杏珠(まえ編)
「へぇ、幸音に友達が……。ちょっとビックリ」
俺は緩やかな登りが続く家への道を、ママチャリを必死に漕いで帰り、幸奈の帰宅を今か今かと待ち遠しくすごした。ふだん家に居たら即ネトゲの俺からしたら、これはすごいことである。そんな中、帰ってきた幸奈に満を持して報告したわけだ。
「ふふん、どう! 私、やれば出来る子でしょ!」
驚く幸奈に俺は胸を大きく逸らせ、ドヤってみせる。あれ? 幸奈からの反応ないな。不審に思って見てみれば……、
「ね、姉さん?」
泣いてた。まさかここまでの反応が返ってくるとは思ってなかった俺は、もう対処に困りオタオタしてしまう。
「ご、ごめんごめん。ちょっとうれしくって……、つい。まさか幸音が自分で、こんなに早くお友だち出来たって報告してくれるなんて思ってなくて」
そう言いながら、その手を俺の頭にのせてくる幸奈。こんにゃろ、どんだけ俺のこと、コミュ障だと思ってたんだよ! ま、まぁ、それを今も否定できないのがつらいところではあるのだが……。そのまま頭をグリグリしてくる幸奈から逃げつつ俺は、はにかむように笑って返した。
火曜から始まった学校生活をなんとか過ごし、ようやく週末を迎えようとしてる。まぁ、まだ授業もなくて午前中で帰ってるけどな。
生徒手帳で使う写真とか、もちろん全体写真とかの撮影もあった。体育館での男女共同での健康診断なんて苦行をさせられたりもした。男子どもの馬鹿さわぎがウザすぎて引くレベルだったわ。やつらも慣れてきてるから色々余裕出てきてるんだよな。悪い意味で。俺は立夏と麻衣が気を利かせてくれて、三人で回ってたから、目立ってきた男子からのちょっかいとかもフォローしてもらえたりして色々助かったけどな。
でもそんな時でも、俺はずっと変な視線に悩まされてた。教室でも、体育館でも、立夏たちといる時だってずっと感じてる。
俺、なんかやっぱ、あれだ、そういうのがすっごく鋭くなってるというか、わかるんだよな。幸奈が心配するから言ってないけど。最初は大して気にもしてなかった。俺って、よくあるしな、そんな視線。でも明らかに同じ奴からの視線が続くし、それは日が経つほどに強くなってきた。
今日もどうしようかと、ぐずぐず思い悩みながら過ごしてた。
「ちょっと先生のとこに届け物、あるから行ってくる」
「一緒に付いて行こうか?」
休み時間、俺と麻衣の席まで来て、一緒に喋ってた立夏がそう言ってくれる。一緒にと言っても俺は基本聞いてるだけで、ネタを振られたときだけ、その返事を返すのみだ。俺にリアルJCとの生会話は無理ゲーであるからして。二人は単に俺が無口なやつって思ってるからちょうどいいのである!
届けるのは俺の診断書である。定期的に精密検査を受けることになってるから、学校を休むため前もって申請しておきたいと幸奈先生がおっしゃったのである。マジメか!
で、今である。めんどくせえ。
「ううん、いい。すぐ済むし。二人でしゃべってて」
そう言って席を離れ、職員室へと向かった。
「じゃあ、渡しました。よろしくお願い……します」
「ああ、その……、北美。よくわからんが、もし体調に不安があるときはすぐ先生に言うんだぞ? 無理して体調を崩しても、いいことなんて何もないんだからな。これは学年主任にも通しておくから心配するな。戻っていいぞ」
「はい、失礼……します」
末永先生はやっぱいいやつだな。診断書の入った封書を軽く振りながらそう言って俺を見送ってくれた先生を見て、俺はそう思った。
職員室から教室行くまでの、ちょうど中間に階段があるんだけど、そこまでは生徒とかほとんど、いない。そりゃ好き好んで職員室のほうには来ないわな。階段に差し掛かったとき、あの視線を感じた。
「北美さんっ、ちょっといい」
はえっ? な、なんだ? 向こうから声かけてきた。俺は意外な展開にちょっと思考停止しちまった。
「ちょ、ちょっと、聞いてる、北美さん!」
焦れたそいつが、少し声を荒げながらまたも問いかけてきた。上に行く階段に居たらしく、俺の方に向かって降りてきた。こいつここで待ってやがったな。
「ご、ごめん。ちょっと、びっくりして……。ええっと、その……」
すまん、名前覚えてないわ……。
「くぅ、なっ、成瀬よっ! 成瀬杏珠! も~っ、あんたってほんと、ほんっとに、ムカつくのっ!」
きっつ。顔合わせた途端これかよ。相当溜まってたんかなぁ。なるほど、この子か。俺の右後ろに座ってるよな、確か。当然喋ったことない。面と向かって何かしたこともない。はて、何でこんなに怒ってるんだ?
「そのぉ、成瀬……さん? ど、どうして、そんな……に、お、怒ってるのかな?」
「な、な、なによっ! あんた、そんなこともわかんないの? し、信じらんない!」
そう言われてもな。わからんものはわからん。理不尽な女の子だなぁ。
……成瀬って、そうか、立夏が言ってたクラスで可愛い子の名前に挙げてた子だ! うんうん、確かに可愛いな。色素少なめな黒髪に、眉下ぱっつんでゆるく巻いた前髪、おくれ毛垂らしてるとことか、高めのツインテールとか、目はデカくて顔小さいし、色も白い、これもう、あざと可愛いくらいだな!
「う、うん……、ちょっと、そのぉ……なんのこと?」
「も~~っ、あんたちょっと生意気なの! ハーフでほんのすこし可愛いからっていい気になってるんでしょ~~」
この言葉が口火になって出てくる出てくる、次々と。
「入学式の時からそう! ママといっぱい写真撮ろうって言ってたのに、ママってば他の人たちと一緒にあんたを撮って喜んでるし、それに、それに家に帰っても、あんたのことを褒めてばっかだった。私だって前の日、ヘアサロン連れて行ってもらって綺麗にしてもらって、式の日だってほんの軽くお化粧もしてもらって……、褒めてもらうの、とっても楽しみにしてたのに! なのに口からでるのはあんたのことばっかり! 学校でだってそう! みんなあんたの噂ばっかしてさ、なにさ! ちょっと髪が銀髪なだけじゃない。目の色だってそんな赤いの、きっとカラコンでも入れて目立とうとしてるんでしょ! どうやって先生に、それ誤魔化してるのよっ! も~、ほんとばっかじゃないの! いつも私は一番だったのに! 寺前にだって負けない自信あったのに! なのに、なによ、なによ、もうっ…………」
それは成瀬の今までの鬱憤を吐き出すかのような、それでいてちょっと悲しくなるような心情の吐露だった。まぁあくまでも成瀬から見た、一方的な思いだけどな……。
「な、成瀬、……さん?」
黙り込んじゃったな……、どした?
こんなの俺、どうしたらいいんだよっ! わっかんねぇって。
「あ、あんたなんか! ハーフの親無しのくせにっ!」
え……。
俺にとっては正直、大した言葉じゃなかった。何しろ、ホントじゃない、作り物の設定なんだ。痛くもかゆくもない……。けど、成瀬さんは、……違った。
いかにも、しまったって表情を浮かべてた。きっとホントはいい子なんだな、この子。
そんな自分に驚いたんだろう、反射的に俺から離れようと、身を翻した。
「「あっ」」
俺と成瀬さん、どちらが先に発したかわからない。
わかってることは一つ。
その先は何もない。下りの階段だってこと。
危ないと思ったときには俺の体はすでに動いていて、成瀬さんに向かって手を伸ばしていた。体は成瀬さんの方が頭一つ分は大きい。間に合ったとしても、きっと俺まで一緒に巻き込まれるだけだろうけど。
でも間に合わない――。
くっそ、これでも俺は元男だ! 女の子守れなくてどうする!
助けたいって、強く願った。
「成瀬さん、手っ!」
心臓がドクンとなった。
胸の奥が熱い。見開いた目が疼いて、耳鳴りがひどい。
なぜか落ちていく勢いが緩慢になった、成瀬さんの伸ばした手を掴んで、あらん限りの力で引き戻し、
その代償として、俺はその勢いのまま……、
「いやーーーーーーっ、北美さんっ!」
その先の記憶は途絶えた――。
杏珠砲炸裂!
幸音何度目の気絶かっ?




