元悪役令嬢の私は、二度目の人生を得たので今度はちゃんと慎ましく生きようと思います
やりたい放題をしていた私の末路は、それはそれは悲惨なものだった。
同情の余地があるとすれば、それはきっと咎める者が誰一人としていなかった事くらいか。
それを除けば、誰もが口を揃えるであろう程に全てにおいて恵まれていた。
まず、容姿。
黄金財宝を編んだような柔らかな金糸の如き長髪は、硝子細工の髪留めによって纏められ、甘く繊細な面立ちと相まって正しく人形のようであった。
長い睫毛に縁取られた碧色の瞳は茫洋たる海を想起させ、身に纏ったドレスから覗く肌は雪のように白い。
深窓の令嬢らしい華奢で何処か儚げな雰囲気が、蠱惑めいたものを否応なしに感じさせた。
まあ要するに、兎に角、可愛かった。
理想的なまでに整った完全無欠の美少女。
男受けするどころか、何もせずとも男が大勢寄ってくるレベルの容姿であった。
だからだろう。
私は何もかもが手に入ると調子に乗ってしまった。
でも、それが仕方ない部分もある。
男は選り取り見取り。
花咲いたような笑みを浮かべて、ちょっとお願いをすれば大抵の男はその要求を快諾してくれる。そんな環境だったのだから。
そして、家柄。
私の生家は公爵位を賜った御家であり、王国からの信頼も厚く、恵まれた容姿に家柄も良し。と、欠点らしい欠点は何処にも見当たらない完璧具合であった。
多少のおいたをしても、揉み消す事などおちゃのこさいさい。
「天は二物を与えず」などとはいうが、私の前においてそれは寝言も同然だった。
ただ、そのせいで、私は物事の良し悪しを正しく認識する事が出来ていなかった。
何が悪くて、何が良くて。
その判断の基準が、お世辞にも正常とはいえなかった。
そしてその結果、散々に好き放題をし、国を掻き回す事となる。
「欲しい」といえば何もかも手に入っていた私は、既に婚約者がいた王太子様の婚約者としての地位を欲してしまった。
でも、当たり前だが王太子様からは婚約者が既にいるからとその申し出を拒絶されてしまう。
しかし、生まれて初めて手に入らなかったものに私はひどく執着をした。
どうすれば、その地位が手に入るのか。
それを考えに考えて。
そして、最悪の選択をした。
何であろうと望めば手に入る。
なのに、私が手に入れられないのは可笑しい。婚約者がいるから。それが何だ。
だったら、奪ってしまえばいい。
そんな考えに至った私は、どうにかして婚約者としての地位を奪おうと画策した。
それこそ、色々とやった。
元々の婚約者であった者への何気ない嫌がらせから始まり、王太子様から引き離そうと悪評をそれとなく流したり。
彼女の生家に少し嫌がらせをして、彼女と一緒にいると不幸に見舞われるだなんだかんだと理由をつけて引き剥がそうとすらした。
周囲の人間も、王太子様の婚約者には私が相応しいといつだって肯定的な意見を言ってくれていた。
だから、私は何一つとして間違った事はしていない。そう、思っていたし、彼の隣は私が誰よりも相応しいのだと信じて疑っていなかった。
そんなある日、私が行ったその全てが露見し、王太子様や陛下が大激怒。
結果、元凶である私は流刑に処される事となった。そして辺鄙の地にて、バチが当たったのか。運悪く流行病に罹り、あっという間に寝込んで、命を落としてしまった。
それが、私の前世。
悪女と呼ばれていた私のかつての人生全てであった。
————いやいや、アホすぎるでしょう。
「……我ながら、馬鹿すぎる」
久しぶりに目にした過去の自分自身の姿。
それを夢でたっぷりと追憶させられ、最悪と言っていい目覚めだった私は、右の手で顔を覆いながら過去の自分に向かって悪態をついた。
もうかれこれ、二十回は見たであろう己の黒歴史。しかし、どれだけ反省をしようとこうして夢となって私の意思とは関係なしに思い起こされる。
これ以上なく恵まれた環境にあった。
普通に幸せを望んでいたならば、誰もが羨む人生を送れていた事だろう。
でも、前世の私はそれを自分の意思で木っ端微塵に砕いていた。いや、もうアホかと。
割り切るしかないと分かってるけれど、あまりの馬鹿さ具合に未だ割り切れずにいた。
シルフィー・リーレッド。
それが今生の私の名前であり、リーレッド侯爵家の令嬢という立場にあった。
なんの神の悪戯か。
前世で悪女といわれ、馬鹿な人生を送ってしまった私はその記憶を持ったまま二度目の生を受ける事となった。
「でも、だからこそ今生は慎ましく生きなきゃ」
あんな馬鹿すぎる人生を二回も送ってたまるか。そう思っていた私は、慎ましく生きて幸せな人生を送ってやるのだと決めていた。
そして、万が一の間違いもないように、貴族とは無縁の人生を送るのだと。
「目指すは、治癒師。前世は誰かに迷惑を掛けまくっちゃったし、今生は誰かを助けられるような、そんな人間を目指そう。うん」
幾ら前世での所業とはいえ、私がやった事に変わりはない。
だから、重ねに重なった慚愧の念ってやつを、自分のこれからの行為で贖っていこう。
その考えもあって、私は治癒師を目指すと決めていた。
————ただ。
「……とは言っても、流石は侯爵家。貴族との縁を根っこからぶった斬るとか、今の私じゃ、土台無理な話なんだよね」
前世と家格が異なってるとはいえ、侯爵家。
そして、私はその長女。
城勤めの父に連れられ、現在、限定的に王城で生活する私が貴族とは無縁の人生を————などと言おうものならば、酔っ払いの戯言と一蹴される事だろう。
だから、出来る限り当たり障りのない理由を口にして貴族との縁を作らない事。
それが現状の私に出来る最善。
故に、本来であれば父の仕事を見る為に王城に連れられていた筈の私は、王城にある蔵書を読み漁りたいなどと言って図書館らしき場所にひたすら引きこもる生活を送っていた。
治癒師としての知識も得られ、必要以上の貴族との縁も作らない。
何処からどう見ても完璧すぎる。
我ながら惚れ惚れする行動であった。
「って、今はそんな事考えても仕方ないか。折角のこの機会、治癒師になる為の知識を叩き込んどかなきゃ」
上体を起こし、立ち上がる。
私を城に連れてきた父は、自分の仕事ぶりや、嫡女である私に色々と背中を見て学んで欲しいらしいけど、私の目標は父の仕事とは無関係の治癒師。
だから、父のその期待には応えられない。
ごめんなさい。と心の中で謝りながら、私はさっさと着替えを終えて図書館へと今日も今日とて向かう事にした。
†
「今日もいるんだ」
城で過ごすようになって、早一ヶ月。
父曰く、私は季節の変わり目まで城で生活をするらしいんだけれど、図書館に足繁く通うようになってから、毎日顔を合わせる人がいた。
それが、今しがた私が呟くような声音で声を掛けた銀色の髪を持った少年。
城にいるという事は関係者なのだろうけど、不思議な事に、彼が誰かと会話をしている場面には未だ一度として遭遇した事はなかった。
「またお前か」
そっけない返事。
でも、一ヶ月近く、こんなやり取りをしていたので特別思う事なんて何もない。
名前もお互いに知らないただ、出会ったら挨拶をする程度の関係だったから。
図書館には基本的に、私か、彼しかいない。
その理由なんてちっとも分からないけど、黙々と治癒師の勉強を出来るに越した事はないのであまり気に留めていなかった。
何より、貴族とはあまり関わり合いになりたくない。
むしろ、この状況は望むところだった。
「変わったやつだな。来る日も来る日も、図書館に篭って本を読み漁るなんて」
いつもだったら、会釈一つ。
言葉一つで終わる邂逅。
でも丁度、図書館に篭るようになって一ヶ月を迎えたその日、初めて銀髪の彼から会話らしい言葉を向けられた。
ただ、その内容にムッ、としてしまう。
「……貴方も同じようなものだと思うんだけど」
一ヶ月、足繁く通う私が「変わっている」なら、私より前から図書館に篭ってる貴方は、一体何なのか。
「おれはいいんだよ。おれは、ここにいた方が色々と都合がいいんだ」
言っている言葉の意味が分からなかった。
でも、それを口にする彼の表情に散りばめられた寂寥の色に私は気付いてしまう。
きっと、私には分からないけど、その表情を浮かべるだけの理由があるのだろう。
ただ、私には関係のない話。
だから————と、理由をつけてその場を離れ、普段通り治癒師になる為の勉強をしようと思ったのだけれど。
少しだけ、彼の事が気になってしまう。
いつもとは異なって、私も彼に対して必要以上に声を掛けた理由は、きっとそんなもの。
「……魔法に、興味があるの?」
彼が丁度読んでいた本————魔法に関するソレを指摘する事で、私は話題を振っていた。
「ただの暇潰しだ。適当に取った本がこれだった。だから、読んでる。そういうお前は、いつも治癒の本を読み漁ってるな」
何でそれを知ってるんだ。
一瞬、そう思ったけど、普段から「治癒」「治癒」「治癒」と独り言を洩らしてる上、治癒の魔法の本をひたすら読み漁ってるから、そりゃ分かるか。
と、一人納得する。
「だって、私は治癒師になりたいもん」
「貴族なのに、か」
「ぅぐっ」
痛いところを指摘される。
言い方は悪いが、貴族令嬢が辿る道の大概は、何処かの御家に嫁ぐ事。
要するに、御家同士の関係を深める為の政略道具が大半だ。
そうじゃないとしても、貴族として統治に関する内政なり、外政なりを務めるくらいか。
貴族子弟の三男四男が治癒師なり、何らかの職業を目指す話は耳にする事もあるが、貴族令嬢が治癒師を目指すなど、私を除いて確かに聞いた事もなかった。
「……確かに、不似合いだけど、貴族とか、貴族じゃないとか。そんな事は関係なしに、私は誰かを助ける立場にありたいんだよ」
……前世で、色々とやらかしてしまったから、その贖罪も兼ねて。
そして、今生では出来る限り貴族とは無縁の生を送ると決めていた。
だから、誰が反対しようとこの道を曲げるつもりはなかった。
「そういう貴方は、何か夢とかないの?」
「ないな。ないと言うより、夢を持てるような立場じゃない。家族も、おれの扱いには困ってるだろうしな」
そう口にする彼の様子は、やっぱり何処となく寂しそうだった。
「……困ってる?」
「図書館には、基本的におれ以外誰もいないだろう? お前のような、変わり者が最近彷徨くようにはなったが」
————要するに、腫れ物なんだよおれは。
諦念の色があった。
悲しいだとか、寂しいだとか、そんな感情よりも諦めの色が特に色濃く言葉に滲んでいた。
成る程。
銀髪の彼は、何らかの事情で今はあまり良い立場にないらしい。
詳細に話さないという事はきっと、それ以上は聞かれたくないのだろう。
ただ。
「そんなものは、関係ないと思うけどな」
「……関係ない?」
無責任な言葉だと思う。
彼の事情なんてこれっぽっちも知らない。
彼に対して何か出来る事は今はないし、彼の辛さをわかりあう事も出来ない。口下手な私は、彼を慰める言葉をうまく掛ける事だって出来やしない。
でも、それでも一度、盛大に人生を失敗した人間として言えることは一つある。
「だってそうでしょ? 腫れ物だから夢を持っちゃいけないなんて、誰も決めてないのに。確かに、良い顔をしない人はいるかもしれないけど、そんな事を気にしてたら何も出来ないよ。貴方の考えでいくと、私が治癒師を目指す事だって出来なくなっちゃうし」
父親に対して馬鹿正直に、将来は治癒師になりたいです!
といって三日三晩、言い合いになった私が目の前にいるのだ。その丸く大きな瞳で刮目したまえ。
そう言うように、私は自然に浮かんだ笑みを隠す事なく胸を張ってドヤ顔を向ける。
すると、肩がぴきっ、と悲鳴を上げて腕を抱える羽目になり笑われた。くそう。
「だから、魔法に興味があるのなら、魔法師を目指すとかしても良いと思うけどな。私は齧った程度だけど、魔法は奥が深いし、凄く楽しいよ、うん」
まぁ、それも前世の話なんですけども。
我儘放題だった過去の黒歴史を思い返しながら、あの頃に学んでいた魔法の事を懐かしむ。
「……だから、適当に取った本が偶々これだったってだけで」
「この一ヶ月、魔法の本ばっかり読んでた事、知ってるよ。私も貴方と同じであいつ何やってるんだろって興味あったから」
「…………」
彼が私が治癒師の勉強をしていた事を知っているように、私もまた、彼が魔法についての本を読み漁っていた事を知っている。
でもこれはお互い様。
文句なんて一言も言わせない。
「……わかった上であえて聞くなんて、お前性格悪いな」
「聞き慣れすぎて何とも思わないなあ」
悪女だなんだかんだと罵詈雑言の嵐だった前世のお陰で、随分と図太くなってしまった。
多少の悪口程度なら、笑って返せる自信しかない。だから、その程度の言葉は然程の痛痒にすらならない。
「……不思議だ」
「何が?」
「お前の言葉や、お前の態度が、だ」
私は不思議ちゃんであるらしい。
理由はよく分からないけど、全否定を食らった。
「おれと年齢は然程変わらないだろうに、不思議とそこには説得力がある。おれをちっとも気味悪がらないし、本気で魔法師になってみればと言ってる。酔狂でも何でもなく、本気で」
なりたいものがあるなら目指せば良いと思う。
そう考えるのはおかしな事じゃないだろうに。
特に、今度こそ後悔はしたくない。
幸せに、生きたいと切に願っている私の場合は特に強くそう思う。
多分、その熱量は言葉に色濃く滲んでいたのだろう。言葉にされたようにバレバレだった。
「……気味悪がらない? 逆に、何で私がそう思わなくちゃいけないの?」
確かに、銀糸のようなその銀髪はあまり見ない髪ではある。
透き通った海のようなアイスブルーの瞳は宝石のようだし、相貌も端正な顔立ちだ。
気味悪がる理由を逆に教えて貰いたい。
「……やっぱり、変わってるよ、お前」
不思議であると、言葉がまた一度繰り返される。何でと口にした私の言葉に対する回答は、残念ながら貰えなかった。
ただ、彼が何処か嬉しそうに笑むものだからまぁいっかと思えてしまった。
「でも、そんなお前になら言ってもいいか」
図書館にずっと篭りきりだった少年は、天井を仰ぎながら、観念するように告げる。
「おれは、空を飛んでみたいんだ」
空を切る鳥のように。
羽根を広げる蝶のように。
自由気ままに、生きてみたいんだ。
「こりゃまた壮大な夢だ」
治癒師になる。
なんて口にしている私の比じゃないほど、壮大な夢。
「笑わないんだな」
「笑うもんか。寧ろ、心底尊敬した。心底凄いって思った。そして、ちょっとだけ張り合いたくなった。よし。私の夢変更! 治癒師になるは変わらないけど、不治の病を治せるようなすっごい治癒師になろう。うん、今からはこの夢でいく!」
一瞬で夢を変更してしまった私の言動に、口角を吊り上げる彼であったけど、なぜかその表情は少しだけ申し訳なさそうなものに思えた。
「とはいっても、おれの場合比喩のようなものだけどな」
「比喩?」
「ああ。おれにとって自由気ままに生きている存在が空を飛ぶ鳥や、蝶のような存在だったんだ。だから、空を飛んでみたいと思った。空を飛べるようになれば、おれも鳥や蝶のようになれると思ったから」
空を飛ぶ。
という事柄に固執をしているのではなく、自由に生きてみたい。という意思が根底に据えられているのだろう。それ故の、願望だと言う。
良いじゃないか。
良い夢だと心の底から思った。
きっと彼は、城の中に位置する図書館によくいる事から貴族と無縁の立場ではないのだろう。
だから、本来の私の考えに基づくならば、これ以上踏み込む事は憚られたけど、どうせ私は季節の変わり目にはこの城を後にする。
だったら、ちょっとしたお節介を焼いても問題はないだろう。そう、考えて。
「なら、私にもその夢手伝わせてよ。旅は道連れ世は情け。一人だと難しいかもしれないけど、二人だったら何とかなるかもしれない」
私がそう口にすると、果てしなく広がる海を想起させるアイスブルーの瞳が大きく見開かれた。
「大丈夫。これでも、魔法にはそれなりに自信があるんだ」
前世の頃の知識や感覚だから、少しだけ時代遅れかもしれないけど、それでも力になる事くらいは出来るだろう。たぶん。
前世で多くの人に迷惑をかけちゃった分、出来る限り誰かの力になりたい。
私はそう考えていた。
だからこれは、その第一歩だ。
「だから、ね?」
————その夢、私にも手伝わせてよ。
それが、私達の出会いだった。
王家の血筋ながら唯一、銀色の髪をもって生まれた事で疎まれていた王子様と、私の出会い。
予め、ある程度の期限の決められた気まぐれ。
それ故に手を差し伸べた私は、貴族との縁を作る事に一切興味がなかったが為に、その時は何も知らなかった。
この行為こそが、慎ましく生きてやる。
という考えを根本からぶち壊す第一歩であった事を————。
†
————一言で言い表すならば、そいつは変な奴だった。
唯一、銀色の髪を持って生まれてしまったことで、疎まれて育ったおれは殻に閉じこもるように図書館に向かうようになった。
不吉だなんだかんだと理由をつけて、おれを遠ざけるなり、扱いに困っていた者が多かった事もあり、気付けば図書館が私室のような事になってしまっていた。
常識ある人間は、基本的に誰一人として図書館には滅多に近寄りはしない。
しない、筈だったのだ。
変な奴こと————シルフィー・リーレッドがやって来るまでは。
「なんで、お前は治癒師になろうと思ったんだ」
手を差し伸ばされたあの日以降。
おれは彼女と一緒になって魔法を学ぶ事になった。初めこそ、治癒師になるのだと意気込んでいる奴よりもおれの方がずっと魔法の扱いには長けている。
そう思っていたが、その考えは一番最初に木っ端微塵に砕かれた。
何故治癒師ではなく魔法師を志さなかったのだと叫ばずにはいられない程、魔法が堪能であった。それこそ、おれとは比較する事すら烏滸がましい程に。
「誰かの為になる事がしたかったんだ」
だから、問うた。
大成を望むならば、彼女は間違いなく魔法師を志すべきだ。王城には、栄えある王家直属の魔法師部隊が存在している。
貴族である彼女の場合、家の事を考えれば普通、そこを目指すべきと考えるだろう。
なのに、彼女は微塵の躊躇いも、惜しみもなく治癒師になると言って聞かなかった。
「誰かの為?」
「そう、誰かの為。これでもさ、私、色々やらかした過去があってさ。だから、迷惑をかけちゃった分、誰かを助ける事でどうにか帳尻を合わせたくて。あ、あと、平穏に慎ましく、静かに暮らしたかったってのもあるかな。魔法師だとほら、色々と厄介ごとに巻き込まれそうじゃん」
そして、おれと同様に、あまり自分の事を語りたがらない人間だった。
ひけらかして然るべき魔法の才がある。
容姿だってかなり整っている。
衣服など、色々ときちんとすれば縁談といったその手の話が寄せられる事は間違い無いだろう。
『……あ。その話はなし。やめて。悪夢が蘇る』
もう少し、身嗜みに気を遣ったらどうだ。
何気なくそう口にした事が一度あったのだが、シルフィーは意味の分からない言葉を並べ立てて断固拒否の構えを取っていた。
本当に意味がわからない。
「だから、治癒師なの。私にとって色々と都合が良かったから。……でも」
「でも?」
「治癒師になれるとしても、当分先かなあ。ほら、貴族には王立魔法学院に通う義務があるでしょ? だから、多分少なくともそこを卒業してから、になるのかな」
————そしてそこが私の分水嶺。
頑張らなくちゃいけない……!!
そう言って彼女は一人、闘志を燃やす。
「お前なら問題なく卒業出来るだろうに」
おれがそう言うと、彼女にとっての懸念は卒業に関するものではなかったのか。
複雑そうな表情を浮かべる。
けれどその後、取り繕うように、「そ、そうかなあ?」などとワザとらしい返事がやってきた。
どうやら、彼女は卒業ではない何かに対して懸念を覚えているらしい。
とすると、それは一体何なのだろうか。
素朴な疑問を覚えると同時、あまり詮索をされたくない事であったのか。
露骨にシルフィーは、「さ、さぁて、魔法の続きしよっか!」と、話題を逸らしにかかる。
ここ数日で分かった事だが、彼女はどうも隠し事が苦手な人間らしい。
何か隠し事をしてる時はあからさまに狼狽し始めるか、声が裏返る。
視線を逸らしたり、露骨に話題を変えようとしたりもする。
ただそれは、あからさまに腹に一物を抱えながらおべっかを使ってくる連中と比べれば可愛いものだった。
「……本当に、不思議な奴だ」
「失礼な。私は私のやりたいようにやってるだけなのに」
おれの呟きを耳聡く聞き取った彼女から、人を得体の知れないもの扱いするなと咎められる。
「少なくともおれは、おれにこうして世話を焼こうとする物好きをお前しか知らない」
ただの気まぐれ。
憐れみ。同情。自己顕示欲。
彼女がおれに構う理由なんてそんなものだと思っていた。
それしか、あり得ないと思っていた。
でも、それは違った。
その不思議な奴は、本心からおれの力になりたいと願っている。望んでいる。
愚昧な想像を浮かべていたおれが、ばかと思える程に、裏表のないばかな奴だった。
すぐに終わると信じて疑っていなかった関係も、随分と長く続き、これがおれの当たり前の日常と、気づけば化していた。
「でも……そのお陰でおれは救われた。お前を見ていると、俯いているだけだったおれの行動は、確かに勿体無く思えるし、いつか後悔するものだと思った。だから、」
————ありがとう。
「ぇ? あ、ああ。うん。どう、いたしまして?」
おれは、そう言葉を締めくくった。
おれ、ベルシュ・アルザークは、唯一銀の髪をもって生まれた事から家族や周囲の人間との間に大きな隔たりがあった。
言い方を変えると、おれという存在の扱いに誰もが困っていた。
子供に罪はない。
けれど、やはりその奇妙な事実故に距離の取り方が分からず、そして当の本人であるおれも、周囲からのよそよそしい態度や、陰口を叩く一部の貴族の声を聞いて距離を取った。
そして、図書館に引き篭もるようになった。
それが、誰しもにとって害のない行動だと思ったから。
思って、いたのだ。
「父上」
少なくとも、シルフィー・リーレッドがやって来るまでは。
数年ぶりに父の下を訪れた理由は、単純明快で、彼女の言葉が強く関係していた。
「おれ、魔法を覚えたんです」
扱いに困られてるおれは、家を出て行くべきだと思っていた。自由になる為に。その為に、空を飛びたいとも、あいつの前で口にした。
でも、気付けばその想いは、別のもので上塗りされてしまっていた。
「本当は、家を出て行く為に学んでたんです。きっと、おれはここにいない方が良いだろうから」
「……っ」
「でもいつの間にか、おれの中で魔法を学ぶ理由が別のものに置き換わっていたんです」
それが、いつだったのか。
そんな事は分からない。
分からないけど、自由になる為。空を飛ぶ為に学んでいた筈が、魔法を学ぶ理由がシルフィー・リーレッドと過ごすのが楽しいから。
そんな理由に、置き換わっていた。
「父上。どうか、おれの我儘を聞いてはいただけませんか」
疎まれているという自覚があって尚、父に頼み込むという選択を掴み取った理由は、シルフィー風にいえば「後悔をしたくはなかったから」。
「形は何でも良いんです。ただおれは、あいつと一緒にいたい。教えて、くれませんか。おれはどうすれば、あいつと一緒にいられるのか」
遠くない未来。
彼女は城からいなくなる。
隠し事が苦手なシルフィーの態度から、おれはそれを薄々感じ取っていた。
だから、こうして父を頼る事にした。
そして何故か、色々と覚悟を決め振り絞って口にしたその言葉を耳にした父は、険しい顔を綻ばせ破顔した。
まるで、微笑ましいものでも見るように。
「……私は何を気負っていたのだろうな。髪の色が違う。たったそれだけの事実一つで、必要以上に距離を取ってしまうなど」
大人しく、歳の割に聡明。
そして、髪の色が違う。
けれど、中身は他の子供と何ら変わらない。
普通の子供であったというのに。
申し訳なさそうに、父はそう言う。
「話は、分かった。そういう事なら、私に任せろ。その願い、私が叶えてやる」
シルフィー・リーレッドのガバガバ治癒師計画は、早くも頓挫の危機にあった。
†
それから、五年の年月が経過し、頭痛のタネであった魔法学院への入学の日。
「憂鬱だ」
貴族子弟の義務でもある王立魔法学院への入学。貴族たるもの、最低限の教養を身につけるべし。
先人が生み出したその言葉の犠牲者たる私は、入学初日。
教室の角の席を確保して、窓越しの景色を見詰めながら私は小さく呟いた。
「目立たないように過ごすつもりではいるけどさ。幾らなんでも三年は長過ぎだって……」
出来る限り、他の貴族と関わり合いにならない事は当然として。
地味に過ごして、卒業まで漕ぎ着けて、あとは慎ましく治癒師ライフ。
これで完璧だ。
そんな事を思いながら、入学試験の成績を私は懐かしんだ。
「とはいえ、試験の方は全部見事に平均点。抜かりはなし! やっぱり私、完璧過ぎる」
もうかれこれ五年前か。
父に連れられて王城で過ごしていたあの時を除いて、徹底的に他の貴族との関わりを絶って生きてきている。
パーティだって最低限出席して、あとは体調不良とかでなんとかしてきた。
目立ちに目立っていた前世の所業を十全に活かした無駄のない行動だ。
「……そういえば、ベルって今何してるんだろ」
ふと、思い出す。
その名前は、私が今生において唯一、お節介らしいお節介を焼いた少年の名であった。
ベルでいいと言われたので、ベルと呼んでいたけれど、この五年間。
貴族との関係を出来る限り絶っているとはいえ、一向にその名を聞く機会がなかった。
城にいたって事は貴族なんだろうけど、一体今は何をしているのだろうか。
「ま、いつか会えるでしょ」
そんな事を言ってる間に、教室に人が集まってゆく。
早く家に帰りたいなあと思う私だったけど、窓越しの景色を眺め、意識をどこか遠くに向けていた私の周囲に何故か視線が集まっていた。
……一体、どうしたのだろうか。
そう思って向き直ると、そこには人がいた。
端正な顔立ちの、銀髪男がいた。
私に視線が集まってる理由はそれかと理解すると同時、この銀髪は何故私の前にいるのだろうかと疑問が浮かぶ。
「……あの、席間違ってませんか」
暗に、人違いじゃないかと問うと、何故か銀髪男はきょとんとした表情を向けてきた。
何言ってるんだコイツ、みたいな顔してるけど、私の方が何言ってるんだコイツだよ。
「久しぶりの再会なのに、最初の一言目がそれか」
お前らしいと言えばお前らしくあるが。
と、男は勝手に納得して破顔する。
一体、何を言っているのだろうか。
「それと、席は間違ってない。おれはお前に会いに来たんだ」
「は、はあ」
あぁ、なるほど。
同級生だからと挨拶に来たのか。
これはまた、律儀な人だなって思ったその瞬間だった。
「自分の婚約者に会いに来る事は、何もおかしくないだろうに」
「……………………は?」
間抜けに一音。
ひどく素っ頓狂な声が口から零れ落ちる。
それはまるで、私が彼の婚約者のような言い草であって。
「リーレッド卿には無理を言ってしまったが、おれは正真正銘、お前の婚約者だぞ」
その口調。
少しだけ低くなってるけど、その声音。
そこからなんとなく、答えが見えて来る。
あぁ、これは……多分私は致命的なやらかしをしてる。たぶん。いや、ぜったい。
「五年ぶりだな、シルフィー。これから三年間、よろしくな」
五年ぶり。
その単語で、確信した。
この銀髪男の正体は、ベルだ。
直後、こちらに視線を向けていた野次馬が、「ベルシュ王子殿下に婚約者がいるって話は本当だったのね」などとひそひそ話を始める。
……ベルシュ王子殿下。
あぁ、成る程。それでベルだったのか————って。
「…………え゛っ」
叫び声をあげる事こそしなかったけど、その驚愕の感情が収まる事はなく。
黄色い声をあげ始めるクラスメイトだろう貴族令嬢と、ベルの屈託のない笑み。
そして私の完璧過ぎた筈の計画が、ものの見事に崩れ落ちる音を聞きながら、私は一人放心する羽目になったのだった。
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