核戦争100日目
ボクと母さんは出かける準備をしていた。よくあるマンションの一室。我が家はついに一軒家を持てぬまま、味のしない配給食を食べ終えた。スーツを着込む。就活なんて大学生以来だ。
「ねぇ、北海道にも落ちたらしいよ、核」
母さんは世間話として語りかけてくる。人の大量死は今やいつものこと。だから、
「どこら辺?」
と返すボクは一般人。母さんも反応の倫理生と問いただすこともなく、
「どうも東っぽい。あんま人のいないところね」
「……まさか、核戦争がこんなグダグダだとは知らなかったよ」
「また退職の話?」
母さんは呆れ混じりに聞いてきた。確かに、この話はしつこく言っている。
核戦争が始まった時、ボクは反射的に職を辞した。最後の時ぐらい家族と過ごしたかったのだが、今思えば、職をやめられる時点でどこかおかしかった。結局社会は続いていて、両親は変わらず仕事をし、ボクはただ無職になっただけ。
派遣を受けるのは元正社員のプライドからやめた。人類がゆったりと滅ぶ中やることが就活なんて。冷戦期のSF作家に聞かせたらどんな顔をするだろうか。案外、予想通りかも。
玄関まで行って、近くに掛けられている鏡で改めて身だしなみを確認。となりの母親は苦笑を浮かべて言葉をかけてきた。
「私達は、仕事をやめてこっちに来てくれたの、嬉しいよ」
横目で捉えた母さんの目にはどこか、諦観があった。この狭い廊下でこの空気はどうも吸いにくい。
いつ死ぬか解らないとはいえ、こう面と向かって感謝されるのは恥ずかしい。そもそも、我が家の人間は神奈川県内を活動範囲としている。核が落ちたらまとめてドカン。生き別れることもない。だから、いちいち恥ずかしいことを言わなくても……。
「……行ってきます」
マンションを出て、横浜へ、工場の面接に向かう。
放射性降下物対策の傘とガスマスクをばっちり着けている。スーツもピシッと着て手袋もある。肌を晒していない。とはいえ、科学的知見はイマイチだ。意味が無いかもしれない。それでもこれらを着る他ないのは、最高学府さえある東京は吹き飛んでいるからだ。
核戦争が始まってから外出する人は少ない。駅までの閑散とした町にも人どころか車だっておらず、歩きスマホし放題。昔、疫病が流行した時と似ている。違いは、明確な死が上空から降ってくることぐらい。
スマホでは友人とLINEしている。LINEはまだ残っていた。自治体の努力、その賜物だ。
友人も戦争で仕事をやめていた。これからトラック運転手を受けるらしい。長野の地下国会とのやりとりをするとのこと。
《長野? 首都機能は京都に移っていなかった?》
僕のメッセージにすぐ返信がくる。
《まだ情報来ていないのか。京都も吹き飛んだよ。今は旧日本軍が残した地下バンカーに逃げ込んでいるんだ》
《あの都市伝説本当だったんだ……》
そうやって話しているうちに駅に着いた。立派に建てられているそこに人の影はまばら。駅にだけ力を入れた田舎町のような外観。
かつて首都圏の一部として数えられていたこの神奈川。今は少量の電車が稼働しているしょっぱさ。江戸以前の静けさを取り戻しつつあるようだ。
切符を買い、駅員に切ってもらった。改札よりも、こっちのほうが今どき低コスト。六両の電車に乗り込む。深夜の電車だってここまで空いていないだろう。ボク自身は変わらずLINE。ボクからの事実確認というコミュニケーション。
《東京の経済機構は横浜に移ったんだよね》
《京都と中途半端に別れたからあんま成功してないけどな》
《ちょうどこれから横浜だよ》
《本当か? 次は横浜じゃね?》
《だったら初手で落としているでしょ》
《それを言ったら北海道に落とすワケないじゃん。あんな東の、マジでなんも無いところに》
友人の指摘は最もだ。イレギュラーが積み重なって、誰も未来を見通せない。そんな時に定石を語っても焼け石に水。
しばらくして横浜に着いた。LINEで友人と別れを告げ、降りる。昔はあれだけうるさかった横浜駅も、今は別の意味でやかましい。
いつ核が落ちるかも不明なのに、この駅の工事は続いている。余生を工事で過ごすつもりなのだろうか。灰色の空は傘を差すに充分な理由を与えてくれるが、駅前を歩いている浮浪者たちはマスクだって付けていない。
ホームレスには男も女も多々。県外から逃げ込んだ者(つまりは都民)、職場を失った者、あまりに多様な家無き人がいる。中には狂って叫び出す人も。誰も聞かない終末論が虚しく響く。
こんなのを見続けても憂鬱になるだけだ。
バス停へ移動中、
「被爆者達は今も苦しんでいます! 募金をお願いします!」
というボランティアに絡まれた。ボクは決死の意思で無視を決め、バス停に着いた。被爆者が苦しいのは理解している。しかしそんな人々に手を差し伸べられるほど、ボクの手に余裕は無い。
内容も中身も違うが、先までのことは戦争以前にもあったもの。ただ少し、世界の終わりになっただけ。
面接先の工場へバスで行く。人はおらず、車内の換気もされていない。横浜の都市圏は想像より狭く、そして道を走る車は少ない。目的地へは一瞬で着いた。
町工場。それが第一印象だ。
事務所に挨拶し、応接室に通される。いいソファに、ガラステーブル。壁には賞だの何だのが飾られ、その主として社長の肖像がある。それらが狭い一室に敷き詰められていた。
開かれた扉にノックの音。
ボクは立ち上がって、老齢の面接官に体を向ける。職人上がりと思える男性。その細身からは柔和な空気を出していた。社長の肖像と同じ顔。ご本人だろう。
自己紹介をして「どうぞおかけになって」と笑顔で促された。形式通りに着席し、面接に挑む。
だが。
「申し訳ありませんね、こんなところまで。悪いですが、新規は受け付けていないのです」
「えっ」
「電話しようにも、爆発の影響で電話線が切れて。直してもらおうにも、後回しにされてね。手紙なんてものでやり取りするのは久々でしたよ」
「……はぁ」もちろん手紙は届いていない。配送会社がいないのだからどうしようもない。
ショックと落胆、わずかな怒りで呆けてしまう。だが社長の悲哀あふれる表情を前にすると、気が抜けた。
「本当に申し訳ありません。求人も取り下げるべきなのに」
「あぁ、いえ」
「ここまで来てくれたのは本当に嬉しいですよ。実は、人手が足りないもので。体力があって元気で、問題を起こさない人なら、つまり貴方なら歓迎していたんです。でも……」
「戦争ですか」
「そう。こんな時ですから。求人だって、取りそうげようとしても対応は遅れに遅れる。だから、貴方はお家で家族との時間を大切になさい。職場にいたら自宅が吹っ飛んだというのも、珍しい話ではなくなりましたから」
「……ご忠告、感謝します」
ボクは笑顔を顔に貼り付け、見送られ、バスに乗り、今は電車だ。
断られた上に説教まで食らうとは。家族を思って退職したら、結局世界は百日生きている。どうせ、これから百日後も戦争は続いているだろう。核の嵐で学んだことは、終わりは意外と遅いということだ。
だがこんな愚痴を言っても始まらない。自宅に帰り、親のいない昼に派遣登録を終えた。元正社員として、派遣は負け組と謎のプライドを押し付けていた。だがもう、そんなこと言っていられない。社会人なら働かないと。
驚いたことに、登録は簡単で仕事もすぐ決まった。なんと東京へ被害状況の確認に行けとのこと。高給で、カメラと通信機器を持って歩くだけ。危険だが、だからこそ見返りもでかい。
後日のために仕事の準備をしている夕方、両親が帰ってきた。忘れていた皿洗いをあわてて始め、そこへ両親が来た。ボクは、
「おかえり。派遣で仕事決まったよ」
と、気分よく言った。
母さんも父さんも、「そう……」と顔を俯かせていた。
まるで祝福していないみたいに。
……そして、後日。ボクは瓦礫の街たる東京を歩いていた。重厚な防護服、専用カメラ、通信機器。まるで異星探検隊。人工物のゴミが広がるのも相まって、現在核戦争中だということを思い知る。
「噂には聞いていたんだけど」監視・記録担当の女性が通信で世間話。「本当にここがお台場なんだ」
「一度、この目で見たかったですよ。あのー、ロボット?」
「結局宇宙には行けなかったね」
重力に魂がどうのと言っていたがボクにはサッパリ。担当の人はボクに形骸的指示を与えるだけで研究職ではない。変なことをしていないか見ているだけだ。この映像は録画され、いつか政府に届けられる。……政府が生きていればの話だけども。
「知ってる? 今の新宿駅って……」ザァッ、ザッ、ザザッ。
突然のノイズ。どうやら通信がイカれたらしい。立ち止まり、機器をチェック。事前に読み込んだマニュアル通りに再起動。なおもノイズまみれ。だが段々と回復した。
「大丈夫ですか、無事ですか?」
「ちょ……待って……上から情……来た。あぁクソ……ァックスかよ。……ジか。うわ……遺書……ハァ」
「すみません、もしもーし?」
「え……えないのか……待ち……」
ノイズが途切れていき、声が明瞭になる。
担当の人は大きなため息を挟んで言った。
「今、通信トラブルの原因を示していると思われる書類が届いた。落ち着いて聞ける?」
「……はい」
「神奈川南部と東部が吹き飛んだ。あんたの地元も入っている」
正確な位置を問い返そうとして、口を閉じた。それが解っているなら目の前の東京はここにない。
「どこの」落ち着くための無意味な質問。「どこの国ですか」
「いつも通り不明」地元が吹き飛んだ。
「でも、近づいてきたことは判っていた」家が吹き飛んだ。
「残っていた自衛隊が頑張ったらしいけど」家族が吹き飛んだ。
「どうにも、ね……」母さんと父さんが跡形もなく死んだ。
「届いた書類は落ちる寸前のものだね」核で。
家族との最後の会話は、この仕事が決まったことだった。友人とは、どうだったろうか。
目の前にある東京だったものは、ボク達の未来そのものだった。