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幽霊屋敷の聖書1-1

 町外れにある趣深い洋館。そういえば聞こえがいいが、苔むした黒い外壁で囲われ、あたりは木々で覆われた森の中にある不気味な建物。正面は柵のような鉄門があるそこは、私が子供のころ幽霊屋敷と評判だった。

 幽霊屋敷にはとてもかわいい女の子が住んでいるという噂とセットで語られた。町の中心にあるミッション系の学園の黒い布地に白いラインの入った制服。美しい黒髪を持った、天涯孤独の神秘的な少女が住むという噂。

 ただそれが噂ではなく、真実だったことを私は知っている。何よりその少女は私にとって大切な人だった。いや私たちにとって。

 彼女は私だけのものではなくて、ジーザスやシモン、トモス、ユダにとっての唯一の存在だった。

 誰が呼び始めたのか、美しき少女を私たちはマリアと呼んで愛した。自分のことを空っぽと語る彼女の無垢な愛を欲していた。

 懐かしき話。青春の話。今の私を作った話。

 昔のように鬱蒼とした木々を抜け、洋館の前を訪れる。あれから何年たっただろうか。黒い外観と均一な窓は目のようでお化けのような屋敷は変わらずにそこにあった。

 カバンからカメラを取り出して、その化け物を枠に収める。

「ルカ」

 そんな風に屋敷を収めていると、高校生ぐらいの女の子が私に声をかけた。丸くて平らな帽子。黒い布地に白いライン。そういえばあのミッション系の学園の制服は高校に上がっても共通だったことを思い出した。

「レン?」

 あの頃、あの場所にいた一人の少女の名前を口にする。

「やっぱりルカなの?どうしてこんなところにいるの?」

「ちょっと大学の用事で、建物の写真が必要だったの」

 けどそれが主な理由でないことは知っている。私は逃げてきたのだ。うまくいかない現実から。だから穏やかだけど苦い、思い出深いこの場所にやってきたんだ。

「そうなの?じゃあちょっとうちに来て。ルカが驚く人がいるの」

 驚く人と言われたら、当時のメンバーのことを思い出す。誰だろう。シモンだろうか。

 彼女に手首をつかまれ、後ろをついていく。今にも雨が降り出しそうな重たい雲から逃げるように、私は数年ぶりに懐かしき洋館に足を踏み入れた。




 内装は当時と変わらない。入ってすぐの広場。正面の二回への大階段。その向こうには中庭があってロの字型の建物。右側の奥に裏口があり、左側の奥に二階に行くためのもう一つの小さな階段。覗かなくても思い出せる。

「お帰りなさい」

 そういって出迎えた人物は一人の女性だった。ここの家政婦だろうか、若さは感じられる肌だが所帯じみている。そのせいか若々しさは見られない。線は細く優しい雰囲気と、私のとなりの少女に向ける言葉は穏やかである。

「ルカ?」

 私が彼女の正体に思考を巡らしていると、彼女のほうは私に気づいたようだ。ただ私は彼女の声と、その名で私を呼ぶ年上の女性は一人しかいなかったことに気づく。

「あなたトマス?」

「ええ。お互い変わったわね」

 少し自嘲気味な笑顔だった。当時の彼女はジーザスと同じ医学大学に進学していた。その彼女が今この場所で家政婦の真似事をしているということは、うまくいかなったためだろう。

「そうね」

 少し同情が混じった声になってしまう。

「どうしてここに」

「写真を撮りにきたの。そしたらマリアに捕まって、懐かしくてつい断れなかった」

「そう。まずは着替えて来て。あとで菓子を用意するから」

「わかった」

 パタパタと走り回る姿は、歳は変わっても変わらないと思った。

「ねぇルカ?」

 レンの姿が見えなくなると、トマスの神妙な口調で話しかけてきた。

「何?」

「三年前。何があったの?」

 すぐには答えられなかった。それは皆が心にしまった一つの事件のことだろう。トマスはエプロンのポケットから分厚いメモ帳を取り出す。そこから綺麗に折りたたまれた新聞紙を取り出し、その記事を私に見せた。

 行方不明の女子。未だ発見されず。

 真っ先に飛び込んだのはその文字だった。隅に小さく椎名蓮子と本名が記載されている。

「この子って、マリアと仲が良かった子でしょ。シモンとルカは卒業して忙しくて来なくなったって、ジーザスは言っていたけど本当は」

「待った」

 彼女の中では何かのストーリーができているようだ。私はそれを慌てて遮った。

「シモンは何か言わなかったの?」

「何も。彼は俺が話すことじゃないって、それだけだった。ジーザスに聞くのは怖かった。だからあなたにしか聞けなかったの。だけどあなたに会いに行く勇気なんて私にはなかった」

 シモンらしいと思った。思えば彼はいつも大局を見ていた。

 携帯が振動し、画面を見ると「今日はゆっくり帰ってきてね」と短い文章が写っていた。

「長い話になるよ」

 私は少し悩んでから、そう答えた。幸いなことに時間はある。今日は急いで帰る必要もなさそうだ。

「大丈夫。じゃあちょっとついて来て。マリアには聞かせられないでしょ」

「そうね」

 さてどこから話したほうがいいのだろうか。そんなことを考えながら、懐かしい廊下を踏みしめる。

 一階の奥には蔵書のつまった書斎。当時の私の王国だ。隣の縦長い机がある大広間。昔は中庭を挟んで向かいに台所があった。その隣の部屋をシモンが勝手に自分の部屋にしていた。一番奥、裏口のすぐ隣に用意された客間に連れられた。

 足を踏み入れると思い出がよみがえる。マリアと初めて見た時のこと。彼女にルカと甘い言葉で呼ばれて、体を震わした日々のことを思い出す。

 この狭い部屋に六人もよく集まっていたとも思う。

 ジーザス。

 マリア。

 シモン。

 トマス。

 ルカ。

 そしてレン。

 奇妙な愛称を付け始めたのはシモンだった。少しの呆れと嫌がりながらも、ジーザスはそれを許した。マリアは心底シモンを褒めた。トマスは、ジーザスの意見に続いた。私は聖書の名前だと思っただけで、無関心だった。ユダはあとから、シモンが呼び始めた。私はその呼び方が嫌いでずっとレンと呼んでいた。

 ザーと雨が降り始めたようだ。すぐに帰らなくて正解だった。

「じゃあ私の最初から話すね。順番に話したほうがよく思い出せそうだから。私がマリアと始めてあった日のことから」



 その日は、また一つ学校が嫌いになった日だった。私はたびたび授業中に本を読んでいた。その日は担任の英語教師の機嫌が悪かった。放課後に高い声を出して、説教くさい言葉を並べて実に不愉快だった。

 予習で覚えられる授業に意味があるとは思えない。自分より成績も授業態度も悪い奴らがいるのに何故私なのかと思わずにいられない。きっと自分に不愉快を与える奴が許せないだけなのだろう。そんな風に結論づけても、恨みも憎しみも晴れはしないし、軽い絶望だけがはっきりと見えてくるだけだった。

 学校が終わると、家に帰らずどこかに行きたいと思った。できることなら憎たらしい青空を恨みの雲で埋めてしまいたかった。

 気が向くまま、人がいないほうへ歩いていると私は彼女を見つけた。

 黒く伸びた髪。小さな背格好。一人で歩いている背中は寂しく、私と同じように人がいない森に向かっていく背中が目についた。

 しばらく私と目の前の少女だけで歩いていた。

 森の中に隠れるようにある洋館。幽霊屋敷の噂は一定の周期で流れてくる。いつもはうんざりしながら聞き流していた話を思い出した。

 ピタっと彼女が足を止めた。私も続いて足を止める。

 彼女がこちらを振り返った。まず息を飲んだ。少女の目ではないと思った。とても静かな目だと思った。穏やかで静かな大人の瞳。切りそろえられた髪、傷のない白い肌。

 ミッション系の学園の制服。黒布地に白のライン。胸元に白いリボンがついていた。背が低いが中学生なのだろうか。モノクロで雨の日のような静穏さを感じた。

 そんな彼女が私を見て、小さく笑って手の平を振った。可憐な姿に心を奪われた。

 思わず駆けだしそうなところで、長い黒髪を翻し彼女が先に動き出す。衝動的に私も彼女を追いかけた。

 洋館の前で彼女は再度足を止めた。一定の距離を取るように私も止める。彼女は鍵を出して鉄扉を開く。

 彼女はこちらを向いて、手招きをした。もはや何かの罠なんじゃないかと思えたが、立ち止まる理由にはならなかった。振り向いた彼女が見た目に似合わない含み笑いを浮かべていて、胸が跳ねる。

 駆けていく彼女と対照的に私は恐る恐るゆっくりと彼女の後について屋敷に足を踏み入れた。



 屋敷の内装は今と変わらない。扉を入って広場。その先に大きな階段。左右に廊下が見えた。

「捕まえた」

 屋敷に入ってそう口にしたのは、私じゃなかった。沈黙を切り裂いたのは彼女の鈴のような小さくて良く響く声だった。

 どうやら屋敷の奥に入らず、扉の陰で待ち構えていたようだ。

 小さな手に背後から手首を握られる。振りほどけない力でないが、それよりも自分の考えをまとめるのに必死だった。

「どうして?」

 後ろをついてきたのは私だけど、彼女は明らかに私を誘っていた。それは私の妄想だったのだろうか。それなら私は否定できないストーカーだ。

「気になったから。ねぇストーカーさん、私のお願い聞いてくれる?」

 ここまでの誘いは確信犯で、私は言い逃れできない立場にあるようだ。あるいはここまで全部彼女の計算か。だったら甘い。私が本当に危険な人物だったら、どうするつもりなのだ。

 けど多分これは私の強がりだ。

「ストーカーじゃない」

「知ってる。だってあなたは今日始めてみたもの」

「あなたはってほかにもいるの?」

「いるよ。たくさん。みんな遠くから私を見てるの」

 淡々と興味なさげに口にする。彼女の言葉に、私は少しだけ優越感を抱く。どうやら有象無象よりも、私はこの子の近くにいられるということが嬉しかったようだ。

「ねぇどうしてあんなところ歩いていたの」

 少女に聞かれて私は正直に今日あったことを話した。おまけのように普段抱いている不満も零れてしまった。馬鹿みたいな教師、五月蠅いクラスメイト、夢を持てない自分。

こんな少女が相手だからこそ、口が軽くなってしまっていたのだろう。まるで神に懺悔しているように言葉は自然に吐き出せてしまった。

「ねぇお姉ちゃんこっち向いて」

 握った手首を離して、彼女が私に声をかける。言われるままに向き直る。

「しゃがんで」

 言われて膝立ちをすると、彼女が私を抱きしめた。首の後ろに手を回して、彼女なりの力いっぱい抱きしめたのだった。

 困惑する私に声が響いた。

「大変だね。お姉ちゃん」

 穏やかで優しい声だった。

 別に分かってもらえるとは思っていなかった。いやもともと、私は周りから浮いていたから、孤独には慣れていた。

 だけどこんな不意打ちは駄目だった。その日の私は少しだけ傷ついていて、無垢な優しさに思わず涙が一つ零れた。

「ずるい子だ」

「はは。わかる?お姉ちゃん私と友達になってよ!」

 断る理由は見つからなかった。



 一通り喋るとアイスティーを口に運んだ。冷たい飲み物が喉を潤すのが心地いい。

「そんなことがあったんだ。知らなかった」

 トマスの言葉に恥ずかしくもあり、誇らしい気持ちになる。

「宝物だよ。あの出会いがあってから、嫌な気持ちになると何かあるんじゃないかなって思うようになった」

 冗談交じりに答えて見せる。ただ本心も入っている。

 別にあの時抱いていたのは、寂しいとか、苦しいとか、言葉にするほどのものじゃなかった。言うなら苛立ちを抱えていただけだ。ただそれでも、無条件に自分のことを受け入れられて励まされるのは心に染みるものがあった。

「いいなぁ。そういうの」

「ふふ」

 少し得意げに笑う。

「けどその割にルカはここには来なかったよね。どうして?」

 言われて、少し言葉に詰まった。

 そんな私に気づいたのか、トマスは言葉を続けた。

「もしかして、最初に聞いたことと関係あるの?」

「ちょっとね」

 はぐらかすように答えた。

 ゴーンと時計の音が聞こえた。古い柱時計が真上を指していたようだ。

「もうこんな時間。また今度話しに来るね」

 あまりゆっくり帰るのも、心配だ。

「そうして。私も昔のことを思いだして、懐かしかったわ」

「年取ったね」

「疲れたのよ。私はジーザスのようにはなれなかったもの」

 それはかつて同じ学び舎でいたからこそ言えるのだろう。

「ジーザスは相変わらず?」

「前よりすごくなってるわよ。学生から医師になって、あっちこっち飛び回ってるわ」

 彼は背が高く、線が細くそれでいてとても落ち着いていた。私がここで見た彼は、眠そうか静かに笑っている、枯れた老人のような人物だったが、それはここでの話。当時医学生だった彼は、実習、課題、親戚のつどい、他の活動で八面六臂の活躍だったとシモンは言っていた。本来なら私の人生では会うこともなかったような人物だ。

「ジーザスなんて、シモンはいい名前をつけたものね」

 イエス・キリストの別名。彼は今まさに救い主として飛び回っているのだろう。

「そうね。だから私は彼が心配だった」

「どういうこと?」

 今度は私のほうからトマスに返す。

「だっておかしいじゃない。普通の人があんな風に、頑張れるのって。今思えば彼はここに休みに来てたのね。きっとルカみたいにマリアに癒されていたのかもね」

 そういうと彼女の瞼が陰りを帯びる。それはトマスが彼の力になれなかったことを悔いているようだ。自分の無力を思い知っているのかもしれない。

「ねぇルカ。新聞の話より、今度はジーザスとマリアのことを話してほしいわ。あの二人は何もなかったよね」

「何もって、二人は許婚なんだから何かあったかもしれないけど」

「違うの。私は見てないかって聞いてるの? そのあなたたちがここに来てた頃、中学生だったマリアと彼の関係のこと」

 ピンポイントで時期を定めたあたり、彼女には心当たりがあるのだろう。私は少しだけ考え、また今度来た時に話すと約束をした。

「今日はそろそろ帰るわ。帰りに本借りていってもいい?ちゃんと返すから」

 それは私がもう一度ここに来るための決意みたいなものだ。私という人間は、理由がないと動けないタイプだ。

「それぐらいいいわよ。未だにあの部屋のことは、私よりもあなたのことが詳しいんじゃない」

 言葉を交わしながら、立ち上がる。トマスはマリアの元に向かうと。私と別れた。私はまっすぐ図書室を目指そうとしたが、

「嘘つき」

 後ろからレンに声をかけられた。どうやらどこかに隠れて話を聞いていたようだ。

「嘘をついてるのはそっちもでしょ」

 後ろを振り返らずに、背後の少女に答えた。

「ねぇルカ。本当に全部話すの?」

 少女の声色は、不安と怯えを秘めていた。

「決めてない。あとでシモンと話してみる。けどトマスには言ってもいいと思うの」

 それはあの時を共有していたからこその信頼だ。私たちはマリアとジーザスに、言い方は悪いけど逆らえない。彼女たちの不幸は望まない。

「あなたはどう思う」

「わからない。けど何も変わらないよ」

 のっぺりとした今度は、突き放すような言葉だった。

「そうね。今更何も変わらない」

 たった一人に話したぐらいで、何も変わらない。

「だから安心して。マリア」

 後ろを振り返らずに答えた。素っ気ないのはすぐに帰りたい気分になったからだろうか。私の後ろを彼女は黙ってついてきた。

 図書室で三冊ほど思い出深い本を選び、玄関まで行くとトマスが私を待っていた。私に向かって何か言いかけると、すぐ後ろをついてきていた少女に気が付いたようだ。

「一緒にいたの?」

「うん」

 元気よくマリアは答え、トマスは笑みをこぼした。

「また来るわトマス」

 私は答えるとマリアの頭を撫でた。それもなんだか懐かしい。

 あぁ青春はここにあった。そんな詩的な言葉がぴったりだ。





登場人物

ルカ

マリア

ジーザス

シモン

トマス

レン


椎名蓮子


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