ニ、救世主!? でも庶民よりひどい生活環境ですわ! 三
馬は汗まみれで息があがりかけていた。
「ここまでくれば大丈夫だろう。狼達も街道にでたらひどい目にあうことくらい、わかっているからな」
「あ……ありがとうございます。助かりました」
「初対面から危機一髪の連続だな。まあ、詳しい話は俺の仕事場についてからだ」
ベレンは額の汗をぬぐった。
「あのう……せめてあなたのうしろに、横座りにでもなりませんか?」
安全になった以上、この様子でずっといるのはどう考えても恥ずかしい。
「そうだな。どうせ夜になったし、めんどうだからこのままにしよう。街まで大した時間じゃない」
「えっ、でもあの……」
いま一度、馬は脚を早めた。私は無言になるほかなかった。
たしかに、街までは時間がかからなかった。もっとも、王族や上級貴族の御用達になるような区域ではない。私が毒や人形を調達したところすらちがう。ああ、ここは宮殿から見おろしていた小屋の寄せ集めだ。殿方が話題にしたがらなかったところだ。
うっすらと漂うドブの臭いをかきわけるようにして、細く曲がりくねった路地を経たあとようやく馬はとまった。
陽はとうにとっぷり沈み、背が低く屋根のでこぼこした平屋が肩を寄せあっているのが月あかりに浮かんでいる。
「貧民窟へようこそ」
ベレンはぶすっと刺すようにいった。
「貧民窟……?」
「言葉どおりの意味だ。降りろ」
「はい」
馬の背中をすべるようにして地面に降りた。べちゃっと不快な感触が靴底から伝わった。
「そこの壁にでももたれていろ。馬を小屋に入れてくる」
ハイヒールのかかとが折れたままだし足はまだ痛む。ベレンはそれなりに気をつかってくれた。
「わかりました」
一度ベレンは馬とともに消え、すぐに一人でもどってきた。
「この辺は道端になにがあるかわからん。俺につかまれ」
「ええっ!?」
「変なまねはせん。それより時間が惜しい」
たしかに、時間は貴重だった。私は彼に寄りそうようにして歩くことにした。鉄や革のにおいがそこはかとなく肌から漂い、ひどく胸がざわついた。
そんな気持ちとは裏腹に、玄関まではほんの数歩だった。ベレンは片手でポケットから鍵をだしてドアを開けた。
「待て。明かりをつける」
屋内に至って、ベレンはドアをうしろ手にしめて鍵をかけた。彼がまっくらな室内を進む一方、私はドアの脇でじっとしていた。
しゅぼっという音とともに、古びたランタンに火がついた。それは木でできた大きな長方形のテーブルにあり、巻尺や上皿天秤といった道具といっしょにならんでいた。まあたらしい短剣もひとふりある。壁にはだれか年配の男性の肖像画がかかっていて、真鍮の額縁に鈍くランタンの光が反射している。
「まずは座ってくれ」
「あのう……手やお顔にケガをしてらっしゃいますわ」