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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

奴隷少女は『むそう』する

作者: 白水廉

1.奴隷少女は『夢想』する


 いくつもの牢が並んだ大きな部屋。

 一つの牢に二人の女性が収容されており、そこにいる者達は皆、暗い表情を浮かべている。

 そんな中でただ一人、金色の髪をした可憐な少女だけが、ベッドの上で笑みを浮かべていた。


(いよいよ明日ですね!)




 今から約四ヶ月前。

 十と少しの幼い少女は両親によって、この奴隷商の店に売られた。


 ――そのために自分は生み出された。

 物心ついた時からそう聞かされていたので、売られたことに関してはなんとも思わなかった。


 でも、やっぱり今後のことを考えると不安になってしまい、それが顔に出ていたのだろう。

 奴隷商に促されるまま牢に入ると、中にいた茶髪のお姉さんに突然抱き締められ、頭を撫でられた。


「可哀想に……よしよし」、と。

 それが89番との出会いだった。


 その後も89番は同じ奴隷の身でありながら、93の番号をつけられた少女を気遣った。

 たくさん話かけたり、優しく頭を撫でたり――そしてその時は記憶していた物語を語ってあげていた。


「――こうして少女は王子様と結ばれ、平和に暮らすのでした。めでたしめでたし」

「わぁ……!」


 それは有名なおとぎ話だったが、少女は両親に物語を聞かせてもらったことなんて一度もない。

 11年の人生で初めて聞く、それはもう素敵な恋物語に93番は目を輝かせた。


「ごめんね、うろ覚えで」


 少々はううんと首を横に振って、隣に座るお姉さんを見上げる。


「あの、私にも王子様が迎えに来てくれると思いますか?」

「えっ? えっ、と……それは」


 女奴隷の運命は決まっている。

 貴族や商人に買われたなら、家の雑事と仕事の手伝い、夜の相手を休みなく。

 買われなければ裏通りの娼館に売り払われ、通常の店では拒まれるようなことをさせられ続ける。


 まだ前者のほうがマシだが、どちらに転んでも待つのは地獄。

 王子様に迎えられて幸せになる――そんな未来は存在しない。


 それを正直に言えば、暗い未来にこの少女は絶望する。

 かといって嘘をつけば、真実に気付いた時に絶望してしまう。


 89番はどう答えるべきか頭を悩ませ――


「……そうね。きっと王子様があなたを助けに来てくれるわ」


 絶望を先送りにすることを選んだ。

 自分達が売りに出されるのは、商品価値を高めるための教育が終わってから。


 少なくとも、あと三ヶ月半はここでの暮らしが保証されている。

 せめてそれまでは希望を持って、少しでも楽しく生きてほしい。

 そうして真実に気付いた時は、騙した自分を恨んでくれていい――そんなことを考えて。


「ほんとですか!?」

「……うん」

「やった! えへへ、その時が楽しみです!」


 優しい嘘なんてものが存在するとは知るはずもなく。

 少女は89番の言葉を素直に受け入れ、そして夢想にふけるようになった。



 ☆



 綺麗に石畳が敷かれた大きな通り。

 その両脇には、石造りの塀で囲まれた庭つきの大きな家が立ち並ぶ。

 貴族街の中央、巨大な噴水がそびえ立つ広場の一角で、壁を背に九人の女が横に並んでいた。


 皆、めかしこんでおり、髪は結い上げられ、胸元を大きく開いた煽情的なワンピースドレスを纏っている。

 そして首からは年齢と金額が記された木板が吊るされており、足元には枷がはめられていた。


 今日から売りに出された奴隷達であり、これはその初お披露目だ。

 揃って暗い表情をしている中、右端に立つ93番だけはニコニコと笑みを浮かべる。


(もうそろそろでしょうか!)


 少女はきょろきょろと周囲を見回す。

 離れたところにタキシードを着込み、仮面を着けた男が数人。

 品定めしているのか、先ほどからじっと動かず自分達を見ている。


 王子様だったらすぐに声をかけてくれるし、そもそも仮面で顔を隠す必要なんてない。

 あれは違うと視線をずらすと、歩いていた中年の女達と目が合った。

 汚物を見るような目を向けられ、露骨に嫌そうな顔をしてそのまま広場を抜けていく。


 両親が向けてきていたのと同じ目、顔。

 嫌な記憶が蘇り、シュンと俯いた途端、目の前に突然影が現れた。


 ハッと顔を上げると、目に映ったのは、茶の髪を角刈りにした体格のいい壮年の男。

 この場にそぐわない地味な服装に身を包んだその男は、鋭い目でじっとこちらを見ていた。

 なんだろう。少女が不思議に思っていると、奴隷商が駆け寄ってきた。

 

「いらっしゃいませ。この娘がお気になりに?」

「ああ。こいつをもらおう」

「……えっ?」


 少女は耳を疑う。

 自分を引き取ってくれるのは、若くて爽やかなイケメンの王子様であって、こんなイカツいおじさんではない。


 そこで少女は、自分の隣の人のことを言っているのだと結論づけたが、


「ありがとうございます。ではこちらへ」


 奴隷商が手を引いたのは自分だった。

 側の天幕に連れていかれ、そこで行われた金の受け渡しを見て、ようやく少女は現実を認める。


(私、これからこの人に……)


 待ち受ける日々を想像すると、怖くて仕方がなく。


「――権利の移動のため、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「マゼル・ガンゼンだ」


 奴隷商とマゼルと名乗った男が話している間、震えが止まらなかった。



「――さあ、93番」


 足枷を外された少女は奴隷商に促されるまま、マゼルに頭を下げる。


「……お買い上げ頂きありがとうございます。これより一生をかけてご奉仕いたします」


 そして前もって覚えさせられたセリフを口にした。

 それに対する返答はなく、返ってきたのは「行くぞ」という言葉。

 少女は小さく「はい」と答えると、一緒に外に出て。


 歩き出してすぐ、89番と視線が合い、彼女は悲しそうに目を伏せた。

 なぜそんな顔をしているのか、少女にはわからなかったが、どうあれお姉さんには本当に良くしてもらった。

 少女はこれまでの感謝の気持ちを込めて頭を下げると、マゼルと共にその場を後にした。






2.奴隷少女は『無想』する


 貴族街を抜け、平民街に入って数十分が経った頃。


「名前は?」


 先を歩いていたマゼルが、突然背中越しに問うてきた。

 少女はビクッと身体を跳ねさせると、恐る恐る口を開く。


「きゅ、93番です」


 はぁと大きな溜め息が聞こえた。


「それは店にいる間の呼び名だろう。俺が聞いているのは元の名前だ」

「あ、ありません」

「何?」


 マゼルは立ち止まると、怪訝な顔を向けてくる。


「じゃあお前は家で何と呼ばれていたんだ?」

「え、えっと、『おい』とか『クズ』とか……でしょうか」

「……そうか」


 マゼルは俯き、拳を握った。

 それがどこか怒っているように見え、少女は身をすくめる。


「あ、あの――」

「……今日からお前の名はクウリだ」

「えっ、は、はい。わかりました」


 そこから話が広がるでもなく、マゼルは再び歩き出す。

 クウリと名付けられた少女は、その背中を怯えながら追うのだった。



 そうして到着したのは、小さな庭がある平屋。

 大きくも小さくもない、平均的なその家屋がマゼルの家だった。

 中に入るよう言われ、リビングへ連れていかれると、その一角に備えられたキッチンへ。


「料理はできると聞いたが」

「は、はい。お店で習いましたので」


 売りに出される前の教育期間で、クウリは他の奴隷達と一緒にさまざまなことを叩き込まれた。

 料理と家事、読み書き計算に言葉遣い、そして男を満足させるテクニックまで。

 それはもちろん商品価値を高めるために。


「それは貴族向けの豪勢な料理だろう? 平民が食うような飯は作れないのか?」

「いえ、普通のお料理も作れます。家で毎日両親に作らされていたので」

「……そうか。じゃあ家事は任せる。で、次はこっちだ」


 連れていかれたのは、二つある個室の一つ。

 その部屋にはテーブルにベッド、タンスといった家具のほか、あちこちにぬいぐるみが置かれていた。


「今日からここがお前の部屋だ。この部屋にあるのは自由に使え」


 既に誰かの部屋であるように思え、そこを自分が使っていいのか不安になったが、主人がそう言うのであれば受け入れるしかない。


「はい、ありがとうございます」

「ああ。さて、それじゃあ」


 身体にマゼルの視線が向けられた。

 ああ、これから自分は弄ばれるのか。

 クウリはぎゅっと拳を握り、身体を震わせる。


「動きやすい服に着替えて庭に来い」

「庭……あ、はい、わかりました」


 答えるとマゼルは部屋を出ていって、クウリはふぅと息を吐く。

 そうしてタンスを開くと、綺麗に畳まれたかわいらしい服がたくさんあった。


 これは一体誰のものだろう。

 そんな疑問を抱きながら、クウリは装飾のないシャツとズボンを手に取った。



 着替えて庭へ出ると、マゼルから木剣を手渡された。


「えっと、これは?」

「構えろ」


 言われた通りに構えてみると、


「違う、こうだ」


 手を掴まれ握り直させられた。


「よし。じゃあ俺がいいと言うまで素振りしろ」

「素振りですか?」

「そうだ。さっさとしろ」


 なぜそんなことをさせるのか、不思議に思いながらもクウリは剣を振り上げた。



 5分も経たずに息が切れ、10分を過ぎた頃には身体に痛みが走り出し。

 15分でいよいよ限界を迎え、クウリはもう無理だと視線で訴える。


 しかし、マゼルは何も言わず、厳しい目を向けて来るだけ。

 主人の命令は絶対。

 勝手に辞める訳にはいかず、クウリは力を振り絞って剣を振った。


「――もういい」


 声が掛かったのは、さらに15分が経ってからだった。

 クウリは倒れ込むようにぺたりと座り込む。


「続きは明日だ。動けるようになったら風呂に入ってこい」


 それだけ言ってマゼルは家の中に。

 その瞬間、クウリはばたんと仰向けに倒れる。


(明日もこんなことを……)


 これからの日々を想像して涙がこぼれた。




 何とか風呂を済ませてリビングに行くと、マゼルが料理をしていた。


「座ってろ」

「……はい」


 手伝ったほうがいいのか一瞬悩んだが、奴隷は言われたことをするだけの道具。

 無駄な口は叩かないほうがいいと判断し、素直に椅子に腰を下ろす。


 数分経って目の前に料理が差し出された。


「食え」


 クリームシチューとパン。

 奴隷の身分からすれば、想像していたよりも随分とマトモだった。

 量も十分、むしろ多いくらい。


 本来は良い人に買われたと喜ぶところなのだろう。

 しかし、クウリはその料理を見て絶望していた。

 疲労が故にまったく食欲が湧かないのだ。


「……はい。ありがたく頂戴します」


 とはいえ、食べれませんなどとは死んでも言えない。

 クウリは渋々スプーンを取って食事を始めた。



 それから三十分ほど掛け。

 何度も吐きそうになりながらも、なんとか完食。


 そして明日から自分がすべきことについて聞かされると、余暇を与えられた。

 どうやら夜のご奉仕は一切不要らしい。


 それが一番嫌だったから、そう言われた時は本当に嬉しかった。

 しかしそんな喜びも、自室のベッドに横たわると同時に霧散してしまった。


(明日も明後日もそのまた次もあれを……)


 数時間経った今も全身が痛い。

 これから先、ずっとあんなことが続くと思うと胸が苦しくなる。


「ひっく……」


 両親には、ただの一度も可愛がってもらえずに売られて。

 良くしてくれる大好きなお姉さんとは離れ離れになって。

 最後の希望であった王子様も現れることはなく。


 どうしてこんな目に遭わないといけないのか。

 クウリは自分の運命を呪った。




 起きたら朝・夕、二食分の食事を用意し、朝食をマゼルと一緒に済ませた後は掃除と洗濯。

 昼過ぎに買い出しへいき、帰宅後に素振り。


 そんな日々を繰り返すこと約一ヶ月。

 毎日続けていれば望まぬとも体力はつくもので、素振りを一時間以上続けられるようになった頃。


「素振りはもういい。これからは俺の相手をしろ」


 この日も嫌々ながら素振りを始めようとした時に、そんなことを言われた。


 ようやく素振りから解放される――そう歓喜したのも束の間。

 言われた通りに攻撃を仕掛けてみれば容易く躱され、木剣で打ちのめされるか蹴りを浴びる。


 待っていたのはさらなる地獄だった。




 買い物を終えての帰り道、歩いていたクウリは急に足を止めた。


(帰りたくありません……)


 男が高い金を出して女の奴隷を買う理由。

 それには労働力の確保という目的もあるが、やはり一番は性的な欲を好きな時に好きなだけ満たせるからである。


 しかし、マゼルは身体ではなく、素振りや戦いの相手を要求してきた。

 それに何の意味があるのかわからず、なぜ自分を買ったのか不思議だったが、昨晩ようやくマゼルの目的に気付いた。


 あの男は苦しむ自分を見て悦んでいるのだと。

 帰ればまた、その異常な性癖を満たすために自分は痛めつけられる。


(いっそのこと……)


 このまま逃げてしまおうか。

 これまで何度も頭をよぎった考えが再び芽を出す。


 でも行くあてなんてない。

 それにマゼルは前に『逃げても必ず見つけ出す』と言っていた。

 クウリは今日も断念し、主人が待つ家に向かって歩き出した。



 それから二ヶ月と少し。

 この日もクウリは木剣を握り、マゼルと向かい合っていた。


 構えも立ち位置もいつもと同じ。

 その表情だけが普段と異なっていた。


(痛いのはもう嫌です)


 クウリは目を閉じ、鼻から深く息を吸うと、口からゆっくりと吐いた。

 何度も何度も繰り返し、その呼吸に意識を向けることで、頭の中から怯えや恐怖を追い出していく。


 そうして至るは無想の境地。いつもの震えがない。

 目を開けたクウリはグッと身を屈め、憎き主人に向かっていく。


 マゼルが正眼に剣を構える。

 自然に身体が反応し、クウリは右に身体を翻した。

 放たれた右袈裟が空を斬る。


 クウリは慣性に逆らうことなく右回りに回転し、そのまま遠心力を加えた右薙ぎをマゼルの背中に。

 手に伝わる衝撃、背中の後ろに回された木剣で防がれていた。


 クウリは後ろへ飛ぶ。

 その瞬間、クウリの頭があった位置に半回転の回し蹴りが振るわれた。


 先ほどと同様、身体が勝手に動いただけ。意識しての回避ではない。

 ともあれ、絶好のチャンス。大振りの蹴りが生み出した慣性によって、マゼルは背中を見せた。


 クウリはマゼルの後頭部に目掛けて剣を振って。

 ゴンッ! と鈍い音が鳴り響いた。


「ぐぅ!」


 マゼルはしゃがみ込み、右手で後頭部を押さえる。

 それを見てクウリはハッと我に返った。


「ご、ご主人様! 申し訳ございません!」


 深く頭を下げると、左手が伸びてきているのが目に入った。

 遠慮するなと言われていたとは言え、奴隷の分際で主人を傷つけてしまった。


 報復されて当然で、殴られても文句は言えない。

 クウリはたまらず目を閉じる。


「…………?」


 頭に心地よい感触。

 何が起きたのか目を開けて確認すると、マゼルは怒るどころか嬉しそうに笑みを浮かべ、自分の頭を優しく撫でていた。


「良い動きだった。今の感覚を忘れるな」


 そうして告げられるのはそんな言葉。

 何がどうなっているのか、クウリは頭をフル回転させ、状況把握に励む。


 自分は勝負に勝った。

 そうしたら頭を撫でてもらえた。

 お褒めの言葉もかけてもらえた。


 嬉しさが遅れて込み上げてきて、クウリはぱぁっと顔を明るくさせる。

 するとマゼルは顔をハッとさせ、腕を引っ込めた。


 いつもの険しい表情に戻り、ゆっくりと立ち上がる。


「何をボケっとしている。早く続きをするぞ」


 クウリは単純だった。

 ついさっきまでマゼルのことを心の底から嫌っていたし、恨んでもいたが、今のやり取りでそんな気持ちはどこかへ飛んでいった。


 代わりに生まれたのは、もっと褒めてもらいたい。

 また頭を撫でてほしい、そんな感情。

 クウリはすくっと立ち上がると――


「はいっ!」


 キラキラと輝いた目で元気に答えた。




 それからというもの、クウリはマゼルとの勝負に前向きに臨むようになった。

 マゼルの攻撃の手が緩むことはなく、相変わらず痛めつけられてばかりだったが、それでも腐ることはなく。


 褒められたい一心で何度もマゼルに向かっていき、一日の中で半分以上の勝ち星を挙げられるようになった頃。


「ただいま戻り――」


 買い出しから帰宅したクウリの目に映ったのは、リビングで倒れているマゼルの姿だった。






3.奴隷少女は『無双』する


 気付くとマゼルは自室のベッドの上にいた。

 身体がいつも以上に重い。

 動かそうとすると全身に痛みが走る。


 それでもなんとか身体を起こすと、目についたのは部屋の中央に置かれた丸テーブル。

 そこに、紙に置かれた白い粉末と水が入ったコップ、一口大に切られたフルーツがあった。


 それを見て、マゼルはなるほどと理解した。

 クウリが倒れていた自分をベッドに運び、その上で医者を呼んでくれたのだろう。

 しかし、そうした理由がわからず不思議に思っていると、突然何かが込み上げてきた。


「ぐっ、ごほっ、ごほっ」


 白い掛け布団が赤く染まる。


(ここまでか)


 激しい運動のせいか、医者から告げられていた時期よりずっと早い。

 それでもマゼルは目の前に迫った死に一切の怯えを見せず、それどころか安堵していた。

 間に合ってよかった、と小さく笑みを浮かべる。


 その時、自室のドアがゆっくりと開かれた。

 そこに立っていたのは桶を両手に、暗い表情をしたクウリ。

 目が合うと、彼女の手から桶が滑り落ち――


「ご主人様……!」


 駆け寄ってきては、胸に抱き付いてきて。

 胸元がじわりと滲んだ。


「お願い、です。死なないで、ください」


 向けられた目には涙が浮かんでいる。


(あぁ……)


 クウリにこんな想いをさせないために、厳しく接することで自分を恨むよう仕向けてきたつもりだった。

 しかし、それは失敗に終わったらしい。

 なぜかはわからないが、クウリは自分に懐いてしまった。


「クウリ、すまなかった」


 マゼルはクウリを抱き締め返すと、その頭を優しく撫で。

 勝負で一本を取られて以降、時折聞かれては一切答えなかった質問。

 クウリを買った理由、そして自分についてのことをぽつぽつと語り始めた。



 ☆



 今から四年前。

 Bランクの冒険者として活動していた頃、男手ひとつで育てていた最愛の娘が病によって亡くなった。


 妻に続いて娘も。

 あまりにも悲しいその現実から目を背けるように、マゼルは一層仕事に励み、依頼がない時は訓練に時間を費やした。


 その功績により、王国でも有数のAランクに昇格したのが昨年のこと。

 それからも、朝から晩までひっきりなしに依頼を引き受けてはこなすという日々を続けていたある日、冒険者ギルドでマゼルは倒れた。


 病院で告げられたのは病が進行しており、助かる見込みはないという死の宣告。

 奇しくも妻、そして娘を蝕んだのと同じ病だった。


 マゼルはその後も冒険者を続けようとしたが、その弱りきった姿から依頼を受けさせてはもらえず。

 ギルドマスターからこれまでの貢献の礼として、いくらかの金を渡されると、そのまま除名となった。


 その帰り道、現実逃避の手段がなくなってしまい、呆然と街を彷徨っていたマゼルの目に映ったのは、売りに出された奴隷達。

 その中の一人、さらさらとした綺麗な金の髪を持った少女に目を奪われた。


「クウリア……」


 顔立ちも髪の色もまったく異なる。

 しかし、その雰囲気がどこか死んだ娘のクウリアに似ていた。


 だからだろう、マゼルは少女を助けてやりたいと思った。


 でも、自分が買ったとしてその後は?

 自分はそう遠くないうちに死ぬ。

 購入代金でほとんど消えてしまうので、彼女に遺してやれる金はなく、少女は露頭に迷うことになる。


 結局彼女を不幸にするだけだと、踵を返そうとした時、ふと思いついた。


 自分には長年で培った戦闘術がある。

 それをあの少女に授けることで、冒険者として独り立ちできるように手助けできるのではないか、と。

 ちらりと見えた木板によれば、幸いなことに彼女は11歳とのこと。

 来年には冒険者として登録できる。


 残り時間が限られているので、スパルタ教育を施すしかなく、辛い思いをさせるだろう。

 だが、今後の一生を奴隷として生きるよりはマシなはずだ。

 それに厳しく接していれば嫌われて、自分が死んでも悲しませることもない。


「よし」


 マゼルは急いで家に戻っては、金を持ってすぐに貴族街に。

 そうして奴隷の少女を買ったのだった。





 これまでの仕打ちは自分を思ってのことだったとわかって。

 本当は大切に思ってくれていたことが伝わってきて。

 慰められてようやく泣き止んだクウリは、マゼルに笑みを向けた。


「やっぱりご主人様は私の王子様だったんですね」

「王子様?」

「はい! 私、王子様が迎えに来てくれるってずっと――」


 クウリは89番のこと。

 彼女から物語を聞いて以降、ずっと王子様が迎えに来てくれるのを待っていたことを話した。

 するとマゼルは困ったように笑い、「王子様らしいことをできずにすまんな」とクウリの頭を優しく撫でた。


 その後はこれまでの分を取り返すかの如く、話に花を咲かせて。

 その中でクウリは将来の夢について尋ねられた。

 少しの間考えて、そうして頭に浮かんだのは89番の顔。


「私、お姉さんを助けてあげたいです。それと私みたいに親から売られた人や家族を守るために自分を売らなくちゃならなくなった人達も」

「……そうか」


 マゼルは頬を緩めると、クウリの頭に手を置く。


「立派な夢だ。お前ならできる。頑張れよ」

「はいっ!」



 数時間後、マゼルはベッドの上で息を引き取った。

 その表情は柔らかく、どこか満足した様子であった。



 ☆



 それから二ヶ月が経ち。

 一つ歳を重ねて12になったクウリは、冒険者ギルドに足を運んでいた。

 訓練用のカカシが置かれた広々とした部屋、ギルドマスターを名乗った壮年の男が口を開く。


「――ではこれより、ランクを決定するための測定を行う。鐘が鳴ったら開始だ」

「はい」


 クウリは正眼に木剣を構え、呼吸を整える。

 ほどなく、カーンと景気のいい音が耳に届いた。


 それと同時にクウリは床を蹴り――




 ――再度鐘が鳴った後、相手をしていた男が感心した様子で近づいてくる。


「驚いたな。その若さでこの強さとは。誰かに戦闘術を学んでいたのか?」

「はい。ご主人様……えっと、マゼル・ガンゼンに稽古をつけていただいて」

「マゼル……なるほどな、道理で」


 ギルドマスターはうんうんと頷くと、しゃがんで視線を合わせてきた。


「Cランクだ。これからの働きに期待する」


 マゼルの予想通り。特に驚きもない。


「はい。頑張ります」


 こうして冒険者――クウリ・ガンゼンは誕生した。



 ☆



 約一年後。

 クウリはかつて自分が売られた奴隷商の店にやってきていた。


「――あの、89番は」

「ええ、約束通りまだこちらに。それでそちらは?」


 マゼルの死後、クウリはすぐに店を訪れた。

 そして89番について尋ねると、まだ彼女は売れていなかった。

 誰かに買われていたら、その時は直接買い主に譲ってもらうように頼むつもりでいたが、当然足元を見られる。


 クウリはほっと安堵すると、奴隷商に交渉を持ちかけた。

 ――自分が89番を買うから他の人には売らないでほしい。代わりに相応の金を用意する、と。


 奴隷商はその提案を快く受け入れた。

 どうも損切りのため、そろそろ娼館に売り払おうかと悩んでいたところだったらしく、クウリの提案は渡りに船だったらしい。


 そうして期日と金額について取り決め、その期日が今日。

 必死に多くの依頼をこなし、何とか間に合わせることができた。


「はい、ここに」


 クウリは大きな巾着袋をテーブルに置く。

 じゃらっと音が鳴った。


「失礼しますね」


 奴隷商は袋を開けると、金貨を積み重ねていく。


「はい、確かに。ではこちらへ」


 クウリは頷いて奴隷商の後を追う。

 複数並んだ牢、その中で絶望の顔をした女達が目に入った。


(この人達も私がいつか……)




「――こちらです」


 奴隷商が奥から一つ前の牢で立ち止まる。

 隣に並んで中を見ると、他と同じく二人の女性。

 黒髪の女性は怯えたようにこちらを見ており、もう一人の茶髪の女性は大きく目を見開いていた。


「89番、出なさい」


 開かれた扉からゆっくりと呼ばれた女性が出てくる。

 約一年半ぶりの再会、彼女は記憶にあるままの姿だった。


「嘘……本当に?」


 もう不安な思いをさせないため、交渉が成立した日に自分が彼女を買うということを、本人に伝えてもらうよう頼んでいた。

 まさかそれが本当だとは思っていなかったのだろう。

 89番は信じられないといった様子で、両手で口を抑える。


「お久しぶりです、お姉さん。すみません、お待たせしちゃいました」


 クウリはペコリと頭を下げると、少し顔を赤らめて。


「えへへ、『僕と一緒に来てくれるかい?』、です!」


 かつて89番が話してくれたおとぎ話、そこに登場する王子のセリフを口にした。



 ☆



 庭の隅に置かれた三つの丸みを帯びた大きな石。

 その右側、まだ真新しい『マゼル・ガンゼン』と刻まれた石の前で、クウリは両膝をついていた。


「――もう少しで、また一人助けてあげられそうです。えへへ、今日も頑張るので応援しててくださいね」


 そう言うと立ち上がり、後ろにいた89番――ミゼロラにリュックを背負わせてもらう。

 続けて鞘や柄から年期を感じさせる剣――マゼルから譲り受けた剣を受け取って。


「行ってらっしゃい。気をつけてね」

「はい! 行ってきます!」


 クウリは笑顔で答えると、一人でも多くの奴隷を救うため、今日も冒険者ギルドに向かうのだった。

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― 新着の感想 ―
いい話です。いい話ですが…健気で優しくかわいいクウリ、 その努力が、結果的には奴隷商を通じて93番の親みたいな人たちに流れるのかと思うと… マゼルや89番のような優しい人たちに出会って、明るい未来が見…
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