幽霊屋敷の聖書1-4
授業と授業の間。私は大学でも図書館によく向かう。この時間はいつもそうだ。取りたい授業の関係で、一コマ空白ができてしまう。サークルにも不参加だし、活動などもしていないので、自然と足が向かってしまう。
図書館はキャンパスの他の場所と違って静かだ。
返却棚に懐かしい本を見つけた。ミヒャエル・エンデの『モモ』。私がマリアに勧めて、彼女がとても気に入っていた本。今の時事を思うと、日本人はもっとこの本を読むべきだ。偉そうにそんなことを思うのは、いずれ来る就活と最近の気の滅入るニュースのせいかな。お金も大事だけど、時間も大事だよね。
私が『モモ』をマリアに勧めたのは夏休みの読書感想文だ。
今度はこの間、トマスがいっていたことを思い出す。私はどうやら良いお姉さんをやれていたようだ。ただあの子に対してはどうだっただろう。
レン。マリアと同い年の女の子。マリアが美少女なら彼女は平凡な子だった。そんな風に言ったら彼女はきっと困ったように笑うし、マリアきっと私のことを怒る。レンは少し不自由な家庭で生まれて、他人の逆鱗に怯えながら生きていた子。そんな子だから、マリアは彼女を助けたのかな。
あの子と初めて会ったのも、夏休みだった。
あの夏の日、私は屋敷の図書室で本を読んでいた。一人分の机の上に、分厚いシリーズものを積んで最近は読みふけっている。
「ルカー」
図書室の扉をゆっくり開けて、静かな部屋にマリアの風鈴のような声が響く。
マリアが初めて友達を私に紹介した。その子の酷い姿をしていた。頬にガーゼ、半そでから見える腕には包帯とその隙間から火傷のような痕が見えたからだ。
可哀そうとも思ったけど、私には関係ないとも思ってしまって、マリアの前で軽い自己嫌悪を抱いた。
「どうしたの?」
それを隠すために声はいつもより優しくなる。できるだけその子のことは見ないようにしていた。
「レンにも本を紹介して」
その時のマリアは私の勧めた『モモ』に感動していたようで、嬉しそうに私に寄ってきた。
レンと呼ばれた少女は、マリアから少し後ろにいて怯えたように私を見ていた。
「あなた本は読むの?」
私はその子の方を向いて尋ねた。彼女は黙って首を振った。
「そんなに読まない」
「えーいっつも本読んでるのにー」
「あれはバリアをはってるの」
マリアの言葉に、少しだけはっきり主張する。砕けた話し方に仲の良さが垣間見える。
そういえば私も、そうやって人と距離を取っていた。最近ではシモンと話すことが増えて、シモンによって変な交流や、女の子からシモンへの窓口扱いされることが多いけど。
「そうなんだ。マリアのこと好き?」
私の問いに、マリアが声を弾ませる。
「親友だよね」
「うん」
レンも照れたように答えて、ぎこちない笑みをマリアに向けた。
「ちょっと待ってて」
私は迷いなく棚から本を取り出し、二人の前に持ってくる。
「名前は聞いたことがあるんじゃないかな?」
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だ。有名な作品で、読みやすく感想文を書きやすい。彼女にはちょうどいい話だと思われる。描写の美しい物語。
「あっ知ってる。ルカこれ面白いの?」
彼女の代わりにマリアが反応した。
「面白いよ。鉄道に乗って親友と二人旅をするの。アニメもあるから、それを見てから読むのもいいかもね」
「読書感想文なのに変なの」
「イメージできればなんでもいいの。そのあたりはシモンに頼めば見せてもらえるんじゃないかな」
「わかったー」
マリアはそういうとレンの手を引いて、部屋を出ていこうとした。そこでレンがマリアに何かを話す。レンだけが私のほうに近づく。
「ありがとう」
か細い声に少し驚きつつ、
「どういたしまして」
と私も素直に返した。きっとあの子も優しい子。短い時間だったけど、私はそんな風に思った。
図書館でレンのことを回想してから数日後。私はまたお化け屋敷のような洋館を訪れた。梅雨が明け、夏らしい新緑が一層木々の深みが増している。そのお陰か、屋敷に向かう道中は意外と木陰が多く涼しい。
「いらっしゃい」
屋敷を訪れると、トマスが私を迎えた。空調などはつけてなく、窓から入る風が心地いい。
「マリアは?」
「まだ学校」
そうでした。今日は平日。私は今日の講義がタイミングよくなくなったので、ここに来ていたのだった。
「もうすぐ夏休みだって」
「そっかー。今高二だよね?」
「そうよ」
「なるほどー」
いろいろと感慨深い気持ちになる。高二といえば、ちょうど私がここに来ていた頃だ。
雑談をしながらいつものように客室に向かう。
「普段なにしてるの?」
「だいたい掃除。ここじゃなくて他の家の掃除とか、家事をしに行ってる」
なるほど。よく考えれば、毎日ここにいてもやることが無くなってしまう。マリアがいるときは、彼女を一人にしないためにここにいるようだ。
「今って仕事中?」
「気になる?」
「少しだけ」
「私の裁量でやっていいから、気にしなくていいわ。だーれも見てないんだし」
仕事というのはこれで言いのだろうか。少しだけ考えてしまう。
「それよりお話聞かせてよ。ジーザスが最後まで聞いたほしいって珍しいこと言ってたの」
確かにジーザスが頼み事というのは珍しい。
部屋に入っていつもの長椅子に座って待つ。少ししてから、トマスはお茶菓子を持って戻ってきた。少し前までこの家で客人扱いされるというのは違和感があったけど、最近はなれてきた。
「トマスはここに始めてきたときのこと覚えてる」
「覚えてるし、今でも時々思い出す」
「レンが初めて来たのは実はその少し前だったんだ。マリアが連れてきた」
私はレンの第一印象と、その時あったことを話した。
「やっぱり良いお姉ちゃんじゃん」
読書感想文の本の話をすると、トマスは得意げに私を指さした。少し照れくさい。
「トマスも何か読む?」
「いいよ。本苦手だし」
「漫画もあるよ」
「どんなの?」
「ブラックジャックとか」
私の答えにトマスは「あーなるほど」と納得する。私もこの家らしいチョイスだと思った。
「夏休みに二人に本を選んだあとぐらいにトマスはここに来たんだ。びっくりしたよ」
ジーザスが女性を連れてきたのだ。マリアは明らかにそわそわしていたし、シモンもジーザスと彼女のことを不思議そうに見ていたことを覚えている。
「そっか、私が一番後だったんだ」
「早い遅いは関係ないと思ってるけどね」
不思議なことに今この家に一番長い時間居るのはトマスだ。やっぱり彼女にはレンのことをきちんと話さないといけない。
夏が過ぎて、秋がやってきた。私の高校では文化祭や、各種行事に向けてみんなが浮足立っている頃。シモンはそれで忙しく、ジーザス、トマスも顔を見る機会は減っていた。
帰宅部の私だけは変わらず、毎日のように屋敷を訪れていた。
私が屋敷に向かう時間と、マリアたちの下校時間は時々重なっていた。
いつものように大きな道から外れて、木々の間の脇道に入る。高く伸びた針葉樹がトンネルのようだ。少し歩くと、小さな背中が二つ見えた。お揃いのミッション系学園の黒と白のの制服。
手を繋いで歩く二人の様子に違和感を抱いて、私は駆け出した。
「どうしたの?」
声をかけると、二人とも私に振り返った。マリアは険しい顔をしていて、何かに耐えるように口を閉ざしていた。レンは空いている手で、必死に目元を抑えていた。
ただならぬ事態に、私の胸が大きく跳ねて締め付けられる。
「どうしたの?」
今度は一層優しく二人の目線に合わせて、話しかけた。
「なんでもない」
レンが泣き声で答える。
「そう」
私は短く答えて、レンの頭に手を置いた。
「マリアは大丈夫」
「大丈夫じゃない。怒ってる!」
少しだけ声を震わせて、憤っていることがよくわかる。
「ねぇルカ。親ってそんなに大事なものなの!」
そこからマリアはぶちまけるように私に話をしてくれた。
学校で親の職業についての話があったこと。レンの親が録でもない人たちで、そのことを教師とクラスメイトに馬鹿にされたこと。庇ったマリアにも、暴言を吐かれたこと。
私はそれを黙って聞いていた。許せないと思ったけど、どうすることもできないとも思った。
「親がいなくたって、子どもは大きくなれるよ!」
マリアの今にも泣きだしそうに叫ぶ姿に、我慢できず私は二人を抱きしめた。
「そうだね。けど世の中理不尽なんだよ」
二人に嘘を言いたくはなかったし、綺麗事を並べるなんて絶対にしたくなかった。傷ついてた人にそれって、何も分かってないのと一緒だと思うから。
「人間は馬鹿だから。教師も人間なんだよ。しかたないよ」
「そうなの?」
「そんなもんだよ。許してあげて。大切なのはきっと信じられる人を見つけること。ジーザスとか」
私の言葉に、レンが反応する。
「お姉ちゃんのいうことわかる気がする。助けてくれた人がいるから」
レンは泣いていた。私は体を離すと、レンはマリアの方に顔を向けて、
「助けてくれてありがとう」
というとレンの頬に雫が落ちる。
マリアは何も答えなかった。顔を見れば、今にも泣き出しそうなのを必死にこらえていた。
「泣いてもいいんだよ」
私がそういうと、マリアは私の胸に飛び込んできた。服を強く掴み、レンとは対照的に静かに体を震わせて泣いていた。
私はマリアと初めて会った時のことを思い出していた。どんな小さな傷でも、優しくしてもらえると救われることを私は知っている。
彼女が落ち着くまで私は抱きしめていた。
「ありがとう」
涙の痕ははっきりと見たけど、優しく笑ったマリアはとても愛らしい。
「さて暗くなる前に帰ろう」
私はわざとらしく空を見ながら、口にする。夜の帳が下りようとしている。三十分もすれば真っ暗になっているかもしれない。
歩き出そうとすると小さな手が私の手を握った。振り返るとマリアが私を見上げていた。目が合うと今度は少し恥ずかしそうに、歯を見せて笑った。
私はその手を握り返した。すると今度は逆側の手を掴まれる。レンが少し怯えたような真剣な目で私を見ていた。そちらの手も握り返す。
それほど得意でもないのに、最近お気に入りの歌を口ずさみ始める。陽気な歌だ。次の週末の過ごし方を唄ったもの。
二人がいることに、両手に花とはこういうのを言うのかなと思った。シモンあたりに今度自慢してやろう。
だけどさっきまでのことを思うと、少し不謹慎だったとも思ってしまう。私はきっと戦えない。私は彼女たちを守れないけど、二人の逃げ場所でありたいと強く思った。
「私はずるかったのかな」
一通り話して、最後にこぼした。
「なにが?」
トマスの問いに、少しだけ答えるのを迷った。
「私は二人を助けなかったから。声を出して、守ろうとしなかったから」
正直に後悔を打ち明けた。
「ルカは間違ってないと思うけど」
「間違ってなくても、嫌なことはあるんだ。一回じゃないから」
「どういうこと?」
私はマリアとレンがいじめにあっていたことを話した。標的はレンで、マリアはずっとレンを庇っていた。そのうち二人とも狙われるようになったこと。
彼女たちはただの仲の良い友達だっただけなのに、レンとマリアには他と違う点があった。それだけで迫害を受けていた。
許せなかったけど、私は率先して介入しなかった。
「私は親でも家族でもなかったから。帰り道は一緒だったけど、そこだけしか関わろうとしてなかった。それってさ、今思えば私も逃げてたのかなって」
親愛が心地よくて、ずるい立場を選んでいたとはさすがに言えなかった。昔の私にも彼女たちにも失礼だ。
「ルカ」
「いいよ。別にトマスの聞きたい話とは関係ないから。けど私はきっと誰かに話して、楽になりたかったんだ」
それを口にするのが一番ずるいとも思った。視線を下に向けてしまう。
「気にしすぎじゃない?」
はっとして顔を上げると、トマスは不思議そうに私を見ていた。
「私は二人にルカがいてよかったと思うよ。だって味方がいるって本当に大事なことだよ」
トマスは断定する。その言葉を慌てて、否定しようとするがうまく口にできない。
結局私は一人で考えて、一人で悩んでいたようだ。たったこれだけの他人から言葉をもらうと、揺らいでしまっている。
「真面目すぎじゃない?」
「うっ」
確かに今はそう思う。私がどんな気持ちを持っていても、あの時の二人の傍にいたのは私だ。それは否定できない事実だし、それ自体は後悔していない。
「けどもしかしてそれで行方不明になったの?」
「違うよ。いじめはまったく関係ない。あれはそう不幸な事故だった」
とそこで玄関が開く音と、少女の声が屋敷に響いた。
「ただいまー。トマスお客さん?」
黒と白の制服に、黒色のスクールバックを持ったマリアが部屋にやってきた。
「久しぶり」
ちょっと怯えたように扉を開ける姿が、懐かしくなる。口にした言葉もつい優しくなってしまう。
「ルカ!」
私を呼ぶマリアの声は弾んでいた。
「もうこんな時間。私も働かないと」
時計を見るとわざとらしく肩を上げトマスが呟く。
「じゃあ続きはまた今度かな」
少しだけホッとした。これから先の話は、慎重に言っていきたかったからだ。
私はうまく話せるだろうが、それにシモンとジーザス意外にきちんと相談したほうがいい相手もいる。
「また来るよ」
「そうして。思い出話ってどうしてこう時間が流れるのが早いのかしら」
「私そんなに長く話してた?」
「丁寧なのよ。それあんたの良いとこで悪いとこだからね」
先ほど言われたことを思い出すと、耳が痛い言葉だ。
「マリア」
「なーにトマス?」
呼びかけに不思議そうにマリアが首をかしげる。
「昔ルカに慰めてもらったこと覚えてる?その親の職業のことで」
「覚えてる!話したんだルカ」
口調を強めた彼女に、体を固くしてしまう。実は恨まれているんじゃないかと考えてしまう。
「トマス聞いて!あの時私、すごく嬉しかったの。目の前の霧がすーって無くなっていくみたいで。親と先生は正しいって思ってたけど、違うって気づけたの。私もマリアみたいになれるって思ったの!」
早口で話す彼女に、トマスも私も少し圧倒されてしまった。同時に私の胸に刺さっていた棘は抜けてしまった。私はちゃんと彼女たちを助けられていたようだ。
それを否定するのは目の前の少女の喜びを否定するのと一緒だ。
「だってさ。ルカ」
トマスにそう声をかけられて、目頭が熱くなる。まったくこういう不意打ちはやめてほしい。
私は昔から意外と涙もろいんだから。
ルカ 戸松陽歌
マリア
ジーザス ユーイチ
シモン 門田祐樹
トマス
レン
椎名蓮子




