幽霊屋敷の聖書1-3 後編
「ということが昔あったんだ」
言い終わると、思い出と違って気分は晴れやかだ。
「しっ」
「し?」
「失恋じゃん!」
トマスがとても元気よく叫び、思わず身を引いた。
「今の話完全に失恋じゃん。相手どっち?やっぱりジーザス? それともマリア?」
少し興奮している様に、こちらも少しだけ慌てる。だけど「あっそうだったのか」と静かに納得している自分もいた。ようやくあの感情に名前をつけることができたようだ。
「そっかー。失恋してたのかー」
知れたことは少しだけ嬉しかった。
机に手をついて身を乗り出す彼女に、座るように促す。彼女も舞い上がっていたことを恥じるように、大人しく座り直し咳払いをした。
「さて私の失恋は横に置いて、見たままの話だったけど。どうだった?」
「うーん。まぁ本人がそれならいいけど。ルカはどうだと思うの。見たままって言っても、二人がそのそういうことしてたかって話」
「してないと思う。シモンはしたこともあったと思ってたみたいだよ」
「あいつ幼女の裸覗いてたのか。最低」
悪態をつく彼女を見るのは随分久しぶりだ。
「下着まででも最低だね。一回目は事故かもだけど」
私はそれとなく、シモンをフォローする。あまり意味はないかもしれない。最初にこの話題を私にしたのは他ならぬシモンだ。
「普段のジーザスならしないと思うし、弱ったジーザスはマリアにそんなことしないと思う」
「うーん。私はジーザスが弱みを見せてた人がいたことがショック」
彼女は不愉快そうに頭をかく。
「ジーザスの追っかけは苦労するよ。今も昔も」
結局彼が求める安らぎを与えられるのは、マリアだけなのだ。
「そうね。大学のころの彼と話すのは苦労したわ。予定はいつもいっぱいで、彼の隙間に合わせるのは大変だった。結局頑張って授業を合わせて、ゼミを調べたものよ」
「それはなんというか。お疲れ様」
「ありがとう。結局途中でドロップアウトして、一般企業に受けて弾かれて、ジーザスに誘われてここで働いてるっていうね。人生どう転ぶか分かんないけど、私は後悔してないわ」
「トマスそれでいいの?」
「大丈夫。大丈夫。私がちゃんとしてれば、ジーザスはそこそこ助けてくれる。彼は結局善人だもの。あっけど私の結婚相手にはなってくれないかな?」
「無理だと思う」
私が即答すると、トマスは得意げに笑い返してきた。
「それがそうでもないの?」
「何が?」
「ジーザス、マリアとの婚約を破棄するかもしれないって言ってたの」
「えっいつ?」
「少し前にね。マリアに好きな男の子ができたみたいだし、君もいるから大丈夫だねって」
「それって、マリアのことはトマスに任せるってこと?」
「多分、最近ここに帰ってくることも本当に少なくなってきてるから。近々海外を飛び回るって言ってた」
「そっかー」
確かにジーザスらしい話だと思った。彼は人を救うことができる人だ。トマスのことはそれなりに信頼しているし、マリアももう高校生。先のことを考えると、そんな結論にたどり着くのかもしれないな。
「つまり、ジーザスは普通の女性と結婚するために、婚約を破棄しようとしてる。つまり私にも可能性が」
「ないと思う」
「ルーカ。ちょっと付き合いなさいよ。ノリ悪いわよ。あなたも可能性あるかもよ」
それは私にジーザスの恋人になるという可能性だろうか。まさか。
「ないよ。私に、マリアの代わりなんてできるわけない」
「そうね。けどあの人も、もう十分強い。マリアとは違った魅力のある子を見つけたのかもしれない」
「そうやって恋愛に結び付けてるけど、単純に仕事が忙しくなるんじゃないの」
「ジーザスならあり得るけど、そんなの私が嫌!」
トマスはジーザスと同い年。私が思っている以上に、複雑な思いが彼女の中で渦巻いているようだ。
「そういえば今日の話ってトマスが来る前のことだった」
「私が来る前にそんな濃い恋をしてたなんてね。それならルカがマリアの良いお姉さんだったのも納得」
自分よりも年上のトマスにそんなことを言われるとは思わなくて、
「そうだった?」
と思わず聞き返してしまった。
「ルカは今も変わらずクールだけど、マリアのことずっとちゃんと見てた。どこがって訳じゃないけど、その態度がすごく自然で本物の姉妹だと思ってたもん。あの頃のマリア、私から逃げるといっつもルカのとこにいたの。知ってた?」
「知らない」
「多分ジーザスのところに逃げたら、私がジーザスに会っちゃうから。だから図書室に住んでたルカのとこに逃げてたのね。信頼されてないと、逃げ場には選ばれないのよ」
私にとっては当たり前にマリアのことを愛していただけだった。けどトマスからそんな風に言われるのは、やっぱり嬉しい。私は彼女の安息の地になれていたのなら、光栄だ。
「さてとそろそろ本題話さないとかな?」
「そうね。聞くのが怖いけど」
トマスは自分の片腕を握り締めた。
「その前に、新聞に載ってた女の子のことどれくらい知ってる」
「実はあんまり知らないの。マリアと同い年で、同じ学校の子ってぐらいしか。もちろん普通に話したし、どんな性格の子かってことは知ってるよ。私は長期休みの時しか、ここには来なかったから詳しいことは知らないの。ジーザスがいないのに、来るのはおかしい話だもの」
「じゃあいろいろちゃんと話したほうがいいね。また長い話ができそう」
嬉しさ半分、悲しさ半分といったところか。
「けどまぁ今日はここまでかな」
時計を見るともう三時間ほど、ダラダラと話してしまったようだ。休憩があったとは言え、ちょっと情熱的に話過ぎてしまったかもしれない。
「そうね。私もジーザスのお部屋を軽く掃除してくるわ。あなたたち久しぶりに三人でゆっくりすれば。お茶菓子ぐらいは持っていくわよ」
「いいよ。もらってばっかりだもん。飲み物だけ頂戴」
私たちは席を立ち、二人を探すために客室を離れた。
途中図書室の扉を通った時、昔の記憶が呼び起こされて、
「失恋だったんだ」
トマスに聞こえないように呟いた。
「そろそろ行こうか」
柱時計の音が、屋敷中に響いた。三人、時々四人で何気ない話をしているともうずいぶんと遅い時間になっていた。
私は約束していたように、彼の車に乗り夕食を食べに向かう。
「本当に話しているんだな?」
「聞いてたの?」
「トマスが僕に話したんだよ。僕に隠す話でもないだろう」
「そうですね」
他の誰かに隠す話があっても、きっと彼にだけは隠さない。きっと彼は、私が自分で決めたことを静かに許してくれるだろう。誰でも許せるというのは、優しいというのか、ずるいというのか私には判断がつかないけど。
話している側としては、甘えているようで嫌だ。彼に話したら許されてしまうのだから。許されないで、罵倒してほしい時だったて有るのにね。
見慣れた町並みを抜けて、より街に近づいていく。
「何か食べたいものある?」
「高くないものがいいな」
ジーザスとそんなところに向えば、もしかしたら噂になってしまうかもしれない。なんだかんだで、この辺りは私の生活圏だ。
すると彼はハンドルを切り、店の名前と中華系のことを教えてくれた。どうやら最近新しくできたところで、彼は行ったことがないらしい。
途中で家に寄ってほしいと伝えると、それっきり室内に沈黙が広がる。昔から私たちはそうだ。二人そろうと会話が無くなる。別に嫌いなわけじゃない。
ただ必要がないのだ。だから二人とも黙ってしまう。
沈黙を破ったのはジーザスだった。
「マリアは元気かい?」
「元気よ。最近高校が楽しいみたい。あなたもよく知ってるでしょ?」
「それもそうだね。ルカと何を話せばいいのか、昔からよくわからないよ」
爽やかに答える。申し訳ないとか、そんな感情が見えなくてこちらも話しやすい。
「私も。私はマリアに連れられただけだから」
「そうだったね。シモンとは話をしていたけど、君は突然我が物顔で僕の家にいたから驚いたよ」
私はマリアに出会った日から、彼女のことが心配で毎日帰りを一緒にしていた。シモンか、ジーザス、もしくはお手伝いの人。誰かの姿を確認してから、適当に時間をつぶして家に帰っていた。
親には友達ができたと言ったら、遅く帰るのも寛容だった。高校一年のころ、友達のいなかった私のことを、気にしてたみたいだから肩の荷が下りた思いだったのだろう。
「君はなんていうか鳴かない獣だった。マリアが学校でいじめられてたのは知ってただろ?」
「知ってた。レンが私に教えてくれてたから」
「そうか。あの子が。君はトマスにどこまで話すつもりなんだい?」
それは少し意外な質問だった。すべてを知っている彼が、私が言うことを気にするとは思わなかった。
「やっぱりレンのことは全部かな。トマスには伝えておきたいから」
「そうか。わかった」
ジーザスは一人納得する。
「シモンは元気だったかい?」
「会ってないの?」
「彼も僕も忙しいんだよ。ルカを見ていると、時間の流れというのは平等ではないと思えてしまうよ」
どう答えたものか少し迷った。皮肉ではなく、正直な感想なのだろうけど心にひっかかってしまう。
「二人とも頑張ってるからね」
結局曖昧な笑みを浮かべて答えた私は、少しずるいのかもしれない。自分なりのハードルを決めて、そこそこ頑張っているつもりでも、彼らのようにすごく頑張っている訳ではないのだ。
劣等感を抱くのには、十分な差。
「マリアがいたらどうしただろうな」
「えっ?」
「あからさまに傷ついたって顔してたよ」
「あっごめんなさい」
「マリアに慰めてもらえばいいよ」
あぁそれはなんて嬉しい言葉なのだろう。傷ついたら、またあのはちみつみたいな優しさに触れてもらえる。なんだかそれだけで、得した気分だ。
「ルカの最近の話も聞かせてくれよ。大学行ってるんだろ?」
「私もジーザスが今なにしてるのかわかんないから教えてほしいな」
やっぱりジーザスとの会話はどこかぎこちない。けどそこには私たちらしい信頼があって、不思議と居心地は悪くない。
ルカ 戸松陽歌
マリア
ジーザス ユーイチ
シモン 門田祐樹
トマス
レン
椎名蓮子




