BlackSheep3
「ルカ。時間泥棒が来るから一緒に居て」
それは秋を過ぎて冬になった頃の日曜日。私は図書室で本を読み続けていた。そのころには半分地下のような奥の書斎があることも知っていた。正直に言うと宝の山だった。有名な絶版本が数多くあった。私は別にビブリオフィリアというわけではない。ただの読書家だ。
当時は価値など知らず物語だけを読みふけっていた。その地下室の綺麗に整頓されていて厳かな雰囲気で居座って読むような場所ではなかった。結局上の書斎の机が私の定位置だった。
「時間泥棒?」
『モモ』にでてくる悪役たちのこと。彼女があの物語を気に入っていることは知っている。
「悪い人なの?」
「違うと思う。怖い人なの」
黒いスカートを揺らして彼女が距離をつめた。無地の黒いブラウスから伸びた手の平が甘えるように私に触れる。袖口がひらひらとしていた彼女の可憐さをより際立つ。
「ここにいていいよ」
「違うの。手伝ってほしいことがあるの」
「どうすればいいの?」
「来て」
マリアに促されて立ち上がると、客室の隣の部屋に案内された。普段人の出入りのない物置みたいな部屋だ。私もあまり来たことはない。
「穴をあけてほしいの」
そういうと彼女は壁に手のひらをぴったりつけた。
「いいの?怒られない?」
「私の家だもん」
その言い方はすごく子どもっぽくて、いつものマリアの様子が違うと感じる。
「大きな穴?」
「小さくていいの。お話が聞きたいの」
といって彼女はコンコンと壁を叩いて何かを探っていた。時々ぴったり耳を押し当てて様子を聞く。
「ルカ。ここ」
彼女に言われるままに、私も耳を壁につける。カチカチと隣の部屋の柱時計の音が聞こえる。どうやら意外とこの壁は薄いみたいだ。
私は使えそうな物を屋敷から探してきて用意した。千枚通しと錐の違いは正直よくわかっていないので、年長者として説明はしない。選んだわけは派手に破壊するよりも小さな穴を広げる方が良さそうだと思ったからだ。小さい頃の図工の時間を思い出す。
「いいの?」
私が再度確認すると、彼女は黙っていた。きっと本当は良くないことなんだろうな。なんとなくそう思ったけど、私は何も言わないことにした。
木壁は柔らかく簡単にささった。少しすると小さな点のような穴ができた。不意にもしかしたらこの部屋の壁は後付けで用意されたのかもしれないという考えが浮かぶ。
一つ目の穴が開くとマリアが反対側に回って声をかける。声は聞こえるが言葉ははっきりとは分からない。柱時計から少し離れたところにも作って、何度か試みる。しだいにまるで刑務所で会話するみたいだと思ってしまった。
果たして投獄されているのは、実行犯か教唆犯か。どっちも悪いことは明白だ。
「ありがとう」
そういうと彼女はその場を離れてどこかに行ってしまった。私もまた図書室に戻った。そこから少ししてからこの屋敷のベルがなった。今日は珍しくジーザスとシモンがいるから、どっちかが出ると思っていたら妙に屋敷が騒がしいことに気づく。
「ルカ」
シモンが扉を開けて私を呼ぶ。私は本を置いて、
「何?」
と返した。
「お前も出て来い」
ただならぬ雰囲気だと思い素直に従う。
玄関には煙草を咥えた鋭い目の男性が立っていた。上はコートにズボンというシンプルな恰好だが布地がどう見ても高そうだと思った。威圧的な雰囲気に周囲の空気が一層冷たく思えて、彼が「時間泥棒」と呼ばれた人だと直感した。
「おっ結構いるな。お前が帰ってこないわけだ。居心地良いだろ?」
「お陰様で。二人とも高校生なのにとても落ち着いているよ」
彼とは対照的な白いシャツを着たジーザスが朗らかに微笑む。笑顔の種類はまったく違うのに似ていると思った。
「お前ら名前なんだ?」
傲慢な言い方だと思ったが、素直に名乗った。彼はつまらなそうに知らない名前だと当たり前のことを呟く。
彼が一歩ジーザスに近づくとその後ろにいたマリアが、私の後ろに逃げてきた。
「嫌われてますね」
ジーザスが困ったように言うと、
「お前の婚約者だろ。教育しとけ」
「兄さんの風貌が良くないんですよ」
と静かな殴り合いみたいな会話をする。その後、ジーザスが私たちと新道寺初という兄の紹介をする。
「まぁ財産目当ての盗人でもなさそうだ。おい女」
「はい」
答える声が低くなるのは、直接彼に見据えられたからだろう。虚勢を張らなきゃ飲まれてしまいそうだ。そんな姿を背中の彼女には見せたくなかった。
「図書室のことどこまでわかる」
「だいたいはわかります。地下のことは少しです」
「はっ地下?そんなのあるのか?」
掻い摘んで説明すると、彼は「なるほど」と一人納得する。
「今日はお前と話に来たんだ。どこで話す」
「客室でいいでしょ」
といってジーザスは彼を連れて移動する。シモンは二人に差し入れしに行くとその場で別れる。
「一緒に来て」
マリアに促されるまま、悪巧みをした部屋に静かに入る。マリアは必死に何かの話を聞こうと耳を当てる。かすかに彼女の手が震えているのが目に見えた。
私も耳を澄ませ、なんとか隣の会話を聞き取ろうとした。
ジーザスの海外留学の話。そして婚約の話があった。婚約を続ける必要はなくなった。彼の言葉に、マリアが白い顔で唇を噛みしめていた。
ジーザスの方は相槌程度でほとんど初さんが一方的に話していた。ただジーザスは彼の答えには「考えとくよ」と保留するような返事をしていた。
どうやら初さんは忙しい人物のようだ。話を終わると、二人の気配は隣の部屋から遠ざかっていった。
「ねぇルカどうしよう」
震える声だった。
「私また、全部失くしちゃうの?」
白夜のように笑っていた。私もそんな彼女に何もできなくて、胸が張り裂けそうだった。
「私はずっとそばにいるよ」
それだけしか言えない。自分の力のなさが憎い。黙り込んだマリアの手を引き、こっそり部屋から出て図書室に行く。シモンが図書室から出てきた。
「おっここにいたか。どうした」
「なんでもない」
マリアの方をちらりと見る。泣いたりはしていないけど、人形のようにその顔は白い。
「初さんがお前に用があるって?」
「私に?」
今日初めてあった私に何の用があるのだろう。マリアと手を離して、私は一人玄関に向かった。
「なんですか?」
さっきの会話を思い出して、彼のことを睨みそうになってしまう。
「あぁお前、探してもらいたい本がある。こいつに言っといたから頼んだ」
私の心情には気づかずに親指で隣のジーザスを指さす。
「なんで私が」
一方的な言い草に思わず声が漏れた。二人とも驚いたように私の方を見る。
「なんですか?」
その奇妙さに耐えられず、思わず声が出る。
「面白いなお前。じゃあこれ貸しにしといてやるよ」
初さんは口角を上げて、愉快そうに笑う。悪役がしそうな邪悪な笑い方だ。
「兄さんそろそろ行ったほうがいいですよ」
「そうだな。じゃあお前は自分の人生ちゃんと考えとけよ」
「わかってますよ」
二人がそう会話を終えると、初さんは屋敷から出ていく。彼が出ていくと、屋敷にいつもの静けさが戻ってきた。
「なんなんですかあの人」
「僕はルカがどうしてそんなに腹を立てているのか不思議だよ」
ジーザスに指摘され、言葉につまる。少し迷ってから一人で盗み聞きしていたと答えた。
「聞いていたのは驚いた。大丈夫、彼女の思うようにはならないよ」
ただ彼は静かにそう答えた。私は何も言わずに頷いた。
どうやら私のつたない嘘には気づいているようだった。
軽い振動と私を呼ぶ声に目を覚ます。太陽は沈みかけていて、少しだけ暗い。初さんジーザスが車で送ってから私の家に移動している途中だった。
「良く寝てたね。疲れたかい」
「あの人は疲れる人です」
初さんといると変に緊張してしまう。どこかで私は彼のことを警戒しているのかもしれない。
「あっ昔の夢を見ました。私、屋敷の壁に穴開けたままですけど大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。時期が来れば直すだろうし、もしかしたら僕の手から離れるかもしれないからね」
「そういえば初さんとも何か言ってましたね。誰の手に渡るんですか?」
もしも知らない誰かのものになるのなら、屋敷には近づきにくい。
「マリアに返すことになるね。今の彼女の唯一の財産だからね」
奇妙な話だ。
「あれで良かったんですかね」
「良かったんだよ。それに僕とルカは止められなかったからね」
「……そうですね」
「僕たちはよく似ているけど、ルカは彼女を独り占めにしたいとは思わなかったのかい?」
「たくさん思いました」
だけど思っただけなのだ。
「どうしてしなかったの?」
「マリアが望んでいなかったから」
たったそれだけのこと。もしかしたら、嫌われて距離を置かれるのが怖かったのかもしれない。けどそれはパーセンテージだと五パーセントぐらいの小さなこと。私はみんなのことが好きだったし、マリアを特別束縛したかったわけじゃないんだ。
「君のそういうところ強くて、ずるいよね」
「えっ」
まさかジーザスにそんなことを言われるとは思わなかった。私よりもずっと強い彼が、どうして私のことをそう評価するのだろう。
「羨ましいよ。ルカと香恋の絆は、世界中の誰よりも強いからね」
「ありがとうございます」
少し間を開けて答えを返す。正直なんと返したらいいのかわからなかった。
「そろそろ行きましょうよ。時間ないんでしょう」
話題を切り上げ、私は車の扉を開いた。夏特有の熱気と湿気の混じった空気が肌にあたる。
「あぁそうだね。あまり待たせたら怒られてしまう」
車からでてアパートを見上げたジーザスは優しく微笑んでいた。
ルカ 戸松陽歌
マリア 吉祥香恋
ジーザス 新道寺祐一
シモン 門田祐樹
トマス
レン 椎名蓮子
今
ルカ 戸松陽歌
マリア 椎名蓮子
ジーザス 新道寺祐一
シモン 門田祐樹
トマス
新道寺初




