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出会無情 五

「ところで婿どの、あの馬鹿犬は誰に引き取ってもらったのです?」

「はあ、大道芸人です」

 朝飯を食べながら、左内は答える。すると、義母・いとの表情が変わった。

「なんですと? あの犬を、大道芸人に渡したのですか?」

「はい、母上」

 左内が返事をしたとたん、いとの顔つきがさらに険しくなる。

「なんとまあ、気の利かない。私はてっきり、どこかの名のある商人の奥方にでもあげたのかと思っていたのに……よりによって大道芸人にあげるとは」

 呆れ果てたとでも言いたげな、いとの声。だが左内は何も言わず、さっさと飯を食べる。

 すると、今度はきぬが口を開く。

「大道芸人とは……それでは、捨ててくるのと同じではありませんか。どこかの名のある庄屋さんのお子さんにでもあげれば、少しは私たちの役に立ちましたのに」

「本当に、婿どのは気が利きませんねえ。引き取り手を探している、と仰っていましたので……てっきり、そうした方々に差し上げるものと思っておりましたのに、よりによって大道芸人とは。それなら、もっと早くして欲しかったですわねえ」

 二人の嫌味を聞かされながら、左内は黙々と朝飯を食べる。これは、彼にはどうしようもないのだ。もはや頭を低くし、口撃が終わるのも待つしかない。




 朝飯を食べ終えた後、奉行所へと向かう左内。その足取りは重い。羅漢寺一家をどう仕留めるか、そのことが左内の頭を支配していた。まさか、真正面から行くわけにもいかない。かといって、忍びこむのも難しいだろう。

 ここはやはり、同心である自分が乗り込んで行って、隙を作るしかないのだろうか――


「ちょっと中村さん、聞いてますか?」

 いきなり声を掛けられ、はっと我に返る左内。隣には、若い同心の渡辺正太郎わたなべ しょうたろうが座っており、心配そうに左内の顔を覗きこんでいる。

「ああ渡辺さん、すみません。ちょっと考え事をしておりましてな。どうかしましたか?」

「いや、私は本当に嫌になりましたよ。何でしょうね、あの羅漢寺一家は」

 一瞬、左内はどきりとした。まるで、自分の心中を見透かされたかのような気分になったのだ。しかし表情には表さず、怪訝そうな様子で尋ねる。

「羅漢寺一家、ですか。奴ら、また何かやらかしたのですか?」

「ええ、あちこちで悪さをしてますよ。どうしようもない連中です。しかも親分の政二郎は、この近くの辰巳屋に入り浸っているんですよ。自分の娘くらいの歳の女と逢い引きしてるんですから。まったく、どうしようもない奴です」

「ほう、若い女と逢い引きですか。それはお盛んな話ですな」

 軽い口調で言葉を返しながらも、左内は頭の中で今の話を吟味する。辰巳屋に入り浸っている、これは狙い目かもしれない。

「何を呑気なことを。あんなやくざ者が、大手を振って奉行所の周りを闊歩し愛人と逢い引きするとは、世も末です」

 嘆かわしい、とでも言いたげな様子で顔をしかめる渡辺。左内は平静を装ってはいたが、内心では辟易していた。この渡辺という男、決して悪人ではない。だが、非常にうっとおしい部分がある。まだ若い分、奉行所の腐敗に対し未だに納得できない部分があるらしい。

 もっとも、こんな若造の思想など、左内の知ったことではないのだ。

「まあ、困った話ですな。では、そろそろ外回りに行かないと……」

 左内は、ぺこぺこ頭を下げながら立ち上がった。へらへら笑いながら、部屋を出ていく。




 十手をぶらぶらさせながら、左内は番屋へと向かって歩いた。道中、さりげなく辺りを見回してみるが、特に怪しげな輩は見当たらない。自分はまだ、厄介な連中に目を付けられてはいないらしい……少なくとも、今のところは。

 左内は、仮にも仕掛屋の元締である。万が一にも、裏の顔を知られてはならないのだ。したがって、普段から身の回りに気を配ってはいる。


「あ、旦那。おはようございます」

 番屋に入った左内に、真っ先に挨拶をしたのは目明かしの源四郎だ。大柄な体を折り曲げ、頭を下げる。しかし、他の同心や目明かしは冷たい態度だ。また昼行灯が来たか……とでも言いたげな様子である。

 もっとも、他の同心たちの態度など、左内の知ったことではない。

「源四郎、すまねえが見回り付き合ってくれや」

「へい、わかりやした」

 源四郎は頷き、大きな体を屈めて番屋を出ていく。左内は同心たちに軽く会釈すると、源四郎を連れて去って行った。

 番屋に残った同心たちは、思わず顔を見合わせる。

「おいおい、昼行灯が熱心に働いてるよ」

 一人の同心が軽口を叩いた。

「ひょっとしたら、明日は雪でも降るかもしれませんね」

 また別の同心が、軽口で応じる。すると、皆が笑った。




「源四郎、羅漢寺を殺ることに決まったぞ」

「えっ、本当ですか。では、さっそく調べてきます」

 そう言って、走りだそうとする源四郎。だが、左内は彼の腕を掴む。

「まあ待て。まず、俺の話を聞いてくれや」


 左内と源四郎は、ひとけの無い橋の下にいた。二人は今から、裏の仕事について話し合う。言うまでもなく、他人に聞かれてはまずい話だ。そのため、人目に付きにくい場所に来たのである。

 しかも源四郎の場合、複雑な事情があった。源四郎は、仕掛屋の面子を全て把握している。ところが、源四郎が仕掛屋の一員であることを知っているのは、元締である左内だけなのだ。

 そんな源四郎の存在は、左内にとって非常にありがたいものである。標的となる相手の情報を探ったり、時には同じ仕掛屋の誰かの行動を調べたり……源四郎は大柄な体格と厳つい顔に似合わず、情報を集めるのは得意であった。

 しかも源四郎は、左内より前から仕掛屋の一員として活動している。もともとの仕掛屋の元締は蕎麦屋の政吉であったが、源四郎は政吉の片腕として動いていたのだ。


「するってえと、市の奴はまた降りたんですか。あいつ、本当にろくでもないですね。市は本当に、仲間意識が欠片ほどもありませんや」

 左内のこれまでの話を聞き、不快そうな表情になる源四郎。この男は基本的に、他の面子を信用していないのだ。左内と顔を合わせると、常に市と鉄に対する愚痴を言っている。

 だが、その愚痴を聞くのも左内の勤めだ。

「まあ、そう言うな。羅漢寺を相手に一人二両ってのが、そもそも無理があるんだよ。俺たちくらいのもんだぜ、こんな仕事を引き受けるのはな」

 自嘲の笑みを浮かべる左内。すると、源四郎が顔を近づけて来た。

「旦那……あっしはね、銭金で動いてるわけじゃありません。あっしは、大恩ある旦那のために働いてるんです。旦那のためなら、たとえ火の中――」

「わかった! わかったから! お前は近いんだよ」

 言いながら、顔をそむける左内。この男、やはり男が好きなのではないだろうか。もっとも、自分が色男でないことは自覚している。いくら男色家でも、自分のような顔を好むとは思えないが。


「ところで旦那、あの隼人って小僧ですが、大丈夫なんですか? あいつはあいつで、どうも危なっかしい気がするんですがね」

「確かにな……ただ、あいつもまだ若い。長い目で見てやってくれ。それに隼人は、お松の知り合いだったんだよ」

「えっ!? そうだったんですか!?」

 驚く源四郎。そう、彼もお松のことは知っているのだ。

 一方、左内は渋い表情で頷いた。

「ああ。だから、それとなく気にかけてやってくれ。あと、仕事のことだがな……政次郎は、辰巳屋にいる娘に入れあげてるらしいぞ。奴を殺るとすれば、辰巳屋の中だ」

「そうですか。となると、あとはお光と若頭の勘八ですね」

「その二人は、小吉に見張らせてる。だが、あいつらは馬鹿だからな。仕留めるのは簡単だろう」


 ・・・


 羅漢寺一家のお光は、非常に苛立っていた。何用かは知らないが、木っ端役人の中村左内が突然、家を訪れたのだ。

「申し訳ないんですがね、お光さんと勘八さんに火急の用件があるんですよ。すぐに来ていただけませんかね」

 ぺこぺこ頭を下げながら、すまなそうに言う左内。お光は思わず舌打ちした。昼行灯が、いったい何の用だというのだろうか。

「はあ? いったい何の用です?」

 当然、お光はそう聞いた。だが、左内は頭を下げるばかりだ。

「いや、申し訳ありません。ここでは言えないことなんですよ。申し訳ないですが、黙って来てください」

 言った後、左内はさりげなくお光に近づく。そして、耳元で囁いた。

「大きな声じゃ言えませんが、実は政次郎親分のことなんですよ。内々に処理しますが、念のためお光さんと勘八さんにも来てもらわないと……」


 政次郎のこととなると、さすがのお光も動かざるを得ない。若頭の勘八と共に、左内の後を付いて行ったのである。


 左内は提灯を片手にしばらく歩いていたが、ひとけの無いあばら家の前で立ち止まった。

「ここです」

「はい? こんな所に連れて来て、いったい何の用なんですか中村さん?」

 お光は、いかにも不快そうな様子で聞いた。傍らにいる勘八は、今にも殴りかかりそうな表情である。目の前にいる者は、曲がりなりにも定町回りの同心だ……その事実が、かろうじて勘八の怒りを押さえ込んでいたのだ。

 すると、左内はくるりと振り向く。不敵な笑みを浮かべながら、彼は口を開いた。

「お光さん、申し訳ないが死んでもらいますよ。勘八さん、あんたもだ。あんたらは、ちょっとやり過ぎたみたいだね。あちこちから苦情が来てる。物事はね、ほどほどが肝心なんだよ」

「なんだと……」

 低く唸り、前に出て来る勘八。だが、左内には怯む様子がない。

「心配するな。親分の政次郎も、そろそろ地獄に行ってる頃だ。あの世で仲良くやりな」

「この昼行灯が!」

 喚きながら、短刀を抜き突進する勘八。しかし、左内はあっさりと躱す。と同時に、左内は刀を抜いた。

 直後、左内の刀が一閃――

 勘八はうめき声を上げながら、短刀を落とす。

 だが、左内の動きは止まらない。さらに、止めの一撃が勘八を襲う――

 その光景を見たお光は、悲鳴を上げ逃げ出した。


「おやおや、どうかしましたか?」

 不意に、お光の前に現れた者がいる。背が高く、筋骨たくましい体つきの坊主だ。お光は安堵した。坊主なら、あの同心とは関係あるまい。

 お光は分かっていなかった。自分の目の前にいる坊主は僧侶ではなく、鉄という仕掛屋であることを。

「あ、あそこで人殺しだよ! 役人が、いきなり人を斬りやがった――」

 それ以上、言葉を続けることは出来なかった。鉄の腕が伸び、お光の首に巻き付いていく。

 直後、凄まじい怪力で首を絞め上げられた。お光は抵抗すらできず、首をへし折られ絶命した。

「悪いな、おかみさん。俺は人殺しがだぁーい好きなんだよ。特に、骨をへし折る感触がねえ……たまりませんな」

 動かなくなったお光に語りかけると、鉄はその場を去って行った。


 ・・・


 その頃。

 羅漢寺一家の親分・政次郎は、出会い茶屋の辰巳屋に来ていた。今日もまた、若い愛人を抱ける……年甲斐もなく、政次郎はうきうきしていた。

 だが、そこに現れたのは……若い愛人ではなく、手拭いで頬被りをした若い男であった。


 天井裏に潜んでいた隼人は、政次郎の姿を確認すると同時に天井の板をそっと外す。

 次の瞬間、音も無く降り立った――

 突然、現れた隼人に対し、政次郎はなす術が無かった。口を開けたまま、目をぱちくりさせている。

 一方、隼人の動きにはためらいが無い。一瞬にして間合いを詰め、鎌で喉元を切り裂いた――

 何がおきたのか把握できぬまま、喉を切られて政次郎は死んだ。


 騒ぎが起きる前に、辰巳屋を脱出した隼人。足早に、寝ぐらである廃寺へと向かう。

 しかし、途中で足を止めた。手拭いで額の汗を拭き、ゆっくりと振り返る。さっきから、何者かに尾行されているのだ。

 もし殺り合うなら、ひとけの無いここしかない。

「誰だ」

 言いながら、懐から手裏剣を出す隼人。すると、物陰から声がした。

「ちょっと待て。俺だよ、市だ。前にあったの、覚えてるだろう?」

 声の後、姿を現したのは市だった。端正な顔に笑みを浮かべながら、悠然とした態度で佇んでいる。

「あんたは……何の用だ? 仕事は降りたんじゃなかったのか?」

 怪訝そうな顔の隼人に、市はすました顔で口を開いた。

「お前が無事にやり遂げるかどうか、確かめに来ただけだ。お前はいい腕してるな。これからも、よろしく頼むぜ」

 にやりと笑い、市は去って行った。

 一方、隼人は思わず首を傾げる。いったい何だったのだろうか。仕事を降りておきながら、隼人の仕事ぶりを確かめに来るとは……理解に苦しむ男だ。

 だが、今はそれどころではない。早く帰らなくては……隼人は、足早にその場を離れた。


 廃寺に戻ると、小さな毛の塊がとことこ歩いて来た。先日、左内からもらった仔犬だ。可愛らしい表情で、隼人を見上げていた。

 隼人の顔にも、優しい表情が浮かぶ。

「よしよし、帰ったぞ」

 言いながら、仔犬の頭を撫でる隼人。仔犬は嬉しそうに、隼人の手を舐めた。


 足音を忍ばせ、お堂の奥に入っていく隼人。ひょっとしたら、もう寝ているのかも知れない。隼人は音を立てないように、そっと覗いてみる。

 予想に反し、沙羅は起きていた。しかも、膝を着いた姿勢で目をつむり、何やらぶつぶつ言っている。胸のあたりで両手を組み、顔を上に向けながら……そして彼女の首には、十字の形をした首飾りがぶら下がっていた。

 その姿を見た隼人は、邪魔をしないように仔犬を連れてその場を離れる。

 

 沙羅が切支丹きりしたんであることは、隼人は知り合った当初から承知している。とはいっても、切支丹という人種がどんな宗教を信仰しているのか、隼人は全く知らないし興味もない。

 隼人に分かるのは、切支丹の行う儀式や教義が沙羅にとって大切なものである、ということ。そして、切支丹であることが他の者に知られたら……沙羅は囚われてしまう、という事実だけだ。


 ・・・


 翌日、左内はいつものように見回りをしていた。十手をぶらぶらさせながら、やる気なさそうに町を歩いている。だが、前から歩いて来る者に気付くと、その目付きが変わった。

 すらりとした体型の色男が、なにげなく左内の方をちらちら見ながら歩いて来る。竹細工師の市だ。

 市は意味ありげな視線を左内に送ると、そのまま通りすぎていく。左内は思案げな表情でいったん立ち止まり、五間(約九メートル)ほど離れた距離から、市の後を付いて行った。




「市、何か用か? 金なら貸さねえぞ」

 物置小屋の前に座り込み、さりげなく声を出す左内。市は物置小屋の中に隠れている。端から見れば、左内が独り言を言っているようにしか見えない。

「八丁堀、あの新しく入った隼人だがな……奴はやばいぞ。夜魔やまの一族だ」

「やまのいちぞく? 何だそいつは?」

「上方で仕事してる裏の連中さ。暗殺を請け負ってる、恐ろしく危険な奴らだ。隼人は、その夜魔の一員だよ。あの額の刺青は、夜魔一族である印だ」

 市の声は、自信に満ちていた。これは確かな情報なのだろう……左内は下を向きながら、さりげなく左右を見回す。

「じゃあ、その夜魔が江戸に何しに来たんだ?」

「俺は、奴は夜魔を裏切ったんじゃねえかと睨んでいる。そもそも、夜魔一族は江戸じゃあ仕事が出来ねえ決まりになってるはずなんだよ」

「何でだ? なぜ江戸で仕事ができないんだ?」

「龍牙会の元締お勢が、夜魔一族の長と話を付けたらしいんだよ。お勢の目の黒いうちは、夜魔一族は江戸で仕事は出来ないはずなんだよ。ところが、夜魔の一員である隼人が江戸に来てる。これは多分、夜魔を裏切って江戸に逃げてきた……そう考えるのが、自然な流れだろう」

 市の説明は、筋が通っている。おかしな点もない。夜魔一族という連中の話は初耳だが、市がそんなつまらない嘘を吐くとも思えない。

 どうしたものか。


 思わず考えこむ左内。しかし、市はなおも語り続ける。

「いいか八丁堀、俺の読みが正しければ、夜魔一族はいずれ江戸に乗り込んで来るはずだ。下手すると、龍牙会の連中まで敵に回すことになるかもしれねえ。今のうちに、隼人をどうするか考えておけ」

 その時、左内はようやく口を開いた。

「市、その件はお前の胸の中に止めておけ。誰にも言うんじゃねえぞ」

「じゃあ、どうするんだ――」

「どうするかは、俺が決める。お前が先走るんじゃねえ。勝手な真似しやがったら、お前を殺す」







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