嘘でもいいの
考えたこともなかった。
あなたに置いて逝かれる日が来るなんて。
だって。
ずっと。
残して逝くのは私の方だと思っていたから。
そう信じて、疑ったことなど1度もなかった。
気付けば私は彼にすがりついていた。
後ろから、彼の腰に腕を絡める。
「どうした?」
「・・・どうもしないよ?」
きっと、彼に伝えたいことはたくさんあるのに、形にできない。
言葉に詰まって上手く伝えられない。
「仕方ないな」
彼は苦笑を浮かべて、腰に回されていた彼女の腕を外す。
その仕草はどこまでも優しい。
不意に涙がこぼれそうになったことは彼女だけの秘密だった。
彼は身体を反転させて、彼女と向き合う形を取る。
もっと、彼女の近くにいるために。
そして、彼女よりもずっと大きな彼の手のひらが、彼女の手のひらを包み込んだ。
「ほら。なにがあったか言ってごらん」
彼はゆったりとした動作で腰をかがめる。
穏やかな笑みを浮かべながら、彼女の瞳を覗き込む。
「あなたはいつも嘘ばかり」
素直に告げられた彼女の言葉に、彼はいっそう笑みを深める。
あなたは私に本当のことはなに1つ教えてくれない。
今だってそう。
自分が死にそうだというのに、私にはなにも言わない。
私、知ってるのよ。
あなたがもうすぐ死んでしまうんだって。
私の前から消えてしまうんだって。
独りの未来を思っただけで、身体が震えだす。
恐怖が襲いかかって来る。
辛いよ。
耐えられない。
「独りは嫌なの」
あなたに私は必要ないの?
私は、ずっと一緒にいたいのに。
「独りなんて言わないで。俺は君のもの。そして君は俺のもの、でしょう?」
彼は静かに彼女の手のひらを持ち上げた。
目の前に掲げられた指先へと唇を落とす。
そのまま彼の唇は彼女の指をなで、手の甲へと移って行く。
最後にもう1度、口づけが彼女の真っ白な手の甲に落とされた。
「嘘つきの言う言葉なんて信じられないわ」
かたくなな彼女の態度を、彼はひたすら優しい眼差しで見守り続ける。
「俺は嘘なんてつかないよ」
彼女も挑戦的な態度を崩そうとはしなかった。
「なら、誓って。私があなたを信じられるように。私より先に死なないと。ずっと一緒にいると、誓ってよ」
彼女は彼の首に、その腕を絡めた。
甘えるように彼の肩へと顔をうめる。
なぜだろう。
体温の低い彼の身体がとても温かく感じられる。
まるで、触れ合った互いの身体が熱を生んでいるかのように。
目に見えない2人の想いが、1つに溶け合ってしまったかのように。
強い想いで引き合い、離さないでと、抱きしめてと、求めあっている。
「ずっと一緒だよ。例えこの先なにがあったとしても。どんな時でも、俺は君の隣にいる。
俺は君のもの、そして君は永遠に俺だけのものだ」
ほらね。
そうやってあなたは、私に嘘をつき続ける。
甘い言葉で惑わせて、その憂いを含んだ瞳で私を酔わせる。
でもね。
今はその嘘さえも欲しくてたまらないの。
あなたの嘘さえ私を満たす。
あなたでないと、私は決して満たされない。