11.9歳_2
この国の第一王子、サディアス・エーレンフリート・レインデール殿下は私の二個上の十一歳だった。
パッと見、私より少し目線が上くらいなので同い年と言われても違和感はない。まあ、成長期の子供の発育は個人差があるだろう。
父が何故突然私の誕生日に王子様を連れてきたのかはわからないが、はじめて王族を紹介されて自分の立場を思い出した。
強烈すぎる身内がいるせいで忘れそうになっていたけど、私公爵令嬢だった! 身分的には一番王族に近い令嬢じゃないか。
王子と年齢が近いとなれば、子供の頃から交流があってもおかしくはない。相性がよさそうであれば婚約者候補に……なんて打診される可能性に気づき、笑顔の下で冷や汗をかく。そんな未来は想定外です。
でもまあ、婚約者候補に選ばれるのはうち以外の公爵家だろう。レイナートによると、公爵家はうちを含めて四家あるという。私と年齢が近い令嬢もいるそうなので、上位貴族から婚約者候補を選ぶならそちらからどうぞ。なにも悪魔が当主をしている家から選ぶ必要はない。
その他の理由でいきなり王子がやってきたのは何故なのか……私の頭に思い浮かんだのは「監査」の二文字だった。
もしかして国王様から、ちょっと公爵家の内情を探ってこいと命じられたとか……? 子供なら油断するはずだから、詰めが甘くなるだろうと思われていそうだ。見られたらヤバいものとか見つけてしまうかもしれない。
抜き打ちの本社の監査とか、神経使うし胃も痛くなるしで本当に嫌いなんだよな……残業増えるので下々はたまったものじゃない。連休明けとかにやって来られたら、マジで忙しい時に何考えてんだ! とイライラがMaxになるよ。
今年になって領地に監査が入る理由はわからないが、父がなにかやらかしたのかも……めちゃくちゃあり得そうだ。なにかおかしいと気づかれたのかもしれない。国王陛下とプライベートで会うような仲なのかはわからないけど。
というか悪魔の交流関係をきちんと把握していなかったことに気づいて、私は己の迂闊さに青ざめそうになった。
どこかで本物の公爵じゃないとバレていたらどうしよう……! 有能なレイナートのフォローがどこまで行きわたっているのかもわからない。
まあ、悪魔の交友関係は後で考えるとして。父が監査を招待した理由が気になる。これは恐らく、私に接待をしろということ? とりあえず縁を紡いでおいて損はないし、うちに不利益にはならないよう多少ヤバそうなものが見つかってもごまかせるくらい仲良くなって、相手を持ちあげておけと……?
九歳で得意先をよいしょさせるなんて、なかなかの鬼畜っぷりだ。本当にお父様は悪魔である。
「喉は乾いていませんか? 殿下。搾りたてのジュースを用意しているのでぜひ」
「ありがとうございます。喉は乾いてないので大丈夫です」
「では、小腹は減ってはいませんか? 我が家の料理長がとてもおいしいお菓子をたくさん作ってくれたのですよ。私が考案したお菓子もあるので、よろしければ召し上がってください」
「マルルーシェ嬢がですか? それは気になりますね。ぜひ食べてみたいです」
このくらいの年齢なら男女関係なく甘いものが好きだろう。まあ、おじさんになっても甘いものが好きな人も多いと思うけど。
王子様に我が家のプルンを振る舞ってみた。とりあえず胃袋を掴んでおけ作戦だ。我が家が取り潰されたら、プルンは一生食べられないと思ってほしい。レシピを譲るつもりはないので。
今日は私の誕生日なのでちょっと豪華にプリンアラモード風にさせて、生クリームとフルーツも添えている。
この世界に抹茶があれば抹茶味も食べたいのだけど、なかなかそこまでは調べきれていない。チョコレートのプルンもおいしいけれど、今日はシンプルなプルンを用意させていた。我が家に遊びに来た人には必ずと言っていいほどプルンを振る舞い、ファンを獲得している。さすが老若男女に愛されるスイーツだ。
「ルードクロヴェリア公爵家のデザートはすごいですね。この、プルン? とても滑らかでおいしいです。これをマルルーシェ嬢が考案したのですか?」
「えっと、はい……でもちゃんと料理長とレシピを作った自信作ですよ。すっかり我が家の定番のおやつです」
王子様が天使のような笑顔を見せた。その愛らしさに思わず絆されそうになるが、気を抜いてはいけない。
というかさっきから気になっているんだけど、王子の口調が硬いのは初対面だからかな。はじめはきちんと距離感を図るようにと教育をされているんだったら、しっかりしたご両親なのだろう。
そういえば合コンの席で年下だとわかると急にタメ語を使ってくる男とかいたな……親しくもないのに距離感がバグってるとか、慣れ慣れしいと腹立たしく思っていたっけ。
なんだかさっきから過去の記憶が蘇りすぎである。監査とか考えてしまったからか。
上品な所作でプルンを平らげると、王子様は私にギフトラッピングが施された箱を手渡した。
「マルルーシェ嬢のお気に召すかわかりませんが、私からの誕生日プレゼントです」
「まあ、わざわざありがとうございます。うれしいです」
下手に遠慮するのも失礼になる。私のために王子が選んだのかどうかはわからなくても、喜んで受け取るのが礼儀だ。
やや重い箱を開ける。出てきたのはガラスで作られたグラスだった。
「まあ、すごく綺麗……!」
コロンとしたフォルムが可愛らしいグラスだ。上半分は透明で中間から下にかけて青のグラデーションになっている。とても繊細で工芸品のようなグラスだ。ビールがおいしく飲めそう……早く成人になりたい。
王子、センスいいな! という気持ちを込めて満面の笑みを見せた。
「ありがとうございます、殿下。すごく美しいですね」
「気に入ってもらえたようでよかったです。マルルーシェ嬢の髪色に似ていると聞いたので」
どうやら私の特徴を調べたらしい。確かに私の髪の毛は、コスプレイヤーのウィッグのようで毛先の方は青色が強い。根本は灰色なのになんとも不思議な色をしている。
「割らないように気を付けながら大事に使いますね。あと、私のことは呼びやすい名前で呼んでくださっていいですよ」
丁寧に箱に戻して、近くにいたレイナートに手渡す。彼は心得たように安全な場所に保管しに行った。いただいたプレゼントを置く場所を作ってあるのだ。
「名前ですか?」
「はい、ただのマルルーシェでもいいですし、長いようでしたら短縮しても。お父様はマルルと呼んで、お母様はルーシェと呼びます」
さっきから地味に気になっていたのだ。マルルーシェ嬢と連呼されるのはなんだかちょっと居たたまれない。どうもぞわぞわする。
ちなみにお父様は私を「マルル」と呼ぶが、機嫌が悪いときや怒っているときは短縮して「マル」と呼ぶ。そのうちガチギレでもされたら「マ」としか呼ばれなくなるのではないか……と密かにレイナートに尋ねたけれど、さすがに彼もそんなことはないだろうと否定していた。むしろ「マ」としか呼ばなくなった瞬間を聞いてみたい。
王子は少々考えこんだようだ。困らせたいわけではないので「呼びにくいかと思って提案しただけなので、特にないようであればこのままで」と告げた。
「では、私もルードクロヴェリア公爵夫人のようにルーシェとお呼びしても?」
「もちろんです」
お母様と同じ呼び方か。ちょっと照れるな。
私が内心にまにましていると、王子は自分のことも名前で呼んでほしいと提案してきた。
これは人との距離感を詰めて、親しくなったところで弱みを探る作戦だろうか。隠し事ならたくさんあるので、探られるのは困ります。
でも断ったら心の距離が開いてしまうし接待にならない……「では、サディアス様」と呼んでみた。
「サディでいいですよ」
「そ、そうですか? では、サディ様は普段の口調もかしこまっているのですか? 私相手にかしこまる必要はないので、どうぞ話しやすい口調で話してくださいね」
王子は瞬きをし、ほんのり眉尻を下げた。
「……よく、わからないのです。早く大人にならなければと思うあまりに、口調だけでも大人びた方がいいのではと思っていたら、どうやって喋っていたのか。もっと小さい頃は僕と呼んでいたと思うのですが」
ジュースを飲む姿は子供なのに、その落ち着きぶりは確かに子供らしからぬ振る舞いだ。
十一歳なんて小学校五年生くらいだよね? 純恋の頃は小学生男子なんて休み時間になるとドッジボールをしたりサッカーとかでグラウンドを走り回ってたし、先生に静かにと注意されても最後まで騒いでいたのが男子だった。
全然大人の言うことを聞かないやんちゃな男子が多かったせいか、お行儀がよく微笑みをずっと浮かべ続けている王子様は確かに大人びているように見える。
やっぱり王族は早くから王家の一員として教育をされるんだろうな……なんだか胸のあたりがツキンと痛んだ。
早く大人にならざるを得なかった純恋の子供時代を思い出すとちょっとしんどい。大人の顔色を伺って、常に空気を読んで気を使って、面倒をかけている親戚の機嫌を損ねないように気を付けて、担任には可哀そうな子供と思われないように明るく振る舞って……大人に甘えられる時間なんて子供のうちだけなのに、その機会を早々に奪われてしまった。環境がそうさせたのだけど、本来ならもっと甘えてわがままが言えたのにな、とちょっぴり切ない気持ちになる。
たった少し言葉を交わしただけで、純恋の子供時代を思い出すなんて。王子も我慢を強いられている子供なのだろう。
私はあえて明るい声を出した。
「いいじゃないですか、子供なんだから」
「え?」
「私たちはまだまだ子供です。背伸びをして大人に近づく必要なんてないですし、嫌でも年は取るんです。それなら子供のうちにしかできないことをたくさんやった方がお得だと思いません? 口調だって、自分が話しやすい言葉を選んだらいいんですよ。ううん、いいと思うわ。でしょ?」
こんな美少年ならぜひとも僕と呼んでほしい。いや、俺と言いだしたらそれはそれでおいしい……とか思いそうになるけれど。無理して大人の口調を真似る必要はないのだ。思考も心も、年相応で何が悪い。
「でも、私……僕が我がままを言ったら呆れられるかも」
「度を越した我がままならそうでしょうけど、他愛のない我がままなら普通では? むしろ子供の我がままにも寛容になれないなら、それは社会が悪いのよ。大人が笑って受け止めて、しょうがないなって言ってやれるほどの余裕がないなんて悲しすぎるわ」
ギスギスした大人が増えるだけ犯罪も増えるし、治安が悪くなる。
懐や心にもちょっと余裕があれば、世の中うまく回るんじゃないだろうか。まあ、そういう世界を作るのが王子の役目になるのだが。今からプレッシャーで押しつぶされてしまったらあまりにも可哀想だ。
「だからサディ様はもっと自分がしたいことを声に出したらいいんじゃないかしら」
「自分がしたいことを……」
「ええ。うちのプルン、気に入ったのでしょう? もう一個と言わず、いくらでも食べていいのよ」
王子の顔がみるみるうちに赤くなった。どうやら図星だったらしい。
おかわりがほしいと言うのは恥ずかしいと思ったのだろう。
「じゃあ、もう一個プルンを食べても……食べたい、です」
「もちろんよ。……レイ、プルンを二つお願い!」
「かしこまりました」
レイナートがすぐにプルンを持ってきてくれた。なんだか先ほどよりもゴテゴテとアレンジがされまくっている。
新たなプルンを食べながら、王子は照れたよう「おいしい」と呟いた。
よしよし、たくさんお食べ! そして国王様に、公爵家に怪しい動きは一切なかったと証言してね。
私が腹黒い気持ちを隠しつつ微笑ましい表情を浮かべていると、王子がぽつりと語りだす。
「僕、ひとりで馬車に乗って城の外へ出たのって今日がはじめてだったんだ。もちろん護衛はいるけど」
「そうなの?」
「父上が、ルードクロヴェリア公爵領なら王都からさほど離れていないし、日帰りでも行ける距離なのもあって許可をくれて。それに父上と公爵は幼馴染だから」
「……え?」
「学生時代も学友として一番仲がよかったってよく話してくれてたんだ。だからルーシェに会えるのもすごく楽しみだった」
「……お父様と国王陛下は子供の頃からの友人なの?」
王子様が頷いた。
私はプルンを噛まずに飲み込んだ。
まさか本物のルードクロヴェリア公爵令息が国王陛下とマブダチ(死語)だったなんて……!
私は笑顔のまま失神しそうになっていた。




