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幽霊屋敷の聖書1-3 前編

 シモンと会って二週間ほどが経過していた。その間に私は中間考査があり、真面目に勉強をしていたため、籠りきりになっていた。大学が郊外ということもあり、二部屋で少し広いが意外と安い賃貸は、まさに私の城だった。引き籠りと揶揄されることもあったが、居心地の良い家から無理に出ていこうとも思わなかった。

 そうして中間考査が終わると、私はようやく洋館に本を返しにいくことにした。

 日差しには夏が感じられて、ジリジリと焼いてくるようだった。

 今日は事前に連絡をしていたお昼過ぎに、時間通り向かう。洋館の前のチャイムを鳴らすか少しだけ迷ってから押すことにした。玄関の扉を開けると二人が家のどこから駆けつけてきた。

 トマスは動きやすい給仕服。マリアは肩の見える水色のワンピースだった。

「遊びに来たよ」

 二人を見かけるなり、嬉しくなった。またここにこんな風に訪れる日々があるとは思わなかった。

「待ってた」

「今日は私とも遊んでね」

 二人から歓迎の言葉を受け取り、まず私は約束を果たすことにした。

「うん。先にトマスと約束しているから、また後でね」

 マリアが少しだけ寂しそうな顔をされて、心が痛んだ。

「また後でね」

 別れ際に彼女は笑って見せた。そうして家の奥に戻っていた。

「意外ね」

「何が?」

「ルカはマリアをすごく大事にしてたのにね」

 言われて少しだけ動揺した。それを隠すように慌てて答えた。

「話をするって約束してたからね」

「そういえばあなた昔から変なところで意固地な人だったわね。覚えてる?みんなでバーベキューしたとき、ジーザスが自分で出すって言ってたのに、あなただけ最後まで断ってたの」

「別にただ、約束とお金のことはしっかりしておきたいだけ」

 親しき中にも礼儀あり。ただ昔はもっと融通がきかなかったと自覚している。

「真面目なんだから」

 トマスの言葉に私は曖昧な笑みを返した。

 立ち話を切り上げ、客室に向かって歩き始めた。席に着くと、トマスは飲み物を用意すると一旦席を離れた。

 さてと、どこから話したほうが言いのだろうか。考えをまとめるついでに客室の柱時計のそばに向かう。

「聞こえてるんでしょ?」

 柱時計に声をかけるように言うと、

「なんで知ってるの?」

 ととぼけてかわいらしい声が返事をした。実はこの柱時計の裏の壁は穴があいている。昔私が、マリアに頼まれて穴をあけて、あのジーザスを呆れさせた思い出深いものだ。同じ色の木板で誤魔化しているだけなので、耳をすませば話し声ぐらいなら隣の部屋からでも十分に拾える。

「私が作ったんだもん」

 と返事をすると、彼女は動いたようだ。もしかしたらしばらくしたら戻ってくるかと思ったが、そんな様子は見られない。

 とそこで屋敷の扉が開き、「ただいまー」という声が聞こえた。意外な人物の声に私は、思わず席を立ち玄関に向かった。

 先に向こうが私に気づいて声を出した。

「あれルカじゃないか。来てたのか?」

 声をかけてきたのは細い男性だった。目元が少し深く疲れているようだが、端正な顔立ちで優しい目をしていた。

「ジーザス。あなたこそ今日はこっちに来たのね」

「おいおい。一応ここは僕の家だぞ。トマスとマリアはいるのかい?」

 と私に答える前に、小さなイノシシが一匹彼に突進した。もちろんマリアだ。

 ジーザスはそんな彼女を優しく受け止めて、背中と頭を撫でてやった。遅れて、トマスがやってきた。

「お帰りなさい」

「ただいま。そうかシモンが言っていた話は今日だったのか。悪いところに帰ってきたかな」

 片腕でマリアを抱きしめている彼に、

「ちょうどよかった。トマスと話をしている間、マリアが暇を持て余しているの。相手してあげて」

「しかたないな」

 といって彼は優しくマリアに向き直った。少女は純真無垢な瞳を彼に向けて、お日様に照らされた花のように笑っていた。

「トマス。僕は今晩ここに泊まるよ。話が終わったら準備してくれ」

「はい」

 慣れた様子でジーザスがトマスに指示する。私が知らない時間に、この家の中の関係も変化しているようだ。

「ルカ」

「はい」

 急に声を掛けられ、声が一つ高くなってしまった。

「今晩何か食べに行かないか。話したいこともあるだろ」

「えーずるい」

 私が答える前にマリアが不満を漏らす。

「じゃあ明日の朝は三人で食べに行こうな」

 といってトマスの方を向く。

「私は楽だからいいけど。時間大丈夫なの?」

「ああ。なぜかすっぽり予定が空いてるんだ。たまにはゆっくりしないと体にも悪い」

 ジーザスがこうして中心にいるのを見ると、昔を思い出す。あの頃の彼は今の私と同じぐらいだったはずなのに、随分大人だったとしみじみ思う。実際今のジーザスも二十六ぐらいのはずなのにしっかりしている。

 ジーザスの持っている荷物の一部をマリアが持つ。トマスが持とうとしたが、マリアに追い払われていた。どうやらマリアはジーザスを独り占めにしたいようだ。

「仕事取られちゃった」

 と嘆きながらトマスは私と客室に向かう。用意していた紅茶を入れ直そうかと提案したが、断った。どうせまた長い話になるんだ。

「あんな二人を見たあとだったら信じられないかもね」

 私は少し困ったように肩を上げた。

「やっぱり何かあったの?」

「あくまでも見えたかもって話なの。あとはその前後のことも話す。もしかしたら私はトマスに怒られるかもしれないけど、覚悟はしてきてる」

「あなた何したの?」

「それを今から話すの。怒らないで聞いてね」

 我ながら悪戯をした子どもみたい言い方だったと思った。悪戯で済むかはこれから彼女に判断されるのだけど。



 それは六月終わりの暑い日だった。私は空調の効いた、洋館の図書室で本を読んでいた。私は来る日も来る日も、ここに来ては本を読んで過ごした。

 時々マリアに誘われて遊んだ。たまにシモンとジーザスも一緒だった。私たちは同じ建物の中にいたけれど、一人一人は奇妙に独立していた。

「ルカ」

 読書中の私に、目を細めて笑うマリアの甘い声が届く。

「どうしたの。マリア」

「えへへ」

 彼女は自分がマリアと言われると、意味もなく笑う癖があった。毎日見ていると彼女がその日最初に呼ばれた時に多いと気が付いた。そのせいか、私は毎日必ずマリアに話しかけるようになっていた。

「ねぇ赤ちゃんはどうやって作るの」

 中学一年の無垢で残酷な質問に、高校二年だった私は困惑していた。知らないとは言わないけれど、理性的に教えることが憚られた。

「ジーザスに聞いてないの?」

 自分で言うのが恥ずかしくて、マリアが一番信頼する人物の名前を挙げた。

「まだ早いって教えてくれなかった」

 当然だと思った。さてどうしたものか。

「ルカ私知りたいの」

 彼女が私の頬に手を当てて、私の目を見据えた。逃がしてはくれなさそうだ。

 と思っていると、彼女が私の服に手を入れて胸を触る。

「ちょっと何やってるの。マリア」

 さすがの私にも困惑する。ただ手首を握ったぐらいで止めた気になるのは、浅はかだった。彼女の指がブラの上から私に触れる。彼女の手首を握って高く上げる。

「愛し合う男女はこういうことするのでしょ」

 真剣な目をして私に訴えてきた。

「私たち女の子!」

「ルカは私のこと嫌い?」

「嫌いじゃないけど、ちょっと待った」

 そこで彼女が本当に何もわかってないのだと、思い至る。いくら大人びた雰囲気を纏っているからと言って、知識もそうだとは限らない。彼女の仕草は聞いた話の真似。大して抵抗しない私にそれ以上をしないのは知らないからだろう。

 考えれば当たり前だ。彼女がジーザスやシモンに何かする前に、私が教えるのが順当なのだとその時は思った。幸い図書室には医学の本は山ほどあったので、あたりさわりのないものから私は、教えることにした。

「わかった?」

 冷房が効いた部屋のはずなのに、変に緊張して汗をかいたことを覚えている。

「私はまだ子どもが作れない体なんだね」

 私とは対照的にマリアは真剣な眼差しをしていた。

「準備中。焦らない」

「どうやって子ども作るの?」

 なかなか厄介な子だと思った。作れないのだから、諦めるということにはならないようだ。私は別の本を取り出し、人体の構造について簡単に説明をした。

「わかった。ほかの人がユーイチの子ども作ったら、お腹を刺すね」

 新しい知識を得たことは嬉しいらしく、満面の笑みを浮かべていた。ただ耳に届いた言葉は物騒でしかなかった。後自分が実は酷い勘違いをしていた気がしてきた。別に彼女自身が子どもを宿したいとは欠片も考えていないのだ。

そのことには触れずに別のことを尋ねた。

「雄一って?」

「ジーザスの名前。知らなかった?」

「うん」

 聞こうともしなかったのだから当然だ。

「そういえばここの本で医学書が多いけど、ジーザスが集めたの?」

「違うよ。ここの本は私のお父さんとお母さんの本だよ」

 亡くなったと聞いていたご両親のものだったようだ。持ち主がいなくなった本を読んでいたというのは、なんだか奇妙な気持ちになる。同時に大切にしようとも思った。

「ここは私の家だもの」

 そういった彼女の言葉は、寂しさと懐かしさが見え隠れして、私の胸を締め付けた。

 少し迷って、私は読みかけの本に伸ばした手を引っ込めた。代わりにマリアの頭を撫でた。「なーに?」

「なんとなく。子猫みたい」

「そう」

 撫でられるのは嫌ではないようだ。

「私早く大人になりたい」

「どうして?」

「ジーザスを一人にしたくないの。あの人は弱い人だから、私が助けるの」

 その時は、信じられないと思った。私たちの中でジーザスは一番大人だと思っていたから。

「そんな風に見えないけど」

「だってあの人誰にも助けを求めないんだもの」

 その時見せた瞳は、私を慰めた時と同じ目をしていた。その時、私はこの子は優しい子だと思った。彼女はきっと傷ついた人のことが良く見える。そして、一生懸命受け止めて慰めようとするんだ。初めて会った時、私にしてくれたみたいに。素敵な個性だと思ったけど、辛いことも抱えそうだと心配になった。

 結論を出したのに訊いてしまったのは、失敗だと思った。

「マリアはどうしてそんなに優しいの?」

「何もないから。私にはもう何もない。だからせめて目の前の人だけは幸せになってほしいだけ。私ね、愛されたい人と愛したい人がなんとなくわかるの」

 私は何も言えなくて、彼女の言葉を待った。

「ジーザスとルカは、愛されたい人。あまり多くない。自分に厳しい人たち。愛したい人はたくさんいる。その人たちは苦手。だってあれ自分のことが好きなだけだから。何かが好きな自分が好きなんだもん。本当に愛したいのは自分なんだもん」

「シモンは?」

「あの人は両方。愛されたい人も、愛したい人も、自分で決めてる。すごいと思った。私あの人みたいになりたいな」

 マリアにそんな風に言われるシモンがうらやましく思ったが、彼の真似はできないと早々に張り合うことを諦めてしまった。



 そこで一度話を切り上げた。

「別に怒るとこないんじゃない」

 言われて、少し恥ずかしくなる。

「よく考えたらそうね」

 ただ私は自信が持てなかっただけなのだ。高校生の私が伝えてよかったのかということに。

「けどそれで納得できた」

「なにが?」

「昔私マリアに言われたの。私のジーザスに何かしたら、お腹を刺すって」

 あの子がそんなことをトマスに言っていたのは意外だった。

「ほら私、ジーザスに追っかけてここまで来たから、警戒されてたんだと思う」

 そういえばトマスが私たちの輪に入ったのは、私が高二の夏休みだ。彼女が来て、良くも悪くもあの夏は賑やかだった。

「そうだったね。夏ぐらいだよね」

「そう。私も昔のあの子は少しだけ怖かったから、壁があったのね」

 同じ場所で過ごしていたのに、私とトマスでは随分マリアへの印象が違うようだ。それはきっと、私たちの違いでもあるけど、きっとマリアに好かれてたかどうかだ。トマスには悪いが、少しだけ嬉しい。

 用意された紅茶とクッキーを口に運ぶ。疲れるほど話したつもりはないが、それでも甘くて美味しい。

「ここからが本題なんだけどね」

「そうなの?長くなりそう」

「わかんない。思い出しながら喋っちゃてるから」

 申し訳なくて苦笑してしまう。

「大丈夫。明日の朝ごはんも考えなくてよくなったしね。ジーザスは私の仕事取っちゃうぐらいちゃんとしてるからね」

 彼女も少し困ったように笑う。

「ははは」

 私もつられて笑い返した。

「じゃあ本題だけど、私にもわかんない話だから、トマスが聞いて考えてね」



 一学期の期末テストを終え、私たちはここの洋館に時々泊まるようになっていた。

「二十一時半にジーザスの部屋を覗いてみろ」

 それはトマスが来る少し前に、シモンに言われた言葉だ。最初は意味が分からなくて、彼に聞き返したが、

「俺にもよくわからん。ただ、一人で抱えるのはちょっとしんどいんだよ。賭けの話はそれでいいから頼むよ」

 珍しくシモンが弱気なことを言っていると思った。その時私たちは、一学期の期末テストの点数で勝負をしていた。負けた方は勝った方の頼みを受けるというものだ。お互いクラスは別だが、同じ進学コース。進学コースを受け持つ先生は同じだったので、テストも同じだった。もっとも彼は高二の一学期で、すでに生徒会長を任されていたので、大分条件では有利だった。

 勝てる勝負だと思って受けたけど、点数では負けていた。シモンがその時持ちだした話はそれだ。

 その年の夏休みは涼しい部屋で朝から晩まで本を読み続けられるという贅沢な日々だった。機嫌もよく断る理由もなく、私は彼の言うとおりにした。

 なんとなく足音を潜ませて、ジーザスの部屋の前までやってきた。

 耳を澄ませると高い少女の声が聞こえた。どうやらマリアもいるようだ。

「いつまで一緒にいてくれるの」

「ずっと」

「嘘だ! ユーイチもきっといなくなるんだ」

 ジーザスの声は、とても聞こえづらい。マリアの声は切羽詰まっているような、悲痛な叫びで嫌でも耳が拾ってしまう。

 私は緊張しながら、扉を少しだけ開く。音を鳴らさないように慎重に。気づかれた時逃げ出せるように。

 数センチ開け、中を覗くとパジャマ姿のマリアが雄一の上にまたがって泣きそうな顔をしていた。

「みんなみんないなくなるんだ」

 騒ぐ彼女をジーザスは起き上がって抱きしめた。細くても筋肉のついた腕と、胸板がチラッと見える。どうやらジーザスの上半身は裸のようだ。彼は腕を広げると大事そうにマリアを抱きしめる。その様子は絵画のように美しい。

「レンが僕たちにいなくなって欲しいなら、そうしよう」

 酷く落ち着いた言葉に、私の心臓も跳ねる。

「そんなの嫌!」

 一瞬自分が言ったかのような錯覚に陥る。私も同じことを思ったから。けど口にしたのはマリアだった。

「嫌だよ」

 マリアが腕を伸ばして、ジーザスと視線を交わす。少しだけ見つめあって、どちらが先か分からないけどキスをした。ジーザスは優しく彼女の背中を支えて、マリアは必死にしがみつくようにして唇を合わせていた。

 そのあまりにも美しい姿に私は見惚れた。同時に胸が痛かった。マリアのことを分かったつもりだったのが、恥ずかしかった。ジーザスのことも同じだ。私は二人の間には入れない。そんな寂しさがあったのかもしれない。ほかにもたくさんの言葉にできない気持ちがあった。

 口づけを交わす二人を見ると辛さが胸の奥から湧いてくるのに、視線を外すことができなかった。

 彼らの顔が離れると、

「暑い」

 といってマリアは自分の着ていたパジャマを脱いだ。その下には私が用意した下着を着ていて、嬉しい半分、怖さが半分な気持ちが湧いてくる。

「寝るか」

「うん」

 短い会話のあと部屋の明かりが、消された。その後は暗闇で何が起こっているのか知ることはできなかった。

 私は夏の間何度かそんな二人を見ていた。ある日、普段と違う光景を見ることになった。その日は慌ただしくジーザスが帰ってきて、その日のマリアはずっとそわそわしていた。私たちは食堂で夕飯を一緒にすることが多かったけど、ジーザスはその席にいなかった。

「ジーザスは?」

 食事の途中シモンにそう尋ねると、

「ずっと部屋」

 とそっけなく答えられた。私が本を読むことに通っているように、シモンも何かにしているようだ。彼の場合部屋を借りて、パソコンも持ち込んで使っているので本当に住んでいるという感じだ。

 マリアは会話に混じらないで二階のジーザスの部屋に視線を向けていた。

 用意した食事をマリアに運ぶように頼んで、私は三人分の食器を洗った。夏の間、お手伝いの人はほとんど見ていない。シモンとジーザスがどちらもいない日に、手伝いの人を見かけたから、男二人で何かを話し合っていたようだ。

 食器を片付け、屋敷内を歩き回りながらマリアを探したがどこにもいない。避けていたジーザスの部屋のそっと覗きこむと、息を飲んだ。

 マリアは裸だった。上半身は下着もつけないで、ベッドの上で座っていた。何かを言いかけて慌ててこらえる。

 彼女は裸でジーザスの頭を抱きしめていた。いつもあんなに頼りがいのある彼の姿が見られない。

 一分、あるいは三十分。もしかしたら一瞬だったのかもしれない。ジーザスを抱きしめるマリアの顔は慈悲に満ちていて、前に彼女が言っていた言葉を思い出した。

「だってあの人誰にも助けを求めないんだもの」

 例え話だ。誰にも挫折する姿を見せたことない人がいて、その人は他人からどんなふうに見られるのだろうか。きっと挫折しないものだと思われる。一度でも折れた姿を見たなら、意見は違うのかもしれないけど、成功し続ける人は、失敗しない人だと思われる。そう周りから期待され続ける。

 勝手な想像が浮かぶ。私だってジーザスはすごい人だと思ってた。きっとみんなそう思ってる。けど彼にも弱さはあって、マリアだけがずっと傷ついた彼を知っていたんじゃないか。

 あるいは彼が弱さを吐き出せたのは小さな少女だけだったのかな。

 視線の先のジーザスの腕がマリアの背中に回される。マリアは一瞬辛そうに表情を曇らせたが、すぐに真剣な表情でジーザスを抱きしめ続けた。

 私たちがここに通うまで彼らは、こんな関係を続けていたのだろうか。

 誰にも甘えられないジーザスが唯一心を許せたのが、マリアだったのかな。

 心がチクリと痛む。嫉妬だろうか。それとも別の何かだろうか。

 半泣きで心を乱していた少女が、今日は逆に慈愛に満ちた表情で優しく抱きしめている。歪さを感じる。けどそれさえも、美しいと思えてしまう。本当にお似合いだ。

 私はそっと音を立てないようにその場を離れて、図書室に向かった。部屋の明かりは点けないでボーとしていると目の裏から熱いものがこみ上げてきた。

 一体どうして泣いているのだろうか。ただ流れる涙の訳は知らないまま、私は一人暗い図書室でたくさん涙を流した。



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