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聖書の終

 六年後。私たちの中で一つの区切りが起きた。今年の六月、ジーザスこと新道寺祐一とマリア、昔の吉祥香恋。今の戸松真理愛の結婚式が行われた。

 一日中雨が降っていたが、多くの人の前で二人は祝福されていた。私も当然出席していた。

 お客さんの中には真理愛の顔を怪訝そうに見て、来賓にいるレンと見比べている方々もいたが、二人とも何も言わなかった。

「後で全部話すから」

 私はあの場で話すつもりだったことを全部放棄して、あふれ出る感情を必死にせき止めていた。

「わかった。けど泣いてもいいと思うよ」

 私の言葉にトマスは優しくそう答えてくれたけど、私は式場では涙を見せなかった。思った以上に揺さぶられていたのは、式の前に初さんに「お前は幸せか」と訊かれたからだろう。

 雨の中式は静かに進み、一部では奇妙な空気もありながらも彼女たちは祝福された。

 そして式から数日後。私は見慣れた屋敷までの道を車で走行していた。この道をこうして通るということに、自分も子どもだとは言えないのだとしみじみ思ってしまう。

「なつかしいなぁ」

 後部座席から真理愛の声が聞こえた。彼女は今日までここには近づかなかった。それは私たちが決めたことだ。レンに気付かれることだけは避けたかったから。けどそれを今明かすのは、時期が来たからだ。

 私の嘘もこれで終わりだ。ようやく楽になれるけど、同時に寂しくなる。歪な関係はすべて修正されて、新しい場所から続いていくのだ。

 屋敷から少し離れた場所に停車する。どうやら先客がいるようだ。

「行こう」

 真理愛は背が伸びたけど、私よりは高くならなかった。だから昔みたいに少し小さな真理愛に手を引かれて、私は屋敷を訪れる。端整な顔立ちだけど目の上に小さな傷跡がうっすらと見える。

 初めてここに来た時のことが、フラッシュバックする。十年近い時間が過ぎた。チャイムを鳴らして、返事はまたず慣れた仕草で私たちは懐かしい幽霊屋敷の玄関を二人で潜った。

「ようやく来たか」

 私たちを見つけるなりシモンがこぼした。彼の髪の色は薄い灰色になっていた。

「おかえり」

「ただいま。ありがとうシモン」

 シモンと真理愛が言葉を交わす。シモンはずっとこの屋敷にいた人間だ。この屋敷の住人ではないのに、誰よりもこの屋敷にいたのはシモンだ。

 二人の短い言葉に込められた意味は私が思っているより深い。少し嫉妬してしまう。

「みんないるの?」

「あぁ。客室に集まってる。ちゃんと話せよ。ルカ」

 念押しするように私のことを呼ばれた。私は小さくうなずく。

 客室に入ると、全員が私たちの方を向いた。トマス、レン、ジーザス。あの懐かしき日々の仲間たちが勢ぞろいだ。

「いらっしゃい」

「待ってたよ」

 トマスとジーザスが歓迎の言葉をかけてくるが、レンだけは立ち上がり無言でまっすぐ真理愛に詰め寄る。

 誰も何も言わなかった。私も少し不安だけど見守ることにした。

 すぐ前に来るとパンとレンが真理愛の頬を叩いた。私は少しだけ驚いたけど、二人に近づきはしなかった。他の人たちもそうだ。二人を静かに見守った。

 先に声を出したのはレンだった。

「バカ」

 大粒の涙を瞼に溜め込んでレンが言葉を絞り出す。

「ごめん」

 真理愛の声に答えるように、レンが彼女を抱きしめた。

「生きててよかった」

 続けてこぼされたレンの言葉に安堵する。

 真理愛も両手で彼女を抱きしめ返す。私の胸の内にあった不安がすっといなくなる。これで良かったんだと思えて、目頭が熱くなる。

 しばらく抱擁を交わした後、私たちは机を挟んで座りあう。片方には、私、真理愛、ジーザス。もう片方にはシモン、レン、トマスが座った。望んでいた光景だけどこうして六人が揃うことができるなんて今でも少し信じられない。

 トマスが用意したお茶とお菓子がテーブルに並べられる。真理愛がコホンと一つわざとらしい咳をして、

「初めまして。戸松真理愛です」

 最初に話した。今の自分の名前を誇らしげにみんなに告げる。

「どこにいたのかもう分かるよね」

 続けていった真理愛の言葉にトマスと、レンが私の方をじっと見つめる。レンの目が合うと思わず視線を他に移してしまう。バツが悪いという奴だ。

 居心地が悪くつい言葉がでてしまう。

「ごめんね。みんな」

「お前だけじゃない」

 といってシモンが私の言葉に続く。

「どうしてこんなことしたの?」

 尋ねてきたレンに今度は目を合わせる。隣の真理愛をチラッと見ると、彼女は小さく頷いた。

「あなたのためだったの。レン」

 嘘の話はもう終わりだ。私は真実を話すことにした。


 すべてが嘘だったわけじゃない。マリアが怪我をしたのは本当のことで、今でもその傷は彼女の目の上に残っている。

 薄暗い病院。日が暮れて、不安にさせるような冷気が廊下を抜けていく。私はその廊下のベンチに放心するように座っていた。

 頭の中では、後悔ともしものことばかり繰り返し考えていた。落ち着いているつもりだったけど、今思えば恐怖に心を縛られていたのと大して変わらない。

 体を震わせながらそうしていると、ジーザスとシモンが現れた。

「ごめんなさい」

 最初に私は謝った。

「彼女は何か言っていたかい?」

 ジーザスは怒りもせずに静かに私に尋ねた。私は一つ一つマリアと私に何があったのか話した。

「わかった」

「それだけなの?」

 あなたはもっと私を罵るべきだと思った。あんなに二人は愛し合っているのだから、激情をぶつけても許される。その時の私の心は誰かに責められることを望んでいた。

 私の言葉には答えず、どうやら顔なじみの看護師と言葉を交わす。端整な顔は少し疲れているように見えたけど、瞳の意志ははっきりしていた。私とは大違いだ。

「どうするんだ。ジーザス」

「彼女の望みを叶えよう」

「嘘だろ。マリアは死ぬような怪我じゃないんだろ」

 少し荒々しいシモンの声が聞こえた。シモンとは対照的にジーザスは落ち着いた様子で小さく頷いた。

 その仕草に心が少し救われる。だけど、それなのにジーザスはどうしてそんなことを言うのだろう。二人には私にはない絆があるはずなのに。

「彼女は自由になっていいんだ。その権利が彼女にはある」

「わかったよ」

 投げやりのようなシモンの言葉に、ジーザスは淡く微笑んだ。不思議な気持ちで彼を見ていると目が合った。

「シモン。少し席を外してくれ」

「うん?わかった」

 離れていくシモンを見届けた後ジーザスが私に向き直った。

「ジーザスはマリアのことが大切なんじゃないの?」

 その問いは自分でも驚くほど自然に口にした。

「大切だよ。だけど僕よりも大切なんだ。彼女が自分のすべてで僕を想ってくれているのは知っている。それにたくさん救われてきた。だけど僕は彼女に自分を大事にしてほしいんだ。彼女のこれまでの人生を奪ってしまった僕の願いでもあるんだ。自分の為に生きてほしいんだ」

「レンのことはどうするの?」

「兄さんと相談するよ。最後に決めるのはあの子しだいだけど。きっとマリアの願いをかなえられると思う」

 この人は、こんなことがあっても未来を見ているのだと思った。マリアも、ジーザスも眩しいぐらい強い。まだやり直せるなら、私も二人のようになれるだろうか。

「だったら私にも手伝わせて。罪滅ぼしじゃないけれど」

 今の自分が持っていることと、できることを考え始める。

「わかった。けどルカは最後にどうしたいんだい?」

 ジーザスの問いに答えはすぐに返した。

「もう一度、みんなで笑いあえるようにする」

 例え何年先になっても、そうするのだと心に誓った。

 これが最初の歪み。私の嘘つきの始まり。



「という感じで、私たちがこんな風に始めたの。ごめんね」

 私のこの言葉は誰に向けたものだろうか。シモンも、ジーザスも何も言わなかった。

「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」

 最初にそう尋ねたのはレンだった。

「言えなかったの。言い訳みたいなお話だけど、マリアが生きていたらレンはここにいることなんてできなかった。レンにマリアの代わりを頼んだのは私たち」

 レンを真っすぐ見つめて私は語る。

「ジーザスを騙すことで平穏を守る。そんな逃げ道のない誘いをレンにした。レンは優しいから、きっと真理愛の代わりをしてくれると思った。それにあなたは自分の親から逃げたがっていたもの」

 断る免罪符を与えて狡いお願いをした。

「ごめんね。あなたの人生を歪めてしまった」

「別にいい。もういい。今更謝られても、どうしたらいいのかわかんないもん」

 私の言葉にレンは震えた声で答えた。怒りなのか、やるせない思いなのか私にはどっちかがわからない。

「けど狡いのは私も同じ。ジーザスを守りたいって思いはあったけど、私は私を守りたかったからその話に頷いた。卑怯者は私も一緒だよ」

 言い終わるとまた涙が溢れそうな彼女をシモンがそっと支えた。

「ありがとう。シモン。ずっとレンの傍にいてくれて」

 真理愛が優しく二人に声をかける。

「いいよ。責任は俺にもある」

「私にもあるよ。だけど私は何もしてないから、シモンがずっとこの家にいてくれて良かった。これからも任せていい?」

「真理愛一ついいか?」

「何?」

「俺たちのことだ。悪いがお前にも関係ない話だ」

 シモンの強い意志の籠った言葉に、私はいささか驚いていた。何より真理愛にそんな風に宣言するとは思わなかったからだ。

「ルカ。レンとシモンは恋人同士なんだよ」

 真理愛がそっと付け加えた。

「嘘」

 と言葉が出るが、考えてみれば点と点が繋がっていく。レンの気を許すジーザス以外の男性。シモンには珍しい恋愛の悩み。本来であればもっと前に私も気づけていたはずなのに、私はその可能性を考えていなかった。

 改めて二人を見るとレンを守ろうとするシモンは心底彼女のことを大切にしている。家にいないジーザスのために、彼は大学を出てからもずっとこの屋敷に住み続けていた。

 ずっと二人はお互いのことを想いあっていたのだ。

「やっぱり気づいてなかったんだ。ルカ」

 周囲を見るとトマスが呆れていて、ジーザスと真理愛は小さく笑っていた。レンは驚いていて、シモンは「やっぱりか」みたいに目の上を手で押さえていた。

 どうやら私だけが一人気づいていなかったようだ。あれだけ人に隠し事をしておきながら、仲間の変化に気づいていなかったのは笑えてしまう。完全にうっかりだ。

「あははは。なんで気づかなかったんだろう。おかしいな」

 私が笑いだすと、なぜかつられてみんな笑いだした。

 あぁなんて優しい話なのだ。




実はあと一話だけ続きます。


ルカ 戸松陽歌

マリア 吉祥香恋

ジーザス 新道寺祐一

シモン 門田祐樹

トマス 吉相由紀美

レン 椎名蓮子


ルカ 戸松陽歌

マリア 椎名蓮子

ジーザス 新道寺祐一

シモン 門田祐樹

トマス 吉相由紀美


椎名蓮子→吉祥香恋

吉祥香恋→戸松真理愛

新道寺初



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