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10/13

10.9歳

 容姿端麗、眉目秀麗。物腰柔らかく常に穏やかな微笑を浮かべ、女性に優しく細やかな気配りも忘れない。年齢不詳で素性も不明、でも実はやんごとない家柄の出身で訳ありな事情を抱えているのではと密かに噂されるのが、私の教育係であり父の補佐をしているレイナートだ。


 彼は公爵家うちでは家名を隠して、ただのレイナートとしか呼ばれていない。本名をフルネームで知っているのは父だけだという噂で、先代公爵にすら素性を明かしていないとか。

 秘密だらけなのに彼の人柄が怪しさをすべてカバーしている。出木杉君すぎるが故にやっかみや妬みを買うこともあるだろうに、使用人と揉めることがなければ全員と友好関係を築いている。まるで信者を量産するかのように、誰もがレイナートに好意的な情を寄せているのを見て、私は密かに慄いた。

 話術が巧みな800歳の悪魔と生まれて数十年の人間とじゃ、そもそも勝負にすらならない。

 誰もがレイナートの手のひらの上で彼の思惑通りに動かされていることを知らないだろう。気づくことすら困難に違いない。

 すれ違う女性たちから恋する乙女のような視線を向けられる異母兄を見て、悪魔って罪作りだなとしみじみ感じた。容姿の良さは人間の好意を利用しやすくするためとしか思えないんだけど。残念ながら私には美少女すぎる容姿も、人たらし要素も受け継がれていない気がする。


 冷たさを感じさせる美貌が他者を圧倒し、魔性のフェロモンを隠しもしない父と、柔和な微笑が麗しく春の貴公子とも呼ばれる異母兄のレイナート。

 タイプの違う二人が血の繋がった親子だなんて、誰も信じられるはずがない。きっとレイナートは母親似なんだろう。

 シミひとつない顔をじっと見つめていると、彼は綺麗に整えられた眉を微かに下げた。


「お嬢様、先ほどからページが進んでいないようですが」


 週に三回あるレイナートとの授業は、前世の学校で習うような国語算数理科社会とは少々違った。教材はそれなりにあるけれど、八歳の少女にはレベルが高くない? と思えるようなチョイスばかりで、正直教科書を読んでいるだけで眠くなる。帝王学とか領地経営とかは、高校生くらいになってからでいいんじゃないかな……。計算式をひたすら解くだけなら無心になれていいんだけども。

 そして何故今日の授業は道徳なのだ。悪魔の道徳を刷り込まれそうで嫌なんですが。


「仕方ないですね、違う科目に移りましょうか。それでは歴史の授業でも……」

「あ、結構です」


 反射的に断ってしまった。でも私は悪くないと思う。

 齢800歳のレイナートは、200年近く前に起こった大陸の戦争をよく知っていた。

 教科書にすら載っていない出来事を言い、「ああ、こんな風に後世に伝えてるんですね。これは随分と負け惜しみを」などとツッコミを入れて、歴史書に書かれているような壮大な戦争の発端が実にしょうもない諍いから始まっていたことを教えてくれた。

 いちいち感想を交えながらその目で見てきた事実を言ってくるものだから、なにが正しい歴史なのかわからず混乱するのだ。私に余計な知識を植え付けないでほしい。

 そしてレイナートもてっきり父のように暇つぶしで200年前に周辺国に来ていたのかと思いきや、バリバリ戦争に参加していた。しかも勝者側の軍師として。

 悪魔を軍師に据えた国はどんな対価を支払ったのか、恐ろしくて確認できない。そしてこの柔和な笑顔に絆されているメイドさんたちに目を覚ますように言ってやりたい。この男も笑顔の裏では平然とえげつないことを考えていますよ、と。


「レイが教えてくれる歴史は物語としては面白いけれど。余計な知識を入れたら一般的に知れ渡っている歴史がわからなくなるから」

「そうですか、残念ですね……それでは少しお茶の時間にしましょうか」


 それには大いに賛成だ。レイナートが淹れてくれるお茶は私の大好物である。

 お茶菓子はパウンドケーキだった。果実が練りこまれていて適度に酸味もあってやみつきになる。


「ところで訊きたいことがあるんだけど」

「なんでしょうか」

「どうしてレイは私のことをお嬢様って呼ぶの?」


 部屋に二人きりで授業をしていても、レイナートはきちんと立場を弁えて接してくる。口調もずっと丁寧語だ。本当は半分兄妹なのに、親し気に名前を呼ばれたことすらない。父のことも旦那様呼びがほとんどだし、父上と呼んだのを聞いたことは数えるほどだった。


「そうですね……うっかり他の人の前で名前を呼ぶことがないようにでしょうか」

「別に私は気にしないわよ?」

「この屋敷にいる以上、私は使用人なのですよ。それに使用人ごっこをしているのもなかなか面白いですし」


 長い年月を生きている悪魔にしてみたら、公爵家の使用人として働いた期間なんてたった一瞬のことだろう。暇つぶしにもならない時間かもしれない。

 せっかく二人きりの兄妹なのに、他人行儀なのがなんとなく寂しい。壁があることは仕方ないとは思うけども。私が公爵家の令嬢でいる限り、きっとレイナートは私をお嬢様としか呼ばないのだろう。


「そういえばレイって、そもそもお父様を連れて帰るためにここに来たのよね?」

「ええ、そうですね。当初の目的はおじい様……魔王様の命令で父上を連れ戻しに来たのですが。私もここでの生活がおもしろそうだったので、交渉して自由時間をもぎ取りました」


 笑顔で言うが、その交渉の裏には血生臭いストーリーが隠されていないだろうか。怖くて訊けないけれど。

 自由奔放を地で行く父は、公爵家を乗っ取り息子としてお母様と結婚し、私をもうけた。そうなると無理やりにでも連れて帰るのは得策ではなく、家族の最期を見届けるくらいの自由時間をもぎ取ったらしい。悪魔に責任感があるかは謎だが。

 つまりお父様はお母様と一緒に年を取り、お母様の死を見届けるまではこの地にいるということだ。私のことはわからんけど。

 人間の寿命なんてとても短い。そのくらい待たせた後は、お父様が次代の魔王になることが決まっている。


 ……でも待って。お父様の強火な信者がお母様と私を殺して、お父様を連れ戻すこともあり得るんじゃ……?


「ねえ、レイ。つかぬことを訊くけれど」

「はい、なんでしょう」

「お父様を慕っている悪魔たちがお母様や私を殺して、お父様を連れ戻そうという動きもあり得るんじゃないかしら。あと、そもそもレイのお母様はこの状況をどう考えられているのかなと……嫉妬深い女性だったら自分の夫と人間との間に娘ができたと知れば、邪魔だと思ってもおかしくないんじゃ……」


 自分で言いながらカップを持つ手が震えてきた。

 え、めちゃくちゃ怖いんですけど!? レイナートのお母様が私とお母様を快く思わないのは当然だ。数百年顔を合わせていないといえ、夫婦は夫婦。悪魔の夫婦がどういった関係かはわからないけど、「気に食わぬ。殺せ」と配下に命じることこそ悪魔の所業では……!?

 最悪なことに、私は自分がどのような状況に置かれているかを知っている。でもなにも知らないお母様が悪魔に殺されるなんて絶対に嫌だ! 理不尽すぎてかわいそうだよ!

 でもお母様のことはお父様が守るだろう。あの悪魔はお母様のことを気に入っている。未だにどんなミラクルなロマンスが起きて二人が結ばれたのかわからないけど。悪魔に見初められたお母様は不幸としか言いようがない。


 私の発言を受けたレイナートは、表情を崩さず私と視線を合わせた。


「お嬢様、私は賢い子が好きですよ」

「……」


 それはつまり、よく気づいたなと褒めているのか、まだ考えが足りないと言われているのか。

 異母兄の腹黒い微笑の裏を読み取るスキルは、八歳の私には持ち合わせていない。


「まあ、そう怯えずとも大丈夫です。命の危機がゼロとは言いませんが、私と旦那様もいることですし」

「そのお父様に殺されかけたのだけど。一年前に」


 空から落とされた出来事は忘れられそうにない。当然ながらレイナートにチクったし、彼もこってりお父様に抗議してくれた。か弱い人間に鬼畜の所業、許すまじ。


 常日頃から誰かお父様が暴挙に出ないように見張っててほしい。というかお父様こそ自由にさせすぎではないか。仕事で忙しくさせて自由時間を奪えばいいのと思ったが、夜に私の部屋にやってきて連れ出されたら対処法がない。

 悪魔祓いの魔除けとか、部屋に置いておけないかな……悪魔の弱点を調べておきたい。


 ふいに扉がノックされた。他の使用人がレイナートを呼びにきたらしい。


「ああ、もうこんな時間ですか。明日のパーティーの準備があるので今日はここまでにしますね」


 お茶を片付けながらレイナートが部屋を出ようとする。

 ちなみに明日のパーティーとは、私の九歳の誕生日会のことである。


「私もなにか手伝うわ」

「お気持ちだけで大丈夫です。明日は例年とは違って、他にも招待客がいらっしゃるので。お嬢様はきちんとご挨拶ができるように笑顔の練習をしておいてくださいね」


 そう言われた通りに、私は鏡台の前で笑顔と自己紹介の練習を頑張った。ぎこちない笑顔でたどたどしく自己紹介をされたら、主役の私のイメージが悪くなる。第一印象は大事だ。


 そして一年前の夜みたいに、夜中に父に連れまわされることもなく平和に夜が明けて、誕生日当日を迎えた。

 私は水色のドレスをまとい、髪をポニーテールにして毛先をクルンと巻いてもらった。お父様のように銀髪ではなく、灰色と青が混じりあった髪色だが、これはこれで綺麗だと思う。薄く口紅も塗ってもらい、また一歩立派なレディに近づいた。

 例年通り親戚が集まり、祖父母とも仲良く再会を祝った。たくさんのおめでとうを言われた後、そういえば他にもゲストがいるんだっけ? と思い出した。


「マルル」


 遠く離れていても、何故か父の声は私の耳に届いてしまう。これは本能的なものなのかはわからない。

 振り返ると、父の傍に私より少しだけ年上と思しき男の子がいた。

 陽の光を浴びてキラキラ輝く金色の髪と、アメジスト色の目を持った美少年だ。中性的な顔立ちから美少女にも見えるが、髪の毛が短いので男の子で間違いない。(あと服装も。)

 私の中での天使代表はお母様なんだけど、この少年も見た目は天使二号のようだ。大聖堂の壁画とかに違和感なくいそう。


「お前の誕生日を祝いに来てくれた第一王子のサディアス殿下だ」

「はじめまして、サディアスです。お誕生日おめでとうございます、マルルーシェ嬢」

「……は、じめまして、サディアス殿下。お祝いのお言葉、ありがとうございます」


 ……特別ゲストが第一王子だなんて聞いてない。

 私は鏡台の前で練習した笑顔などすっかり忘れて、ぎこちない表情を向けていた。






そろそろストックが切れてきました……。

毎日更新をしてきましたが、不定期になりそうです。


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