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必殺必滅仕掛屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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崩壊無情 二

 江戸の町は、今日も多くの人で賑わっていた。老いも若きも、男も女も、それぞれ様々な表情を浮かべて町中を行き来している。

 人が多ければ、当然ながら犯罪も増える。したがって同心たちは、人の出入りの激しい商店街などを重点的に見回る。出世のためには、こうした人目に付きやすい場所にいることが大事だ。私はお役目を果たしていますよ、という町民たちへの主張である。また、上役の目にも止まりやすい。

 だが逆に、ひとけの少ない場所を好んで見回るような同心もいた。渡辺正太郎も、そんな変わり者の一人である。




 その日も渡辺は、江戸の裏通りを歩いていた。その時、後ろから声をかけられる。

「渡辺さん、ちょっと話があるのですが……」

 中村左内の声だ。渡辺は、意外そうな表情で振り返る。

「おや中村さん、私に話とは珍しい。いったい何の用ですか?」

「あのですね、隼人という大道芸人を取り調べたそうですが……奴を帰らせたのは、いつ頃ですか?」

「さあ、夕方には帰らせたはずですがね」

 首を傾げながら、渡辺は答えた。その言葉に、嘘はないように見える。

 だが左内は、己の判断を信用できなかった。そもそも、この若者は身近な存在である。また今までは、若いのに出世の意欲がない、ちょっと変わり者の同心という先入観に支配されていた。

 だからこそ、これまでは渡辺の正体に気づけなかった。しかし、今は違う。

「そうですか……ところで、奴からどんな話を聞いたのです? 出来れば、詳しく教えて欲しいんですが」

 言いながら、渡辺をじっと見つめる左内。すると、渡辺の表情が微かに変化した。

「中村さん、あなたとその大道芸人と、何の関係があるんです?」

「いや、隼人と組んでる芸人たちに頼まれましてね。一応は、私も役人ですからね……聞かないわけにもいかないんですよ」

「本当に、それだけですか?」

 言いながら、左内の顔を覗きこむ渡辺。その裏にあるものを見透そうとしているかのように。

 左内は一瞬、迷うような表情をみせた。だが、すぐに下卑た笑みを浮かべてみせる。

「実はですね、大道芸人の女に頼まれまして……あいつ、なかなかいい味してるんですよ」

 その言葉を聞いたとたん、渡辺の目がすっと細くなった。侮蔑の念に満ちた目で左内を見つめる……いや、睨むといった方が正確だろう。

 渡辺は、明らかに変化していた。今までの彼は、沈香も焚かず屁も放らず……何事が起きようとも、我関せずの態度を貫き淡々と手抜き仕事に徹していたはずだった。

 それが今では、内に秘めたものを隠そうともしていない。しかも、その目には奇妙な光が宿っている。

 どこか、狂信的な光が。

「では中村さん、とりあえずはこれを受け取ってください」

 そう言うと、渡辺はおもむろに近づいて来た。左内の手のひらに、小判を一枚握らせる。

「気の毒ですが、私はその隼人なる大道芸人のことは何も知らないのですよ。ですから、あなたの方から上手く言っておいてください。お願いします」

 言いながら、渡辺は左内の肩をぽんほんと叩く。もっとも、その瞳には危険な光が宿ったままである。

 左内は改めて、目の前にいる若者について何も知らなかったことを気づかされた。この青年は、内に狂気を秘めながら……それを完璧に隠しきって、無能な同心を演じきっていたのだ。

 まるで、自分のように……。


「中村さん、今まで通りにいきましょう。あなたは、今まで通りの昼行灯でいれば、何も問題なく済むんですよ」

 言いながら、渡辺はにこやかな表情を浮かべる。

「では渡辺さん、あなたはどうなんです? あなたは、これから何をする気なんですか?」

 険しい表情で尋ねる左内。普段の彼なら、あっさり引いていたはずだった。今はまず、渡辺に警戒心を起こさせないこと……それが重要である。その上で、渡辺を泳がせて彼の周囲を探ってみる。今までの左内なら、確実にそうしていた。

 しかし、今は聞かずにはいられない。渡辺正太郎からは、かつての自分に似た何かを感じる。

 仕掛屋に加入した頃の左内と同じものを……。


「では、少しだけ話しましょう。あなたも知っているはずです……今の奉行所が、どんな場所であるか」

「そ、それは――」

「あなたなら、分かるはずです。かつて、神谷右近さんへの酷い仕打ちにかっとなり、与力に直談判し出世の道を閉ざされたあなたならば、ね」

 そう言って、渡辺はにっこり微笑んだ……だが対照的に、左内は愕然とした表情となる。なぜなら、渡辺の言っていたことは事実だったからだ。


 ・・・


 神谷右近はかつて、南町奉行所の同心であった。

 仕事熱心で悪党に対しては冷酷非情、南町の虎と呼ばれていた。斬り殺した悪党は数知れず、獄門台に送った悪党もまた百人は下らないだろう。

 しかし右近を憎む悪党も数知れなかった。ある日、右近は悪党たちの仕掛けた罠にはめられてしまう。材木置き場にて盗賊を追っていた時、虎ばさみの罠に足を取られたのだ。さらにとどめを刺すべく、動けなくなったところに大量の材木を落とされた――

 何とか一命を取り留めたものの、右近の両足の骨は粉々に砕けていた。二度と動かなくなってしまったのだ。

 体の自由を失い、同心として働けなくなった右近。彼には、悲惨な日々が待っていた。奉行所は、僅か一両の見舞金で右近を放り出す。同心の中でも、一番の功労者であった右近。しかし、奉行所の仕打ちはあまりにも冷たいものだった……。


 左内にとって、誰よりも尊敬に値する先輩だった右近。その右近に対する仕打ちにかっとなり、左内は与力に掴みかからんばかりの勢いで抗議する。

 これは、奉行所では絶対にやってはならないことだった……表沙汰にはならなかったもの、左内の出世の道は閉ざされてしまったのである。


 ・・・


「ど、どうしてそれを?」

「調べさせていただきましたよ。他にも、知っていることはあります。あなたは、奥山新影流の免許皆伝……南町奉行所でも最強と謳われた首切り役、池田左馬之介と互角の腕だったのでしょう。にもかかわらず、冷飯食いの立場に置かれている」

 自信たっぷりの口調で語る渡辺。

 左内は、必死で冷静さを保とうとしていた。まさかとは思うが、自分の裏の顔も知っているのだろうか。

 だとしたら……いや、まずは相手の手の内を探るのが先決だ。


 無言の左内に、渡辺はまたしても笑みを浮かべる。

「今の腐敗した奉行所では、秩序を守ることなど出来ませんよ。今後は、毒を持って毒を制する必要があります……おっと、これ以上は知る必要がないことですね。あなたは、南町の昼行灯です。自分の分をわきまえていれば、何事もなくお務めが出来ますよ」

 その言葉に、左内はさりげなく目線を逸らした。断言は出来ないが、今のところ自分が仕掛屋の元締であることは、気づかれていないらしい。

「分かりました……しかし、それと隼人とどういう関係があるのですか? あいつは、ただの大道芸人ですよ――」

「そう、あいつはただの大道芸人です。仮に野垂れ死んだとしても、あなたには何の関係もないですよね」

 言いながら、渡辺は鋭い視線を投げ掛けてきた。

 左内は、気弱そうな表情で下を向く。今はまだ、深追いは出来ない。あくまでも、気弱な昼行灯を貫き通さなくてはならないのだ。

「まあ、これはあくまで噂ですがね……あの隼人は、とある集団を裏切って江戸に逃げてきたそうです。その集団が、隼人を捕まえたのかもしれません」

 その言葉を、左内は冷静な表情で受け止めた。だが内心では動揺している。

 かつて、市から聞いたことがある……隼人は、夜魔一族なる暗殺者集団に属していたと。だが、その連中は江戸には入れないはずだった。


「そうですか……分かりました。何やら、複雑な事情があるようですね。ならば私も、これ以上は関わらないようにしますよ」

 そう言うと、左内はぺこりと頭を下げる。ここは、ひとまず撤退だ。まずは、鉄や市らと相談しなくては……。

「それが賢明ですよ、中村さん」

 去り行く左内の背中に、渡辺の声が投げかけられる。そこには、侮蔑の感情があった。




「旦那、やっと来たんですかい。何をしてたんですか、まったく」

 番屋に来た左内に、目明かしの源四郎がぶつぶつ文句を言った。だが、左内の鋭い目を見て表情が変わる。これは、明らかにただ事ではない。

「源四郎、悪いが来てくれねえか。ちょいと、調べなきゃならねえことがある」

 左内の言葉に、源四郎は神妙な顔で頷いた。


 二人は、ひとけの無い川辺で立ち止まる。辺りは草が生い茂り、向こう岸には河原者の住んでいる掘っ立て小屋が建っている。

「隼人が捕まった。渡辺正太郎が一枚噛んでいるらしい。すまねえが、渡辺の身の回りを調べてくれ。しばらくは、あいつから目を離すな」

「隼人が? 旦那、どういうことです?」

 驚愕の表情を浮かべる源四郎に、左内はかいつまんで事情を説明した……とはいえ、正直にいうなら左内の方が「どういうことです?」と聞きたい気分なのだが。

 しかし、そんなことを言っていたら話は進まない。左内は、これまでのいきさつを語りだした。


「じゃあ、渡辺正太郎は……夜魔一族ってのと組んでるんですか?」

 話を聞き終えた源四郎は、神妙な面持ちで尋ねる。

「恐らくそうだ。しかし、俺には分からねえんだよ……あの渡辺が、何を考えているのか。くそ、何で俺は気づかなかったんだ。普段、近くで仕事をしていたのに……」

 毒づきながら、左内は虚空を睨む。もし奴の裏の顔に気づけていたら、こうなる前に手の打ちようもあったのではないのか。

 これは、自分の油断が招いた事態だ。

「旦那、今さらそんなこと言っても始まらないですよ。あっしが奴を探りますから」

 源四郎の言葉に、左内は頷いた。そう、今は後悔している場合ではない。次の手を考えなくては。

「そうだな。お前はしばらくの間、渡辺の情報を探ることだけに専念してくれ。他のことはしなくていい」

「へい、あっしに任せてください。で、旦那はどうします?」

「今夜、鉄たちを集めて会議だ。場合によっては、龍牙会の力も借りなきゃならねえ」








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