5.5歳
生まれ変わった先で、父親が魔王の息子という爆弾宣言をされてから二年が経過した。
私の頭に角が生えることも羽が生えてくることもなく、本日五歳の誕生日を迎えた。
この二年はなんだかとても大変だった。
幼児の小さな脳みそで処理しきれないほどの情報量に押しつぶされそうになりながらも、なんとか少しずつ理解を深めて、今では父から得た情報と自分の立場を整理するように日記をつけている。まだ覚えたての文字ではうまく書けないし、誰かに読まれたら大変なので、日本語でこっそりと。
父のゼルフィノンはルードクロヴェリア公爵家の嫡男ではあるが、魔界の王子でもあるという。そして年齢は千歳を超えてから数えていないらしい。
つまり、私を甘やかして可愛がってくれている祖父母は、本当に血の繋がった祖父母ではないということで……私は人知れず泣いてしまった。
だってあんまりだよ……あの善良な人たちは、父のことを実の息子だと思っているんだもの……!
記憶操作をしたのか、催眠術でも使ったのかと疑問に思っていたら、去年の誕生日に父が真実を教えてくれた。
『ルードクロヴェリア公爵の息子は十八の時、馬車が横転して死にかけていた。そこに退屈しのぎでこの地を散策していた私が通りかかり……』
『命を助けたのですね!』
『止めを刺して入れ替わった』
『……』
白昼堂々人でなしな発言を聞いて、声に出して罵らなかった私を誰か褒めてほしい。
この悪魔! って言いそうになったけれど、それは悪魔にとっては褒め言葉だろう。
父曰く、随分苦しんでいたようだったから止めを刺した方が結果的に人間も楽になれたと言っているが、四歳の倫理観では肯定も否定もできない。純恋としてなら思うこともあるけれど、この世界の倫理がどうなっているかはまだ未知数だし……でも近くに病院があれば連れて行ってあげてと思うのはどの世界でも共通のはずだ。
ゼルフィノンと言う名は父が使用しているいくつかの名前のひとつだそうだが、ミドルネームと愛称のフィン呼びは本人の名前を使用しているのだとか。奇跡的に馬車の事故から生還したけれど、後遺症でそれまでの記憶を失ったという設定にして、一時期社交界の注目を浴びていたそうだ。近しい人にはしばらく本人の顔に見えるような幻影魔法を使い、徐々に認識を歪めていって悪魔本人の顔に慣れさせた。
そもそも、なんで魔界を出てこの地で散歩をしていたのかと聞くと、父は一言『暇つぶしだ』と言った。毎年キャパオーバーで気絶してしまっていたが、随分体力もついたことで去年の私は最後まで意識を保てていたと思う。頭痛はしたけれども。
ところでなんで人の誕生日をカミングアウトの日にするんでしょうね……生まれてからたった数年なのに、毎年の誕生日が気が気じゃなくなっている。
そして今日、私は子供らしからぬ陰鬱な気持ちで誕生日パーティーを迎えていた。
毎年領地の屋敷でパーティーをしてくれるのは嬉しい。去年は母方の祖父母とも会えたし、少しずつマルルーシェとしての交友関係も広がってきている。
けれど人には言えない秘密も増えてきているわけで……あの悪魔は一体私をどうしたいのか、私はこれからどうやって生きて行けばいいのか不安で仕方ない。
「お嬢様、ご機嫌斜めのようですね。本日の主役なのにいかがなさいましたか?」
「レイ」
金の髪を背に流した麗しの貴公子……いや、うちの家令兼私の教育係が可愛い花束を渡す。
「私からのお誕生日プレゼントです」
「わあ……! かわいい……ありがとう、レイ!」
薄ピンクの薔薇の花束だ。匂いもよくてとっても愛らしい。同系色のリボンで結ばれているのも胸をときめかせてくれる。
満面の笑みでお礼を告げると、レイナートはいつも以上に優しく微笑んでくれた。
はぁ~、中性的で麗しい男性から優しくされるだけで気分が浮上するとか、これってもう初恋じゃないかな?
レイナートが父の関係者だということは十分わかっている。彼が父の右腕であることも理解しているが、同時に私の悩みを聞いてくれる理解者でもある。
お母様はなにも事情を知らない普通の人間というのも、レイナートから教えてもらった。父とは滅多に交流がないどころか、月に一回くらいしか顔を合わせないこともあるので、気になったことはレイナートから教えてもらっていたのだ。肝心なことははぐらかされてしまうが。
半年前から私の教育係もしてくれているし、なんとも優秀な男性である。若いメイドさんたちにも大人気で、実は名の知れた貴族の出身ではないかと屋敷内で噂されるくらい。
女性心に敏感で、気が利いて顔が良くて有能なら、モテないはずがない。
私も少しずつ勉強をはじめてから、飴と鞭の使い方にすっかり慣らされていた。厳しいときはとことん厳しいけれど、きちんとできたときは褒めてくれる。
「よくできましたね、お嬢様」と言いながら頭を撫でてくれるのは癒しのひと時で……私はこの胸の高鳴りが初恋なのだと密かに思っていた。
「旦那様から先ほどお呼び出しがありましたので、一緒に参りましょう」
「え……またお父様が?」
私の不安な表情を見て、レイナートが眉を下げた。
「私も理由は存じ上げないのですが、お嬢様の誕生日はきちんと話し合いの時間を設けようと思っているそうですね」
話し合い……物は言いようだ。私は望んで聞きたいわけじゃないのですが。
次々と私に暴露するのは、父なりに理由があるのだろう。私が悪魔と人間のハーフで、いつ悪魔の血が目覚めるかわからないから観察しているのだと思うけど、はた迷惑な話である。
一体この屋敷の中で誰が父側の人間なのか……その勢力図も知らないので、私はレイナート以外には真の悩みを打ち明けることができないでいた。
庭園にある東屋に到着すると、父がすでに待っていた。
相変わらず神々しいまでの美貌である。陽の光を浴びてキラキラ輝く銀の髪……っていうか、本来の色は紫黒色なのにわざわざ銀に変えた理由はなんだったのだろう。本物のルードクロヴェリア公爵令息が銀髪だったのかな……。
「マルル、誕生日おめでとう」
「っ! あ、りがとうございます」
記憶にある限り、はじめて面と向かっておめでとうと言われた。
なんだか普段は部下を振り回す横暴な上司が、ふいに見せた優しさと近いものを感じる……横暴な上司と考えると、悪魔よりも身近に捉えられそうだ。
「それで、今年はどんなお話ですか?」
父と向かい合わせに座る。
私の確認は意外でもなんでもなかったようで、父は少し考えたそぶりを見せてから、すぐ傍にいるレイナートに視線を移した。
今回はレイナートの素性について教えてくれるのだろうか?
それはちょっと気になっていたから、教えてもらえるなら嬉しいかも! 好きな女性のタイプとかがわかれば、私もそんなレディになれるように自分磨きを頑張れたり……!
そんな風にうきうきしていたのに、父は私にとっても悪魔だった。
「そうだな、お前の教育係につけているレイナートだが」
「はい」
「あれはお前と血の繋がった兄だ」
「……はい?」
「母親違いの異母兄だ。私の一番目の息子にあたる」
「…………は、い?」
ぎこちなくレイナートに視線を向ける。
彼はどことなく気まずそうな顔で、「少しバラすのが早すぎませんか」と言っていた。
父が250歳を過ぎた頃に、純血の悪魔と結婚して生まれたのがレイナートということで、彼ももう800歳を超えている超がつくほどの高齢者だった。見た目は20代にしか見えないが。
魔界では重婚が罪ではなく、お相手の第一夫人とはもう数百年も会っていないらしい。悪魔の寿命って一体どうなっているんだろうと慄いた。
その日のパーティーで私は一切食事が喉を通らず、夜は一晩中ベッドの中でしくしく泣いた。
初恋だと思った相手が異母兄だと知るなんて、早すぎる失恋に胸が痛んでいつまでも涙が止まらなかった。




