世界的ロックスターの髪の毛
御木場町博物館でキョウスケが働き始めてから一週間が経った。
主な業務は館内の掃除。それからアカネが脱ぎ散らかした服を洗濯して、放っておくと菓子しか食べないアカネのために食事を用意して、昼過ぎまで寝ているアカネに起きるよう促して……。
「助手っていうより、主婦にでもなった気分ですよ」
洗濯物の山を片しながらキョウスケがぼやくと、アカネは他人事のように「わはは」と笑った。
だらしない恰好でスナック菓子を食べながらソファに寝転がる成人女性の姿に、キョウスケは多少なりとも幻滅を覚えていた。
初めて会った時は、あんなに魅力的な女性に見えていたのに。
年上の女性というのはもっとこう、頼りがいや色気があって、思わず憧れてしまうようなキラキラした存在ではなかったか――。
キョウスケがそんなふうに考えてしまうのは、彼がまだ人生経験の浅い高校生マインドの持ち主だからなのだろう。
「ほらまた、こんなに散らかして……」
金色のドアプレートに「館長室」と刻まれたこの部屋は、キョウスケが少し目を離すと足の踏み場もなくなっていく。
ここがかつてまっとうな博物館だった頃には名前通りの使われ方をしていた部屋だが、今となってはアカネの私室として好き放題に散らかされている。
キョウスケはため息をついて、床に散らかったものをひとつひとつ片づけていく。
無造作に脱ぎ捨てられた女性下着の類にも最初はどぎまぎさせられたものだが、毎日のように同じものを片付けさせられていれば慣れもする。
服は洗濯籠に、ゴミはゴミ箱に、積まれた書物は本棚に。そうして選別していくと、この部屋にはときどき"不思議なモノ"が落ちていることもあった。
「……ん? なんですかコレ、髪の毛……?」
散らかった部屋に髪の毛が落ちている。……とだけ言えば、至極あたりまえのことのように思える。
しかし館長室に落ちていたその毛髪は、どう見てもアカネやキョウスケのものではなかった。なにしろその髪の毛は、ガラス張りの標本ケースにうやうやしく保管されていたのだから。
標本ケースの中には真っ白な綿が詰められ、そこに長さ20センチほどの茶色がかった毛髪が一本だけ納められている。
「お、いいものを見つけたな。それ、最近手にいれたばかりのお宝なんだ」
アカネのその言葉を聞いて、キョウスケは思わず標本ケースを投げ捨てそうになった。
彼女の言う「お宝」には基本的にロクな意味がない。呪物だのオーパーツだのといった、一般人にとっては害悪にすらなりうる物品こそがアカネにとってのお宝なのだ。
触らぬ神に祟りなし。君子、アカネの蒐集品に近づくべからず。それはここで働く上で、キョウスケが得た最も重要な知見だった。
「まぁ、そう怯えるなよ。それは人に害を与えるタイプの"何か"ではないから」
「……だとしても気味が悪いですよ。なんですかコレ」
「有名人の髪の毛だよ。バルストイ・マッケンティ、知らない?」
アカネが標本ケースを受け取り、裏返して見せる。
ケースの裏側に貼られたラベルの英文は、どうやら「バルストイ・マッケンティの毛髪」と書かれているらしかった。
「もちろん名前くらいは知ってますけど」
キョウスケは芸能にとんと興味のないタイプの若者だった。しかしそんな彼でさえ、バルストイ・マッケンティのことは知っている。
バルストイ・マッケンティ。1960年代に活躍したイギリス出身のロックシンガーで、今も「世界で最もレコードを売り上げたロックスター」として知られている人物だ。
その楽曲は世界数十カ国の音楽チャートを席巻し、後世の音楽にも多大な影響を与えた。もはや一人のミュージシャンという枠組みを超え、今や「偉人」として語り継がれているほどの伝説的な男である。
「バルストイ・マッケンティの髪の毛……って、本物なんですかソレ」
「本物だよ。鑑定書もある。えっと……たぶん、その辺に」
アカネが自らのデスクを指してそう言ったが、うずたかく積み上げられた本や書類の山の中から、その「鑑定書」とやらを発掘する意欲がキョウスケにはなかった。
まぁ、本物と言うからには本物なのだろう。キョウスケがなかば投げやりに納得していると、アカネは自慢げに標本ケースを掲げて言った。
「これ、けっこう高かったんだぞ」
「いくらだったんですか?」
「二十万円」
「にじゅっ……!?」
有名人の髪の毛がコレクターズアイテムとして市場に出回るケースは、実はそれほど珍しくない。
特に海外ではハリウッドスターや偉人の髪の毛がたびたびオークションにかけられ、そのどれもが高額で落札されている。
「そういう世界があるのは知っていましたが、それにしても髪の毛一本で二十万円ですか……」
「高いと思うか? けれど"世界一のロックスター"の髪の毛がこの値段はお買い得な部類だぞ。有名人の髪の毛がオークションに出品されれば、数百万円で落札されることも珍しくないからな」
相対的に見ればそうかもしれないが、やっぱりたった一本の髪の毛に二十万円もの価値がつくのは異常な気がする。キョウスケはそう思い、無意識に眉をひそめた。
しかし物の価値というものは、見る人によって違ってくるものである。キョウスケにとっては文字通り毛ほどの価値しかないソレも、ファンにとっては垂涎の"お宝"なのだろう。
「……ってことはアカネさん、バルストイ・マッケンティのファンだったんですか?」
「いや、全然。私あんまり音楽とか聞かないし」
「…………」
じゃあなんで二十万円も出してそんなモノを買ったんだよ。声には出さなくとも、キョウスケの表情がその疑問を物語っていた。
そんな彼を見てアカネは「あはは」と笑い、それから"バルストイ・マッケンティの髪の毛"にまつわる奇妙な物語を語り始めた。
「たしかにコレは人に害を成すようなものじゃない。不思議なパワーが宿っているわけでもない。でも、この髪の毛にはたしかに"異聞譚"があるんだよ」
バルストイ・マッケンティは1960年代の音楽シーンで獅子奮迅の大活躍をみせ、瞬く間に"世界一のロックスター"の座に君臨した。
そのネームバリューは音楽業界の垣根を飛び超え、世界中に莫大な経済効果を生み出した。代表曲の「Street Radio Night」は世界中で8000万枚ものレコードを売り上げたといえば、それだけで凄まじさが想像できる。
当時のファンの熱狂はすさまじく、バルストイ・マッケンティに関連するものならなんでも売れた。
レコードはもちろんのこと、彼の写真が印刷されたTシャツ、ポスター、フライヤー。彼がゴミ箱に捨てたキャンディの包み紙でさえ、オークションに出せば数万ドルの値がついた。
彼が壁に手をつけば「バルストイ・マッケンティの指紋がついた壁」として額縁が飾られ、彼がぬかるんだ道を歩けば「バルストイ・マッケンティの足跡」が化石のように掘り出される。
当時のファンはそれほどまでにバルストイ・マッケンティに関わるものすべてに価値を見出した。バルストイ・マッケンティは、あらゆるものに価値を付加する力をもっていた。
「バルストイ・マッケンティがひと撫ですれば、そこらの石ころだって黄金の価値をもつ……なんて話もあったくらいでね」
「まるで錬金術師ですね」
「そうだね。けれどもバルストイ・マッケンティの時代は長くは続かなかった」
「あ、それは聞いたことがあります。たしか行方不明になったんですよね、その人」
「そう。バルストイ・マッケンティは人気絶頂のさなか、突如として姿を消してしまったんだ」
1960年代後半。自身十三枚目のレコードをリリースした直後、バルストイ・マッケンティは突如として姿を消した。
数十年が経過した今でも真相は明らかになっていないが、世間的には「バルストイ・マッケンティは自ら表舞台を去った」というのが定説になっている。
なぜなら彼は失踪する数年前から、自らが"世界一のロックスター"であることに疲れたと、さまざまなインタビューで語っていたからだ。
彼の生み出す"価値"を求めてすり寄ってくる金の亡者たち。人権を無視した取材を続けるパパラッチ。どこまでも追ってくる偏執的なファンの群れ。
そういったものに四六時中つけまわされ、バルストイ・マッケンティの精神はすり減っていった。それらすべてから逃げるために、彼は"世界一のロックスター"をやめる必要があった。
だからバルストイ・マッケンティは音楽活動を停止し、名前も肩書きも捨てて、まったくの別人として一からやり直したのではないか……と言われているのだ。
「一方で、失踪の直後にはバルストイ・マッケンティ死亡説なんてのも出回った」
「まぁ有名人が突然いなくなったら、そういう噂も出ますよね」
「その類の噂は往々にしてデマであるものだが、バルストイ・マッケンティに関して言えば私は"死亡説"が正しいと思ってる」
キョウスケが「なんでですか?」と尋ねると、アカネは標本ケースを軽く振って答えた。
「髪の毛一本で二十万円だぞ。そんな莫大な価値の塊、いつまでも放っておけると思うか?」
髪の毛一本あたり二十万円。これはあくまで現在の価格だが、当時もバルストイ・マッケンティの毛髪は高額で取引されていた。
およそ十万本の髪の毛が生えていたと仮定して、一本二十万円相当ならバルストイ・マッケンティの頭部には単純計算で二百億円もの価値があったといえる。
いや、実際にはそれどころではない。二百億円というのはあくまでも髪の毛だけの試算であり、彼の肉体にはいたるところに価値があったはずだ。
皮膚も、骨も、血も、爪も、歯も、眼球も、脂肪も、筋肉も、内臓も。バルストイ・マッケンティのありとあらゆる部位には価値があり、それらはきっと毛髪よりも高額で取引される。
「……まさか」
「実際、バルストイ・マッケンティの"髪の毛以外"を持っていると主張するコレクターがけっこういるんだ」
アカネはすくっと起き上がり、スマホでいくつかの写真をキョウスケに向けた。
ホルマリン漬けの臓器を持って微笑む男性。瓶詰の血液を棚に飾る女性。カピカピの皮膚を額縁に入れる老人……おぞましい写真がずらりとカメラロールに並んでいる。
「これ、本物なんですか?」
「どうだろう、偽物もあるかもしれない。なにしろ鑑定書なんてないからな」
アカネが所持している"バルストイ・マッケンティの髪の毛"は当時のチャリティーオークションに出されたもので、彼がまだ活動していた時期に出回ったものだから鑑定書がついていた。
しかし血液や内臓といった"出回るはずのない部位"には当然、鑑定書などない。だからそれらは良識的なファンの間では「偽物」として扱われるのが普通だった。
「けれどひとつ、興味深い事実があるんだよ」
そう言ってアカネは、さきほどキョウスケに見せたカメラロールの写真をリストアップしたものを見せてきた。
皮膚、骨、血液、爪、歯、眼球、脂肪、筋肉、内臓……。世界中の悪趣味なコレクターたちが集めた人体の一部らしきものは、驚くべきことにほとんど"被り"がない。
「確認されている"爪"の枚数は合計で二十枚、"歯"の数が三十二本、"眼球"は二つ、"心臓"が一つ、"肺"が二つ……」
コレクターたちが所持しているそれらが、バルストイ・マッケンティ本人のものだという確証はない。
けれども不気味なことに、それらのコレクションは"成人男性一人分"として何ら矛盾のない数量に収まっていた。
それらすべてを集めて、組み立てれば、完全なバルストイ・マッケンティの遺体になるのだろうか。キョウスケはそんなことを想像してぞくりとする。
「……つまりバルストイ・マッケンティは解体されて、売られたんですか」
「証拠はないけどね。内臓や血液を買い取って遺伝子検査でもすれば、真相がわかるかもしれないけど」
「ちなみに心臓とかって、いくらなんですか?」
「仮にオークションにかけられたら、たぶん数億円はくだらないだろうね」
「おく……」
「さすがの私もそこまでは出せないよ」
キョウスケがくしゃくしゃと頭を掻くと、はらりと一本の髪の毛が床に落ちた。当然、その髪の毛には一円の価値もないだろう。
全身が価値の塊だったバルストイ・マッケンティと、大した価値のない一般人の自分。命は平等だなんて言うけれど、命の価値は決して平等ではないのだ。
「……なんか、自分は価値のない人間でよかったなぁ、なんて思っちゃいました」
「あはは。卑屈な言い回しだけど、実際その通りだね。他人から見た価値なんて、自分に付加されても迷惑でしかないんだから」
命の価値は平等ではない。けれども、価値の高さが幸福につながるとも限らない。
それは命を失ってなお"価値"としてのみ存在し続けているかもしれないロックスターの成れの果てを見ても明らかだった。




