幽霊屋敷の聖書1-6
自分の部屋でボーとしていると時間の流れを強く意識した。
慣れない遊園地に行ったのは、もう一週間も前だ。日常という波は容赦なく、非日常の一日を一瞬で遠い過去にしてしまう。
あの後は予定通りジーザスたちと合流とはならなかった。ジーザスに急用が入り、トマスとだけ合流して一緒にご飯を食べて帰った。後日私を除くメンバーでも集まったようだ。私はちょうど前から予定していたことがあり、残念ながら参加することができなかった。
あの屋敷で過ごした時間は二年ぐらいだ。そういえば文化祭の時に、たくさんのすれ違いがあった。
一番覚えているのは私がシモンに嵌められて、劇に出ることになった話だ。今では良い思い出だけど、今でもあの恨みは忘れない。
それは文化祭一週間前の話だ。教室で本を読んでいた私は突然声をかけられた。声をかけてきたのは、打ち解けた会話はしないけど顔なじみのクラスメイトだ。私はシモンと彼女の仲を繋ぐことが多く、顔を合わせる機会が多かった。
「戸松さんお願いがあるの?」
いかにも困ってますみたいな顔で、私の目を見て話しかけてきた。面倒事な気がしたが、逃げ出す度胸などなく大人しく話を聞いてしまった。
最初から無理だと言っておけばよかったと今では思う。こういう仕事はできそうな奴に狙いを定めてやってくるものだ。
彼女の話によると、実行委員主催の体育館でのステージイベント。その演劇の子が、この時期に階段から転倒してしまったらしい。命に係わる怪我ではないが、劇は無理だという。そこでなぜか私にその役を頼みたいという話になったようだ。
「門田君が、あなたから話を聞いたって言っていたの」
準備が良いことで、その場で台本を見せられる。私の読むべきところには赤線が引かれていた。『嵐が丘』確かに少し前に私が彼に話した覚えがある。
見ると復讐劇ではあるが、悲恋の色が強く感じられた。大分劇用にアレンジされているようだ。そのため削られている登場人物もいる。なるほど。面白そうだ。これなら分かりやすく、伝わりそうだ。
「でここなんだけど」
指さされた場所を目で追う。どうやら場面転換の際にでてくる台詞のようだ。台詞の左右を(暗転)という文字が挟んでいる。
「それでどうして私なの?」
「ルカなら語り手が一番似合うって門田くんが言ってたから」
とりあえず今度あったら一発殴ろうと思った。思っただけで、多分しないけど。幸いなことに台本を見ていてもおかしく思われる役ではない。
「わかった」
と簡単そうだと思って、つい了承してしまった。そこから一週間、私にしては珍しくまったくあの屋敷に足を運ぶことができなかった。
この喪失は思いのほか深く私を劇に集中させた。マリアに会えない不満を劇に押し込めていたのかもしれない。
文化祭の当日珍しいことがあった。それは風が涼しい晴れた日だった。実に秋を感じる日。ジーザスがマリアを連れて、学校に来たのだ。私のクラスはありきたりな喫茶店だった。安い飲み物。お祭り特有の食べ物。魅力なんて学生の若さぐらいの場所。
そこに彼はやってきた。彼が歩いた後ろからは話し声が聞こえ、噂は噂を広げ彼の周りにはたくさんの人が集まっていた。
「やぁ」
優しく微笑むその姿は、見慣れたものだったけど、周りからは黄色い歓声が沸く。線が細く、背が高く美しい。そんな彼の姿と、祭りの熱が混ざって大げさに盛り上がっている。
ひそひそ話すクラスメイトを無視して私は一歩前に出た。
「ジーザスどうしてここに?」
「マリアが行きたいっていうんだ。君たちが最近こないからね」
私は急に入った役の打ち合わせや、練習を繰り返しやっていた。シモンは生徒会長だ。私以上に多忙だったに違いない。
ずっとムスっとした顔のマリアと目が合った。ジーザスの手を固く握りしめて、何か言いたそうに唇を震わしている。
「どうしたの。マリア?」
「落ち着かない」
確かに。彼女にとっては年上の人間ばかり。ジーザスを囲む台風のようだ。
「ちょっとどいてくれ」
廊下の人ごみ越しに声が聞こえた。聞きなれた声に、私もジーザスもマリアもそちらを向いた。実行委員の腕章に青色のクラスティーシャツ。肩からカバンをかけたシモンが、息を切らせながら出てきた。
「やぁシモン」
「やぁじゃねぇ。ジーザスあんたはちょっと自分のこと考えろ!ほらみんなどいたどいた。一般の人もいるんだ、一カ所に集まってんじゃねぇ」
シモンが大声で周りを制する。それをきっかけに輪はいくつかのグループになって廊下の左右に広がっていった。何人かはまだこちらのことを気にして見ていたが、それでも数は随分と減った。
「まったく来るならちゃんと連絡してくれ」
「今、しているよ」
「これは連絡じゃない。報告だ!」
シモンが珍しくジーザスに噛みついている。屋敷ではなく学校のため彼なりの苦労があるようだ。
「マリアごめんよ」
シモンは少しくたびれた様子で、彼女に謝った。
「大丈夫。みんないたから」
少し安心したようだ。声はとても柔らかだ。
「あぁそうだ。これからルカが出る劇があるんだ。見て来いよ」
「えっもうそんな時間?」
私は思わず黒板上の時計を見た。幸いなことにまだ一時間半はある。
「ルカ。劇でるの?」
「うん。ちょっと頼まれちゃったから。ごめんね。最近行けなくて」
「いいよ。みんないてくれたからいいよ」
心の底から嬉しそうに優しくマリアは微笑んだ。私の心を少しだけ締め付けて、彼女のことが一層愛おしくなる。
と見惚れている私に背後から声をかけられた。
「戸松の知り合い?」
私が数少ない教室で話す男の子だ。同じ図書室通い、たまに本の話をする仲だ。後ろを見ると他のクラスメイトがちらちらこちらを気にしているのがよく分かった。どうやら彼は貧乏くじを引かされたようだ。
「知り合いだよ」
「こいつ借りてっていいか。劇も近いしさ」
会話にシモンが割り込む。わざと声を大きくしたのは私のクラスメイトに聞かすためだろう。
「いいけど。会長あとで説明してよね」
クラスのリーダー格の女子生徒が茶化すように言う。
「わかった。わかった」
シモンはそれになげやりに手を振ってこたえた。教室を出て、ジーザスとシモンが前に、私とマリアはその後ろに並んで歩き始めた。マリアの手がすっと私の手をさらっていく。私は小さく柔らかい手を握り返した。
「ずいぶん頼られてるんだね」
「これでも生徒会長だからな。今日はマジで余裕ないから、騒ぎ起こさないでくれ」
わざとらしくシモンが頭を押さえる。いったい彼が、私のクラスに来るまでどれくらいの騒ぎが起こっていたのだろうか。
「それは困った。どうしたらいいんだい?」
「はぁマリアー」
シモンが振り返って、マリアに向き直る。不思議そうにマリアがシモンを見上げる。
「マリアが行きたいように動け。ジーザスが勝手に動くと迷惑だ。そうだな、いかにもわがままな子どもって感じで頼む」
「いいの?」
「ジーザス。お祭りなんだから許してやれよ」
「お祭りなら、しかたないね」
と答えるとマリアが小さく「やった」とこぼした。
「私ルカの劇が見たい。いつ?どこ?」
とマリアは早速声を弾ませてシモンに尋ねた。シモンは肩にかけたカバンから、文化祭のしおりを取り出した。
「この劇だからもうちょっと時間があるな」
軽く説明してからマリアに渡した。
「ちゃんとエスコートしてやれよ」
「ふぅ。今日のシモンは随分と口うるさいな」
ジーザスは涼しそうな顔で不満を漏らすが、シモンはそれを無視した。屋敷にいる時と態度が違うのは、彼がここでは責任のある立場だからなのだろう。
「じゃあな。ルカそいつらちょっと見ててくれ。けど遅れるなよ」
彼は早口でそういうとどこかに早足で行ってしまった。当日でも多忙のようだ。
「屋敷の外で見る彼は新鮮だ。大物になりそうだ」
ジーザスは遠くに行った彼のことを嬉しそうに呟いた。
とそこでマリアがまた不満そうにジーザスを見ていた。唇をきつく閉ざして、言葉を我慢しているそんな表情。
「ジーザス。他人に気を使ってもいいけど、マリアのこと大事にしてよね」
思わずそんな言葉が口からこぼれた。
「ルカ。言わなくてもいいよ」
「ごめん。つい言っちゃった」
「でもありがとう。ユーイチ私のこと見ててね」
といってマリアはジーザスの手のひらを大切そうに握り締める。ただならぬ雰囲気に周りからの視線が集まり始める。
「とりあえず移動しよっか。二人とも」
私は二人の手を引いて舞台のある体育館に向けて逃げるように歩き始めた。
あの屋敷の中ではあんなにも自由な二人が、外だとこんなにもちぐはぐだ。苦労していたシモンの気持ちが少しわかった気がした。
体育館に移動すると、少しだがもう座っている人たちがいた。ジーザスの姿を見ると、波のような視線とひそひそ話すのが見て取れた。
「とりあえず座ってて。ちょっと時間あるけど」
私はそういって少し早いが、楽屋に向おうとしたがマリアに止められてしまった。
「ねぇルカ。もうちょっと駄目?」
彼女にそんな風に言われたら断れない。実際少し早いことは私も自覚している。マリアを間に挟んで私もパイプ椅子に座った。
「どんな話なの?」
私はチラッとジーザスを見た。彼は何も言わず、小さく頷いた。
「『嵐が丘』は拾われた男の話。その男が復讐をする、恋愛の話」
黒い炎みたいな男だった。恋心があったから強い復讐の炎が生まれ、その火は死ぬまで消えなかった。
私は簡単に話の説明をした。
「そっか。可哀そうだね」
私の話を聞いたマリアは小さくこぼした。けど、それが誰に向けた言葉なのか判断はつかなかった。あの話には可哀そうな人間が多すぎる。
雑談をしていると、校内放送がもうすぐ劇が始まることを告げた。私は慌てて、楽屋に向かうことにした。
私の劇の格好は、学校指定の制服だ。もっとも文化祭中に制服を着ている人間というのは、意外と少ないものである。
開園までの少しの時間。台本に目を通していると、さっき聞いたマリアの言葉を思い出した。いったい誰が可哀そうだと思ったのだろうか。
劇が終わり、最後に全員であいさつをすると、万雷の拍手を浴びた。そこで思わず泣きだす子の姿もあった。
私の学校の思い出では、この劇が一番青春していた。客席を見渡し二人を探す。ジーザスとマリアも拍手をしていた。瞼の裏が少しだけ熱くなる。
拍手を受けながら退場し、私も楽屋に戻る。
「戸松さんありがとうね」
最初にこの話を私にした女子生徒が涙声でそういった。目の端には涙を浮かべ、私の落ち着いていた涙も込み上げてきそうになる。
「私も良かった」
なんとかそれだけ言うと、彼女の目から涙が溢れだした。これだけ喜んでくれる人の力になれたなら、それは幸福なことだと思った。
ただ私の役目はそこまでで、あとは元からいる人間で片づけるということだ。私は一足先にその輪から離れた。
フロアの席にはまだマリアとジーザスが座っていた。
「君は話すのが苦手だと思っていたよ」
いきなりジーザスにそんなことを言われて、面を食らった。どうやら褒めているようだ。気づきにくいと思った。
「どうしたマリア?さっきまであんなに喋ってたのに」
マリアの方を見ると、ジーと彼女は私を見上げていた。不思議な目だと思った。ジーと見つめられて、私の中の何かを見ているようだと思った。
「ルカだ」
少し納得したように彼女はこぼした。
「そうだけど?」
「すごいね」
落ち着いていて感嘆の声を漏らす。こんなに感情が読み取れないマリアは初めてだ。彼女は私をずっと見ている。
「ジーザスどうしたの?」
私は思わず彼に助けを求めた。
「マリアは感動しているんだよ」
「そうなの?」
私の問いにマリアは首を縦に振った。
「僕も少しだけルカのことを恐ろしいと思ったよ。君は内向的で優しい人間だと思っていたけど、苛烈な面も持っていたんだね。勘違いしてたよ」
「買いかぶりすぎです」
思わず敬語で答えてしまう。ジーザスに褒められるなんて初めてかもしれない。だからどんなふうに受け止めていいのか、わからない。
「あと、僕は君の一番嫌いな人物もわかったよ」
「誰ですか?」
「エレン。本来なら語り手である人物だね」
「その通りです」
小説と違って今回のものは劇だ。小説ではエレン・ディーンという人物が、ロックウッドという男性に話をする構図だ。だけど今回はその二人はいない。ヒースクリフを中心に展開され、彼が屋敷にやってきて、亡くなるまでが劇では行われた。随分詰め込んだ話だ。
「どんな人なの?」
マリアが不思議そうに尋ねてきた。ジーザスと目が合うと、彼は小さく頷いた。
「すごく簡単に言うと、考えが浅い語り手。彼女によって起きた悲劇もあったぐらい」
私の言葉にマリアは少し目を開いて驚いていた。語り手が嘘をつくというのは、彼女の中では不意打ちだったようだ。
「ところでルカはこれを自分から立候補したのかい?」
「それは。欠員が出て、それからシモンが私のことを劇の人たちに話してたから」
なし崩し的に参加することになったと説明した。ジーザスは話を聞いて納得したように頷く。その間、マリアはずっと私を見ていた。
「他の場所も見に行く?」
私を見続けるマリアにそう話しかけた。返事はなく、なぜか彼女の両手が私の頬に触れた。撫でられたり、少し摘ままれたりして困惑する。
「マリア?」
「いつものルカだ」
見上げる彼女は不思議そうに呟く。さっきからマリアが私にどんな感情を抱いているのかまるで分らなかった。
意識が唐突にはっきりした。どうやら私はさっきまで眠っていたようだ。窓の外は暗い。枕もとの時計を見ると夜の九時半。眠る前のことを思い出す。夕飯を食べて少し眠かったことは覚えている。横になって考え事をしていると、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
夢の続きを思い出す。
文化祭が終わってからマリアが私のことを不思議そうに見ていた話を、シモンに相談した。すると彼はすんなり答えた。
「感動したからだろ」
あの男たちはどうしてそんな、答えになってない答えを言うのだろう。少し苛立ちながら、追及した。
「マリアにとって、自分の一面って奴は二つしかないんだよ」
「二つ?」
「昔の自分と今の自分。親が亡くなる前と、亡くなった後。だからお前の知らない一面を見て、感動したんだろ」
その答えには少しだけ納得できた気がした。レンの話も聞いていたから、彼女がどこでも優しい子であることは予想がついていた。
「マリアもまだ中一で子どもだからな。どこに感動するかなんてわかんないぞ」
訳知り顔で付け加える。それが気に入らないのはきっと私の傲慢の現れなのだろう。マリアの一番の理解者でありたいという欲望だ。
マリアは人前だからって仮面をつけない。ただ我慢する。辛いことも、寂しいことも、全部笑顔の裏に押し込めて、自分も他人も騙そうとしない。
きっとマリアにはそれが当たり前で、私もそんな自分を偽れない人間だと思われていたようだ。
結局シモンとジーザスは理屈として答えを持っていたけど、私にはマリアの感動した理由が分からなかった。納得したフリをして、モヤモヤ抱え込んでいてマリアにも尋ねた。
「どうしてあんなに感動したの?」
「私もルカみたいになれるかな?」
「どういうこと?」
「あんな風にカッコよく堂々と話せて、ルカみたいに優しくなれるかな」
苦しいほど嬉しかった。
私は特別マリアに優しいと自覚していた。けど彼女からそんな言葉を貰えるとは思ってなかった。感謝されたくてしてるわけじゃない。できることをやっているだけ。言い訳みたいな言葉が零れそうになるけど、全部飲み込んだ。
憧れる彼女の眼差し曇らせたくなかった。
「なれるよ」
彼女の信頼に心が満たされる。彼女の真っすぐな姿が眩しい宝石のようだった。
私にとってあの文化祭は特別な青春の思い出。思い出すだけで胸の内が温かくなる。
「よし」
気分一新。私は起き上がって、やり残した家事に手を付け始める。食器を洗って、朝ごはんの準備。お風呂にも入らないといけない。そうしている間、私はまた昔の続きをゆっくり思い出していた。
ルカ 戸松陽歌
マリア
ジーザス ユーイチ
シモン 門田祐樹
トマス
レン
椎名蓮子




