そのどれもが"異聞譚"に関わる品々だと思えば不気味さもあるが、見ようによっては風雅で落ち着きのある展示室だった。
「それにしてもこれ……飾り方、どうにかならなかったのかな」
今しがた拭き終えたケースの中身を見て、キョウスケがぽつりとつぶやく。
そこに入っているのは、古びた日本刀の柄だった。刃はなく、鍔も残っていない。赤黒い糸巻きの柄だけが、ガラスケースの中に飾られていた。
キョウスケがつねづね疑問に思っていたのは、その刀がバランスの悪い飾られ方をしていたことだ。
端的に言えば、柄のサイズに対してガラスケースが大きすぎる。せいぜい30センチ前後の柄が、1.5メートルほどの長さのガラスケースに収蔵されているのだ。
しかも柄はガラスケースの中央ではなく、左端に寄せるようにして配置されている。あたかもそれは、存在しない刃のためにスペースを空けておいているようなレイアウトだった。
「あの刀は斬れ味が鋭いから、安全のために刃のスペースを空けているんだよ」
件の柄についてキョウスケが尋ねると、アカネはそんなふうに語った。
彼女がそれを「柄」ではなく「刀」、それも「斬れ味が鋭い刀」と評したことに、キョウスケは首をかしげる。
「斬れ味って……あの柄には、刃はついていないじゃないですか」
「そうだけど、よく斬れるんだ」
アカネはそう言って、キョウスケを博物館のエントランスへ連れ出した。
築年数の古さゆえ建物のいたるところにガタが来ているが、中でもとりわけ大きな損傷のひとつがエントランス中央階段だ。
もともと階段の両脇には石造りの彫刻が施された立派な柱があったのだが、現在はその右側の柱がスパッと断ち切ったように滅失していた。
「これな、あの刀を運び込んだときに間違えて斬っちゃったんだよ」
「は?」
キョウスケはあらためて階段脇の柱を観察した。素材は大理石で、とてもじゃないが刃物で切れるような強度ではない。
アカネいわく「切断面」だという部分はつるっとして、ざらつきもとっかかりもない。工業機械で削り切ったとしても、ここまで綺麗な切断面にはならないかもしれない。
あの「柄」で大理石を切るなんて、普通なら信じられない話ではある。しかし忘れてならないのは、ここが"普通じゃないもの"を収蔵する博物館だということだ。
「あれな、妖刀なんだよ」
妖刀刃毀。それがあの柄につけられた銘だった。
もっとも「妖刀」などと称されるようになったのは明治時代以降で、かつては名刀刃毀と呼ばれていたらしい。
正確な作刀年代は不明。制作者も不明。ただ少なくとも戦国時代末期には使用されていたとみられ、いくつかの書物に刃毀の名を見ることができる。
「当時は刃がついていたんですか?」
「もちろん。けれど刀身はものすごーーーく脆かったらしくてな。ちょっと使っただけでボロボロになるから、刃毀なんて名前が付けられたんだそうだ」
刃毀について語られた書物には、興味深いことが書かれている。
江戸時代に書かれた鍛冶奇聞録によれば「岩をなますのごとく真二つに断つといへども、大根ひとつ断ちたるのみで、刃こぼれすといふ」。
つまり「岩をなますのように両断できるほどの斬れ味にもかかわらず、大根を切るだけで刃毀れする奇妙な刀」だというのだ。
「けれどもこの刀が面白いのは、どれだけ刃毀れしても、まったく斬れ味が落ちなかったということなんだ」
近代兵器が登場する以前の戦において、刃毀使いは圧倒的な戦力として活躍した。
なにしろ素人が振るっても岩を両断できるような刀だ。剣の道に命をささげた達人が使えば、その殺傷力は想像に難くない。
手練れの剣士は刀ごと斬られ、馬上の武将は馬ごと斬られ、籠城する城主も、あるいは城ごと斬られてしまったかもしれない。
あきらかに人知を超えたその斬れ味に人々は畏怖を覚え、やがて刃毀は「名刀」から「妖刀」へと評価を変えていった。
「いくら斬れ味が良くても、すぐに刃がボロボロになるんじゃ戦場での使い道は限られていそうな気がしますが」
「そう思うだろ? けれど刃毀の妖刀たるゆえんはここからさ」
大根を斬るだけで刃毀れする刀と称されていた通り、幾度かの大戦を乗り越えた刃毀はもはや「刀」と呼べる代物ではなくなっていた。
柄に埋まった茎の部分を残し、刀身はほぼ全体が消滅。斬ってはこぼれを繰り返し、最終的には刃毀れする刃もなくなって、見た目はただの「柄」になってしまった。
しかし太平の世において刃毀のような危険物は必要とされず、刃毀は武器の役目を終え、長らく地方の神社に奉納されていた。
そんな刃毀が再び武器として振るわれたのは戊辰戦争のときだった。
招集された旧幕府軍のとある兵士が、故郷の神社に納められていた刃毀を戦場に持ち出したのである。
「……刃のない刀を、わざわざ戦争に持って行ったんですか?」
「もちろん、刃はあとから入れるつもりだったんだと思うよ。刃毀の柄を使おうとしたのは、かつての名刀にあやかったゲン担ぎだったのかもね」
しかし結論から言えば、その兵士が刃毀に新しい刀身を用意することはなかった。
なぜなら刃毀は、いまだその圧倒的な斬れ味を保持したままだと判明したからだ。
「どういうことです?」
「そのままの意味さ。刃毀は刃がなくても物を斬れる刀だったんだよ」
アカネとキョウスケは「日本室」の入口に立っていた。アカネは腰にぶら下げた鍵束から一本をより出し、刃毀のガラスケースの鍵を開けた。
「迂闊に触るなよ。指がなくなるぞ」
そんな恐ろしい注意をしながら、アカネ自身は平気そうに刃毀を持ち上げた。
キョウスケは警戒し、やや遠巻きにアカネの手元を観察する。……やはりただの日本刀の柄だ。刀身はないし、なにか神々しいオーラを感じるといったようなこともない。
「刀身がなくても物が斬れる刀……ですか」
「というより、見えない刀身がある刀、なのかな。まぁ、見えないからどっちが正解なのかわからないけど」
アカネはくるりとキョウスケのいないほうを向いて、その柄を軽く振り下ろした。
びし、と音が鳴る。アカネが柄を向けた側の壁紙が斬れ、その下のコンクリートにまで一本筋の傷跡がついていた。
「すごいだろ。私のコレクションの中には他にもいろんな刃物があるけど、斬れ味ならコイツが一番だ。人も、岩も、幽霊も、たぶんなんでも斬れるぞ」
「……そんな危ないもの、こんなところに無造作に置いておかないでくださいよ」
いろいろと言いたいことはあったが、キョウスケの口から最初に出たのはそんなクレームだった。
鍵のついたガラスケース越しとはいえ、何も知らずにこんな危険物の手入れをさせられていたのかと思うと背筋が凍るような思いだった。
「安心しろ。ここには刃毀なんかより危ないものがもっとたくさんあるから」
そう言って「あはは」と笑うアカネを見て、キョウスケは自分がとんでもない場所で働いていることをあらためて認識したのだった。




