BlackSheep7
トマスと話してから数日が経過した。あの日からピタリとあの屋敷の仲間と会うことはなくなった。
必要がなくなったからなのか、それとも私の臆病の裏返しなのか、はたしてどちらだったのだろう。
それでもまだ約束は残っている。私はマリア、吉祥香恋の祖母の家を訪ねていた。電車で四十分ほど。古い町並みの中にその家は紛れるように建っている。
「ごめんください」
少ししてから活力のある声が帰ってきた。若い男性の声だ。しかしどこかで聞いたことがある。
家の奥から出てきた人物に思わず、逃げ出したくなった。鋭い目。半そでのシャツから伸びるスポーツ選手のように引き締まった腕。首に金色のペンダント。
祐一の兄、新道寺初。どうしてこんなところに彼がいるのだろう。
「よっ」
驚く私に彼は気さくに声をかける。
「はぁ」
私は返事ともため息ともいえない微妙な返事を返す。
「なんでいるんですか?」
「あぁん。面倒な説明省いてやったんだぞ。感謝しろ。お前らに任すと嘘しかつかないけどね」
乱暴な口調だが、話す姿は上機嫌だ。ニヤニヤしていて、馬鹿にされているようでこちらの気分はよくない。
「おら上がれよ」
言葉に従うのは癪だが、ここで反発するのは何のために来たのか分からなくなる。玄関から、廊下を移動し一番奥の部屋にいると一人の老婆が布団から半身を起こしていた。
「いらっしゃい。ごめんなさいね。お迎えできなくて」
「いえ大丈夫です」
昔あった時よりも、随分弱ってしまったようだ。ただ、自分の子ども、そして孫を失ったことと比べれば私の胸の痛みなど取るに足らないものだ。
「初さん」
「あぁ。全部言っといたからな。芝居の打ち合わせなら勝手にしてくれ」
そういうと彼は背中を向けて、部屋を出て行ってしまった。それにしてもどうして彼がここにいるのだ。
「戸松さんでしたね。綺麗になったわね」
老婆の細い腕が私の頬に触れる。私をその手を握り返す。年老いた骨と皮の手。その手に触れられると自分のしたことが、他人を傷つけたそんな考えが浮かんでしまう。
「ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「あなたは私たちのことを許していないと思っています」
彼女は知っている。あの屋敷にいるのが本物の吉祥香恋ではないことを。
「初さんの言った通り、はっきり言う人ですね。けれど私は逆のことを思っていました」
「逆ですか?」
「はい。そこは初さんも同じ気持ちでした。私は香恋には自由になってほしかった。親を失ったばかりのあの子の周りを、大人たちは盗人のように騒ぎ奪いあっていました。老い先短い私にはあの子を守ることすらできなかった。もうあんな思いはしたくありません」
私には何もない。そう無感動にマリアが話していたことを思い出す。
「あなたたちの話をされた時は、思わず死んでしまうかと思いました」
「冗談に聞こえないのですが」
「冗談ではありませんから」
答えに体を固くしてしまう。
「あの子は今自由ですか?」
一度深呼吸してから、
「はい」
と返す。
「あの子が自分の意志で決めたの?」
「はい。私たちも、私たちの意志で決めました。香恋の親友を救うために。お婆様。どうかまだ生きてください」
言葉を選びながら口にする。
お婆様は視線を、私から外に向ける。
「優しいって損なことよ」
「はい」
私は静かにその言葉を肯定した。浮かんでいたのは香恋のことか、それともジーザスのことだろうか。それともシモン、トマス、レン。みんなのことだろうか。
「でも救われる人もいます」
少なくとも私はそうだ。だからそれだけは言っておきたかった。損で、不幸なことでも、優しさに救われる人は確かにいる。だからこそ、厄介なのかもしれない。
「由紀美さんには嘘をついたのでしょ。どうして?」
私は少しだけ迷った。
「香恋の頼みです。あと数年で明かすことになると思います」
「そう。あの子が言ったことなのね」
「私のことは許せませんか?」
「いいえ。戸松さんが自分の人生を懸けて行ったことです。何もできなかった私が口出すことはありません」
「あまり卑下しないでください。力が足りなかったのは私も同じです」
自然と手を握り締めてしまう。何もかも足りなかった。だからジーザスに初さんに、他のみんなの力を借りるしかなかった。
「お婆様辛気臭いのはなしにしましょう。最悪の結果はなかったのですから」
強がるように私が言う。
「そうね。私たちが嘆いてもしかたのないことですもの」
彼女は儚げに微笑む。沈黙が室内に広がる。
私たちの会話が途切れ始めたことに気づいたのか、初さんが部屋に現れる。
「辛気臭い連中だな」
「初さん口が悪いです」
私の小言は無視して、彼はお婆様に二、三言葉をかける。
「よしそろそろ出るぞ」
といって初さんは遠慮なく私の腕を引っ張る。
「まだ話の途中です」
「あぁん。もう無理だぞ。婆さんこれから病院だからな。もうすぐ迎えが来ちまう」
初さんの言葉にお婆様の方を見ると、
「ただの検診よ」
と短く答えられて、ホッとする。人は死ぬ。それは当たり前に悲しいことだと、私は何度も何度も繰り返し考えてしまっている。
「行くぞ」
もう一度、初さん強く引かれ、しぶしぶ私は彼に従った。
乱暴で、強引で、自分の都合ばかり。やはり私は初さんのことが少し嫌いだ。
家を出ても、彼は私の腕を掴んだままだ。
「離してください。大声出しますよ」
「じゃあ黙ってついてこい」
「嫌です」
だいたいどうして初さんが今日ここにいるんだ。トマスが話したとは思えない。ではお婆様が彼を呼んでいたのだろうか。それなら理由なんてものは、私には見えない。
二階建ての木造家屋。時々四角い新しい家。昔と今の家が並ぶ住宅地。車がどうにかすれ違える道を、初さんが先行して歩く。
「お前って面白い奴だよな」
「全然面白くないです」
表情は見えないが、凶悪な笑みを浮かべている気がする。どうにも彼には、恐怖よりも反発の感情が強く出てしまう。
「面白いよ。どうしようもない嘘つきのくせに、筋は通そうとしてるからさ」
返事はしなかった。けどそれが答え見たいものだ。彼の言ったことに誤りがない。少なくとも私はそう思ってしまった。
「祐一もお前もあいつの何が良いんだよ」
「私は、彼女に救われたんです。とてもとてもくだらないことでも、彼女は私の心を救ってくれた」
それは嘘偽りのない本心で、私の原点だ。だから私は、マリアの味方をすると決めた。
「それって感謝じゃないだろ。お前のそれは信仰だろ」
「信仰ですか?」
「見返りを求めない。そのくせ狂気じみた好意。俺からすればお前は、狂信者だよ」
振り返り彼の獣のような瞳が私を見据えている。彼の言葉を自分の中で繰り返す。すると自然と頬が緩む誇らしげな気持ちで聞き返した。
「それで駄目なんですか?」
前を歩いていた初さんが足を止めて、こちらを振り返る。
売り言葉に買い言葉。私が初さんのことが嫌いなのは、こんな風にずけずけ人の領域に踏み込んでくるせいに違いない。
「クックッ。お前は怖い奴だ」
愉快そうに彼は含み笑いをする。私の答えに満足しているようで、何を考えているのか分からない。
「お前この後暇だろ?知ってるぞ」
意味深な物言いに、一つの可能性が浮かぶ。今日私を呼んだのは初さんだったのではないだろうか。私を呼び出すだけなのに手間がかかりすぎではないだろうか。
「まさかあなたが私を呼び出したんですか?」
「これから良いとこ連れてってやるよ。拒否権はないからな。お前の弱みはいくらでもあるからな」
「……」
何も言い返せない。初さんは反転し、私はその背を睨みつけながら後ろをついていく。少し歩いた場所に駐車場があり、そこに高そうな外車が止めてあった。左ハンドルだから外車というのは少し早計だっただろうか。車には詳しくはないので、間違っていても大した問題ではない。
私は大人しく彼の車に乗り込んだ。車内に入ると、初さんが話しかけてきた。
「お前らさ」
「なんですか?」
「いきなり怒るなって。あのことずっと隠しとく理由あるわけ?」
「まだ言う必要がないんです」
「吉祥香恋が名前を変えて生きている。それはそこまで必死になって隠しておくことなのか?」
私は思わず彼の頬に右手で叩きそうになった。正確には私の腕を彼が受け止めて、叩けなかったのだ。
「すいません。カッとなってしまいました。けど初さん、あんまりそのこと言わないでください。レンに伝えたくないんです」
「あーなるほど。今屋敷にいるアレのために隠してるのか。存外くだらない理由だったな」
彼はそう答えると車を発進させる。住宅地の小道を抜け、大通りにでる。
「陽歌」
彼が突然私の名前を呼んだので、鳥肌が立った。返事の代わりに、一層不愉快そうに彼を睨んだ。
「俺はお前のこと面白いんだけどな。それに陽歌。俺が味方で都合がいいのはお前だろ?」
理路整然と私の急所をついてくる。
「今更あなたに敬意を払えってことですか?」
「そこまでしなくていい。名前で呼ばせろ。俺は気に入った奴は、名前で呼びたいんだ。むしろこれまで通り反発してろ。お前らの運命を握ってるのは俺だからな」
「嫌な人ですね。そんなだからマリアに嫌われていたんですよ」
「あいつが俺を嫌ってるのは祐一を連れてくからだ。さすがに途中で気づいた。どいつもこいつも他人、他人。自分のことを大事にしろよな」
「ジーザスのことですか?」
「お前らだよ」
複数系で答えたから、きっと私のことも含まれているのだろう。
「それにしても陽歌」
今度は過剰に反応せず、視線を窓の外に向けた。ただ名前を呼ばれるたびに、心がざわついて落ち着かない。思えば私を名前で呼ぶのは、家族くらいか。
「なんですか?」
「将来どうするんだ?」
「えっ。なんであなたに話さないといけないんですか」
至極真っ当な答えだ。
「そうかよ。まぁ予定がないならこれから行くところに口聞いてやってもいいんだけどな」
交差点を曲がると、大きな建物が視界に入った。周囲の雰囲気からどうやら医大のようだ。車は校門の前で曲がり、構内に踏み込む。
「医大の図書館。興味あるだろ?」
さすがにないと言えば嘘になるが、怪しすぎる。
「なんで私に見せたかったんですか?」
「自惚れるな。俺にもともと用があったのと、お前が適任だからだ」
そういうと彼は私の膝にカードケースを投げる。開くとカードキーとメモが書かれていた。メモには本のタイトルと電話番号が書いてあった。
「探してこい。今日暇だろ?」
「初さん最低です」
それで今日、一日予定を開けてくれと言われていたわけだ。最初から、彼のパシリとしてあてにされていたようだ。私は彼に弱みを握られている。私が断らないことを見越しての、呼び出しだったのだろう。
イライラする気持ちを無理やり飲み込む。
停車した車から降りる。
「最後の質問」
「なんですか?」
「吉祥香恋は今どこにいるんだ?」
「ジーザスに聞いてください」
「はぐらかされた」
「じゃあ言いませんよ。私は知りません」
私は言い切って、車に背を向け歩き始めた。
「この大嘘つきが」
初さんが車から大声で叫んだ。そちらを振り返ると、あの凶悪な笑顔を浮かべていた。顔つきが整っているから、一瞬目を奪われてしまった。
「そうですよ。さっさとどっか行ってください。時間泥棒!」
私の言葉に彼は驚いたように目を開いた。気のせいだろうか。一瞬少年のように無邪気に笑ったように見えた。
彼がいなくなるのを確認してから、私は大学の構内に足を進めた。
ルカ 戸松陽歌
マリア 吉祥香恋
ジーザス 新道寺祐一
シモン 門田祐樹
トマス 吉相由紀美
レン 椎名蓮子
今
ルカ 戸松陽歌
マリア 椎名蓮子
ジーザス 新道寺祐一
シモン 門田祐樹
トマス 吉祥由紀美
椎名蓮子→吉祥香恋
新道寺初




