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剣技無情 二

「こいつ、いったいどうしたんだ?」

 目の前にある死体を見ながら、中村左内は首をひねる。

「それがですね、こいつ屋根の上から落ちたらしいんですよ。頭と首の骨が折れています」

 目明かしの源四郎が、横から口を挟む。

「何だそりゃあ。間抜けな奴だなあ」


 左内と源四郎は今、死体の検分をしていた。検分とはいっても、事件性がないのは確実である。何せ、数人の目撃者の前で自宅の屋根から落ちたのだから。

 もっとも、源四郎は浮かない顔をしていた。

「ええ、確かに間抜けなんですが……ちょいと妙なんですよ」

 源四郎は声を潜め、囁くように語り出した。

「こいつは寛平って鳶なんですが、屋根から落ちるような間抜けじゃないはずなんですよ。それに最近では、一人で町中をふらふら出歩き、時にはげらげら笑ってたとか。同じ長屋に住んでた連中も、寛平は近頃おかしかったと言ってます」

「おい、もしかして阿片でもやってたのか?」

 左内の言葉に、源四郎は顔をしかめながら首を振った。

「はっきりとは分かりませんが、阿片じゃなさそうです。でも旦那、こいつの匂いは変ですよ」

 言いながら、大げさに鼻をひくひくさせる源四郎。

 左内も寛平の匂いを嗅いでみた。確かに妙な匂いがする。阿片とはまた違った匂いだ。これは何だろう。

「源四郎、こいつは何の匂いだろうな」

「分かりません。ただ、これは普通の事故じゃないですよ」

「だろうなあ」

 左内は立ち上がり、周りを見回す。野次馬が数人、こちらを見ながらひそひそ話している。寛平の知り合いだろうか。

 そういえば、寛平は独り身だったらしい。家族がいなくて良かった、と言うべきなのだろうか。それとも、家族の温かみを知らずに死んでしまって哀れだ、と言うべきなのか。

 もっとも今となっては、自分も家族の温かみなど感じてはいないが……左内は口元を歪めながら、野次馬に近づいて行く。

「おい、お前ら。あの寛平だけどな、最近はおかしかったのか?」

「ええ、おかしかったですよ。近頃は仕事も休んでばかりで、親方にぶん殴られてましたし」

 野次馬の中から、一人の男が答える。

 左内は考えた。阿片もまた、似たような症状になる。しかし、寛平の死体から漂う匂いは、阿片とは明らかに別のものだ。かといって、酒とも違う。

 となると……。

「なあ、お前。寛平についてだが、他におかしな点は無かったか?」

「おかしな点、ですか? そういや、薬屋にちょくちょく顔を出してたみたいですね」

「薬屋だと? どこの薬屋だ?」

「へい。最近この近くに出来た、甲益屋かますやって店でさあ」

「甲益屋だぁ?」

 首をひねる左内。ひょっとしたら、あの甲斐とかいう若造の店かもしれない。ただの薬屋にしては、どうもおかしいと思っていたのだ。

 ならば、念のため調べてみよう。出世の見込みはないにせよ、降格の見込みは充分にあり得るのだ。この上、牢屋見回りに格下げになったとあっては、義母と妻に何を言われるか分からない。




「おや、これはこれはお役人さま。どうかなさいましたか?」

 甲益屋を訪れた左内を出迎えたのは、日に焼けた中年の女だった。中年とは言っても、体つきはすらりとしており器量もいい。なかなかの上玉だ。左内は、思わず相好を崩していた。

「いや、大した用事ではないのだ。ここに、立島右京という男が世話になっていると聞きましてな。立島は元気でしょうか?」

「まあ、立島先生の知り合いでしたか! 先生には、いつもお世話になっております。ですが、あいにく先生は今、うちの者と出かけておりまして……」

 そう言って、申し訳なさそうに頭を下げる女。

「そうでしたか、それは残念ですな。ところで、一つお聞きしたいのですが、寛平という男はご存知ですか? こちらによく来ていたそうですが……」

「寛平さん、ですか?」

「はい。まだ二十歳前の鳶なんですが、屋根から落ちて死んじまったんですよ」

「それは、お気の毒ですね……まだ若いのに。ただ私どもは、その寛平さんという人のことは、よく覚えていないですね」

「そうですか。覚えていませんか」

 言いながら、左内は店の中を見回す。店自体はさほど大きくないし、怪しげな物も置かれていなかった。左内の他に、客は一人も来ていない。特に流行っている、というわけでもなさそうだ。ぱっと見た感じでは、ちょっと変わった薬屋という程度のものだ。。

 寛平の着物に付いていたのと同じ、奇妙な匂いが店の中に漂っている点を除けば、だが。

「なるほど。では、また出直してまいります。立島に、よろしく言っておいてください。そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたなあ。失礼ですが、お名前は?」

「おおたまです。今後とも、よろしく」




「何だ、八丁堀の旦那じゃない。こんなとこで何してんの?」

 店を出た左内に、声をかけた者がいる。誰かと思えば小吉だ。退屈そうな顔で、こちらにふらふら歩いて来た。

 すると、左内はじっと小吉を見つめた。次の瞬間、ぽかりと殴りつける。

「い、痛えじゃねえか! いきなり何すんの!?」

 頭を押さえ、抗議する小吉。だが、左内は容赦しない。険しい顔つきで、小吉の首根っこを掴む。

「誰が八丁堀だ! なめた口聞くと、しょっぴくぞ! この餓鬼が!」

 左内は怒鳴りつけ、力任せに引きずって行った。


「小吉、前から何度も言ってるだろうが! 人前で気安く話しかけるなと!」

 人目につかない場所で、小吉を怒鳴りつける左内。小吉は怯えた表情で、左内にぺこぺこ頭を下げる。

「ご、ごめんよう。つい、気が緩んで――」

「いいか、お前が仕掛屋の一員だってことを知ってる人間は一人や二人じゃねえ。その仕掛屋のお前が、役人の俺に親しげに話しかけてる……これは、どう見てもまずいだろうが。お前は、そんなことも分からねえ唐変木なのか?」

「わ、分かったよ。悪かったよう」

「いいか、仕掛屋がでかい顔してられんのも、元締である俺の面が割れてないからだ。俺の面が他の連中に知られたら……仕掛屋は終わりなんだ! その頭に叩きこんどけ!」


 小吉にさんざん説教をした後、ようやく解放した左内。だが、その表情は険しいままだ。

 左内は知っている。この裏稼業を続けていく上で、もっとも大変なのは同業者との付き合い方なのだ。特に、龍牙会のような大組織とは上手くやっていかなくてはならない。

 だが同時に、自分の正体だけは絶対にばれてはならないのだ。そもそも仕掛屋は、数人しかいない組織である。そんな弱小組織が、龍牙会のような大組織と渡り合っていくには……最強の殺し屋である仕掛屋の元締、という幻の存在が必要なのである。

 元締の正体が自分だとばれたら、仕掛屋は終わりだろう。


 ・・・


「中村左内が、こちらに来たのですか」

 立島の言葉に、お玉は頷いた。

「ええ。あいつ、妙な目付きであちこち見てたよ。ひょっとしたら、あたしらを疑ってるんじゃないのかねえ」

「大丈夫ですよ、お玉さん。いざとなれば、大角を動かしますから。大角は奉行所にも、それなりに顔が利きます。しかも、中村左内はただの下っ端役人。昼行灯というあだ名の、しょうもない男だという噂です。どうせ、何も出来やしませんよ」

 言いながら、甲斐はくすくす笑った。その目はとろんとしており、誰の目にも普通の状態ではないのは明らかだった。


 甲斐とお玉、そして立島……彼ら三人は、薬屋の地下に造られた秘密の部屋に来ている。甲斐とお玉は煙管をくわえ、楽しそうに笑っていた。あたりには奇妙な香りが立ち込めている。

 一方、立島は冷めた表情で二人を見ていた。


「いっそのこと、私が中村を斬りましょうか?」

 不意に口を開いた立島。だが、甲斐はにやにや笑いながら首を振る。

「そこまでやる必要はないですよ。あいつは、しょせん下っ端の昼行灯です。何の力もありません。それに、奴も一応は役人です。殺すとなると、後が厄介ですからね……まあ先生がどうしても、と言うのでしたら、止めはしませんがね」

 言い終えると同時に、甲斐はげらげら笑い出した。横にいるお玉も、大口を開けて笑う。今の言葉の何がおかしいのか、立島には全く理解不能だ。

 魔物に取り憑かれたかのように、笑い続ける甲斐とお玉。そんな二人を、冷たい表情で見つめる立島。

 ややあって、立島は立ち上がった。

「ちょっと外の空気を吸ってきますよ」

 そう言って、立島は二人に背を向け歩き出した。すると、甲斐が笑いながら声をかける。

「先生、ほどほどにしてくださいよ。ここは江戸ですからね。やり過ぎると、かばいきれませんよ」

 その言葉を聞いた瞬間、立島の足が止まった。険しい表情で下を向く。

 対照的に、甲斐はへらへら笑いながら喋り続けた。

「先生が俺たちのことをどう思っているか、俺には分かっています。でもね、先生も俺たちの同類なんですよ。俺たちは麻、先生は人斬り……どちらも同じ、中毒患者なんですよ。違いますか?」

「……」

 立島は、凄まじい形相で奥歯を噛み締めた。だが何も言わず、階段を昇って行った。


「あの人斬り先生、大丈夫かなあ」

 間延びした声で、お玉は言った。彼女の表情は完全に緩み、目もとろんとしている。

「さあね。面倒だから、そろそろ先生にも消えてもらうとしようか。大角がいれば、先生も用無しだから……いや、とち狂った馬鹿の始末に必要かもね」

 甲斐の言葉に、お玉はまたしても笑い出した。げらげら笑いながら、その場に寝転ぶ。つられて、甲斐も笑い始めた。

 端から見れば、二人の狂人が戯れているようにしか見えないだろう。




 その頃、立島は河原を歩いていた。

 不快だった。不愉快で仕方ない。先ほどの甲斐の言葉が、今も胸に引っ掛かっている。


(先生が俺たちのことをどう思っているか、俺には分かっています。でもね、先生も俺たちの同類なんですよ。俺たちは麻、先生は人斬り……どちらも同じ、中毒患者なんですよ。違いますか?)


 違わない。

 甲斐と立島は、同類なのだ。

 だからこそ、不快で仕方なかった。奇妙な効能をもつ、乾燥させた麻の煙。それを吸い、狂ったように笑う甲斐とお玉の姿は……どうしようもなく醜く、かつ歪んでいる。

 そして、人斬りに取り憑かれた自分もまた、醜く歪んでいる。


「ちょっと旦那、遊んでいきませんか?」

 夜道を歩く立島に、不意に声をかけてきた女がいる。みすぼらしい着物にぼさぼさの髪、やつれた表情。間違いなく夜鷹だ。

「旦那、どうですか?」

 言いながら、しなだれかかってくる夜鷹。

 立島は無言のまま、夜鷹を突き飛ばした。

 と同時に刀を抜き、彼女に斬りつける。

 突然のことに、夜鷹は声も出せない。だが、立島の動きには迷いがなかった。彼は、もう一太刀を見舞っていく――

 その一撃がとどめとなり、夜鷹は倒れた。

 死体と化した夜鷹を、忌々しげに見下ろす立島。実に下らない。何の手応えも無い屑だ。つまらない物を斬ったものだ。

 もっとも、先ほどまでの苛つきが、僅かではあるが解消されたのも確かだが。

「中村左内……」

 立島は、ふと呟いていた。かつての左内は、道場では本当に強かったのだ。左内に対抗できたのは、池田左馬之介ただ一人である。

 ただし、池田と左内では根本的に異なる点がある。池田は、剣に本気で打ち込んでいた。剣技を極めるためなら、妖魔に魂でも売る、そんな雰囲気に満ちていたのだ。事実、池田が常々口にしていたのが……人を斬ったことのない者に剣の道を極めることなど出来ない、という言葉である。

 それに対し、左内はどこか余裕があった。道場でも脱力しきった構えで、打ちかかる立島を軽くいなしていた。まるで、お前など相手にならんとでも言わんばかりの様子で。

 しかも左内は、活人剣という言葉を好んで使っていた。剣は人を斬るための道具ではない。むしろ己の内にある悪しき心を断ち切るための物だ、と常々言っていたのだ。

 剣は他人を斬るための道具である、そう信じていた立島にとって、左内の存在は不快なものであった。

 そして先日、左内と再会したのだが……左内は相変わらず、立島を相手にしていなかった。

 立島には分かっている。左内の腕は落ちていない。それどころか、道場にいた時よりも確実に腕を上げている。立島はこれまで、何人もの人間を斬ってきた。その中には、武芸に秀でた侍もいたのだ。だが、誰も立島には勝てなかった。

 そんな立島だからこそ、匂いで分かるのだ。左内もまた、これまでに多くの人間を斬ってきたはず。昼行灯などと呼ばれ蔑まれているらしいが、それは巧妙に本性を隠しているからだ。


 中村左内を、斬りたい。







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