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魔女狩りの魔女  作者: 晴虹
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1.始まりの朝。

 世界で起きている災難、天災、悪事。そのすべてには理由があるとされている。

 雨が降り止まず、農作物が枯れ、豊作が逃れたとき、その地には”魔女”がいると囁かれ、また逆に、雨が降らず、土が乾き、人々が渇きに飢えたとき、地面が大きく揺れ、大地が引き裂かれたときもまた同様。そこには、魔女の影響があるとされてきたのだ。

 魔女とは、まさに不幸の象徴。忌み嫌われ、存在価値がないとされている。全人類から絶滅を希望され、魔女と疑われただけで、友を、恋人を、家族を、人生を、失う。けして過言ではない。

 ──それが、この世の真実で、誰もが知る常識、そして、歴史であった。


***


 今年もこの寒さは終わらない。

 ラテスカは、大国・テラクールの西南に隣接している小さな国だ。その小さな国、ラテスカの更に西に位置する田舎町・サターンネスに〝終わらない冬〟が訪れて、もう十四年になる。春になれば青いネモフィラがハーベストの周りいっぱいに咲き、とても美しい景色を見せてくれるのだとシスターは私が幼い頃から何度も語ってくれた。しかし、私はそれを一度も見たことはない。いつか見てみたいなぁと思いながら、気づけば十四歳になっていた。


 私がサターンネスのはずれにある孤児院・ハーベストの門前に置き去りにされたのは今から約十五年前の冬、十一月も中旬のことであった。

 シスターの話によると、門の施錠を確認しにシスターが外に出たのは午前零時を少しばかりすぎた頃。上等な籠の中に、首に包帯が巻かれた、生後半年の赤ん坊が捨てられていたのだそうだ。それがレイラ・ロイング──私だった。名前と誕生日はご丁寧に手紙に記されてあったらしい。【娘をどうぞよろしく。どうか幸せにしてやってください。E・L】とのメッセージと共に。


 十歳の誕生日に実物を見せてもらい、そのまま『大切にしなさい』とシスターから譲り受けた。今は宝物入れに大事にしまってある。唯一残された両親に繋がる手がかりだ。

 そしてその日から十五年の月日が経ち、今は四月。来月になればもう十五歳だ。本来なら温かい季節のはずなのに、今年も去年もその前も、この町はずっと冷え切ったまま。空気は酷く乾燥していて、時折雪がしんしんと降る。吹雪に見舞われて、積ることも珍しくない。 


 この国は、春夏秋冬で季節が巡る国なのに、この町、サターンネスは十四年もの間、冬に閉じ込められている。それが巷で噂の『サターンネスの終わらない冬』だ。摩訶不思議なその現象に、もう随分と昔から魔女の噂が囁かれている。サターンネスには邪悪な力を持った魔女がいる、と。子供でも知っている噂だ。



「レイラ、いつもありがとうね」

「ううんっ、どうってことないって。シスターこそ、いつもありがとう」


 午前六時。太陽がまだ、昇り切る前。ハーベストの調理室では、シスターが軽快な包丁さばきで手際よく野菜を切り分けている音が響いていた。私はまだシスターのようにうまくは出来ない。毎日シスターの隣で同じように包丁を手にしているものの、なかなか上達しないのが最近の悩み。あと何年修行をすれば、シスターのようになれるのか。先が思いやられる。


 私の夢はシスターのようになること。シスターのように美味しい料理を作れるようになりたいんだ。私は、シスターが、大好きだ。優しくて、料理が上手で、笑顔が素敵で、子どもたち全員を差別することなく全力で愛してくれる、そんなシスターが大好き。


 そしていつかゆくゆくはこのハーベストを、シスターに代わって切り盛りしていく。様々な理由で行き場を失った子供たちの家を守り、家族になる。私がシスターにしてもらったように、私も愛を与えられる人になりたいのだ。……なんて、まだまだ努力が足りないんだけどね。

 毎日ハーベストで暮らす家族のためにご飯を作るシスターのお手伝いをするのが私の日課だ。料理だけじゃない。家事全般、炊事、洗濯、掃除、下の子の面倒まで見ている。朝も昼も夜も。もう何年も前から。


 下は二歳から、最年長は私と仲良しのノアまで、ハーベストには総勢十二人もの子供たちが暮らしている。シスターは本当の年齢を教えてはくれない。だけどきっともう若くないはずだ。私のおばあちゃんと言ったら、少し若すぎるかもしれないけれど、私のママと言ったら、すこし、遅めにできた子供になるだろう。


 ひとりでハーベストを切り盛りし、ここまで育ててくれたシスターに、できるだけ苦労をかけたくないのが本音なのだ。

 ふんふん鼻歌を奏でながら調理中にできた洗い物を片付けていく。するとシスターが目尻を下げて微笑みながら私の髪に触れた。


「レイラの髪は本当に綺麗だね。朝日に照らされて光ってるよ」

「えへへ。ありがとう、シスター」


 シスターが優しく私の頭を撫でてくれる。嬉しくなって、自然と笑みがこぼれた。

 私の瞳と胸もとまである髪は生まれつき、光が当たると銀にも見える綺麗なラベンダー色をしている。ハーベストで一緒に暮らしている家族からも大好評の色で、自分でも気に入っているのだ。

 改めて褒められた髪の毛をうなじのほうからかき上げる。その拍子に首に巻いていた包帯がほどけて床に落ちてしまった。


「これこれ」


 シスターが慌てて包帯を拾い上げる。


「これは絶対に人前で外しちゃダメだといつも言っているだろう?」

「はい……ごめんなさい……」


 謝罪した後にシスターに背中を向ける。シスターの手によって再び首に巻かれる包帯。


「約束よ。今みたいなうっかりもダメ。いいわね?」

「はぁい……」


 シスターの声が真剣そのもので、心から反省をした。


「よし、できた」

「ありがとう」

「いいえ。本当に気をつけるのよ?」


 深く頷くとシスターはようやく頬を綻ばせて笑ってくれた。

 いつもそうなのだ。シスターはいつも優しいのに、この包帯のことになると、凄く怖い顔をする。人前で包帯をけして外してはいけない。だから必ずお風呂もひとりで入りなさいと言われている。包帯を巻き直したら必ずシスターにチェックしてもらわないといけない決まりまであるのだ。


 どうしてそこまで徹底しなければいけないのか、理由を一度尋ねたことがある。〝包帯をしていたら、いつか両親があなたを見つけてくれるかもしれない〟との理由だった。

 だから私はその言いつけを守ってきた。いつか両親がたまたま私を見つけたとき、レイラ・ロイングだって気づいてもらえるようにと……そう、願いをこめて。




「ごちそうさま。今日のご飯も美味しかったよ、レイラ。学校に行ってくる!」

「うん! 行ってらっしゃい、ノア!」


 朝食を食べ終えた後、片付けに勤しんでいた私に声をかけたのは、ノア・ステラ―ノだった。私と同じ十五歳で、緩くカールした金髪と、垂れた目が特徴の男の子。おっとりとした性格で、とても優しい。そんなノアとは、彼が三歳のときに出会った。彼の両親が事故で他界し、ハーベストにやってきたのがきっかけだ。


 彼や年下の子たちを見送って、私は七歳未満の子たちのお世話や遊びに付き合いつつ、洗濯物や掃除などの家事をこなしていく。みんなのために働くのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。脱ぎっぱなしの寝間着や、汚れた皿を洗って綺麗にしていくのはとても気持ちが良い。


「どうしてレイラは学校に行かないの?」


 午前十一時。庭で洗濯物を干していたときだ。背中のほうから私に無邪気な問いかけをしてきたのは、五歳のマーリンだった。

 太陽が顔を覗かせているものの、外は極寒で、濡れた洗濯物たちをシスターに干させるわけにはいかない。乾燥と水仕事の影響で指先の皸が酷いのだ。幸いにも私は生まれつき寒さには鈍感のようで平気だし、もともと体温が低く、〝寒い〟という感覚がまったく辛くない。終わらない冬と共にこの町に来て、ずっと寒い環境で育ってきたからだろうかとノアと話している。ノアは、寒いのは苦手らしいけど。


「ねえ、どうして?」

「私はシスターの後を継ぐから……勉強よりもこういうことを出来るようになったほうがいいの」


 濡れた洋服を大袈裟にマーリンに見せながら言うと「ふーん」と適当に流されてしまった。聞いてきたのはマーリンだというのに。

 濡れた洗濯物を両手で叩いて皺を伸ばし、ひとつひとつ丁寧に干していく。大中小の大きさの違う洋服たちを見て、ハーベストで暮らすみんなを大切に想う。


「勉強はしなくていいの?」

「勉強はノアが帰ってきてから教えてくれるから。ノア、学校の先生になりたいんだって。教え方が上手なんだよ。だから──」

「友達はいらないの?」

「……っ」


 話をそらそうとした目論見は見事に失敗した。言葉を遮られて思考と行動が一瞬だけ停止する。冷えた指先が、手にしていた濡れた衣服を一瞬にして氷らせる。比喩ではなく、本当に。

 平常心を取り戻すことに専念しながら氷った衣服を抱いて隠した。そしてシスターの笑顔を心に思い浮かべながら背後にいるマーリンにむけて微笑みをつくる。


「私にはマーリンが……大好きな家族がいるから。……友だちは、いらないの」

「そっかぁ!」


 嬉しそうにマーリンが笑い「私も手伝う!」と洗濯物を手に取った。私はマーリンに背を向け、氷ってしまった洋服を目視する。

 まただ。また、やってしまった。たまに感情が高ぶると、こうしてなにかを氷らせてしまうことがままあるのだ。

 理由はわからない。どうしてこうなってしまうのか。考えたくもない。だけど、普通の人間は、こうならないってことは……知っている。

 私が持つこの不思議な力のことを誰も知らない。親代わりであるシスターにさえ言っていない。知っているのは、ノアだけだ。


 以前ふたりでハーベストから程近くにある池の周りで遊んでいたときだ。ノアが誤って池に落ちそうになったことがある。間に合わないことはわかっていたけれど、咄嗟に手を伸ばし、「危ない──!」と、思った次の瞬間、池の水はすべて氷っていた。

 その時なにが起こったのか、理解するのにふたりとも時間がかかった。私は手を伸ばしたまま固まって、湖に沈むと思い込み、目を必死に瞑って受け身を取っていたノアは厚い氷の上で尻もちをついていた。

 ゆっくり目を開けたノアは自分の置かれている状況に戸惑い、驚き、そして──歓喜した。


「すごい……! これ、レイラがやったの⁉」

「い、いや……」


 戸惑った。血の気が引いていくのがわかる。真っすぐノアのことを見られなかった。もしもこれが本当に自分の力なら、大変なことだ。

 だって、こんなの……。


「レイラ、すごいよ!」

「……っ」

「レイラ、助けてくれてありがとう」


 屈託のない、無邪気な笑顔だった。そのノアの目を輝かせた笑顔に、緊張していた私の心が溶かされていくような感覚がした。悪いことをしてしまったという罪悪感が、ノアを救えたという喜びに変わっていくのを感じた。 

 ノアは、私の親友で、家族で、一番の理解者だ。ノアがそばにいてくれて良かったと、今でも心からそう思っている。




「ただいま! レイラ!」

「おかえりノア」


 学校から帰ってきたノアたちを迎えて、ここからはしばしの自由時間。いつもみんなの帰りに間に合うように家事を終わらせておく。私は一日の中でこの時間を一日頑張ったご褒美の時間だと思っている。

 大きな長方形のテーブルがふたつ並ぶ食堂にノアとふたりで並んで腰を下ろす。ノアが今日学校でやった授業を私に向けて反復してくれるのだ。面倒くさいはずなのにノアはいつも嫌な顔ひとつせずにわかりやすく丁寧に教えてくれる。ノア曰く「勉強の復習になるからね。僕も助かってるんだよ」と言っていた。その証拠にと成績表を見せてもったこともある。彼は、主席だった。


「ちょっとごめんね。レイラ、ノア。少しおつかいを頼めるかしら?」


 ノアの授業が始まってから少し経ったあたりで、シスターが困った顔をして話しかけて来た。


「うん、いいよ? なにを買えばいいの?」


 言ったのはノアだった。私もノアに続いて大きく頷いた。


「勉強中にごめんね。メモに書いてあるものを買ってきて欲しいんだけど……」


 シスターからメモを受け取った。買うものは、じゃがいも、玉葱、ブロッコリー。どうやら夕食に使うはずだった材料が足りなかったらしい。今日はシチューの予定だと聞いていたから。

 この極寒の地であるサターンネスでは作物がうまく育たない。寒い中でも育てられる野菜、それから生きられる家畜だけが生産されている。足りないものは、遠くの街や国から商人が調達して補っているのだ。いわずもがな、それらの価格は高騰しているから、庶民には手が出せないのが現状だ。


 ハーベストは国がつくった孤児院である。とても古く、何十年も昔から存在し、建物は隙間風が入り、床は所々軋む。食べ物には困らないにしても、国からの援助金で生活している身、裕福な生活をさせてもらっているわけではないのだ。

大人はシスターだけだし。国は私たちのことは一切ノータッチだ。天涯孤独の身になった可哀想な子供が定期的に増えていくだけ。


 規則として、ここで暮らしている子どもたちは十八歳になったらハーベストを出ていかなければならない。でもシスターは「独り立ちできるまでいてもいいのよ」と子どもたちに微笑む。今の最年長である私とノアがここを出るまであと三年。私はここで働かせてもらうつもりだからいいけれど、教師を志すノアはいったいどうするのだろう?


「行ってきまーすっ」

「行ってきます」


  声を揃えてハーベストから飛び出した。施設の周りでは木や草が自然のままに育っている。ひとつひとつの幹が太く、逞しい。木に緑はない。あるのは不気味な茶色。そして視界を妨げる霧。

それでも久方の外出に鼻歌でも奏でたい気分だ。軽い足取り。ノアが落ちかけた池を通り過ぎ、森を抜けると目的の町がある。


 町に出るのはどれくらいぶりだろうか。少しワクワクする。町のほうにはあまり行かない。こうしてたまにシスターから頼まれておつかいに出るか、学校にみんなの忘れ物を届けに赴く他に町へ行く理由がない。


 学校にも通っていないし、もう十五年も極寒の地と化したサターンネスの町には子供が楽しめる娯楽施設がほとんどない。住宅とお店が混合して建つ街並みは、活気があるとは言えない。さびれた酒場、うわの空で煙草をふかす店主が切り盛りする雑貨屋、品ぞろえの悪い八百屋や精肉店、古いおもちゃ屋に笑顔の子供はいない。店員たちは疲れきった顔をしている。サターンネスでは、笑い声ひとつしない。そういう町だ。

 レンガが敷き詰められた道は緩やかにカーブしている。私たちは八百屋を目指して歩いた。


「もう少しだよ、レイラ」

「うん」


 その時だった。急に目の前に人影が落ちてきた。進めていた歩みを止めてふと顔をあげる。そこには大柄な男が私たちの前に立ち塞がるようにいた。


「君たちはこの町の子かい?」


 低い声。私たちに警戒されまいとしているのか、わざとらしく目尻を垂らしている。不器用な笑顔に、身体が自然と後ろに引いた。長身で体格もよく、黒いマントを羽織っているのに筋肉質なのがわかる。無精髭を生やし、背中には大きな荷物を背負っている。何者なんだろう。


「……誰、おじさん」


 穏やかな性格のノアが私の一歩前に出て、彼を見上げた。普段よりも声が低い。その行為で私にも緊張が走る。


「俺? 俺はただの旅人だよ」

「サターンネスを観光しにわざわざ?」

「そうだよ。でもえらい寒いなここは! ガハハハ!」


 なにがそんなにおかしいのか。身体を大きく仰け反らせて豪快に笑う男。そして、ひとしきり笑い終えたその男が再び口を開いた。


「俺はエイデンってんだ。エイデン・ロアーヌ。お前たち、ハーベストがどこにあるか知らないか? 俺、そこに行きたいんだけど」


 ハーベストに?


「ハーベストなら、この奥の森を抜けたところにありますけど……」

「お、知ってんのか。お前」

「僕たち一応ハーベストで暮らしてるんで」

「ほう? そうなの?」


 顎を右手で撫で、ニヤリと不敵な笑み。私はノアの後ろで黙って佇んでいた。ノアの洋服を握り、彼が手にはめている指先が飛び出た手袋を無意味に見ていた。


「よかったら、そこまで案内してくれない?」

「僕ら、頼まれたおつかいがまだ済んでないんで……」

「それが終わってからでいいから。俺もそのおつかい付き合うよ。時間はたっぷりあるからさ」


 ノアと顔を見合わせる。もう一度その男のことを見ると、男も同様に私のことを見ていた。終始ノアが会話を進めていたし、私は一言も声を発していなかったから、まさか彼が私のことを見ているとは思わなかった。すこし、びっくりした。


「……わかりました」

「うん。じゃあよろしくね。えーっと……」

「ノアです。こっちはレイラ」


 ノアに紹介されて頭を下げた。彼が「レイラちゃんね。よろしく」とまた目尻を垂らした。心臓が慌ただしく動いているのがわかる。ハーベストで暮らすみんなとは話し込むこともあるけれど、他で暮らす、しかもこの男性は旅人。そんな人と会話をするなんて、やはりすこし戸惑ってしまう。大きいし、この人。


 その点ノアはやっぱりすごい。しっかりと物怖じすることなく堂々と大人の男性と話すことができる。学校に通っていないぶん、私はそこらへんの能力が周りより劣っているのかもしれない。そのことを痛感した。


 そもそもなぜ学校に通わなかったんだっけ、私。ノアと七歳のとき、小学校に一緒に通う約束をしていた。毎日のように学校に行ったらあれをする、これをすると、眠りにつくその瞬間まで話しこんでいた記憶まであるのに。


 ただ、覚えていることがまだある。シスターの涙と、「ごめんね」、「レイラは学校へは行けないの」という言葉だった。


 そうだ、理由は訊けなかったんだ。シスターがあまりにしおらしく、悲しそうに涙を流すものだから。平気なフリをした。大丈夫、安心して、泣かないでって、私は学校に行かなくても大丈夫だから。そう、見栄を張った。これ以上シスターを苦しませたくない一心だった。


 それ以来私のなかで自主的になぜ学校へ行けないのか、シスターに尋ねるのは禁止にした。そして、考えることを放棄した。私も苦しくなってしまうから。誰も救われない質問だと一瞬で理解した。

 だけどどうして私は今、このタイミングでその記憶を思い出しているのだろう。



「まいど」


 八百屋のおばちゃんに見送られてハーベストに帰る。重たい荷物を半分持ちながらノアの隣を歩いていると、ふと後ろにいる人が気になってそうっと盗み見る。

「ん?」とエイデンさんが私に気づく。私は咄嗟に前に向き直った。


「ねえ、きみたちはこの町が好きかい?」

「好きだよ。ここで育ったから」


 エイデンの唐突な質問に間髪入れずに答えたのはノアだった。


「ふーん。お嬢ちゃんはどうだい? ここが好き?」

「うん。私も……ここが好き。大好きなみんなもいるし……」

「それは、ハーベストで暮らす人たちのこと?」

「うん。家族だから」


 他に誰がいるのだろう。私にはハーベストしかない。両親に捨てられ、ハーベストでシスターに育ててもらった。ノアと、他の子たちと兄弟も同然に生きて来た。私はハーベストが好きだ。ハーベストで暮らすみんなが大好きだ。何事にも代え難いかけがえのない宝物。失いたくない。絶対に。


「そっか……ねえ、君たちはこの町の冬がなぜ終わらないか知ってる?」

「知りません。なんでそんなこと訊くんですか?」


 ノアが後ろを振り返りながら語気を強める。


「別に。ただ訊いてみただけだよ。ふたりは随分と仲が良いみたいだね」

「僕らは家族なんで」

「……ああ、本当の家族よりも絆が深そうだ」


 男がノアに微笑みかける。対称的にノアは淡白な反応だ。普段ニコニコしているぶん、それがひんやりと冷たく感じた。

 しばらくそんな意味のない会話を続け、私たちは無事にハーベストまで帰り着くことができた。日は沈み、すっかり夜になってしまったけれど。


「ただいま、シスター」


 ノアが入り口の扉を開きながら言う。するとすぐに「おかえり」と、笑顔のシスターが出迎えてくれた。しかしエイデンの姿を見つけるなり顔を引きつらせて「あら、どちら様かしら」と声をすこし震わせた。エイデンは右手を胸に添え、シスターに向かって丁寧に会釈し、「はじめまして、シスター」と紳士的に応えた。


 そして、

「俺はホワイトパークから来ました。……この意味がわかりますか?」

 と、微笑んだ。


 途端にシスターの顔が強張った。血の気が引いていく様が見て取れる。立ち尽くしていた私とノアにも電撃が走った。身体の自由を奪われる。ホワイトパーク、その言葉の意味に身体が硬直したのだ。そして、時が止まる。脳が考えることを放棄したように。


「いやぁ、いきなりすみませんね。だって……このガキ、魔女ですよね?」

 エイデンさんが私の頭のてっぺんにその大きな手を置いた。


途端に呼吸が大きく乱れる。胸が苦しくなる。絶望のようななにかが重力と成り変わって私を襲って来たかのように重く、全身にのしかかる。

 魔女……? 私が……?


「なにを言ってるんですか……っ! この子が魔女なわけ、ないじゃないですか……っ」

 シスターも混乱したように声を荒げる。


 この世界で魔女だと疑われるということがどんな意味を持つのか、学校に通っていない私でもわかる。

 世界で起きている災難、天災、悪事。そのすべてには理由があるとされている。

 雨が降り止まず、農作物が枯れ、豊作が逃れたとき、その地には”魔女”がいると囁かれ、また逆に、雨が降らず、土が乾き、人々が渇きに飢えたとき、地面が大きく揺れ、大地が引き裂かれたときもまた同様。そこには、魔女の影響があるとされてきたのだ。


 魔女とは、まさに不幸の象徴。忌み嫌われ、存在価値がないとされている。全人類から絶滅を希望され、魔女と疑われただけで、友を、恋人を、家族を、人生を、失う。けして過言ではない。

 ──それが、この世の真実で、誰もが知る常識、そして歴史であった。


「嘘……そんな……私……」

「ちょっとおじさん、変なこと言わないでくれよ。レイラが魔女なわけな……」


 ノアが途中で言葉を止めた。



「レイラ?」


 そして私の肩に手を置いて、様子を伺うように顔を覗く。呼吸が荒く乱れている。上手く息を吸えなくて、肩がしゃくりほがる。


「レイラ? 大丈夫だから。落ち着いて? ゆっくり息を吸うんだ」


ノアが私の真正面に立ち、両肩に両手を置いて必死に諭す。しかし私の乱れた呼吸は簡単には元に戻らない。涙が滝のようにかってに流れてくる。まともにノアのことを見ることすらできない。ホワイトパークから来た男に、魔女という疑いをかけられた、ということは、社会的な死が確定したのも同然。私はたった今、死刑宣告をされたのだ。


 このエイデンという男は先ほどホワイトパークから来たと言った。ホワイトパークとは、各同盟国の首領たちがとあるひとつの目的のために戦力を結集させて作ったとされる組織のことである。

 国をまたにかけた組織。その目的は、魔女を討伐すること。ただ、それだけだ。世界のあちこちで紛争が激化している最中であるにもかかわらず、人々が協力し合い、魔女の絶滅に力を入れているのだ。


 各地で相次いでいる地割れ、異常気象、歴史に刻まれるような巨悪な犯罪事件など、すべて魔女が糸を引いているとされており、ことの大きさは重大だ。時にそれらは国同士の争いの勝敗をわかつほど。


 そこで大国・テラクールに隣接しているラテスカ、フォーリスカスの三つの国は休戦の契りを交わし、共通の敵、魔女狩りを開始した。三つの国が争いもなく栄え続け、平和を紡いできた歴史の裏には、魔女という淘汰されるべき悪者の存在がいたのだ。最近ではこの同盟に参入したいと志願する国も出てきているぐらいだ。


 つまり、この人はそんな組織の一員で、世界中で魔女を探しまわっている人だということ。その目的は魔女の殲滅。世界の平和を脅かす魔女を見つけ出し、殺すのがこの人の仕事。そんな役職の人から魔女の疑いをかけられた。これからきっと私はじっくり時間をかけて酷い拷問をされ、魔女裁判にかけられ、そして……やがて死刑を宣告される。疑わしきは罰するほうがいい。軍人というのは、そういうものだ。子供でも、学校に行っていなくても知っている。


 そこまでの未来を一瞬で考えた。身体が震えてしょうがない。


「魔女にはみんな生まれつき、刻印のような痣が身体のどこかにあるんだ。お嬢ちゃん、火傷したことは?」

「……ないです」

「そうか。魔女のなかにはそれを隠すため、故意に皮膚を焼いたり、そぎ落とすやつもいる。お嬢ちゃん心当たりはあるかい?」


 なんと答えたら良いのかわからずに、黙る。


「……俺はその首の包帯が怪しいと思うんだが……外してくれないか?」


 エイデンの指摘に優しいシスターが怖い顔で私に包帯を人前で外すなと強く言っていたことを思い出した。私はすべてを悟って指先をピクリと動かした。そして言われた通りにゆっくりと包帯を解いていく。

今、自分がどんな気持ちを抱いているのかわからない。

 

意識がはっきりしないままでもシスターのすすり泣く声と同時に「ダメ……」と静かに落とされた言葉は私の耳に届いていた。解き終わった包帯を床に落とす。


「髪をかきあげろ」


 エイデンさんに言われた通りにする。


「……あった」


 私の後ろにいるエイデンが言った。その声はすこし嬉しさをはらんでいるようにも聞こえた。きっと刻印は、私のうなじにあるのだろう。

 ──終わった。私の人生。とても短かった。


「レイラ……」


 ノアの、私を呼ぶ声。私の大好きな声。


 薄々気がついてはいた。けれど認めることがどうしても出来なかった。どうしてあのとき池の水を氷らせてノアを守ることができたのか、どうして感情が高ぶると濡れた衣類を氷らせてしまうのか、どうして学校に行かせてもらえなかったのか、どうして人前で包帯を外してはいけないのか。理由はたったひとつだった。


 私が魔女だからだ。小さい頃、お風呂場の鏡が撤去された。シスターが言うには錆がひどく、割れたら危険とのことだったがそれも本当の理由は別だったのかもしれない。

 シスターは知っていたんだ。ずっと、ずっと前から。それなのに私に本当のことを隠し続け、ここまで大事に育ててくれた。守ってくれていたんだ。ずっと。私が魔女だと知っていながら。それがどれほど罪深く、愛のある行動か。涙が、止まらない。


「エイデンさん……シスターは罪に問われますか?」


 絞り出した声はとてもか細く、消えてしまいそうだった。法として、魔女をかくまうのは重罪である。倫理にも反する。魔女の存在を知っていながらホワイトパークに通報しなかったら罪に問われるのだ。


「ああ。でも真実を知るのは幸いにも今ここにいる四人だけだ」


 はっと顔をあげる。エイデンさんの目が、真っすぐに私を捉えていた。


「お前にはまだ選択の余地がある。レイラ、しっかりと聞け。そして考えろ」

「…………」

「お前は俺が発見した以上、これまでのようにここで暮らすのは不可能だ。知らんぷりはできん。これからお前は俺と共にホワイトパークへ行くことになる。そこで魔女裁判にかけられ、いずれは審判が下るだろう」


 魔女裁判……。審判……。

 意識の遠くのほうで彼の言葉を反復する自分声。


「そして選択を迫られる。人類に忠誠を誓うか、否か。つまり……」


 一呼吸おいてエイデンが口を開く。


「ホワイトパークの一員になって魔女を殲滅することに加担するか、魔女として罰を受け入れ……死ぬかだ」


 喉がからからに乾いていく。思考がなかなかに追いついていかない。

 目の前に突き出されているのは未来への選択? それとも──凶器?


「お前、殺されるのと殺すの、どっちがいい?」

「え……?」

「魔女は強い。すごくな……。組織は俺達ただの人間だけじゃ魔女には太刀打ちできないことを結論付けた。その対策として、ホワイトパークは人類に忠誠を誓った魔女のみを〝魔女狩りの魔女〟として組織に迎え入れることにしているんだ」

「…………」 


 頭のなかがごちゃごちゃしていてどうにも冷静に物事を考えられない。だけど私に考える時間なんてないのは理解している。


 だけど、どうして……。どうして私は魔女なんかに生まれてきてしまったのだろう。私を捨てた両親も魔女だったということ? だったらなんでこの世界に私を産み落としたの? 捨てるぐらいなら、せめてお腹の中で殺してほしかった。こんな運命を辿るなら、こんな生き地獄のなかを生きていくぐらいなら、私は……。


 ……生まれたくなんて、なかった。生まれて来なければ、殺すか殺されるかなんて、そんな残酷な選択を迫られることもなかったのに。生まれて来なければ良かった。でも……死にたくもない。誰かを、魔女を、殺すことも、したく、ない……。


「シスター? レイラ? ノア?」


 幼いその声に、はっと顔をあげた。廊下の奥から姿を現したのはマーリンだった。


「みんなこんなところでなにしてるの? お腹空いたよ?」

「あ、ああ、ごめんね。すぐ、ご飯にするからね」


 近寄って来たマーリンにシスターが優しく微笑み、流れていた不穏な空気に歪みができ、気まずい雰囲気に成り変わる。ノアは俯き、エイデンは私のことを見ていた。私は……今、どんな顔をしているのだろうか。酷い顔をしているのは、なんとなくわかる。心が重い。だけど空っぽだ。大きな穴ができたように真っ暗。生きるとか、死ぬとか、殺すとか、そんな黒いことを考えていたからだろう。


 私はこれからいったい、どうしたらいいのだろう。誰か教えて欲しい。切実に、私を正解に導いてほしい。


「……明日の朝、迎えにくる。最後の晩餐だ。ゆっくり楽しめよ」


 肩に手を置いたエイデンが耳元でそう話した。立て付けの悪い玄関の扉は悲鳴をあげながら開き、ドアが閉まる音はやけにでかく感じた。

 ノアがいきりたったように「くそっ!」と叫んで勢いよく外へ出た。エイデンを追いかけて行ったのかはわからない。でも子供のノアに出来ることなんてきっとない。私にも。


 私を連れて行くななんて言っても、私が魔女だという事実は変わらないのだから。

 私は人間じゃない。人間じゃなかった。ただ、生きて来ただけなのに。全人類から絶滅されることを望まれている、忌々しい存在。魔女なのだ。

 マーリンがシスターのそばから離れて行く。そしてふたりきりになったことを確認して、口を開いた。


「……ごめんね、シスター」

「レイラ?」

「シスターの大好きな、モルフィネの景色を、奪っていたのは、私だったんだね……っ」


 嗚咽で言葉が詰まる。その場に泣き崩れて、床に膝をついた。木目に落ちていく涙が染みになる。

 サターンネスに終わらない冬をもたらしていたのは私。私が大好きなみんなを、町の人々を凍えさせていた。この町の発展を衰退させ、住人を困らせていた元凶。この町の異常気象は、全部私のせい。魔女の私の、せい。


「レイラ……っ」

「触らないで……っ!」


 駆け寄って来たシスターが私を抱きしめようとしたが、身体を反らして拒否した。抱きしめられるなんてそんな資格、私にはないのだ。


「私は魔女なんだよ……!」

「関係ないわ! あなたはあなたよ。私の大事な娘だもの……っ」


 私の頬に、シスターの右の手のひらが触れる。その手の温かさを感じ、受け止める。


「モルフィネなんかより、あなたのほうがずっと大事だったのよ。……ずっと、窮屈だったでしょ。学校にも行きたかったよね。ごめんね。最後まで守ってあげられなくて」


 シスターが涙ながらに左手で私の頭を撫でる。首を左右に振る。シスターの姿がぼやけてしょうがない。


「なんでだろうね……最初、首の魔女の刻印を見て驚いたわ。でも、私にはあなたが天使に見えた。まだほんの赤ん坊だった。こんな子が悪さするはずなんてないって、そう思ったの。魔女だからって見殺しにしよう、ホワイトパークに通報しようなんて思えなかった。この町が冬に閉じ込められてからも嫌いになんてなれなかったわ。あなたが魔女だなんて、私には関係なかった。それでも、愛してた」


 私の両頬をシスターが両手で包む。そして額と額をくっつけた。


「忘れないで。あなたは心優しいレイラ。あなたのことが大好きよ。ずっとね……」


***

 

 ひとしきり泣いたあと、いつものように夕飯づくりの手伝いをした。涙をこらえてシスターとみんなのご飯を作った。いつものように。

 食堂に出来上がった品を運んで、待っていましたといわんばかりのみんなの笑顔。配膳しながら、この笑顔を見るのも今日が最後だ……と、感傷に浸る。こんな日が来るなんて、想像もしていなかった。今だって実感がわかない。


「いっただきまぁーす!」


 手を合わせて、みんなが一斉に食べだす。いつも私の隣に座るノアの席が空席のままだ。あれからまだ、帰って来ていない。

 スプーンが皿をこする音がいくつもする。私が物心ついた時から、食事をする時はいつもこうだった。たくさんのお兄ちゃんやお姉さんがこのハーベストを卒業していった。里親に迎え入れてもらった妹や弟たち家族もいるし、自立していった家族もいる。それでも、ここ、ハーベストの食堂はいつも、いつだって賑わっていた。


「レイラ! いつもご飯作ってくれてありがとう!」


 目の前に座るロイが最近抜けた前歯の歯茎を見せながらにっこり笑う。


「今日のシチューも美味しいよ!」


 そしてその隣に座るトーマスが口の周りにカレーをべっとりとつけて、空になったお皿を私に見せつける。幼いふたりのその愛らしい行動に心癒される。自惚れなんかじゃなく、私のことを慕ってくれているのがよくわかる。

 私が魔女だって知ったら、どう思うのだろう。怖がらせてしまうんだろうな。きっと離れていくよね。


「あ、ノア! 遅いよお!」


 マーリンの声かけにより、食堂にノアが来たことを知る。ノアは「ごめん、ごめん」と、いつもの表情で席に着く。


「レイラ」

「ん?」

「後で話がある」


 いただきますと手を合わせたノア。周りのみんなに悟られないように声は真剣だけど、目は、私を見ようとはしていない。


「……わかった」


 頷いて、私もカレーを食べ始める。

 トーマスが「ノア! レイラのカレー美味しいよ!」と無邪気に言う。それにノアが穏やかな顔つきで「ほんと、美味しいね」と返した。


 俺が先にお代わりするんだと、いや俺だと言い合いをする声。それを順番だよと宥める女の子の声。そして、シスターのすべてを包み込むような眼差しと、微笑み。昨日まで、日常でありふれたものだった光景が、すごく尊い。


 やっぱり私はハーベストが好きだ。ハーベストのみんなが好きだ。離れたくない。ずっとここにいて、みんなと笑っていたい。けれどそれは許されることじゃない。私は生まれながらに魔女なのだから。


 なにも悪いことをしていなくても、魔女は生きているだけで罪だ。だって現に私はこの町から冬以外の季節を奪ってしまっている。ただ、存在しているだけで。

みんなにも、春のモルフィネを見せてあげたい。なによりもシスターに。私も一緒に見たいけれど、それは私がこの地にいたら叶わない夢で終わってしまう。


 魔女は不幸の象徴。私が近くにいることでみんなを苦しめてしまうなら、私はここを離れたほうがいいはず。


 食事を終え、二階の寝室で待つノアのところへ向かった。寝室は男女でわけられている。ノアがいる男子の部屋に扉の前に立ちノックをした後「ノア?」と呼びかけた。ドアが開き、ノアが出迎える。

 男子の部屋も女子の部屋も、あまり変わり映えしない。二段ベットが隅に四つ並んでおり、小さい子たちはひとつのベッドで並んで寝ていたりもする。そのベッドの間に木製の机が置かれているのだが、女子の部屋に比べると、整理整頓されているとは言い難い。

 

 ノアがドアから一番近くに置かれたベッドに腰をおろした。私もそれに倣って隣に腰をおろす。静かだ。他の兄弟たちはみなお風呂に入ったり、食堂で学校から出された宿題などをしている。薄暗い部屋で、月明かりに照らされたノアの顔を見る。


「レイラ……これからふたりでどこか遠くに逃げない? 誰にも見つからないところに」

「え?」


 膝に両肘をついて前かがみになり、真剣な眼差しで提案したノア。私はそれを見て笑いをこらえることが出来なかった。


「ぷっ、ははは!」

「な! なにがおかしいんだよ……っ」

「だって真剣な顔でなに言いだすかと思ったら……逃げられるわけないじゃん……」

「やってみなきゃわかんないじゃん」

「無理だよ。エイデンって人、きっと私が逃げても捕まえられる自信があるから最後の晩餐を楽しめだなんて言ったんだよ」


 そうとしか考えられない。普通、魔女を発見したらすぐにでも連行したいだろうし、逃走しないように拘束したいはずだ。でも私には魔女としての圧倒的な力がない。自由自在に魔力をコントロールすることすらできない。それをあのエイデンって男は察知したのだろう。


 あと、これは私の願望に似た妄想かもしれないけれど、私のなかに悪意がないことを信じてくれたんじゃないかって、そう思うんだ。あの人、なんとなくだけど、悪い人じゃなさそうだし……。

 もしそうなら、その気持ちを裏切りたくない。私は嫌われ者の魔女かもしれない。だけど、本当の悪者にはなりたくないのだ。絶対に。


「じゃあ……レイラはこれからどうするの?」

「ホワイトパークに行くよ。魔女裁判を受ける」

「……その後は?」

「わかんない。でも……死にたくない」


 死ぬのは怖い。だからって、誰かを、魔女を殺す覚悟なんて、出来るわけもないのだけれど。

私に誰かを殺す力があるとは思えない。池や濡れた衣服を氷らせたとしても、それが殺人に使えるとは到底考えられない。


「僕も、レイラには死んでほしくない。生きててほしい」


 目を閉じたノアの瞳から、涙が一筋流れる。


「私が魔女でも……?」

「関係ないよ、そんなこと。君は、君だ」


 魔女と疑われた瞬間、私はすべてを失ったのだと思った。だけど、違った。シスターもノアも私のことを変わらず大事に想ってくれている。私は、私だと。

 巻き込みたくない。私の大切な家族を。だからどうか……。


「ノア、約束して。私のことは忘れて。先生に、なって。夢、叶えてね」

「……っ」


 嗚咽を我慢しているノア。だけど我慢しきれずに声が漏れている。ノアは首を横に振るけど、私はそれに首を横に振った。私の頬も気づけば濡れていた。


 待ち受けていた運命は、こんなにも重く苦しいだなんて。好きで魔女として生まれてきたわけではない。なのに、私が生まれてきたことは、間違い以外のなにものでもない。私の中に悪意がなくとも、世界に疎まれ、憎まれ、存在を全否定される。


 私が持つ季節を冬にしてしまう魔力も、水分を氷らせてしまう能力も、私は悪いことに利用しようだなんて企んだことはない。むしろ要らない。こんなものほしくなかった。恐ろしくてたまらない。自分が。自分の持つ得体の知れない力が。


 誰かを傷つけてしまう力なんて、持っていたってしょうがない。守りたいものはあっても、傷つけたい存在なんて、この世にはいない。


 二人で夜な夜な泣いて、気づけば朝になっていた。二人して泣き疲れて意識を飛ばしてしまっていたらしい。


 目を覚ました時、すぐ隣にノアの寝顔があった。たくさん泣いたノアの目は腫れていて、流れた涙の後が痛々しい。


 時刻はまだ朝日も昇り切る前。カーテンの隙間から見える空はまだすこし暗い。きっといつも起きる時間に目が覚めたのだろう。薄明から目線をずらして、幸せそうに眠る兄弟たちに目を配る。ノアといつも眠るトーマスが今日はロイと寝ている。起こすのは悪いと私に気を遣ってくれたのだろうか。


 物音を立てないように男子部屋から出た。すぐ隣の女子部屋に行き、身支度を整える。大きなかばんに必要最低限のものを入れていく。洋服、包帯、シスターにもらった銀で出来たモルフィネの髪飾りは、その場で身に着けた。最後に宝箱をかばんにしまった。


 部屋を出て玄関に向かう途中、キッチンを覗いた。シスターの姿はなかった。ここで毎日、たくさんの量の野菜を切った。煮込んだ、焼いた。火傷したこともある。シスターの真似をいっぱいした。だけど思うように上達は、しなかった。シスターの味を完璧にマスター出来ずにここを離れることになったのは、心底悔やまれる。


 そしてまた廊下を進み、玄関前で歩みを止めた。シスターがそこには居た。


「レイラ。行くのね」


 シスターの表情が暗い。寝ていないのか、泣いていたのか、はたまたその両方か、目の下に隈が出来ていて、瞼は大きく腫れている。


「……行く。今まで、本当にお世話になりました」


 深く深く、頭を下げる。シスターが近づいてくる足音がして、姿勢はそのままで目線をあげた。その刹那、シスターが床に膝をつけて私の身体を抱きしめた。

 ぐっと堪えていた感情、涙がこみ上げて来て、心の中で爆発した。今までハーベストで過ごして来た時間、思い出が走馬灯のように頭を駆け巡る。


 いつだって側にはシスターの優しい笑顔があった。いつも私のことを見守ってくれていた。私だけじゃない。他にも兄弟は沢山いるのに、わけ隔てなく、平等に、かつたっぷりの溢れんばかりの愛情を注いでくれた。


 シスターは、私も知らなかった私の正体を知っていたのに。


「レイラっ、大好きよ……! 心から愛してるわ。生きなさい。どんな時も諦めないで。あなたなら大丈夫。辛くなったらここでの生活を思い出して。いつでも帰ってらっしゃい。ここはいつまでもあなたの家だから。あなたは誰がなんと言おうと……私の娘よ」


 力いっぱい抱きしめられる。シスターの言葉を噛みしめるように何度も何度も頷いた。

 そして二人で向き合い、笑顔を見せあった。シスターの笑顔は私に勇気をくれる。もうここには戻ってこられないかもしれない。だけど私は、絶対にここへ戻ってくる。そう強く、願わせ、誓わせる。


 シスターから離れ、玄関の扉を開ける。丁度朝日が昇ったのか、いきなり現れた太陽の光に目が眩んだ。


 ノア、怒るかな。黙って、勝手に出て行って。他の兄弟たちも、悲しむかな。

 だけど、大丈夫だよね。みんなには、みんながいる。


「シスター、ノアたちをよろしくね」


 振り返ると、シスターがゆっくりと頷いて返事をしてくれた。

 エイデンさんが門の柱に体重を預けるようにして立っていた。私はもう一度シスターの方を見ると「行ってきます」と、言った。


 ──また、帰ってくるよ。いつか、絶対に。


 そういう気持ちをこめた言葉だった。シスターが優しく「行ってらっしゃい。気をつけてね」と、微笑む。私はその笑顔を胸に、一歩を踏み出した。

 これから先、私はきっと地獄を生きる。いや、殺されてしまうかもしれない。だけど私は生きてまた大好きなみんなに会いたい。そう、心から思うから。


 だから足掻いてやる。どんなことがあっても。誰に、どんな運命に邪魔されても。私がたとえ生まれながらに憎まれる魔女であっても。生まれてきたことは恨んでも、生きることは諦めない。


 私は私。名前はレイラ・ロイング。十五歳。ラテスカ国の東にある田舎町、サターンネスで育った。生みの親は知らない。育ての親はシスター。兄弟は、たくさんいる。家事が好きで、料理の腕前は発展途中。自慢は光に当たるとラベンダーにも見える銀髪と瞳。それ以上でも以下でもない。


「……別れは済んだのか?」

「はい。でも、永遠じゃない。そうですよね?」

「……ああ。そうだな」

 エイデンさんが歩くスピードに駆け足でついて行く。後ろ髪引かれながらも、後ろは絶対に振り返らなかった。




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